『岩波講座 世界歴史』16
〈主権国家と啓蒙 16世紀〜18世紀〉をめぐるQ&A

2000. 7. 20 小改訂

  → 正誤表  → 近藤和彦



Q:SC
  岩波講座・・・総論をはじめ、興味のある章はこの機会に一気に読みました。

  総論、前半部16世紀を描写している部分、たくさんのことがそれこそ
同時並行的に起こって、ある種混沌としている状態から、後半部の18世紀、
いくつかの強力な国家が前面に立ち現れてくる過程、ダイナミックさを感じました。

  さて、その上で一つ二つ感想(質問)です。前半部が非常に複眼的で
空間的にもヨーロッパ全域を見ていたのに対して、後半に至るに従って、
検討の重点がいわゆる英仏蘭に代表される「勝ち組」におかれるようになる。
僕の読み方に偏りがあり十分に意図を汲めていないのかも知れませんが、
フランス革命時でもいまだ350あったという政体のうち、
強力かつ広大なまとまりとならなかったものは、
一方で一握りの強力な政体が出来上がるなかでどうなっていったのか。
そんなこともふれてあったらよいのに、などと勝手なことを思ったりしてしまいました。

  もう一つは、ルネサンスと啓蒙の関係です。お考えでは、ルネサンスと啓蒙は
かなり直接的に対応(呼応?)関係にあるものですか。
それとも本質的な部分で異なる社会文化現象ととらえるべきでしょうか。
別の聞き方をすれば、近世300年は社会文化史的にも一つのまとまりのある時代
と見るのでしょうか。そしてそうだとすればそれは、ポーコックの見るように
いくつかの点を線で結ぶように辿っていくものなのでしょうか。

  執筆の意図が「支配的傾向」をみるということにある以上、上記のような
感想や質問はそもそも的外れかもしれませんが・・・。

  Mon: 10 Jan 2000  00:14 GMT



Q:小田中直樹
  ・・・【前略】「近世ヨーロッパ」については
(1) 「概説」のあり方の難しさについて、改めて考えさせられました。
旧『岩波講座』との関係、あるいは依拠している個々の研究との関係などに、相当苦労されたことが感じ取れます。

   さらにまた、想定読者層をどこに設定するのかという問題についても、とくに玉稿の場合は近世ヨーロッパをたった150枚で描かなければならないことともあいまって、さぞかし大変だったことと存じます。

   その際玉稿は、僕の読み違いでなければ、何も知らない読者よりは、むしろこの時期の歴史についてある程度の(しかし旧式かつ通説的な)知識を持つ読者を対象として想定されたように感じます。そのため、「件の」という言葉が、読者に対して暗黙理に投げかけられているような
印象を受けます。

   僕はおそらくこのような読者の一人ではないかと思いますが、玉稿を読み、近世ヨーロッパのイメージが大きく塗り替えられるのを感じ、楽しみました。

   ただし、このような読者と、この時期の歴史に関する知識をほとんど持っていない読者とでは、楽しみ方に違いがあることでしょう。他方で執筆する側についても、対象読者をどう設定するかによって、記述を変えざるをえません。前者には前者の、後者には後者の、各々楽しみ方(楽しませ方)があるということです。この条件のもとで概説を執筆するに際しては、どのようなスタンスをとるべきなのでしょうか。さらにはまた両者をともに楽しませることが必要だとすれば、どうすればよいのでしょうか。

(2) さらにまた、玉稿は非ヨーロッパとの接触の重要性を強く意識しながら論を進めておられます。これもまた、恥ずかしいことですが、僕の念頭にあまりなかった点だったので、感服しながら読んだ次第です。

(3) 他方で、「ルネサンスか宗教改革か」のところは、どちらが近代の始まりを画するかについての諸説が並列的に並べられ、それ以上の評価が明示されないため、玉稿の積極的な所説が把握しづらいような印象を受けました。

A:近藤和彦
 >・・・相当苦労されたことが感じ取れます。
 >・・・さぞかし大変だったことと存じます。
ええ、ええ。・・・, etc. 煉獄の苦しみを味わいました。
逆にイギリスの図書館でいくつもおもしろい本を見つけてあわてて補正したり、
スリリングでした。

 明白な誤植も残ってしまいました。
p.59 14行目 (誤) イングランドはイギリス諸島における二〇年間
           (正) イギリス諸島の人々は二〇年間
p.69 3行目 (誤) Erklaerung
                  (正) Aufklaerung 【ウムラウトはこの画面では表現できません】 → 正誤表

 >(3) 他方で、「ルネサンスか宗教改革か」のところは、どちらが
 >近代の始まりを画するかについての諸説が並列的に並べられ、
 >それ以上の評価が明示されないため、玉稿の積極的な所説が
 >把握しづらいような印象を受けました。
ここはトレルチについて「・・・と力強い」(p.16)などと書いたので紛らわしくなった
かも知れませんが、ぼくとしてはトレルチ=大塚的プロテスタント史観に対して
最大限の皮肉をこめて、ヴェーバーをトレルチ史観から救い出したつもり。
中世からの連続性を忘れるわけにゆかないが、ルネサンスか宗教改革か、
というトレルチ・大塚の問題設定に対する返答は、単純明快にルネサンス
(と大航海 → 世界の重層的一体化)、として議論を進めているのですが。

 >・・・何も知らない読者よりは、むしろこの時期の歴史について
 >ある程度の(しかし旧式かつ通説的な)知識を持つ読者を対象として
 >想定されたように感じます。・・・
というのは、その通りです。ランケ、ブルクハルト以来の研究史のおもしろさ
にも目を開かれて、じつは想定読者は自分自身だったりして!
 とにかく、(1) 、(2)、 (3) をめぐって似たような感想・疑問をよせて下さる人が
ほかにも何人かあり、有難うございました。

15 Nov 1999 15:51     近藤 和彦


Q:K2
 ・・・【前略】「近世ヨーロッパ」のほうは、関係と比較のバランスを楽しみました。
ただ、ぼくじしんが、近世ヨーロッパについて大きなイメージを明確にもっていないこと、
公共圏・公共生活の歴史的な研究についてどういうスタンスをとったらよいか
迷っている(Langford や Shoemaker, 翻訳のでた Calhoun くらいしか読んでいない
こともあります)ことがありまして、「ここがこう」ということを評することができません。
すみません。公共圏(金澤さんのいう「全国社会」?)については、
これから避けては通れない問題だと思っています。・・・自分の得意とする分野と
どのように接合するかを考えてゆきたいです。

 1点だけ、どうでもよいようなことなのですが、25頁の「軍事財政国家」と
60頁の「財政軍事国家」は、おなじ fiscal-military state ですか? 
最初はたんなる誤植かと思ったのですが、前者は近世の国家管理経済の文脈、
後者はアウクスブルク戦争の流れででてきていますから、訳し分けられたのか
とも思いました。つまらないことですみません。

A:近藤和彦
 >・・・公共圏・公共生活の歴史的な研究についてどういう
 >スタンスをとったらよいか迷っている・・・
西洋史の理解の根幹にかかわる、とぼくは思います。
 E・P・トムスンについてぼくが不満なのは、中間層でもなんでもなく
(彼は静態的な分析には興味なかったのだから middling sort だの言って
みても動じないでしょう)、むしろ啓蒙ヨーロッパ、公共圏をいう人々がなにを論じ
始めたのか、を受けとめられなかった点、この致命的な欠点です。

 >・・・「軍事財政国家」と「財政軍事国家」・・・
一致しないことには校正中に気づいたが、ブル−ワも、また Stone (ed.) でも
military fiscal state/fiscal military state の両方使われているので、
いいことにしました。

  1999年11月14日 


 → 2000年1月10日 近代史研究会(MHW)における議論 & after


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