『インド哲学仏教学研究』

概  要

『インド哲学仏教学研究』はインド哲学仏教学研究室で年一回発行している紀要です。
当研究室にて閲覧できるほか、東京大学学術機関リポジトリ(UT Repository)にて、抄録を読むことができます。

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『インド哲学仏教学研究』第20号

2013年3月発行

目 次
He, Huanhuan
(何,歓歓)
The Vedānta Simile of “Pot-space” in the Madhyamakahṛdayakārikā and the Tarkajvālā
Saitō, Akira
(斎藤,明)
A Shape in the Mist: On the Text of Two Undetermined Sūtra Citations in the Prasannapadā
韓, 尚希 四聖諦と八聖道の体系からみたcetovimutti とpaññāvimutti
荘, 崑木
(釈, 大田)
世親作『縁起経釈』の名色支について : 五蘊の意味を中心に
鄭, 祥教 チャンドラキールティのプドガラ(人格主体)論批判 : 「七通りの仕方による考察」を中心として
酒井, 真道 ダルモーッタラの刹那滅論研究 : sattvānumāna における論証因—– 存在性(sattva)—– 成立の問題
張, 文良 連続性と非連続性 : 呂澂の中国大乗佛教批判について
Giglio, Emanuele D. 『諸法実相抄』の来歴 : 「録内」「録外」の集成事情と最蓮房伝から
豊嶋, 悠吾 『釈論愚草』における頼瑜の真言教学の特徴:「二門峙立」と理理無辺について

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『インド哲学仏教学研究』第19号

2012年3月発行

目 次
Choi, Kyeong-jingDid Dharmakīrti Criticize Dignāga's Assertion?:
On the Purpose of Stating vyatireka in the Pramāṇaviniścaya
丸井,浩「正しく知られるべき対象」(prameya) としての artha 概念の変貌
―ジャヤンタが語るニヤーヤ哲学の思想的位置をさぐる一視点―
加藤,隆宏バースカラの無明論批判と別異非別異論
一色,大悟『順正理論』における引果と取果
新作,慶明アヴァローキタヴラタの瑜伽行派批判についての一考察
Madhyāntavibhāga 第 I 章第 3 偈の解釈をめぐって―
西沢,史仁非認識手段の知の起源に関する一考察
王,芳鳳潭の生没年及び出身地に対する一考察

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『インド哲学仏教学研究』第18号

2011年3月発行

目 次       
Takahashi, TakanobuJain Authorship in Tamil Literature : A Reassessment
Saito, AkiraBhavya's Critique of the Sāṃkhya Theory of pratibimba
He, HuanhuanBhavya's Critique of the Vaiśeṣika Theory of Liberation in the Tarkajvālā
友成, 有紀Brhatī および Nyāyamañjarī に見られるパーニニ文法学批判
吉次, 通泰古代インド医学における加齢と寿命について
柳, 幹康『楞伽経』と『二入四行論』 : 「楞伽宗」の思想とそこに占める『楞伽経』の位置

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『インド哲学仏教学研究』第17号

2010年3月発行

目 次       
Tsuchida, RyutaroOn the dynastic transition from the Śuṅgas to the Kāṇvāyanas
Saito, AkiraAn Inquiry into the Relationship between the Śikṣāsamuccaya and the Bodhi(sattva)caryāvatāra
近藤,隼人Pramāṇasamuccayaṭīkā 第 1 章に見る Ṣaṣṭitantra 注釈書の知覚論 : Yuktidīpikā との関連を中心に
岩崎, 陽一Tattvacintāmaṇi における言葉の妥当性の根拠と確定方法
中西, 俊英唐代仏教における「事」的思惟の変遷 : 華厳文献を中心として
石上, 和敬正倉院聖語蔵本,曇無讖訳『悲華経』に見られる朱筆の書き入れについて

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『インド哲学仏教学研究』第16号

2009年3月発行

目 次       
Tsuchida, RyutaroSome Reflections on the Chronological Problems of the Mahābhārata
Muller, A. CharlesWonhyo on the Lotus Sūtra
一色, 大悟有部アビダルマ文献における無為法の実有論証について
田中, 公明『アームナーヤ・マンジャリー』に見るサンヴァラ曼荼羅の解釈法
西沢, 史仁ゲルク派の認識手段論 : タルマリンチェンの解釈について
土屋, 太祐玄沙師備の三句の綱宗

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『インド哲学仏教学研究』第15号

2008年3月発行

目 次         
Ryūtarō TsuchidaConsiderations on the Narrative Structure of the Mahābhārata
Jonathan A. SilkThe Indian Buddhist Mahādeva in Tibetan Sources
吉次 通泰古代アーユルヴェーダの終末期医療
藪内 聡子スリランカの仏教王権 ――アヌラーダプラ時代における王権とサンガ――
柳 幹康『楞伽師資記』に見える禅問答の萌芽について ――指事問義と鏡の譬喩――
張 欣「念仏者是誰」 ――その思想源流について――
Didier Davin『狂雲集』臨済四料簡試釈
王 芳鳳潭と永覚元賢の曹洞偏正五位理解について

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『インド哲学仏教学研究』第14号

2007年3月発行

目 次      
Ryūtarō TsuchidaOn the Textual Division of the Original Bṛhatkathā
Anne MacDonaldRevisiting the Mūlamadhyamakakārikā: Text-Critical Proposals and Problems
宮崎 展昌『阿闍世王經』(T626) の漢訳者について
吉川 太一郎鮮演の用いる比喩について
西村 玲徳門普寂 ――その生涯 (1707-1781年)――

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『インド哲学仏教学研究』第13号

2006年3月発行

目 次       
Ryūtarō TsuchidaThe Formation of the Akuramaṇī- and the Parvasaṃgrahaparvan of the Mahābhārata
Akira SaitōŚāntideva's Critique of 'I' or Self in the Early and Later Recensions of the Bodhi(sattva)caryāvatāra
John R. McRaeState Formation, Indigenization, and Buddhism in East Asian History: The Theoretical Foundation
高橋 孝信文法以前――古典テキスト解釈の諸問題――
堀内 俊郎『雑阿含』809経における「鹿林梵志子」――『釈軌論』所引の ri dgas zlog gi mdo との関連で――
爪田 一寿善導浄土教のいわゆる「国家仏教」的側面について――『法事讃』と龍門石窟――

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『インド哲学仏教学研究』第12号

2005年3月発行

目 次      
Klaus-Dieter Mathes'Gos Lo tsā ba gZhon nu dpal's Commentary on the Dharmatā Chapter of the Dharmadharmatāvibhāgakārikās
青野 道彦四大教法(cattāro mahāpadesā)の解釈の変遷
――ブッダゴーサにおける転換――
金 天鶴東アジアの華厳思想における無碍説
池 麗梅『国清百録』の完成年代に関する一考察 ――随煬帝と天台山教団との交渉をめぐって――
石田 尚敬〈他の排除(anyāpoha)〉の分類について――Śākyabuddhi と Śāntarakṣita による〈他の排除〉の3分類――

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『インド哲学仏教学研究』第11号

2004年3月発行

目 次       
Jinhua CHENAnother Look at Tang Zhongsong's (r.684,705-710) Preface
to Yijing's (635-713) Translations: With a Special Reference to Its Date
田村 典子仏弟子アーナンダの呼称 Vedamuni について
藤井 淳『大乗涅槃経』とアビダルマ仏説論 ――恒河七衆生(水喩)の考察――
堀内 俊郎『釈軌論』における三三昧 ――『声聞地』との比較を通じて――
大野田 晴美Pramāṇasamuccaya におけるディグナーガとヴァイシェーシカ学派の論争
里美 英一郎ソーマ祭での複合型歌詠マントラ stotra に配される数の象徴性の工夫 ――数的符号((saṃpad)を手掛かりとして――

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『インド哲学仏教学研究』第10号

2003年3月発行

目 次       
清水 元広『カターヴァットゥ』の論理
馬場 紀寿縁起支解釈の展開――上座部大寺派の三世両重因果説――
鈴木 健太『般若経』における正性に確定した者の発心をめぐって――『般若経』諸註釈書の解釈方法をめぐって――
張 文良澄観における如来蔵と阿頼耶識
金 京南中国華厳における「入法界品「理解」――智厳と法蔵を中心として――
高柳さつき痴兀大慧の兼修禅――『十牛訣』を中心に――

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『インド哲学仏教学研究』第9号

2002年9月発行

目 次        
木村 清孝「三界唯心」考 ――モノ・こころ・いのちへの仏教学的視点――
谷沢 淳三ダルマキールティに見る仏教論理学派の知覚論の直接実在論的傾向
志田 泰盛Vācaspati による認識の他律的検証過程――NVTTにおける真知論――
加藤 純一郎布施の変容について
加藤 弘二郎「唯識」という文脈で語られる影像――『解深密経』「分別瑜伽品」と「声聞地」の比較検討を通して――
佐々木 一憲Śikṣāsamuccaya における菩薩の学処整理法とそのヴィクラマシーラの学僧への影響について
佐藤 もな中世真言宗における浄土思想解釈――道範『秘密念仏抄』をめぐって――

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『インド哲学仏教学研究』第8号

2001年3月発行

目 次       
彌永 信美如意輪観音と女性性
伊澤 敦子Agnicayana における動物供犠
宮本 城 Manimekalai における turavu
加藤 隆宏ヴィヴァラナ派における māyā, avidyā, ajñāna
― 実在の三階層との関連から ―
陳 素彩 説一切有部における anuzaya・kleza・paryavasthāna の関係
―『倶舎論』「随眠品」を中心として ―
Tomomichi NITTAThe Meaning of the Former Buddhas in the Mahāpadānasuttanta

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『インド哲学仏教学研究』第7号

2000年3月発行

目 次
木村 清孝故江島恵教教授を想う
下田 正弘【随想】わすれられないおくりもの ― 江島惠教先生 ―
小野 卓也Nyāyasūtra1.1.5 は推理を定義できるか
― Bhāsarvajña の解釈と伝統説批判 ―
薮内 聡子初期仏教教団における教法伝持の構造 ― 頭陀行者の系譜 ―
高橋 晃一『二万五千頌般若』における「空」「上可得」「上可説」
佐古 年穂異熟因果について ―『倶舎論』を中心として ―
Stefan KOCKThe Dissemination of the Tachikawa-Ryu and the Problem of Orthodox
and Heretic Teachings in Shingon Buddhism

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『インド哲学仏教学研究』第6号

1999年3月発行

目 次
片岡 啓永遠のダルマと顕在化
― 祭事教学ミーマーンサーにおける「ダルマ開顕説」再建に向けて ―
藤井 隆道文意理解の三条件と語意習得 ― anvitābhidhāna 説との関連から ―
高橋 晃一『大集経』に見られる anabhilāpya の用例と『菩薩地』の思想形成との関連について
徐 海基澄観の華厳法界観

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『インド哲学仏教学研究』第5号

1998年3月発行

目 次
ターナヴットー・ビックニカーヤにおける修行道の相互関係
― 四念処と七覚支および八聖道との比較研究 ―
李 慈郎根本分裂の原因に関する一考察
鈴木 隆泰『大雲経』の目指したもの
護山 真也来世の論証にみる Prajñākaragupta の未来原因説
藤丸 智雄曇鸞の光明観に関する考察
蓑輪 顕量南都における戒律復興運動初期の動向
沈 仁慈凝念の戒律思想

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『インド哲学仏教学研究』第4号

1996年12月発行

目 次
ターナヴットー・ビックニカーヤにおける八聖道と三学系統の修行道
李 慈郎Samantapāsādikā Bāhirakanidānaとパーリ年代記の比較研究
李 栄洙シャンカラにおけるバクティの概念
―『バガヴァット・ギーター註解』を中心にして ―
青野 貴芳ブラフマンと世界の同一性 ―ヴァッラバのブラフマン観 ―
曺 潤鎬『円覚経』解明の視点 ―経典成立史的観点から ―
王 翠玲永明延寿の伝記について
陳 継東楊文会撰『観無量寿仏経略論』の浄土思想
― 十六観の問題を中心として ―

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『インド哲学仏教学研究』第3号

1995年10月発行

目 次
金 宰晟『清浄道論』における刹那定と近行定 ― Samathayāna と Vipassanāyāna の接点―
西沢 史仁カマラシーラのディグナーガ批判 ― 唯識性の理解を巡って―
杉本 恒彦Ānandagarbha の曼荼羅成就法論
片岡 啓「ナラセル」の解釈学 ―『シャバラ註』における bhāva, kriyā, bhāvanā―
西本 照真三階教の教団規律について ―『制法』一巻の研究―
李 恵英慧苑『続華厳略疏刊定記』研究 ― 八十華厳経の翻訳と教体論をめぐって―
前川 健一円珍『法華論記』の引用文献 ― 未詳文献の解明を中心に―

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『インド哲学仏教学研究』第2号

1994年9月発行

目 次
葉 徳生『大智度論』における尸羅波羅蜜
岡田 繁穂『阿毘達磨集論』における仏徳の記述 ―『瑜伽師地論』『顕揚聖教論』との比較―
計良 龍成paryudāsa と prasajya-pratiṣedha
種村 隆元Kriyāsaṃgraha の出家作法
川尻 道哉語意認識における saṃskāra の役割 ― Maṇḍanamiśra の理論―
戸田 裕久シヴァ一元論における志向作用
― アビナヴァグプタにおける vimarśa と pratyavamarśa の用法―
沈 奉燮 Jīvanmuktiviveka における解脱論
渡辺 浩希Mahānirvāṇatantra の varṇa 観

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『インド哲学仏教学研究』第1号

1993年9月発行

目 次
上田 昇ディグナーガにおける“内包”と“外延”
石上 和敬Karuṇāpuṇḍarīka 研究序説
岸根 敏幸『入中論』における中観学説の提示 ―『十地経』の引用をめぐって―
計良 龍成無自性性論証における能遍の無知覚因の機能について
斉藤 仙邦非知覚の定義をめぐる問題 ―『因一滴論』を中心にして―
高堂 晃壽『南陽和上頓教禅門直了性壇語』における三学

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