「仁術の人」逝く


八日市場の開業医・布施さん
母校東大に学術基金1億8000万円
医学研究のほか文化活動にも力
朝日新聞・千葉版 1995年 3月21日

八日市場市で長年地域医療に取り組んできた医師の布施郁三さんが今月十三日に病死した。 八十九歳だった。東大医学部を卒業し、医学研究のかたわら仏教や東洋思想の研究を続け、 一九八四年から九三年までの十年間に計一億七千九百五十万円の学術基金を同大に贈り続けた。 シューベルトの「菩提樹」をこよなく愛し、戦後の荒廃期に地元の農業や青年の文化活動の 育成にも力を注いできた「仁術」の人だった。

一九〇五年、八日市場市生まれ。旧制仙台二高から東大医学部に進み、大学院では細菌学などを学んだ。 高校時代から東洋思想に興味を抱き、学生時代は文学部の仏教の講義にも熱心に通った。 大学院時代に星子さん(八四)と結婚し、昼は医学、夜は仏教の研究を続けた。

三六年に実家の開業医を継ぎ、終戦後は敷地内に講堂を建てて地域文化をはぐくんだ。 「布文館」と呼ばれたこの講堂では、地元講師による英語やバイオリン教室、青年団の集会、 子供たちのための電気教室、コンピューター教室などを開いた。

母校への寄付は、主に「仏教、東洋思想の研究に役立ててほしい」との趣旨で、 三千三百平方メートルの宅地を売った代金を寄付したこともあった。 浄財は布施学術基金として記念文庫や学術講演会、出版、国内外の研究者の招へいや 海外派遣、若手の研究費に運用されている。

郷里の講堂の名にちなみ、八七年には東大文学部の三四郎池に面した学舎内に図書閲覧のための施設 「布文館」も完成した。

東京在住の三女、斎藤はるみさん(五三)は「都会に比べてハンディのあった農村の 暮らしや地方の文化のために父は打ち込んでいました。敷地内で牛や馬を飼い、ハムやチーズ、 イワシの薫製作りも教えてもらった。モモの木を農民らに配布して果物生産も奨励していました」と振り返る。

長年故人と親交のあった布施学術基金運営委員長の江島恵教・東大文学部教授(インド哲学仏教学)は 「意志の強いかくしゃくたる人だった」としのんでいる。

(年齢および肩書は、掲載当時のものです。)

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