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総括班 研究活動報告<1997年度>


研究会・シンポジウム報告

 

f01.gif (930 バイト)1998年3月10日 総括班・3班・民博地域研究企画交流センター共催「中央アジアの人口移動:その歴史と現在」→報告書

f01.gif (930 バイト)1998年3月7日 総括班・3班・民博地域研究企画交流センター共催 中央アジアセミナー→報告書

f01.gif (930 バイト)1998年2月21日 第1回講演会「ルクソール事件を考える」→報告書

 

f01.gif (930 バイト)1997年12月 Abdeljelil TEMIMI教授来日中の講演会および研究会

総括班の招聘で来日されたAbdeljelil TEMIMI教授の講演会および研究会が下記の日程で開催され、たいへん活発な討論が行われました。いずれも、国際交流を推進し、イスラーム地域研究を発展させる上で大きな成果があったと思います。→講演および研究発表の要旨

  1. 12月12日(金)午後6時-8時 「国際学術交流センター」(倉敷市)
    • 出席者 50人
    • 講演「アラブ世界における歴史研究の問題と発展:オスマン研究、モリスコ学」
  2. 12月14日(日)午後4時-6時 「京都外国語大学」(京都市)
    • 出席者 20人
    • 研究発表「1569年から1588年におけるチュニス州のオスマン化の始まりと、その行政及び地政学の実態」
  3. 12月18日(木)午後3時-5時 「東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所」(東京都)
    • 出席者 30人
    • 研究発表「1569年から1588年におけるチュニス州のオスマン化の始まりと、その行政及び地政学の実態」

講演会及び研究会の開催に際しては、吉備国際大学、京都外国語大学、東京外国語大学AA研その他、多くの方々にお世話になりました。お礼申しあげます。(文責:私市正年)

 

f01.gif (930 バイト)1997年10月29日 第36回羽田記念館講演会(ハンフリーズ教授を迎えて)の報告

10月29日に、京都大学羽田記念館において、総括班の招聘により来日中のR.S.ハンフリーズ教授(カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校)を迎えて、研究会を行いました。今回の研究会は、羽田記念館の第36回講演会としてシリア史に焦点をあてて企画され、羽田記念館の間野英二京都大学教授(第5班)、谷口淳一京都大学専任講師(第6班協力者)のお二人にお世話頂きました。

講演 梅田輝世(梅花短期大学教授)「第一次十字軍と在地ムスリム勢力」
(司会 菊池忠純四天王寺国際仏教大学助教授)

講演 R.Stephen Humphreys(Univ. of California at Santa Barbara):"Towards a History of Aleppo and Damascus in the Early MiddleAges (ca. 635-1260 C.E.)."
(司会 谷口 淳一)

出席者:間野英二、堀川徹、杉山正明、川本正知、太田敬子ほか約35名。

ハンスレーズ氏の講演では、まずイスラム世界の都市研究の問題点を指摘し、特に外部権力と都市民衆の接点にたつ名士層に焦点をあて、アプローチの方法、史料上の問題を提起したのち、イスラム初期からモンゴルのシリア侵攻までのダマスクスとアレッポの名士層について、伝記史料を用いた研究プロジェクトが進行中であることが報告された。そこでは、名士層を、官職や地位などの固定的な事実ではなく、状況のなかでの役割に着目して分析することを提起し、実際にIbn Asakirの『ダマスクス史』を用いて、ファーティマ朝時代のダマスクスのウラマーに関する分析結果が示された。そこでは、名士はかならずしも生粋の市民ばかりではなく、イランなどからの移住者が多いことなど、興味深い事実の指摘があった。講演後の討論では、非ムスリムの都市における役割、史料操作(名士性や出身地などの判断基準)や伝記史料の利用法などをめぐって、活発な質問・意見が出され、盛会のうちに、終了した。

講演のフルペーパーは、ここをクリックしてください。(文責三浦 徹)

 

f01.gif (930 バイト)1997年10月25日 第39回日本オリエント学会フォーラム→報告書

日時:1997年10月25日(土)
場所:中近東文化センター第2会場小講堂
開会の辞:後藤 明
趣旨説明:小松 久男(司会)
基調講演:「地域研究という第三の道」
    三浦 徹「歴史学の側から」
    長沢 栄治「社会科学の側から」
コメンテーター:モジュタバ・サドリア、加藤 博、林 徹

発言要旨、レジュメを収録しています。

 

f01.gif (930 バイト)1997年10月21日 ハンフリーズ教授セミナー→報告書

1997/10/21
Dr. R. Stephen Humphreys<University of California at Santa Barbara>
TRADITION AND INNOVATION IN THE STUDY OF ISLAMIC HISTORY: THE EVOLUTION OF NORTH AMERICAN SCHOLARSHIPSINCE 1960
ハンフリーズ氏の講演内容、ならびに羽田正氏、加藤博氏のコメントの要旨を収録しています。

f01.gif (930 バイト)1997年9月2日 イブラヒム教授との懇談会の報告

さる9月2日、アフリカ国際大学副学長Abdul-Rahim Ali M. Ibrahim博士が「イスラーム地域研究」事務局を訪問されたのを機会に、懇談会がもたれました。博士は、故モンゴメリー・ワット教授のもとで博士論文を完成されたコーラン研究者であり、現在はスーダンの大統領が学長を務める同大学の副学長として 重責を果たされています。懇談会では、博士の専門研究のほか、スーダンの大学 および学生事情、非ムスリムを含めたスーダン人以外の学生を多数受け入れている同 大学の特徴、スーダンにおけるアシュラーフとマズハブ、日本における中東イスラーム研究の現状などについて活発な話し合いが行われました。アブドゥル・ラヒーム・アリー先生は、このあと2回にわたり講演をされる予定ですので、皆様ふるってご出席下さい。 (文責:小松久男)

なお、当日の出席者は、次のとおりです。
佐藤次高・後藤明・羽田正・森本一夫・小松久男(順不同)

f01.gif (930 バイト)1997年8月1日 シュクリー博士との懇談会の報告

8月1日、先にお知らせしたダマスクス大学法学部長Muhammad Aziz Shukri博士が、イスラーム地域研究事務局を訪問され、2時間ほどの懇談会がもたれました。氏は、国際法と国際法に関するシリアの指導的な研究者であり、現代中東の政治と国際関係について興味深いお話しをうかがうことができました。とりわけ、湾岸戦争についてはご自身の体験を含めて詳細な議論を展開され、そのほかトルコ・イスラエル関係、クルド問題、トルコにおけるイスラーム復興、中東和平のゆくえ、シリア外交のスタンスなど多彩なテーマについて自由な質疑が行われました。氏のような研究者とは今後ともコンタクトを保っていきたいものです。(文責 小松久男)

f01.gif (930 バイト)1997年7月14日 全体集会→報告書

パネルディスカッション「イスラーム地域研究は何をめざすのか」全発言の要旨を収録しています。

f01.gif (930 バイト)1997年3月27日 全体集会→写真(班長紹介)

 


海外派遣報告

小松久男 海外出張報告(1997年10月27日掲載)

目的:「イスラーム地域研究」との連携・共同研究の提案  
出張先:トルコ共和国イスタンブルおよびウズベキスタン共和国タシュケント  
期間:1997年10月6日〜10月20日

今回の海外出張の目的は、「イスラーム地域研究」との連携・共同研究の可能性をトルコとウズベキスタンで探り、具体的な研究テーマを設定することにあった。私の原案は、現在歴史的な変革期にある中央アジア地域に着目し、現地の研究者と提携した中央アジア地域研究の立ちあげをめざすことであった。そのさい、具体的なテーマとしては、現代中央アジアの変容を念頭に置きながら、20世紀初頭にこの地域で展開されたイスラーム改革主義運動、すなわちジャディード運動の再検討を考えていた。それは、比較研究の可能性をも含めて日本において一定の蓄積をもち、とりわけ現地において近年多くの研究者の関心を集めている重要なテーマだからである。また、このテーマは、来年度日本学術振興会特別研究員として来日を予定しているS.Dudoignon氏の研究テーマ(近現代中央アジア・ムスリム地域における社会・民族的紛争)とも重なり、より豊かな共同研究の成果が期待されると考えたからである。

この原案をもとにしながら、下記の研究者と打ち合わせを行った。
Naim karimov(ウズベキスタン科学アカデミー文学研究所主任研究員)
Sherali Turdiev(ウズベキスタン科学アカデミー文学研究所主任研究員)
Dilaram Alimova(ウズベキスタン科学アカデミー歴史研究所主任研究員)
Timur Kocaoglu(コチ大学教養学部助教授)

その結果、たとえば「ジャディード運動の比較研究:歴史と現在」などの具体的なテーマで「イスラーム地域研究」の側から提案を行えば、タシュケントあるいは東京で研究集会を開くこと、またその成果を研究論文集にまとめることは十分に可能だという見通しをえた。もとより、このようなテーマは中央アジア地域研究のささやかな一例にすぎないが、まずは実行可能なところから始めてみたいと考えている。すでにタシュケントに中央アジア研究所を開設し、積極的な活動を展開しているフランスなどと比べると、日本のアクションは明らかに出遅れており、それは現地においても指摘されたが、前記の試みはこのような状況を改善するためにも効果をもつであろう。なお、タシュケントのフランス・中央アジア研究所所長Pierre Chuvin氏からは、「イスラーム地域研究」プロジェクトへの協力は惜しまないとの回答を得たことを記しておきたい。

このほか、タシュケントのウズベキスタン科学アカデミー東洋学研究所のスタッフや指導的な作家たちにも本プロジェクトの主旨を説明し、今後の理解と協力をよびかけた。なお、中央アジア地域はこれまで通信手段がきわめて困難であったが、今回いまだに少数ではあるがインターネットへの接続が徐々に普及し始めていることを確認した。これは喜ぶべきことである。  

イスタンブルのコチ大学では、上記の研究テーマの紹介をかねて、Turkestani:A Muslim Group Identity in RussianCentral Asia と題する講演を行った(10月16日)。ここではジャディード運動の中から生まれたトルキスタン・ナショナリズムと現代ウズベキスタンのナショナリズムとの継承関係についても言及した。そのテキストは近くこのホームページに公開したい。また、この機会にTimur Kocaoglu氏、Busra Ersanli Behar女史(マルマラ大学政治学・国際関係学科)らに本プロジェクト、とりわけ中央アジア地域研究への参加を呼びかけて賛同をえた。トルコにおける中央アジア地域研究は、中央アジア諸国との関係強化にともなって質量ともに拡大しつつあり、トルコの研究者の参加と協力は今後大きな意味を持つことになるであろう。ちなみに、現在のメスト・ユルマズ政権で国務大臣の一人として活躍しているアハト・アンディジャン氏は、アフガニスタン生まれのウズベク人であり、名前の示すとおりアンディジャン出身の祖先をもっている。氏の担当する業務の一つは、トルコの対中央アジア政策である。


パイロット研究関連海外派遣

 

林佳世子 海外出張報告(1997年11月8日掲載)

目的:「トルコ共和国総理府オスマン古文書局所蔵テメットゥアート台帳に関する共同研究」
出張先:トルコ共和国イスタンブル
期間:1997年8月20日〜9月10日

今回の出張は、総括班のパイロット研究プログラム「トルコ共和国総理府オスマン古文書局所蔵テメットゥアート台帳に関する共同研究」の準備、および、総理府オスマン古文書局において実際に当該台帳を調査することを目的とするものであった。パイロット研究の趣旨説明、進行状況の説明とあわせて、以下に出張期間の用務の概要を報告する。

テメットゥアート台帳とは、タンズィマート期のアナトリア、バルカンにおいて実施された資産調査にともなって作成された台帳をいう。資産調査は、ヒジュラ暦1256年(1840年)と1260-1年(1844-5年)の2度にわたってオスマン帝国政府により実施され、個々人の財産をひとつひとつ数えあげ、その資産額を算定した。もちろん、その目的は、新税の導入にあった。台帳には、都市や農村の全構成員の財産が記載されているわけであるから、当時の経済状況、社会状況を知る上で欠かすことのできない史料であることはいうまでもない。

現存するテメットゥアート台帳の大半は、イスタンブルの総理府オスマン古文書局のテメットゥアート・カタログにおさめられている。このカタログに含まれる台帳の数は、17747冊である。公開は、1988年に始まった。従来その存在は断片的に知られていたものの、未整理のため未公開であったが、1988年に公開されて以来、その内容の詳細さと重要さで研究者の間で大きな注目を集めている。

報告者自身は、タンズィマート期の研究には門外漢であるが、現地の研究者などからこの史料の有用性を聞き、関心をもった。膨大な量の史料群を何らかの形で紹介し研究を進めるには、国際的な共同研究体制をとることが適切だと考え、パイロット研究として共同研究を提案した。日本の研究者の間でも、江川ひかり氏などのように、すでにこの史料の解読にとりくんでいる研究者もいるので、その参加と協力をえて、この史料群の紹介と事例研究を実施したいと計画した次第である。そして今夏の出張では、現地の研究者やイスタンブルで研究を行っている日本人研究者などと具体的な共同研究の進め方を話しあい、また、報告者自身はこの台帳について、初めて具体的な史料調査を実施した。

出張期間中に話しあった結果、共同研究体制としては、イスタンブル大学文学部のマヒル・アイドゥン氏がトルコ側のパートナーとして参加することになった。アイドゥン氏の研究テーマは、19世紀のバルカンの社会経済史研究である。ブルガリアの一地点を選定し、その地域のテメットゥアート台帳を解読し、バルカン研究に利用するひとつの事例研究の実施を計画している。この研究テーマに関しては、日本側から佐原哲哉氏が協力する予定である。さらにイスタンブル大学歴史学科のイルハン・シャーヒン氏、フェリドゥン・エメジャン氏らにも協力を要請した。

日本側の参加者としては、上述の江川ひかり氏がアナトリアのバルケスィルの台帳の解読・紹介を担当する。このテーマに関する共同研究者としては、バルケスィル大学のアウヌル・ユンルヨル氏が参加することになった。さらに、テメットゥアート台帳が作成されることになった歴史的経緯をタンズィマート改革との関係で明らかにする作業に関し、高松洋一氏(東京大学博士課程)の協力が得られることになった。同氏は現在イスタンブルにおいて研究活動中である。

報告者自身はオスマン古文書館における2週間の調査で、アナトリアのアンカラ県とボル県に関し、テメットゥアート台帳の現存状況を調査した。出版されている『オスマン古文書館案内』では、おおまなか地域の台帳の総数しかわかないので、具体的にどの地点に関し台帳が現存しているかは、テメットゥアート・カタログをひとつひとつ見て確認するしかないからである。研究地点を決定するための予備調査として、とりあえずアンカラ県とボル県を選んだ。アンカラ県1401台帳、ボル県2298台帳が現存する。両県についての台帳のリストは、近くホームページ上で紹介する。この情報を踏まえ、地点選定を行い、今後の研究につなげていきたいと考えている。(以上)

 

江川ひかり 海外出張報告(1997年11月24日掲載)

目的「トルコ共和国総理府オスマン古文書局所蔵『資産台帳』に関する事例研究」
出張先:トルコ共和国イスタンブル、バルケスィル
期間:1997年9月11日〜10月5日

今回の出張は、総括班のパイロット研究プログラム「トルコ共和国総理府オスマン古文書局所蔵テメットゥアート台帳に関する共同研究」において、事例研究を具体的に掘り下げるための方法を探ることを目的とした。

総理府オスマン古文書局所蔵のカタログによれば、現在公開されている『資産台帳』は、次の地域を対象としている。アンカラ、アイドゥン、ボル、エーゲ海諸島、エディルネ、エルズルム、ヒュダーベンディギャール(ブルサ州)、コンヤ、ニシュ、ルメリ、テッサロニキ、スィリストレ、スィワス、スコピエ、ヴィディン。

これらの地域の中で筆者の知る限り、すでに論文あるいは著書のかたちで、ブルサ県、ビレジキ県、アイドゥン=ギュゼルヒサル郡の中心都市、エディルネ県チョルル他3郡、エルズルムの中心都市などの研究がまとめられているが、出版されたものはわずか4点にすぎない。詳細は 拙稿「タンズィマートと地方社会−1840年バルケスィル郡『資産台帳』にみる土地「所有」状況を中心に」『東洋学報』第79巻第2号, 1997年, pp.01-029を参照されたい。

筆者は上記論文において、西北アナトリアのバルケスィル郡に関する台帳について、とくに土地「所有」状況を中心に分析をおこなった。その結果、バルケスィル郡の農村では平均耕作地面積は一戸あたり約38ドニュム(約3.5ヘクタール)で、小農経営が主体であることが明らかにされた。多くの村では二圃制農業が行なわれていた。一方 、都市民が保有する農地は、農村部と比べると、評価額の高い菜園の比率が高いことが判明した。菜園の保有者を職業別にみると、のべ面積の広い順に、菜園経営者、生薬商、都市在住「農民」、生地商、毛織物商と続く。この中で都市在住「農民」を除けば、生薬商、生地商、毛織物商などの都市に経済基盤を確立してきたとりわけ富裕な商人が農村への資本投下をおこなっていたと考えられる。

このような結果をうけて、筆者は現在、都市在住民の職業別資産構成、あるいは街区別職業構成などを分析し、都市における経済状況の詳細を解明したいと考えている。

ただし、『資産台帳』は1840年のみの台帳であるため、前後の状況に関しては他の史料で補う必要がある。そのため、今回の出張では、バルケスィル大学講師アイヌル・ユンリュヨル(Aynur UNLUYOL)氏と話し合い、共同研究の進め方や具体的な史料のよみ方等の情報交換をおこなった。ユンリュヨル氏は、18世紀のバルケスィルのシャリーア法廷記録に関する研究を博士論文(Seriyye Sicillerine Gore XVIII. Asrin Ilk Yarisinda Balikesir(1700-1730)、1995(未公刊))にまとめている。18世紀前半のバルケスィルの都市の社会状況および経済活動を扱った彼女の研究成果と、1840年『資産台帳』の分析結果とを比較対照してみることで、バルケスィル中心都市の発展、変容過程に関する考察が可能ではないかと考えている。

バルケスィル郡『資産台帳』の遊牧民の台帳に関する分析においては、遊牧民に関する歴史研究を長年おこなっているイスタンブル大学助教授イルハン・シャーヒン(Ilhan SAHIN)氏の助力をいただくことになった。遊牧民の資産である家畜に関する総括的考察はもとより、個別集団としてはとくにヤージュ・ベディルという名の遊牧集団をとりあげる予定である。ヤージュ・ベディルはバルケスィル県において今日もなお、「ヤージュ・ベディル織り」として有名なじゅうたんにその名をとどめている遊牧集団である。

その他、バルケスィル中心都市在住の地方史家、ムハッレム・エレン(Muharrem EREN)氏と情報交換をおこなった。またバルケスィル市庁では、中心都市の現在の地図を資料としていただいた。この場をかりて、関係各位に感謝いたします。

以上述べてきた作業はいずれもバルケスィル郡『資産台帳』に関する研究である。このような西北アナトリアの『資産台帳』の解読を終えた後、加えてバルカンにおける事例として、ブルガリアのベリコ・タルノヴォ郡の『資産台帳』の分析もおこないたいと考えている。その際には、ブルガリアのアカデミー研究員ステフカ・パルヴェヴァ(Stefka PARVEVA)氏と協力して作業すすめることで合意している。