『松浦先生とイギリス史ゼミ in the Age of St.Paul's University』
(松浦ゼミ同窓会、1988年4月) pp.33-35

松浦高嶺先生のこと

2000. 7.20 小改訂


    松浦高嶺先生については、優しく洗練された風貌−−恐く厳しい先生、という一見相容れないかのような二面的印象がある。立教大学のお弟子さんたちから耳にする評判は圧倒的に、この恐く厳しい方に比重がかかっている。ところがぼくにとっては、機会のあるたびに要をえた心遣いをしてくださる (attentive and not intrusive)有難く優しい先生なのだ。

   そもそも初めて雑誌『イギリス史研究』に寄稿するよう声をかけて下さったのは、松浦先生だった。一九七五年の夏、同誌第二二号に「十八世紀イギリス史研究の視座」として掲載されたこの「提言」は、忘れられないモニュメントになった。これは先生が『岩波講座世界歴史』第十七巻(一九七〇年)で展開なさった「十八世紀のイギリス」という論文の一段落にかかわる。この論文には、
 「十八世紀のイギリス政治社会は・・・・ほぼ半世紀近い安定を享受することができた。
 この安定から疎外された人々として、われわれは一方の極に
 『ジャコバイト』の烙印を押されたトーリー・ジェントリーを、他方の極に
 『暴民』視された下層市民をみのがしてはならない。・・・・
 既成の対極概念をもってしては視角からはみ出てしまう、
 名誉革命体制下におけるこれら反体制勢力を十八世紀史の全体像の中に
 再評価し得る、新たな視点を設定できないであろうか。・・・・
 それはいわば負の座標軸として、十八世紀イギリス社会における
 階級支配の相対的無風状態が包含する政治的・経済的意味を、
 われわれに明らかにしてくれることが期待されるのである」
という、今読みなおしても意味深い段落がある。
これについて、若気の至りというも恐ろしや−−「新人類」とは一九四六〜九年生まれのぼくたち「団塊の世代」に始まるという説の傍証になるだろうか−−二七歳のぼくはその「提言」で、
 「その心意気やよし。遺憾ながら、その具体的方策は提起されていない」
という評価を下したのでありました!

   松浦先生はこの生意気な原稿を笑ってそのまま掲載して下さったが、放っておけないと思った方も少なくなかったようで、その一人、遅塚忠躬さんは『イギリス史研究』の次号に
構造の構築か、総体の描写か−−近藤和彦氏の提言に寄せて
という厳しい批判を寄せてくださった。公開の論争を、自分よりはるかに広く深いパースペクティヴに立つ方から挑まれて、少し当惑し、また大いに励まされもした。機会に応じてことに即した対話をすすめ、あまり急くことなく、個としての成長を見守る−−このようなまなざしは、ぼくの大切な先学の皆さんに共通しているように思われるが、その環の広がりの重要なきっかけを松浦先生は作ってくださったといえる。

    つづいて『イギリス史研究』第二四号にぼくは
<社会史> のために−−遅塚忠躬氏のご批判に答えて
を書いたが、これはいわば蛇足で、むしろこの後は少しスタンスを変えて、分析的な仕事に取り組むようになった。その孤独な営みの支え、あるいは励みになったのは、先生に教えていただいた「大きな輪郭と意味ある細部」というルーイス・ネイミアの標語であり、また
『近代史における政治と社会』(一九七七年)に所収の「『名誉革命体制』とフランス革命」という恐るべき論文であった。後者は、一九七六年度、立教最初のサバティカルでロンドンに滞在なさった折に仕上げられたのだろう。代役の一人としてぼくはこの年度に立教の演習を担当したが、これが生まれて初めての非常勤講師であった。

   名古屋に赴任して最初に著した論文「一七五六〜七年の食糧蜂起について」の合評会が開かれたとき(一九七九年春)、先生は、島川雅史さんと一緒にわざわざそれだけのために名大文学部まで出かけて下さった。松塚俊三さんや青木康さんもいたその席だったが、支配階級と互酬関係にある民衆の deference(恭順)を論じるところで、ぼくはその形容詞を、なぜかこだわって 'deferent' と繰り返していた(正しくは deferential)。だが、ぼくを諌めるときの先生は、静かな優しい面持ちのままである。

   恐いもの知らずで、ある高齢のイギリス史家の論文集にかなり率直な、今思えばかなり傲慢な書評をくわえて、いささか自慢げにそのコピーをご覧に入れたとき、先生は無言のままであった。もう少し最近、川北稔さんの力作 『工業化の歴史的前提』 に、これは内容に触発されて、いささか力をこめて書評をものした。その抜刷をご覧に入れた返事にいただいた松浦先生のお手紙の最後には、ぼくの表現をそのまま引用なさって
  「一寸 "京大西洋史の伝統的発想" に対して身構えすぎたようですね」
とあった。これには赤面するしかなかった。

   最初にのべた先生についての一見二面的な印象とは、実のところ、矛盾することなく本質的に一体のものなのだ。先生の優しく同時に恐いまなざしの根本には、『英国を視る』(一九四〇年)から連続する、イギリスを見つめてきた近代日本の知識人のリベラリズム−−成熟した個の自由−−があるように思える。ぼくにとって、それはまだ目標としての <大人> の生き方なのだが。

近藤 和彦



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