Home活動報告国際シンポジウム 「災害が遺したもの―語りつぐ記憶と備える文化」

国際シンポジウム 「災害が遺したもの―語りつぐ記憶と備える文化」
Après le désastre - Réponses commémoratives et culturelles

【日時】
2013年3月8日(金曜日)午後1時~6時

【会場】 
本郷キャンパス法文2号館一番大教室

【入場】
同時通訳つき、入場無料、事前登録不要

【主催】
東京大学死生学・応用倫理センター


プログラム
池澤優 
(東京大学文学部)
趣旨説明

第1部 災害の記憶
保立道久 
(東京大学史料編纂所)
地震の神話とタブーの忘却-九世紀の大地震・「貞観地震」の記憶

グレゴリー ボサール
(トゥールーズ大学大学院、社会人類学研究所 )
東南紀の海岸線における津波による死者の記憶を伝える

島薗進
(東京大学文学部)
コメント

第2部 災害に備える文化
ニコラ エリソン
(社会科学高等研究院助教授、トゥールーズ大学社会人類学研究所 )
戦争、台風と商品化-トトナク(メキシコ)社会の経験における社会・環境的断絶としての災害

セシル ブリス
(日仏会館・フランス国立日本研究センター)
仮説住宅と仮の生

アンヌ ブッシイ
(フランス国立極東学院教授、トゥールーズ大学社会人類学研究)
コメント

小島毅 (東京大学文学部)
榊原哲也 (東京大学文学部)
司会


 東日本大震災から2年がたとうとしている。まだ傷が癒えたとは言えないし、順調に復興に向かっているとも言えない。何よりも福島原子力発電所の事故は解決の糸口すら見えていない。しかし、次第に冷静に震災のことを考えることができるようになりつつある今、喫緊の課題はその記憶をいかに次の世代に語り継いでいくべきかということだと思う。

未来に語り継ぐべき記憶とは、単に3月11日とその後の数週間の間に私たちが何を見、何を経験したかということだけではない。そこには私たちが今の社会のどこに問題があると感じるのか、将来どのような社会をどのように作っていくべきと考えるのか、それらに対する価値判断を必然的に含む。記憶とは本来的にそうしたものである。私たちの社会は、これまでも自然災害だけでなく、戦争や事故を含めて、数多くの災禍を経験してきた。それらの記憶は、より安全な社会、災害に抗する文化を作ることを祈って、語り継がれたはずである。しかし、今回、痛ましいほどの犠牲をやはり避けることができなかった。そのことを見るとき、記憶のメカニズムは本当に機能したのかと問わずにはいられない。

以上のような問題関心の下に、東京大学文学部死生学・応用倫理センターは、フランス国立極東学院とトゥールーズ大学の協力を得て、このシンポジウムを企画した。死生学・応用倫理センターは、2002年から十年間にわたって活動したCOEプロジェクト「死生学」の後継組織であり、その組織名が示すように、死生学と応用倫理の研究と教育を行っている。センターのそのような性格から、シンポジウムは、第1部「災害の記憶」と第2部「災害に備える文化」の二部構成になる。

第1部「災害の記憶」では、過去の災害の記憶がどのように継承されたのか検討する。これは死生学の課題である。これまでのCOEプロジェクトの活動が明らかにしてきたように、既に宗教的な他界観や死後の霊魂の存在を必ずしも信じられなくなっている現代人にとって、死者とは我々が伝える記憶に他ならないという面を持つ。たとえ死者が霊魂として実在しているとは感じないにせよ、その記憶を語り継ぐ中に我々は死者を見いだしてきたのであり、では災害による非業の死者の記憶はどのように継承されてきたのかというのが、主要な問題関心になる。

第2部「災害に備える文化」は、いわば応用倫理の領域の問題であり、災害をめぐって現に起きている諸問題とそれに対する対応に関わる。それは技術倫理、環境倫理、世代間倫理など、多方面に及ぶであろう。重要なことは、それらの諸問題は我々の文化に根ざしているということである。現在、問われているのは、震災という経験を目の前にして、いかなる文化を構築していくのか、ということであろう。この問題に関して、諸文化の事例に学ぶことが重要であることは、言うまでもない。
今回の震災でも約2万人の方が犠牲になった。そして、その犠牲は今日でも増えている。犠牲になった方々を、単なる犠牲者にとどめておいてはいけない。犠牲の記憶を語り継ぐことで、将来、犠牲がより少ない文化と社会を作り上げるのでなくては、犠牲者に報いることはできぬであろう。この国際シンポジウムを、そのための機会とすることを切に願う。

講義風景