修士論文
2020年
R2-01 | Slaughterhouse-Five as an Unexpected War Story |
R2-02 | 司馬遼太郎の歴史小説と坂本龍馬(竜馬)像 |
R2-03 | カルロス・フエンテスと〈文学資本〉 |
R2-04 | 『異邦人』と『人間失格』におけるよそもの |
R2-05 | ヴァーツラフ・ハヴェルの『ガーデンパーティー』と不条理演劇の概念 ——ナ・ザーブラドリー劇場との関連から—— |
R2-06 | 「脆弱(ヴァルネラブル)」な者たちの救済をめぐって ——大江健三郎『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』を読む |
R2-07 | 演劇論としての『近代能楽集』 |
2019年
R1-01 | 「風景」の詩人 ——石牟礼道子と宮沢賢治—— |
R1-02 | エドガー・アラン・ポー作品における数学的発想 |
R1-03 | フランツ・カフカと安部公房の作品における「行為」 |
R1-04 | カルロス・フエンテス初期作品における「コスモポリタンな欲望」 |
R1-05 | アゴニズムのその先で ——ニカノール・パラ中後期作品における作風の変化 |
2018年
H30-01 | 村上春樹文学における「自己治療」の物語 ——初期の短編作品を中心に—— |
H30-02 | チェーホフ作品における動物 ——ダーウィニズムからディスコミュニケーションへ—— |
H30-03 | クレオール的空間としての家 ——Absalom, Absalom! におけるカリブの流入と女性—— |
H30-04 | ミラン・クンデラと世界文学 チェコの作家ヴラヂスラフ・ヴァンチュラを通して |
H30-05 | B. フラバル『あまりにも騒がしい孤独』とポストモダン |
2017年
H29-01 | Literatura Chilena Contemporánea y Roberto Bolaño, desde el punto de vista de “los marginados„(「のけ者」から見る、チリ現代文学とロベルト·ボラーニョ) |
H29-02 | 夏目漱石とエドガー・アラン・ポーの比較研究 『こゝろ』とポーの心理小説群 |
H29-03 | ナボコフ『賜物』とエコクリティシズム |
H29-04 | コルタサルの秋:フリオ・コルタサルの六つの短編における枯葉の効用 |
H29-05 | パウル・ツェランにおける「剽窃」と「引用」 ——時間論との関連から—— |
2016年
H28-01 | The Problem of Interpretation in Donald Barthelme's Works as Visual Text(視覚的文学としてのドナルド・バーセルミ作品における解釈の問題) |
H28-02 | ルイス・セプルベダの作品における環境問題 |
H28-03 | ボフミル・フラバル研究『わたしは英国王に給仕した』 ——給仕とその知覚—— |
H28-04 | 俳句とHaiku の詩学 ——ポーランド語への翻訳とポーランド語での創作—— |
H28-05 | 迷宮とミノタウロス ——Los Reyes における死と超越のかたち—— |
H28-06 | ハンナ・ヘーヒのスクラップブックに見る、私的世界と共有イメージの交差点 |
H28-07 | 『燃えるスカートの少女』の魅力 ——翻訳は作品にどのような影響を与えるのか—— |
2015年
H27-01 | 『婚礼』と“ポーランド人”の民族性 〜エスニックな感情の源泉と行方〜 |
H27-02 | 巌谷小波の翻訳・翻案と「お伽噺」の成立 |
H27-03 | ラフカディオ・ハーン『怪談』における異種混交性 |
H27-04 | Thinking with Footnotes An Examination of El Beso de la Mujer Araña |
H27-05 | 世界文学論と「ワールド・フィクション」——ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』を題材として—— |
H27-06 | ミラン・クンデラと偶然性 ——『存在の耐えられない軽さ』を読む—— |
H27-07 | イリア・チャウチャワゼの「グルジア」 |
H27-08 | 探偵小説とモダニズム——谷崎潤一郎・芥川龍之介・佐藤春夫の作品分析 |
2014年
H26-01 | 太宰治とアントン・チェーホフ:時代と国境を越えた繋がり |
H26-02 | 「真理」をめぐる文学的実践:チャペック諸作品の通時的論考 |
H26-03 | 循環する感覚の文学 多和田葉子における「ことば」と「声」 |
H26-04 | Where Gossip Turns into Art: On the Works of Alice Munro |
H26-05 | 〈自伝的〉まなざしの交わる場所——ジャメイカ・キンケイド『川底に』論 |
2013年
H25-01 | Development of Characters in Thomas Pynchon's Novels |
H25-02 | 大江健三郎研究「破局からの創造」 |
H25-03 | 現代都市の迷宮で愛を探し求める人たち ——フィッツジェラルド、カーヴァーと村上春樹の比較文学研究 |
H25-04 | J. P. サルトルの文学作品における真理の表現 |
H25-05 | <変化>をめぐって ——『抱擁家族』と『女流』の表現論 | H25-06 | ポーランド演劇における結婚——ムロージェック『タンゴ』に至る流れ |
2012年
H24-01 | The Oscillation between Romanticism and the Otherness in F.Scott Fitzgerald's Tender Is the Night |
H24-02 | Opaqueness,Origin,Communication in Tristram Shandy |
H24-03 | 「アナザー・ワールド」と親子の問題 ——エンデ、村上春樹、イシグロ |
2011年
H23-01 | 共鳴する世界文学へ:村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』とロベルト・ボラーニョの『2666』における暴力と性と夢の描写 |
H23-02 | 書き換えられる土地:フォークナーと中上健次 |
H23-03 | ルベン・ダリオの詩と詩論:詩人の使命、反逆、探求 |
H23-04 | Puraibashi: A Lexicon of the After the Banquet Trial |
H23-05 | 歴史・トラウマ・物語化 ——現代西欧の文学・映像作品を通して—— |
H23-06 | ホセ・レサマ=リマ『オッピアーノ・リカリオ』における死の形態学 |
2010年
H22-01 | 夢のかたち ——若きドストエフスキーとユートピア夢想 |
H22-02 | 人工性の幻想——スティーヴン・ミルハウザーと現代 |
H22-03 | 戦争文学における「こども」——抑圧と解放の狭間で |
H22-04 | 死から孤独へ ガブリエル・ガルシア=マルケスにみるオブセッションからの解放 |
2009年
H21-01 | 文学と反復 |
H21-02 | 芸術家が客体として描かれた小説の研究 ——ホフマン、バルザック、ヘンリー・ジェイムズを巡って—— |
H21-03 | 『エーリカ・ミッテラーとの詩による往復書簡』におけるリルケ晩年の詩学 |
H21-04 | マヌエル・プイグ ——偏在する慈愛の母—— |
2008年
H20-01 | 今村昌平による『楢山節考』の研究 |
H20-02 | 日本語の文化的キーワードとその翻訳可能性——英訳、露訳、ウクライナ語訳に即して |
H20-03 | 『文学という弱い立場』を通して考えるノサックの思想 |