2007. 7. 31 保守


 

2003年上半期の収穫から〉


近藤和彦 in
週刊 読書人 2003年7月25日号

              

坂井榮八郎 『ドイツ史十講』 (岩波新書)

ヨーロッパのなかのドイツ史という観点から叙述された知的な十講。ヨーロッパの共通記憶としての中世、通時テーマとしての連邦が語られる。坂井氏がいかにドイツとドイツ語を愛しているかも伝わってくる。だが、周辺や外の人々、非ヨーロッパとの関連は軽いあつかい。

 

吉澤誠一郎 『愛国主義の創生  ナショナリズムから近代中国をみる』 (岩波書店)

   『天津の近代』を著した俊英が、一九世紀末・二〇世紀初の中国人のアイデンティティを在外華人や烈士などにみる。「高み」から評するのでなく、堅実な読解の蓄積によってこそ議論をすすめようという本書の立場は「爽快なものとはなりえない」。若くしてこう言える著者に、知的誠実さを覚える。

 

エドワード・トムスン 『イングランド労働者階級の形成』 (青弓社)

  一九六三年の初版、六八年の第二版 (Penguin) 以来、英語圏の古典といえる叙事詩。ただし、正しい労働者階級の形成史、とは読まない方がよい。ワーズワース、ブロンテ、コベット、ブレイクの時代に何がどう変わったのか、エピソード豊かに政治文化の転換が描かれる。ペーパーバックの原著が、邦訳では一三五〇ページをこえる大冊、定価二万円となってしまったが、丁寧な訳注や新しい情報による補正などもある。

 


 

 2002年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 2002年7月26日号

吉澤誠一郎 『天津の近代  清末都市における政治文化と社会統合』(名古屋大学出版会)
 今年三十四歳になる吉澤氏は、「西洋中心主義」からの脱却より以上のものをめざし、「近代という時代を世界史のなかで想定すべき理由」から説きおこす。身動きのとれない「世界システム」論のイメージを堅実に批判し、公共性や「義挙」にかかわる歴史研究もしっかり踏まえて、歴史学のこれからを考える人の必読の書を著した。

小田中直樹 『歴史学のアポリア』(山川出版社)
 三十九歳の小田中氏は、すでに『フランス近代社会』(木鐸社)の著者として知られるが、新著は「日本における歴史学の歴史を一種の社会思想史として描こう」という試みである。これが前世紀の総括だとしたら、『歴史学の<危機>』の訳者でもあるこの俊英は、二十一世紀のアポリアに満ちた学問にはどう取り組むのだろう。

ポール・トンプソン 『記憶から歴史へ  オーラル・ヒストリーの世界』(青木書店)
 著者はイギリスにおける oral history、そして二十世紀社会史の開拓者の一人として知られる。史学史にかかわる部分の翻訳は貧弱だが、本書のメリットは、インタヴューにおける証言の引き出しかた、それを文章にまとめ筋をつけるときの加工、さらには男女、雇用関係における感情にかかわる諸問題の解析である。リテラシー、あるいは言葉による表現力をめぐる具体例もおもしろい。
 著者名の表記について、訳者は木訥にヘッバーン式をとってトンプソンとするが、わたしならヘボン式、できればバン式でトムスンとしたい。


2001年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 2001年7月27日号

 杉山光信 『戦後日本の<市民社会>』(みすず書房)
 成田龍一 『歴史学のスタイル:史学史とその周辺』(校倉書房)
  「のちの時代からふりかえると、一九九〇年代の日本社会は大きな転換の時期に立っていたということになるのであろうか」という問いから、杉山の久しぶりの著書は始まる。すでに八〇年代から、いやむしろ六〇年代から始まっていた転換が、誰にも否定できない明白なものになったということだろう。日本近代史にそくして語る成田によれば「正典なき時代」である。杉山と成田は、専門もスタイルも異なるが、たとえば北米における日本研究という共通の場をもっている。
  「
野辺の送りをしているような‥‥思い」という杉山の表現もあった。来しかたの知の営みを丁重に弔い、みずからを省察することなく、流行を追いかけてばかりいると、たとえば五〇年後からふりかえって、世紀転換期の日本は、経験を教訓化することなく国民的資源をひたすら費消し、衰退した、というしかないことになるだろう。

 三宅 立 『ドイツ海軍の暑い夏』 <歴史のフロンティア> (山川出版社)
  かつて『現代史研究』で「等身大の歴史」を語り、いまやランケとともに「それは本来どうであったか」を問う、永遠の青年、三宅のはじめての単著。
  「
史料や本を読んでいると、不意に新しいつながりが見えてくる」と記す三宅の感覚を、かつて古代史家の早川庄八は 「わかった途端に満天の星がいっせいに光り出すんですよね」と語ったのだった。
  暑い夏に星空を見あげたい。

近藤 和彦


2000年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 2000年7月28日号

 『岩波講座 世界歴史』全二八巻(岩波書店)
  三年にわたった刊行が索引巻をのぞいて完結した。三〇年前の『岩波講座 世界歴史』から何が継承され何が変わったのか。各章ばかりでなく、全体の編成・構想についてもスタイルについても大いに議論されるべきだが、なぜかもの静かな今日このごろ。

 文部省 『高等学校学習指導要領解説・地理歴史編』(実教出版)
  二一世紀の高校教育の指針をさだめるべく改訂された学習指導要領。その専門協力者たちによる解説書。教科書検定はこれにそっておこなわれ、大学入試もその影響をうけるから、新世紀の歴史教育は、これぬきには語れない。必修科目は世界史、その近現代に比重をかける世界史Aのキーワードは「世界の一体化」とネットワークと「生徒の主体的な追究」である。

 細谷千博/イアン・ニッシュ監修
 『日英交流史 1600〜2000』全五巻(東京大学出版会)
   一九九四年の村山富市首相談に端を発した「歴史研究支援事業」の一環。数十名の共同研究により日英四〇〇年史の諸局面があつかわれるが、どうしても外交・政治・軍事の比重が大きい。日本語版と並行して、英語版 The History of Anglo-Japanese Relations 1600 - 2000 がマクミランから刊行中。

近藤和彦   → 手にした本


1999年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 1999年7月30日号

 毛利健三(編)『現代イギリス社会政策史』ミネルヴァ書房)
 イギリス現代の社会政策史を歴代内閣について「切れ目なく」みたうえで、サッチャリズムの歴史的意義を考えようという六名の共同研究。雇用、社会保障、医療、住宅、環境、労使関係といった章を立てて、一九四五年から九〇年末までの政治・経済を考察する。各国の社会政策の将来を誤りなく把握するためには、「何をおいても半世紀におよぶ戦後の歴史に精通することが不可欠」という信念にもとづく研究である。

 見市雅俊『ロンドン=炎が生んだ世界都市』(講談社)
 一六六六年の大火によって中世都市ロンドンは消滅した。首都の景観、ペスト、プロテスタント国の偏見、そして世界都市としての変身。著者お得意のロンドン論である。

 M・ハンター著/大野 誠訳『イギリス科学革命』(南窓社)
 見市氏の一七世紀史論は、この「王政復古期イングランドにおける科学と社会」という原題をもつハンターの名著の良心的な翻訳によって補充される。科学史を時代の文化と社会のなかで考えるハンターは、ロンドン大学で「近世における社会・信仰・文化」というセミナーを主催している。


1998年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 1998年7月24日号

  丸山真男 『自己内対話』(みすず書房)
 他社から刊行中の講義録や座談集に比べて本質的に違うのは、公表されることを予期することなく、自分のために記した覚書という点だ。これをみすず書房の小尾俊人氏が支障のありそうな人名などを伏せて編集、刊行した。一巻のうちに濃縮された簡潔な文言に自信も困惑も交じるが、読者はインスピレーションで満たされる。

  R・ハリソン著/松村高夫・高神信一訳『産業衰退の歴史的考察』(こうち書房)
 慶応の大学院生あいての講義録を起こして推敲したもの。タイトルにいう産業衰退よりもはるかに広く、社会史、思想史をふくむ明快なイギリス近現代史の洞察である。民主主義と経済成長とはあいいれない、と示唆するかのごとし。

  草光俊雄 『明け方のホルン』小沢書店)
 W・モリスの祖国で長らく暮らした歴史家、草光の最初の単著は、夫人との麗しき合作である。『三田文学』に連載されたときには「マイナー・ポエッツ」という副題が添えられていたが、「マイナーな詩人たち」の紹介というより、短調で謳われた、第一次世界大戦をはさむ時期の英国文人列伝である。


1997年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 1997年7月

 次の三冊は構想とリサーチに年月をかけた労作だが、読みやすく知的喜びが約束されている。

 青木 康 『議員が選挙区を選ぶ』(山川出版社)。
 アングロマニアでも進歩史観でもなく、一八世紀の議員二二一七名の悉皆調査とパソコン処理によって、イギリスの政治文化を明らかにする。有権者が議員をえらんだだけでなく議員も選出区を選択していた。彼らの選出区移動をみることによって政治行動と代表観もわかる。歴史学と政治改革論議をめぐってなんらかの発言をしたい人に不可欠の書。シリーズ〈歴史のフロンティア〉の一巻。

 桜井万里子 『ソクラテスの隣人たち』(山川出版社)。
 これも〈歴史のフロンティア〉の一つ。すでに中公新書や専門論文集を公にして油ののった著者が長年あたためてきた書き下ろしである。巻頭の市民の行進は映画のように始まり、著者じしんによるパピルス解読を学問的な高揚点として、ソクラテスの死で結ばれる。その隣人とは市民だけでなく、在留外人、奴隷、女性たちであり、彼らの織りなす公私の領域が、現代の複合社会を想い浮かべながら論じられる。

 吉村忠典 『古代ローマ帝国』(岩波新書)。
 古代ローマをシチリアの四年間からシャープに解き明かしつつ、じつは帝国、主権、支配、そして腐敗をめぐる言説を論じた書。近年の岩波新書としては珍しくじっくり読ませる。


1996年上半期の収穫から〉
『週刊 読書人』 1996年7月

 しばらく日本を離れていたので、遅ればせながら、この間の力作を手にして感銘を新たにしている。次の三冊は、たがいに無関係でないし、多くの人に読まれるべき本だと思う。

 石井規衛 『文明としてのソ連』(山川出版社)。
 イギリス型のリベラルな文明にたいするカウンター文明として呈示されたソヴィエト社会主義を、著者のいう「初期現代」のなかで論じる。これは、たんなるロシア論でも社会主義論でもなく、渾身の文明論であり、歴史論である。多用されるカギ括弧から著者の教養主義があふれでる。山川出版社のシリーズ〈歴史のフロンティア〉の第七巻。

 山之内 靖/V・コシュマン/成田龍一『総力戦と現代化』(柏書房)。
 民主主義・ファシズムの対立とか、世界史における一九四五年の画期性といった従来の常識でなく、戦時の総動員体制によって現代社会がシステム統合という段階にたっした、つまり戦中と現在とは連続しているという理解を明快におしだす共同プロジェクトの一巻。

 東田雅博 『大英帝国のアジア・イメージ』(ミネルヴァ書房)。
 一九世紀イギリスの総合雑誌の言説をひろく読み、帝国ないし文明をめぐるイギリス人の思いこみ、誇り、アジアへのまなざしを分析した著者会心の作。ヴィクトリア期の時代精神、「文明化の使命」がキーワードである。

(こんどう かずひこ 西洋史)  → 1987年上半期〜


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