『岩波講座 世界歴史』16〈主権国家と啓蒙〉をめぐって

2000年1月10日 近代史研究会(MHW)における議論 & after...
2000. 4.22 改訂

 → 小田中直樹


Q: 朱雀安奈
  HPの「公共圏」の箇所、面白く読ませて頂いています。
  概して、歴史学が理論ないし概念を援用すると、その含意を単純に理解(誤解)して、何に対しても濫用してしまうように見えます (わたしの先輩は 「歴史学は理論の墓場」 と評しています)。 あれもこれも権力関係、あれもこれも帝国意識、あれもこれも表象・領有、あれもこれも invented、あれもこれも言説・・・。
  ですが、このHPでの議論はそのような気配がなく、慎重でいて問題喚起的、とても勉強になります。願わくば、「公共圏」が、歴史学の実証目標になどならず(どうにかすれば「実証」できるにきまっているから)、それを用いて何かが拓けるような一有効手段とならんことを。
  いわずもがなですが。
  4月10日   

A: 近藤和彦        
    朱雀さん、ありがとうございます。ちょうど Academic Resource Guide でもこのページが紹介され、お褒めのことばをいただきました。
  そもそも ハッタリのきくタイプでもなく、元気な大家のように精力的に読み聞いた知識を上手に自分のものにする能もあるでなし、30年ほど前の政治的なゲームとしての論争のありかたには嫌気がさしましたが、勝ち負けにこだわる人生でもなし、また conspicuous consumption と流通に大きな意味を認める歴史観に愉快な思いはないし、まぁ オクテのわが頭と心で理解できる範囲でせいぜい考え論じています。よろしくお付き合いのほどを。

  ちなみに、何年も前のことですが、『民のモラル』(1993) のでたあと、ぼくが新説や目新しい概念をどんどん採用して仕事をする器用な人だ という感想を口にした方がいました。ぼくは、びっくりしました。 なにかが流行だから、と飛びつくことは実生活でも全然ないので。 そうした点では、川島昭夫氏が『西洋史学』174号にのった書評で、「1756−7年の食糧蜂起について」『思想』1978-79 に触れて、ぼくが「モラル・エコノミー」という語を使用することなく議論していることに注意をうながしてくださいました。 そう、シャリヴァリでも 地帯構造でも 「救済の証」でも 「財政軍事国家」でも、とにかく
     わが腑におちる
までは自分の語として使いたくないんですよ。
  4月22日


Q: むさし
  ところで、その後の議論はどうなったのでしょうか。
  公共性という議論は、実は小生が図書館に在職中、いつも考えずにはいられない
問題でした。当時、日本では public はほとんどの場合 governmental  と同義に
使われており、何となく違和感を感じていました。ご存知かもしれませんが、
British Library は完全な意味での政府機関ではなく、独立した法人です。
New York  Public Library も、日本で言う公立図書館とは組織が異なっています。
どうも public と governmental は重なり合いつつ、微妙に異なっているという印象を
持っていたものです。
  フランスの場合、あのような官僚国家ですから、二宮先生のおっしゃるように
公的領域を政府が独占しているのかもしれませんが、アングロサクソンの世界では
公的領域は国家と民間の両方で支えるものと考えられているのでしょうか。
  いずれにせよそのうちゆっくりとお話したいと思います。

A: 近藤和彦
  そうなんです。
  第一に、public/private は日本語でいう公・私の区別というレヴェルではとらえられない場合がある。(日本語の私企業は、株式を公開していれば英語で public limited company/PLC です。そういえばイギリスの伝統ある特権的な私立学校を public school といいますね。日本の私学だって明らかに public な性格をもっています。)
  第二に、たしかに大陸と英米でずいぶん前提と含意が違うかもしれない。ハーバマスも、当然このことを意識していたと思いますが(ヨーロッパとアメリカ)、しかし、むしろ彼の関心は類型的比較よりは、中世から近世、近代、そして19世紀末以降の大衆社会・福祉国家へという時代の変化による「公共」なるものの意味/構造の転換のほうに集中していた。

  以上は前提で言うのですが、ハーバマスは、権力性・官憲性 Gewaltlichkeit と区別された Oeffentlichkeit/publicness を論じました。『公共性の構造転換』の有名な概念図で(未来社訳 p.49では やや曖昧ですが)、彼のいう政治的公共性文芸的公共性も、公権力領域でなく私領域において示されています。「市民的公共性はなによりも公衆 Publikum として集合した私人たち Privatleute の領域としてとらえられる」のです。 ところが、そこで彼のいう「固有の公共性」 eigentliche Oeffentlichkeit と対比された「公権力」は、ドイツ語で oeffentliche Gewalt * (MIT版の英訳 p.30 では public authority!) と記すしかない。ヨーロッパの言語においても、こうした問題があるわけで、だからこそこの public 問題は、歴史哲学者の教授資格取得論文のテーマになりえたわけですね。
 (系として:あまり日本/日本語特殊性論は採らないほうがよいかな、とも感じています。)

 * ぼくの使っている 1962/1969年版では S.41 です。

  ちなみに平田清明『市民社会と社会主義』(岩波書店)に、私人 private と個人 individual という文脈でしたが、有益な議論がありました。平田さんは、ご存じのとおり市民社会派青年=内田義彦さんを継承する側面もありました。ぼくは大学院に入ったばかりのころ、平田ゼミ合宿に加わったりしていたのですよ。
  2月25日


 【川出良枝氏「共和主義にみる「公」と「私」」『朝日新聞』1月6日夕刊
 および Keith Baker の所説をめぐる Takaki 氏からの発言(1月18日)については、
 ご本人からの希望で、降載します。
 Public discussion あるいは raesonierendes Publikum の積極的意義について
 合意がえられず残念です。とはいえ、
 以下のぼくの発言についても意味がなくなったとは思えないので、そのままとします。
 1月20日 近藤 和彦

A:近藤和彦
  川出良枝さんとは、発想が違うのではないか。

  そもそもハーバマスにおいて印象的で、そこらの思想家と違うな、と直観したのは次のことです。
中世に公共性=権力(Oeffentlichkeit)を独占し代表具現していた王公ないしその宮廷(repraesentative Oeffentlichkeit)と区別される市民的公共性が生まれるのは、立派な思想家の頭脳においてというよりは、むしろ、経済活動の情報をなにをおいても追求したブルジョワたちの損得勘定に応えるために発達したメディア(newsletter)からである。そしておもしろおかしかったり、道徳的だったりする文芸活動と、その紹介・論評からである、と。
  『公共性の構造転換』は1961年脱稿、翌年刊行ですから、そのころまでの歴史研究に依拠して、進歩主義的・生産力主義的な通史理解を前提にしている点が、いまでは気になりますが、それにしても、文学史研究への通暁と、 Private vices, public benefits というマンドヴィル(1714年)に通じる慧眼に、ぼくは感心したのです。【『岩波講座 世界歴史』16巻、pp.66-68、あるいは『西洋世界の歴史』pp.147-149】

  けっしてぼくは、不完全な近代日本をやり直すために、未完の近代を、あるいは日本にまだ根付いていない「共和主義」を称揚するというのではない。また、政治学のように現在的・実学的な目的に導かれているわけでもない。
  ぼくは過去を理解したい。過去が腑におちるように理解できている国民と、ただ風に吹かれ潮に流されている国民と、その運命はまったく違ってくるでしょう。20世紀末〜21世紀初めのこのポストモダンの情況を受けとめて、そこでポジティヴに生きてゆくしか、我々の道はそこにしかないのです。

 追伸: 共和主義を論議している人たちは、あきらかに公共圏/公共善の解放的契機と統御的契機【1月13日の A:近 における 1) と 2) 】というアポリアから抜け出したい、と考えているのでしょう。川出さんが、『朝日新聞』で、滅私奉公論からも「今に閉じこもる態度」からも脱却できる地点、をとなえておられるのは理解できます。
  もしや、啓蒙をめぐる討論について、2) の契機を警戒して、不興の意を表したE・P・トムスンと二宮宏之さんとは、根本的なところで通じていると考えてよいのだろうか。

  1月19日


Q:小田中直樹
  先日のMHW(1月10日)・・・刺激的な議論が続き、色々と勉強になりました。

  『主権国家と啓蒙』寄稿者の方々が沢山お集まりになったのもさることながら、コメンテーターの二宮さんが挑発的かつ刺激的な発言をなさったことが、あのように充実した議論につながったものと思います。

   玉稿「近世国家と世界経済」(『西洋世界の歴史』)から今回の『主権国家と啓蒙』につながる近藤さんのお仕事が「柴田三千雄『近代世界と民衆運動』の切り開いた地平の上に立って、公共圏の問題に取り組んでいる」ことが、ようやくわかったような気がしています。

   ただし、「公共圏」という概念はなかなかに「使いにくい」ものであり、論者によって異なる意味を与えられる場合さえあるように思います。以下、すでにご存知のこととは思いますが、この点に関する愚見を二点だけ述べさせていただきます。

(1) 公共圏概念の「使いにくさ」が現れている典型的な事例が、MHWでもちょっと紹介しましたが、フランス革命史研究です。Habermasの所説を実証的に批判することを志す ChartierやBakerなどの政治文化論は、革命前夜に「権力関係から自由な」公共圏が成立したことを重視します。

   これに対して、Foucaultの影響を強く受けている(と思われる)Ozouf(『フランス革命批評辞典』)は、公共圏が権力者に簒奪され、まさに Bodin、Rousseau、ジャコバン独裁、そして警察国家としての第一帝制につながる「公共の福祉」に組み替えられてゆくことを重視します。

   この二つのイメージをどのように接合するかは、革命研究にとって、一つの重要な課題です。

   さらにまた、公共圏の二つのイメージがなぜ生じたのかを考えると興味深いかもしれません。愚考するに、Habermasは「公共圏が全て国家に回収されてしまう Hegel型の市民社会論」がドイツの悲劇を生んだと考え、そこから「私的領域が公共圏を回収する Locke・・・Smith・・・Kant型の市民社会論」に接近し、両者の中間に、公共圏が国家にも私的領域にも回収されてない類型の公共圏(ブルジョワ的公共圏)を規範的に構想しました。

   しかしこのような視角では、公共圏そのものの持つ「不吉さ」に着目することはできません。他方で、これこそがポスト近代主義的な 「Foucault(・・・二宮?)型の市民社会論」の強調するところです。ポスト近代主義を代表する Lyotardが Habermasを批判するのも、この点です。

(2) MHWでは、高沢さんが「複数の公共圏がせめぎあっている」ことを重視する Fargeの所説を紹介し、そちらに対する親近感(?)を表明しておられました。

   このような公共圏の理解は、「ドイツの特殊な道」論争で有名な Eleyも Habermas and Public Sphere (MIT Press)所収論文の中で提示している(らしい・・・)し、決して特殊なものではありません。あるいはまた、Thompsonの「磁場」理論(?)も、このような公共圏論に親和的かもしれません。

(*)ちなみに上記の書物が翻訳されるにあたり、Eley論文を含む第2部が全てカットされたのは大変残念です。

   ただし、問題は「公共圏が単数か複数か」だけでは留まらないような感じがします。つまり、複数の公共圏を想定した場合、単数の公共圏を考える Habermasの所説のポテンシャルが一部損なわれるのではないか、ということです。この辺はまだ上手く表現できないので、自分で考えてみたいと思います。
  1月13日  小田中直樹

A:近藤和彦
  小田中さん、いつも有益なコメントをありがとう。
  10日の合評研究会では、なによりコメンテータの二宮さん、司会の青木さんの友情を感じました。お二人のおかげもあって、誠実で友好的でありながら率直におたがいの共通性と違いを語りあう、建設的にして批判的な時空が、なおさらに助長されたのだと思います。その空気は持続して、二次会でも、ふだんよりずっとフランクで分析的な評言が聞かれました。
  とても気持ちのよい午後と夜でした。

  ご指摘のうち、公共圏(Oeffentlichkeit/public sphere)の二つの契機−−1) 自由・解放に向かう、2) 権力的統御に向かう−−が論者を籠絡してきたというのは、そのとおりでしょう。公共性ないし公共善(res publica/public good)のもつ「不吉さ」についてもナイーヴではないつもりです。いまの日本で、ハーバマスを近代=市民社会派的に受けとめて、その「未熟さ」を難じる人々とはぼくは違います。

  複数の公共圏のせめぎ合い、という問題については、ぼくもじつは 『講座世界史』U(東京大学出版会、1995)の「二重革命とイギリス」p.249で、パリの三文文士=「どぶ川のルソー」たちや、また集会をもち、拠金を募り、通信協会を維持し、脅迫状の筆をとっていたロンドンの民衆知識人たちのおりなす「民衆的公共性(res plebeia)」に言及していました。
  K.M.Baker も G.Eley も寄稿している Craig Calhoun (ed.), Habermas and the Public Sphere は数年前に大学院演習(の検見川合宿)で素材に使いました。
  だから、OEDから Elyot (1531) の用例、res publica = public weal と res plebeia = common weal との識別を紹介したときにも、この国家的=統御的契機(2) と 人民的=解放的契機(1) とを、いわば実体化しつつ考えていました。

  二宮さんが戦後史学のスピリット、すなわち「二つの道」の岐路に立つ主体、に言及されました。そしてそこにE・P・トムスンの論争相手 Perry Anderson と共通のスタンスを認めてもよいかもしれない、と思います。が、そこまできて、ぼくはにわかにこの実体化されたプルーラリズムは観念的かもしれない、と感じ始めました。

  おっしゃるところの
 > 単数の公共圏を考える Habermasの所説のポテンシャル
をたしかに忘れたくないし、また翻って、E・P・トムスンの磁場(field of force)もこちらの概念だ、と考えるのです。善・悪の二要素のせめぎあい(の発生史/系譜)で歴史をみるのでなく、時代の動態的コンテクストをみる、こちらに70年代から以降のE・P・トムスンの関心は向かいました。

  まったく未整理ですが、10日の論議する公衆的経験、そして今日の をきっかけに、なにか重要な糸口がつかめそうです。ありがとうございました。

  1月13日(木)夜  近藤 和彦
 

R:小田中直樹
 >E・P・トムスンの論争相手 Perry Anderson と共通のスタンス
   これは興味深そうな論点です。残念ながら僕はアンダソンの業績を
良く理解していないので、いずれまた改めてご教示いただければ幸いです。

 >この実体化されたプルーラリズムは観念的かもしれない
   なるほど。文脈は違いますが、最近は多文化主義・文化多元主義的な
(反)国民国家論が流行してますよね。僕は、これに対して違和感を感じます。
この違和感も、「実体化されたプルーラリズムの観念性」に対する
疑義から出ているのかもしれません。

   重層的な集団的アイデンティティの存在を主張して、国民的アイデンティティ
の相対化を図る上記の所説は、たとえば西川長夫『フランスの解体?』や
谷川稔『国民国家とナショナリズム』でも比較的肯定的に捉えられています。

   しかしこれには、個々の集団的アイデンティティをアプリオリに物象化し、
固定化してしまう危険があります。そうではなく、集団的アイデンティティの
「各々」を相対化する道筋を付けることが必要です。そうしなければ、コソヴォの
悲劇は防げないでしょう。

 >大兄のメールとぼくの返事とを、Q&Aに公開してもよろしいでしょうか。
   異存ありませんが、実名をお出しくださるようお願いいたします。どんな場でも
発言は実名でおこないたいと考えておりますので。

   ついでに、近藤さんのHPからリンクしてあるイスラム地域研究の「文献短評」
のページ、大変感心しました。西洋史関係でも、あのように、業績に対する短評が
リアルタイムで発表され、さらには(イスラム地域研究には欠けていますが)
それに対する著者のリプライや第三者のコメントが寄せられる場が出来れば
良いと思います。何か計画はないのでしょうか。
 1月14日


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