(啓)かれる喜び

史学会 〈18世紀の秩序問題〉を終わって Q&A

 

11月12日(土)の公開シンポジウムを終わって、夕刻、山上会館に移動しての懇親会にて。

ある先生がいらして、「いやぁシンポジウムは出られなかったんだが、済みません。どうでしたか。盛況だったようで‥‥」 とおっしゃるので、ぼくも他の報告者も、次のように言って回答を拒否しました!「それはそれは充実して、参加者全員で知の喜びをともにしました。一言一言が重要で、いらっしゃらなかった方に伝えることはできない高揚感がありました。」 やや困惑なさったこの先生は、「じゃぁ、本になってから味わわせていただくかな。山川ですか、どこですか?」 「いえ。これは本にしないという約束で企画したものですから、『史学雑誌』12号の要旨以外には、形になりません。

 このやりとりのあと一夜明けて、すこし反省しました。この先生にたいして別に含むところがあったわけでなく、ゆったりと優しいその表情に甘えて、こちらは達成感とともにお酒が入って、ちょっとばかり戯れてしまったのです。 それに、じつは11月の第2土曜日というのは、近年の大学の特定日らしく、AO入試等々の校務があって残念ながら欠席せざるをえない、という連絡を何人もの方々からいただいていました。また風邪で慎重に外出を控えた方も、聞いているだけで3人おられます。シンポジウムの一いちの局面・やりとりを復元することは不可能ですが、さいわい、「祭りのあと」にメールを下さる方がつづくので、そのうち私的なメッセージは省いて、ここに登載しようと思います。

シンポジウム参加者の方々、サポートしてくださった皆さん、ありがとうございます。

2005.11.1311.21補充)近藤 和彦 

 

  


PD                Sun, 13 Nov 2005  01:23  +0900 (JST)

‥‥失礼ながら休憩時間の後は中座せざるを得なかったのですが、非常に刺激になりました。

 国内的文脈を無視することなく、かつそれを相対化するというのが、三報告が共通してもっていた狙いだと思います。この狙いを、岩井報告は朝貢体制という広域的秩序に焦点を当て、渡辺報告は比較思想史の立場に立ち、そして近藤報告は主権国家システムの重層性を解読する、というように、それぞれ違った観点から追求した点が、今日のシンポジウムの一番の面白さだったように感じました。

 その上で、近藤報告に関する限り、つまるところ歴史研究とはものとしての史料をどれだけ、またどのように読むかにかかっているのだ、という基本的な点をもあらためて認識いたしました。枠組み先行の研究の場合、ある結論に対して、別の側から光を当てると正反対のことも主張し得るということが往々にしてあるように思うのですが、とにかく史料の来歴を追うことによって、最終的に一国史的な従来の歴史観の批判にまでたどりつくという今日の議論の展開は、ある意味きわめてマテリアリスティックで、強い説得力を感じた次第です。

 いずれにせよ、私も今日のシンポジウムから受けた刺激をもとに、あらたな論文執筆に励もうと思います。‥‥実証的かつ視野の広い論文を書くべく励みたいと考えています。

 

拝復

>‥‥失礼ながら休憩時間の後は中座せざるを得なかったのですが、

それは残念。コメンテータ2人が上手だったので、討論もまた盛り上がりました。

ぼくじしんもずいぶん勉強しましたが、‥‥あとで専門の違う人が「開(啓)かれる喜び」といった表現を使って誉めてくださったので、嬉しいかぎりです。

 

>‥‥それぞれ違った観点から追求した点が、今日のシンポジウムの一番の面白さだったように感じました。

 違う庭で別々に耕作していたら、共通した岩盤だか、悪い気象条件だかにつきあたって難渋し、年をへたあげくに、なんだ問題を共有していたんだと知って、一種の同志感情を抱くにいたった‥‥という気分です。

 


フーミン                    Sun, 13 Nov 2005  15:30  +0900

昨日は「18世紀の秩序問題」のシンポジウムを大変おもしろく拝聴致しました。この企画をたてて下さったことに感謝申し上げます。

初めにタイトルだけ知ったときには、恥ずかしながらあまり意図が判らなかったのですが、ご趣旨を拝読して絶対に拝聴しなければと思っておりました。そして、現実にとてもおもしろく、4時間が、あまりにも早く過ぎてしまいました。特に最後のディスカッションの時間が少なくて、羽田先生がおっしゃっていた「すべてを説明できる大秩序」をめぐる先生方の仮説がボンボン飛び交う情景が生れなかった事を、とても惜しいと思いました。とは申せ、これはあまりにも贅沢な感想で、先生がおっしゃっていたように、このシンポジウムをお聞きになっていた方々からいずれ議論が生れる事と、今後を期待しております。

 もちろん、個別のご発表がそれぞれにとても刺激的で、日頃不勉強の私は頭を思い切り活性化して頂いたと感じております。

 

拝復

ありがとうございます。

多くの方々の輝く眼に囲まれ励まされ、睡眠不足のつづくわが脳もすこしは機能したかと思います。(連日連夜ぼくにつきあわされてきた電脳DynaBookのほうは、青息吐息でした! スライドの地図も「意味ある細部」は不鮮明でした。)

 


BLEU                       Mon, 14 Nov 2005  00:40  +0900

12日のシンポジウムも,途中からになってしまいましたが,興味深く拝聴致しました。

近藤先生のご報告からは,史料を見逃さず読む(それはどれだけの史料の広がりを想定できるかということにも掛かっているわけですが)ということの重要性を改めて認識すると共に,ある史料が存在しているということにどういう意味があるかを考えねばならないと銘記致しました。また,あっておかしくないものが現存していないことの意味も,ですね。

 

拝復

的確にありがとうございます。でも、羽田さんじゃないが、修正主義を地でゆく近藤、とか言われそう。

 


凹山                           Wed, 16 Nov 2005  00:21  +0900

12日のシンポジウムはとても刺激的でした.東洋史・日本史の報告もとても面白くて,bbsでの予告通りでしたね.岩井・渡辺両先生のお仕事は遅ればせながらフォローしようと思いました.

近藤先生のご報告は金曜に伺っているものなので,個人的にサプライズはありませんでしたが,その分金曜の講義が如何にハイレベルなのかを改めて思い知りました.本郷の学部生がうらやましいです.

ただ討ち死に覚悟で(?)ちょっとコメントをさせていただくと,「英語の出来ない,統治能力の無いジョージ一世」像は崩されたわけですが,そこからどのようなジョージ一世像が描けるか,と言う点が若干具体性を欠いていたような気がします.有能な行政官をコントロールし得た確固たるヨーロッパ君公であり,かつ初期啓蒙の合理主義者――というヴィジョンを,具体的な統治問題 例えばジャコバイト反乱でのジョージ&ドイツ官房の働きなど)と連関させて論じるところが聞きたかった,というのが僕の感想です.それと,いわゆる「無能なジョージ一世→ウォルポールの責任内閣成立」という「通説」までまとめて撫で斬りして欲しかったな,とも思いました.

この点まで見通して研究に着手されておられることは容易に想像できますし,使える史料の少なさ,時間制限などの問題であえて割愛されたのだと 思いますが,いつも先生に納得させられっぱなしでは悔しいので(笑),無礼を承知でコメントさせていただきました.

 

拝復

>「英語の出来ない,統治能力の無いジョージ一世」像は崩されたわけですが,そこからどのようなジョージ一世像が描けるか,と言う点が若干具体性を欠いていたような気がします.

そのとおりですが、じつはジョージ像の書きなおしということ自体にはあまり関心はないのです。Hatton がもうやってます。ただ、ぼくもこれまでジャコバイトと一緒になって、ジョージについて cuckold だのturnip だの罵詈雑言をはいてきたので、公衆の前で「ご免ね」と言いたかったのです。

むしろ君主がどうであれ、18世紀ヨーロッパの政治社会がどのように展開するか、こそがおもしろく重要な問題でしょう。華夷の秩序(国制)と互市のシステム(経済)を有機的に関連させて議論した岩井さんにあやかって、ぼくも、そろそろ柴田三千雄『近代世界と民衆運動』(1983)をこえるシェーマを出さなくては! 安村さんの仕事も明らかに柴田さんを意識なさっていますね。

 


ちょっといい亭            Mon, 21 Nov 2005  16:35  +0900

20年ほど前、研究会で露払い役として、先生の「恐るべき群衆」と「シャリヴァリ・文化・ホゥガース」の内容報告をしたさい、こんな質問をしました。

「文化の歴史学」からは、どのような世界史が描かれるのでしょう。

*さんからは「マンチェスタは世界史のへそみたいなところだ」とコメントがありました。けれど、「ぼくはまだ30歳代なんだよ」以外には、先生の返答をおぼえていません。「へそ」の意味がよくわからなかったからかもしれません。今回のご報告をうかがって、「恐るべき群衆」の世界が同時代のヨーロッパの文脈に位置づけられはじめたところに立ち会わせていただき、その点では20年前にはよくわからずにいた点がすこし見えたように思えました。

 

拝復

 そうか、そういうやりとりもあったんだね。「1715年マンチェスタにおける〈恐るべき群衆〉」、「シャリヴァリ・文化・ホゥガース」ともに1985年の作品ですから、ちょうど20年たったわけで、それからずいぶん色々あったなぁという想いと、逆にあまり成長してないじゃないか、という反省と、両方です。

この間なにより一番の変化は『現代の世界史』(山川出版社、1992検定、1994全国の高校で使用開始)で、この編集・執筆には鍛えられた。極端な言い方をすれば、『岩波講座 世界歴史』16巻 も 『西洋世界の歴史』 もその随伴結果です。今回のシンポジウムだって、『現代の世界史』の経験なしには、ありえない話です。小田中さんのいう「とんがってる」教科書ですが、マンチェスタと文化の歴史学と合わせて、とんがったなりの成果はあり、と言えます。