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就職座談会(2004)

◇中文就職座談会◇ (2004.6.16) 参加者:藤井省三  教授    坂田愛美  学部4年・教育機関事務職に就職内定済み    福田素子  修士課程・留学経験&就職経験あり(1999-2002)司会 :高芝麻子  博士課程 高芝:では、座談会を始めたいと思います。今回は中文と就職についてお話をします。中文というのは就職活動をしながら、中国文学という深い文化に触れることができる学科なんだということを駒場生の皆さんにお伝えできればと思います。  藤井先生の方に過去の就職者のデータがありますね。過去、何人くらい就職なさった方がいらっしゃるんでしょうか? 藤井:いま私が中文でいちばん勤務年数が長いんですが、1988年に着任して、それから16年が過ぎました。その1988年以降に就職した人は、じかに接していますから、そこで区切ってお話しますと、1988年から2003年まで80人、学部・大学院からの卒業生が出ています。学部からは約7割が大学院に進学していますね。(「中文就職状況データ」を参照)  3割は学部を卒業して就職した人たちで、それぞれメーカーやマスコミに行っています。福田さんもそうですが、メーカーに行くと中文出身者ということで、やはり中国関係に関わっていくという人が多いようですね。大学院を出て就職する人も2割ほどは一般企業へ行っています。  中文は大学院進学者が7割という学科ですが、実社会に出て活躍するOB・OGとの関係も大切にしていまして、5年前に立ち上げた同窓会では2年に一度の総会を開いており、毎回、お二人のOB・OGにお話をしていただいています。一人は退官された大先生に学問的なお話をしていただき、もう一人は実社会に出て活躍している人に話をしていただくと。5年前の1回目は共同通信記者の方。2回目が福田さん。そして昨年の3回目がテレビ朝日のニュースステーション、現報道ステーションのプロデューサーのMさんですね。社会で活躍している人たちに中国とどう関わりを持っているか、あるいは中国をどう見ているかということをお話ししていただいています。同窓会報に寄稿していただくこともありますね。  OB・OGの中には就職してから転職している人もいますね。例えばパソコン関係の会社に勤めて5、6年で独立して自分で会社を作ってしまった人もいます。中文のビル・ゲイツですね(笑)。  それから太郎次郎社に就職したN君も、現在はフリーの編集者として活躍しており、最近では上野千鶴子さんの著書『サヨナラ、学校化社会』(太郎次郎社)を企画編集しています。 ***   *** 高芝:先生からご覧になって、学部から就職する人にとっては授業がハードでしょうか? 藤井:文学部には大量に読んで大量に書くという伝統があります。特に学期末はレポートが重なるので、私自身もたいへんだった記憶がありますね。3年生でたくさん単位を取って、4年生で就職活動や卒論に力を入れるという傾向があったので、昔は3年が辛くて4年はそうでもありませんでした。いまは就職活動も3年に移ってますね。ですから坂田さんのように4年進学時には就職が決まっているひとも珍しくないわけです。  それにしても、中文に進学してまもなく、就職組は就職活動に入ってしまうので、昔より状況的には厳しいかもしれないですね。 高芝:ここで坂田さんに伺ってみたいんですが、中文に入ってから就職活動はどういう流れで行ってましたか? 坂田:まず11月の初めくらいに東大生協が主催している企業の合同説明会というのがあって、それに参加したのが始まりです。その後は1月2月くらいまで、企業の説明会に行くというよりは、企業のホームページを見てエントリーをしていったという時期ですね。本格的に個別の企業の説明会に行ったり、試験を受けたりするようになったのが1月末です。私の場合は2月の半ばくらいから面接が始まりました。説明会、筆記試験、面接という流れをいろんな会社に行ってやってまして、最終的に希望のところから内定を出しますって言われたのが3月の初めくらいです。正式に内定通知が出たのが3月の末で、そこで私の就職活動は終わりました。 高芝:中文の研究室だと就職活動の経験者や身近に就職活動をする人が少ないので、情報が集めにくいというのがあると思うんですけど、インターネットなどでフォローができるんですか? 坂田:そうですね。就職活動をしている駒場時代の友人とも連絡を取って情報交換をしていました。就職活動のノウハウは本を読んだり、就職ジャーナルを読んだりと、インターネットや本で補いました。 藤井:こういう本を読みなさいっていうのは、就職ガイダンスで推薦図書を教えられたりするんですか? 坂田:文学部の就職ガイダンスというのはあって、私はそれに参加したんですが、各専修課程の先輩が体験談を語ってくださいました。それぞれ違う業界に就職された方が話をしてくださったので、参考にしました。推薦図書というのは特になくて、本屋の就職コーナーに行くといろんな本が置いてあるので、自分の気に入ったものを買うという感じでした。 ***   *** 藤井:3年のときの授業との兼ね合いはどうでしたか?ゼミを減らしたとか、あるいは出ていてもたいへんだと思ったとかはありますか? 坂田:私の場合は授業との兼ね合いがたいへんだと思ったことはあまりないです。就職活動を本格的に始めたのが1月末なので、授業も終わりに近いですから。レポートがあったとしても、その時期はまだ朝から晩まで就職活動をしているという時期でもないので、時間的にそんなに厳しいということはなかったです。  私が1月に就職活動を始めたのは早い方だと思うんですけど、人によっては学校の試験やレポートが終わってから始める人も多いですし、人それぞれで変わってくると思います。4年生になってから始める人もいますし。 高芝:法学部や経済学部の試験は文学部よりも遅くて、2月から3月の初めにかけて多くやっていますね。 坂田:文学部の場合は試験よりもレポートが多くて、空いた時間にレポートを書けるので、そういう点では法学部よりも文学部の方がいいですね。 ***   *** 高芝:面接でアピールするときに中文であることで良かったこと、悪かったことっていうのはありますか? 坂田:面接が進んでくると、それぞれの専門に話が及ぶこともあります。私の場合は履歴書に中国文学と書いてあると、すごく珍しがられて「中国文学なんてやってるんだ?じゃあ中国語しゃべれるの?」なんて聞かれたりして(笑)。でも特に中文だから何かっていう感じはなかったかな。 高芝:メリットもないけれどもデメリットもないという感じ? 坂田:そうですね。あと企業のエントリーシートには研究テーマや卒論のテーマを書く欄があるんですよ。私はそこに「白蛇伝」をやってみたいとか書くと、ときどき面接官の方の中にも白蛇伝とか中国のことを知っている人がいて、趣味の話に花が咲くというようなこともありました。 高芝:坂田さんは駒場の頃から就職を考えていらしたんですよね?進振りのときに中文をいちばんに書かれたんですか? 坂田:はい。そうですね。 高芝:就職するつもりで中文というのはどういうところに引かれたんですか? 坂田:私は中文と就職というのは特に結び付けては考えていませんでした。就職するために大学に来ているわけではないので。私は駒場の2年生のときに進振りでどこに行こうかなと考えたときに、やっぱり中国関係のことを勉強してみたかったので、いろいろなことを考えて中文に来ました。中文は社会に出てから役に立つようなことでもないと考えたこともあったんですけど、でも大学でしか勉強できないことを勉強したらいいんじゃないかとすごく思って。就職に有利な学部に進学する、という考えは私には無く、たとえ将来のためではなくても自分の勉強したいことを勉強して、自分の中で何かの糧になればいいな、と思いました。 藤井:いま坂田さんが言った、大学の勉強っていうのは就職のためにするものではないだろうと、そういう真っ当なことをちゃんと言ってくれる人がいるのは私にとっても嬉しいことですね。ただ、逆に言えば、いま中国や東アジアの日本に対するプレゼンスというのは非常に大きくなっていて、貿易量でも東アジア全体がアメリカ、カナダを合わせた北米を越えてしまっているわけです。そういう意味では、どんなところに行っても否が応でも中国や中国語圏と向き合うというのはありえますね。例えば坂田さんのように教育関係の学校法人に行っても、中国語圏の留学生や研究者を迎え入れたり、逆に日本から送り出したりと、中文だったらこういうことをやって下さいと言われることもあるでしょうし、坂田さんが思っている以上に中文卒というのが役に立つんじゃないかと思いますよ。  昔は中文でやったことが役に立つというのは、テレビや新聞などマスコミが主だったわけですが、いまは一般企業にも活躍の場が広がっていますね。例えばトヨタ自動車の中国進出要員の候補になっているOBもいますから。  福田さんはどうでしたか?中国要員として入ったのですか、それとも入ってからたまたま中国方面の仕事に就いたのでしょうか? 福田:私が入った会社は中国貿易専門の会社です。 高芝:そうすると留学していたことが面接のときにすごく評価されたりしたわけですか? 福田:「評価はしないけどね」って言いながら、いろいろ聞き返されたりはしましたね。中国語ができる連中は総動員されていくっていう感じにはなりますから。 高芝:福田さんの就職活動について伺ってもよろしいですか? 福田:すごく変則的でお役に立てるか、わからないんですけれでも。私はまず中文に学士入学して、上海に1年間留学して、4年生の秋に帰ってきて就職活動を始めました。  私の就職活動は二本立てで、まず安田講堂の中にある学生部の求人案内で情報を集めました。あとは上海に行く前から産業翻訳の学校に夜間通ってまして、そこの求人も見ました。最終的には、学生部に求人を出していた会社に決めたんですけれども。そこはもう電話して会社行って一回の面接で決まりました。 高芝:福田さんの就職活動というのは、その頃ではレアな形だったわけですか。 福田:やっぱり4年の5月くらいがピークだった時代ですからね。 ***   *** 高芝:坂田さんは資格試験のための勉強もなさっていたんですよね。そのお話も伺っていいですか? 坂田:私はまず学部を卒業したら社会に出るっていうことは決めていました。2年生の時点では、公務員になりたいと思っていました。公務員になるにはいろいろな勉強をしなければならず、そのためにはノウハウのしっかりした専門学校に行ったほうがいいと思ったので、3年生の4月から1年間ダブルスクールをしていました。私はもともと、人の役に立つ仕事がしたいと思い、行政に関われば広く人の役に立つことが出来ると思ったので公務員を目指していました。ですが、つきつめて考えてみた結果、もっと狭い範囲で人の応援をしたいと思うようになりました。もともと教育には興味を持っていたので、それなら学ぶ人の役に立つような仕事をしようと思い、教育産業への就職を考えました。ほぼ1年間公務員試験の勉強をしていたのですが、そこで気持ちを切り替えて就職活動をしました。 高芝:ダブルスクールをやめたのは就職活動を始めてからということですか? 坂田:そうですね。だいたい1月末くらいまでは本気で勉強してたんですけど。 高芝:ダブルスクールはやっぱり夜だと思うんですけど、昼間は中文の授業に出て、このふたつを両立させるというのはけっこうハードだったのではないですか? 坂田:結構大変でした。でも、なんとか折り合いをつけて、中文の勉強も公務員の勉強も頑張りました。 … 続きを読む

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