///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注118-121ページ///
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 以上のことは、イッズ・アッダウラ・アブー・マンスール──〔信徒の長が〕彼に満足することを神が嘉せんことを──〔ms. 164〕が耐えて苦慮した災難と、立ち向かい忍んだ艱苦、信徒の長の館と彼の館との間を引き裂きそれぞれの隣人どうしを疎遠にした事件があったうえでのことである。神はこのような出来事に際して、イッズ・アッダウラが忠義から逸れたり信徒の長が約束を破るようには少しも運命づけてはいなかった。信徒の長はこの反目の時期に経験から学び、彼のイッズ・アッダウラには性質の高貴さの比類なき天分と幸運を導く才能の追随を許さない頂きがあることを確信した。そして彼とその一族〔txt. 119〕──神が信徒の長を彼らに満足させんことを。そして彼らへの信徒の長の恩寵を守らんことを──を、まず彼らへのクンヤとラカブの授与によって高め、次に彼らに庇護を求めてくる取り巻きの者達に同様の待遇をするということに同意することによって高めた。
 また信徒の長は、イッズ・アッダウラ・アブー・マンスールの〔ms. 165〕素晴らしい立場を明示し、彼の高い地位を示し、同類の者達から彼を際立たせ、同種の者達を彼に見下させるために、彼を並ぶものがないほど厚遇していることを示す文言と重視していることの刻印によって彼を明確に示すことが、自分にとって最重要の義務であり必須の事項であることを悟ったのである。というのも、イッズ・アッダウラは他の者を差しおいて唯一人、信徒の長の御前の集まりへ朝な夕なに随意に赴くことができ、その招集と散会の時間について彼に力を及ぼすことができ、集まりにおいて〔出席者の扱いの〕序列を前後させ恩典の確定と授与を左右する力を持っていたからである。
 あらゆる近き者や遠き者、一般人や特権身分の者が、イッズ・アッダウラには高く遇されるべき資格があることを知り、彼ゆえに類似の立場から追い出される理由となる抜きん出た努力と高められた高貴さに加えて、信徒の長は彼に3つの特権を新たに与えた。まず第1に、彼と親しい関係を築き〔ms. 166〕〔神の〕恩寵を共有し、諸々の絆が断ち切られる日(最後の審判)まで続く絆である姻戚関係で両者の間を結び、そこから育まれたものが子孫の中に実を結ぶようにした。かくして、将来、来るべき時代に彼らのうちから成長する者は、信徒の長と彼の双方に出自の源を持つことになる。
 第2に、信徒の長から出される書簡において、イマームから皇太子や一族に対してさえ書かれたことのない表現で、彼のための祈願定型句を記すよう命じた。ただしイッズ・アッダウラ──神よ信徒の長が彼に満足せんことを──がとどめおくことを求めた限度内に収めて適切に行うということであった。〔txt. 120〕彼は度を超すことを憚り、イマーム位を偉大視しカリフ位の前に謙遜する慣習を遵守し、これらの地位の前にへりくだり(khafd al-jinah)、視線を下げ、これらから受ける僅かな名誉を多大であると思い、ささやかな厚遇を立派であると考えた。もっとも、信徒の長は〔ms. 167〕、それを極限まで推し進め最大限まで行うことを彼のために求め、彼への文書では「神が汝の生命を長らえさせ、汝の威厳と汝への援助を永続させ、そして信徒の長が汝と〔神の〕汝への恩寵に満足せんことを」という文言を冒頭に用い、信徒の長への文書中で彼が言及される度に「神が彼を援助せんことを」と彼のための祈願句が記されたのではあるが。
 第3に、信徒の長は自らと同じワズィール達を彼に用いさせ、家臣(awliya')の任命に彼を参画させた。もっとも、ナスィール・アッダウラ・アブー・ターヒル1には、才能と能力で先頭に立ち、独自に遂行することで抜きん出て、生じるあらゆる重要事を処理し、襲いかかるあらゆる災難に対処し、イスラームの天蓋でありその中心であり、またその頂点2であるこの御前(al-hadra)において、同様の人物が占めたり彼以外の者が埋めることのできない立場を占めていることの正当性は周知であるのだが。
 つまり、信徒の長のマウラー、イッズ・アッダウラ・アブー・マンスール・ブン・ムイッズ・アッダウラ・アブー・アルフサイン〔ms. 168〕──神が彼を援助せんことを──は、今日においては同類の者達を支配し、同時代の人々に至るまでの過去においては、高位を占め至高の地位に就いている人物なのである。

【2001.4.14:谷口淳一】[[このページの先頭へ]]

 ナスィール・アッダウラ・ナースィフ・アブー・ターヒル──神よ、〔信徒の長が〕彼に満足せんことを──は、ターイーとイッズ・アッダウラの宰相を兼任する者であり、二人のもとで重荷を担う者であり、二人の気高き代理職を独占する者であり、そのそれぞれの職務を遂行する者である。信徒の長は彼に、新旧、古来近年に、助け手となった宰相、助力者となった輔弼たちが与えられたなかで最高の権利を与えることを命じられた。すなわち、家臣(al-awliya')、家僕(al-khadam)であるあらゆる文武官に対して、〔書簡の中で〕彼ら自身の名を用い、自分自身の署名(rasm)を書き記すほどに自身を高めることを禁止なされた3。なぜなら、これはカリフの権利のひとつなのである〔txt. 121〕。信徒の長はその腹心(sana'i`)の誰にもそれを授与することはなかった。たとえ彼らの数がどのように増え〔ms. 169〕、その部署が多岐に渡り、地位が上昇し、様々な手段を用いたとしても。ただその例外が、カリフの前にあって、その仕事を遂行し、このようにふるまってカリフとの絆を確実にし、カリフの覚えをめでたくした者なのである。知れ──神の汝を守らんことを──イッズ・アッダウラ・アブー・マンスールには──神の彼を支えんことを──彼に与えられただけの恩寵があり、ナスィール・アッダウラ・ナースィフ・アブー・ターヒルには、彼のみに認められ、与えられた恩恵がある。その第1の権利を明確に実行せよ。そしてこの第2の権利を讃えつつ完全に実行せよ。この書が届いたこと、そこに記された汝に課された命に従うこと、汝がもっとも明瞭なる道を進む者、もっとも正しく導かれた者とみなされるような態度によってそれを受け入れることを、信徒の長に返答せよ、神が望み給うならば。汝に平安あれ。神の慈悲のあらんことを。ナスィール・アッダウラ・ナースィフ・アブー・ターヒル記す。366年ジュマーダーI月12日土曜(977年1月6日)。
〔ms. 170〕
 この書簡は、アドゥド・アッダウラが、我が祖父イブラーヒーム・ブン・ヒラールに復讐した〔原因となった〕書簡であり、祖父をこのために4年数ヶ月の間投獄したのであった。〔その後〕アドゥド・アッダウラはイラク地方を手中に収め、ターイーにこれ〔に使用された祈願の定型句〕に〔さらなる祈願句を〕加えることを要求した。そこでターイーは語句を加えて「汝への愛顧、汝への恩寵。信徒の長が汝と汝への、そして汝における恩寵に満足せんことを」とした。また各部分で言及する際には「神よ、彼の威厳の永続せんことを」という祈願句を用いた。同様に、彼への書簡においてアドゥド・アッダウラに加えて、タージュ・アルミッラのラカブで呼称することが始められた。また彼に関する言葉のうちには以下のようなものがあった。「信徒の長は汝に満たされるべきものは同輩を超えているとみなし、汝を大アミールとして認める」。この扱いの程度は先行するすべてよりも偉大かつ素晴らしく、この祈願句は彼の後に続く兄弟や子孫に対する定型(rasm)となった。カリフ位が信徒の長カーディル──神よ彼に祝福あれ──に移ると、バハー・アッダウラに対して各部分で言及する際には 〔ms. 171〕「神よ、彼への援助の永続せんことを」という祈願句を用いた。そしてこれも彼の後の子孫に持ち越された。彼においてはこの域にまで達したのであった。さてカリフたちの代理として物事にあたり、政事を司る、カリフの宰相たちについていえば、彼らへの祈願句は一般の書簡においては「神よ、〔信徒の長が〕彼に満足せんことを」であり、文書(tawqi`at)においては「神よ、猊下が我らに満足せんことを」であった。

【2001.5.12:清水和裕】[[このページの先頭へ]]

1 ムハンマド・ブン・バキーヤ。txt. 98を参照せよ。

2 sanam-hu wa gharib-hu. sanamは「ラクダのコブ」、gharibは「コブと首の間」のことであるが、いずれも「最高の部分」という比喩として用いられる[Lane: 1447, 2244]

3 書簡における記名の規定については、txt. 107を参照せよ。

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