///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注87-92ページ///
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 〔txt. 87〕364年、アドゥド・アッダウラが首都に来て、〔ms. 120〕トルコ人のムイッズィーヤ(al-atrak al-mu`izziya)が敗れ、ターイー──神が彼を嘉し給わんことを──が彼らと共に首都を離れ、カリフ宮が空になったとき、アドゥド・アッダウラは、カリフ宮を見分して、その各建物、広間(majlis)、邸、中庭、奥の場所、隠された場所を調べたいと思った。そこで、カリフ宮にやって来て、一カ所一カ所歩いて回ったが、その時、ムーニス・ファドリー・ハージブ(Mu'nis al-Fadli al-Hajib)を同行しており、彼がアドゥド・アッダウラに一つ一つ見せ、一カ所一カ所教えた。ついにハラムに定めらた秘密の邸にいたると、ムーニスは立ち止まって言った。
「王よ、ここは、カリフ以外の〔宦官でない〕男(fahl)が戸を敲くことは許されなかった所でございます。ここに入られるか、決まり(rasm)通り〔入るのを〕おやめになるかは、あなた様次第でございます。」
すると、アドゥド・アッダウラは、
「ここはよそう。」
と言って通り過ぎ、入らなかった。立ち止まったことについてのムーニスの作法(adab)は、最も優れた作法であり、そこ〔に入るの〕を差し控えたアドゥド・アッダウラの行動は、最良の行動であった。
 また、〔ms. 121〕怒っている時に支配者(sultan)に反論したり、気むずかしくなったときに1優しさを強要することのないようにせよ。というのも、議論すれば頑固にさせるだけであるし、時ならぬ時によく改めてもらいたいと望んでもますますこじれて長引くだけであるからだ。かっと〔相手が〕怒っている時は沈黙を、傲慢になっている時には一歩下がるのを良策とせよ。相手が突然罵倒しだしたり、急に怒りだしたりしたときには、その目に触れないように努めよ。そして、弁解をするということについては、たとえ自分が正しいと確信していようと、〔相手が〕かっとなっている状態から胸静まり、燃え上がっている状態から心落ち着くのを待て。それから、弁解の目的は無実を誇ることではなく、疑いを無くしてもらうことであるから、柔らかくその弁解を持ち出せ。何故なら、柔らかさに欠ける弁解は、弁解せずに有罪となるよりも悪いのだから。
 寵を得るのには、繰り返ししつこくしたり、無理に取りなしてもらうのではなく、親しさ(rifq)という方策を採れ。素晴らしい結果というのは、従順であろうとし誠実であろうとすることから起因するものだ。
 口を滑らせたりうっかり過ちを犯すことのないように気をつけ、〔ms. 122〕あなたを捉える様々な欲や色々な享楽を退けるようにせよ。また、結果が気にかかることや不幸なことになる恐れのあることに関しては、はっきりとではなくほのめかし、説明し過ぎないように答えよ。〔txt. 88〕というのも、言わずにいる方が、言ったことを撤回するよりも有利であるからだ。この意味では、うまく話せない欠点はそのままにしておけ。それは頼りになる欠点だからである。知能と結びつけられるものでもなく、無能に等しいというものでもない。アリストテレスは、「人間にとって最も難しいことは何でしょう」と言われて、「沈黙だ」と言った。
 支配者に会う時に、馴れ馴れしく振る舞ったり、畏れすぎて萎縮することのないようにせよ。というのも、前者の場合は、注意深くすべきことに不注意に振る舞うことになり、後者の場合はするべきことを出来なくしてしまうことになるからだ2。その2つの中道にあるようにし、先走る過ちや後込みする愚を犯さないようにせよ。
 また、主人や優れた人3には、謝罪すればよいというものではない。作り事の言い訳をしない無能な者は稀であるし、障害に出会わない有能な者は稀なのである。実際、有能な者は障害と戦い障害に抗うときに周りから際だつのである。〔ms. 123〕
 また、冗談の行き着くところが、支配者の不興を買うことにならないように気をつけよ。支配者に話す話や支配者を笑わせる内容は、支配者ではなく自分のことを指すようにせよ。そして、彼が笑っているのを見たからといって、〔本心はやめるように〕彼が警告していることを続けないようにせよ。彼は、嫌なのに容認しているように見せかけているのかもしれないし、腹を立てているのに満足しているように見せかけているのかもしれない。下賜してもらったからといって近しくなったと思ってはならないし、目をかけてくれたからといって気安くなったと思ってはならない。
 不平はならすな。それは支配者の不興を買う。またしきりと催促することもやめよ。それは喪失の最大のきっかけの一つである。感謝せよ。それこそが恩恵の元である。そして耐えよ。それは人間の〔身を守る〕道具である。
 聞こえることには耳を塞ぎ、見えることには目を閉じ、口止めするような内容は口を閉じ、その場に居合わせた出来事については口が堅く、あなたに隠されていた秘密には踏み込むことをせず、あなたに聞かされていなかった話には耳をとがらせるな。

【2000.6.24:近藤真美】[[このページの先頭へ]]
 私の祖父イブラーヒーム・ブン・ヒラールが私に語った。
 私の父ヒラールが私に語った。
 私の父イブラーヒームが私に語った。

 私はムクタフィー ──彼に神の祝福がありますように──の御前にいた。〔ms. 124〕彼は若干の件について私と相談していた。するとサービト・ブン・クッラ(Thabit b. Qurra)の話になり、彼の良い作法と優れた性格が話題になった。御前にいたあるギリシア人(rumi)のハーディムが以下のように私たちに語った。カリフがその者の名前を呼んだが、私はその名を失念してしまった。
「私は〔txt. 89〕ハレムの件でムータディド──彼に神の祝福がありますように──が気にかけていた秘め事について話すために彼の許に行きました。彼はサービトに話しかけ、相談していました。私はギリシア語(rumiya)で話し始めました。ムータディドはギリシア語に通じていたのです。サービトはすぐに退出しました。しかしムータディドは彼を連れ戻し、言いました。『まだ私とお前の間の話が終わっていないのに、なぜ出て行くのだ。』『私はギリシア語に通じております。話者が私に隠そうとした信徒の長の秘め事を聞きたくないのです。』ムータディドは彼のこの行為を気に入り、彼に対する好意は増しました。」〔ms. 125; txt. 90〕
 

第4章 カリフたちの着座、パレードにおける彼らの着衣、カリフたちの御前に加わる側近たちやもろもろの階級の人々の着衣

 慣習とされているのは以下の通りである。
 カリフは壇上の椅子の上の純粋なアルメニア絹4か毛絹交織(khazz)の玉座に座る。あらゆる間の敷物は夏でも冬でもアルメニア絹である。カリフの着衣は黒い一般のローブ(qaba' muwallad aswad)5で、無地(musmat)か絹交織6か毛絹交織である。錦(dibaj)や金糸入り7や色付き(manqush)は着ない。頭には黒いルサーファ風ターバン8をかぶり、預言者──神が彼を祝福しますように──の剣を帯び、玉座の2つのクッションの間の左側にもう一つの剣を置き、赤い靴を履く。彼の前には当時まだ財庫に残存していたウスマーン──彼に神の慈悲がありますように──のコーランを置く。〔txt. 91〕肩には預言者──神が彼を祝福しますように──のマントを掛け、彼の杖を握る。宮廷付きグラームたち9とカリフ付き(khassa)や屋外の10ハーディムたちは〔ms. 126〕玉座の背後や周りで剣を帯びて立ち、手には斧や棍棒を持つ。玉座の後ろや両側にはスラブ人ハーディムたちが立ち、金銀細工の付いた蝿払いで蝿を追い払う。カリフの面前には錦の帳が吊るされており、それは人々が入ってくると上げられ、退出が望まれると下げられる。宮廷内と集会場の近くにはハーディムたちが配置され、手に弾弓(qusi al-bunduq)を持って鴉や鳥たちを撃ち、それらが鳴いたり騒いだりしないようにする。
 位階のあるアッバース家の人々の装いは、黒い一般のローブ(al-sawad bi-al-aqbiya al-muwallada)と靴(khifaf)である。彼らは地位によって、帯の締め方、剣、剣の帯び方が異なる。ただし司法に携る者は別で、タイラサーン服(taylasan)11を着ることが出来る。
 御膝元(al-hadra)のカーディーたちや、黒を着ることが許されている各地(al-amsar wa-al-bilad)のカーディーたちは、ガウン(qumus)、タイラサーン服、ダンニーヤ帽12、カラーキフ帽(qaraqifat)13を着用する。今日では〔ms. 127〕ダンニーヤ帽とカラーキフ帽は廃れ、つやのある黒いターバンに取って代わられている。一部の者は金襴(qasab)や黒い毛絹交織を着るまでになっている。私が見たことがあるのは刺繍(turuz)のない金襴だけである。
 アンサール(ansar)の子孫にはもう大物は残っていないが、彼らは黄色い服とターバンを着用する。〔txt. 92〕
 アミールたちや将軍たち(quwwad)は各種の黒いローブを着用し、ターバンも同様である14。足には靴下と、紐で縛られた黒いラーラカ靴15を履く。これが彼らの守るべき規定である。他の者は黒を着ることは禁じられているが、だらしなかったり、下品だったり、基本的な規定に抵触しない限りは自由に色を選んでよい。

【2000.7.15:矢島洋一】[[このページの先頭へ]]
1 校訂に従えば、アリフの上にハムザを乗せているが、写本にはハムザは書かれていないので、ここでは `ithra(「〜の直後」)と読んだ。

2 校訂では、ここで一旦文を切り、以下の文を後ろと関連づけているようであるが、内容から鑑みて、前の文と関連づけるべきであろう。

3 kifayat-ka。適切な訳語が得られなかったので、英訳に従っておく。

4 校訂90ページ、注1参照。

5 txt. 78参照。

6 mulham. 校訂90ページ、注4参照。

7 saqlatun. 校訂90ページ、注6参照。

8 rusafiya. txt. 81参照。

9 ghilman dariya. txt. 8参照。

10 barraniya. txt. 12参照。

11 特別なウラマーやシャイフたちが着る毛織の緑衣[校訂91ページ、注2]。

12 txt. 79参照。

13 アラム語起源。アッバース朝時代にファキーフたちやカーディーたちが身につけた丸く大きな帽子[校訂91ページ、注3]。

14 `ala hadha al-wasf. 意味不明瞭であるが、仮にこう訳しておく。

15 txt. 75参照。
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