///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注49-56ページ///
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 以上の振る舞い方とは反対の事例として、私の祖父スィナーン・ブン・サービトが語った話がある。

 ムータディド──彼に神の祝福がありますように──が広場に立っていたことがあった。それは彼がカリフ位に就く以前のことであった。彼の前にはイスマーイール・ブン・ブルブル(Isma`il b. Bulbul)1がいた。体格の立派な子馬が放牧地から目の前へ連れ出されてくると、イスマーイールはある調教師に〔ms. 73〕、その子馬に鞍と手綱をとりつけて乗るように命じた。そこで調教師は鞍をとりつけ、その子馬に乗ろうとしたが、まったくできなかった。とても頑強であったイスマーイールは、調教師を嘲笑した。そしてイスマーイールは、その子馬を四方からつかまえさせておいて、それに乗ろうと進み出た。しかし彼がその背に乗るや否や、子馬は下から突き上げ、跳ね、二脚で立ち、イスマーイールはそこから落ちそうになった。彼は下りようとしたができず、結局、一群の者達が子馬をつかまえた。イスマーイールは惨めな状態になり、このことで非常に恥じ入り、たいそう困惑したのであった。〔txt. 50〕
 ムータディドは、自分の馬術の上手さがどれ位であるかを彼に見せ、馬術とは力強さや荒々しさではないということを示そうと思った。そこで彼は「子馬を私のところへ連れてこい。」と言った。子馬が連れてこられ、ムータディドは子馬の顔を手で撫で続け、子馬はムータディドのにおいを嗅ぎ〔ms. 74〕、鼻を鳴らし続け、逃げなかった。そして、十分に子馬を落ち着かせ、自分に馴れたのを見て取ると、ムータディドは一瞬のうちにあぶみに脚をかけて子馬の背に飛び乗った。そして手綱をやさしく引き、ゆっくりと子馬を動かした。そのようにし続けると、ついには子馬が歩むようになり、ムータディドは子馬に乗って行ったり来たりした。まるでその子馬が1年前から従順であり馴らされていたかのようであった。
 イスマーイールは自分の無能ぶりを示す行為をしなくてもよかったのである。なぜなら、馬術は彼の専門ではなかったし、請われたり求められていることでもなかったからである。この話は、人が自分自身を知らず自分の技能でないことに取り組んだ場合にどうなるかという例である。

 聞いた話を〔他人に対して〕繰り返したり、託された秘密を漏らさないように注意せよ。支配者(sultan)は2、話を漏らすこと彼の女達への悪行と王朝に対する中傷以外は、あらゆる罪を赦すものだと言われている。
 これに基づいて〔ms. 75〕ムータディド──彼に神の祝福がありますように──は、自分に関わる秘密をカースィム・ブン・ウバイドッラー3に漏らしたかどで捕らえたアフマド・ブン・タイイブ・サラフスィー4に次のように言った。
 「おまえは私に『支配者(sultan)は、秘密の漏洩か彼の女達への悪行〔txt. 51〕またはその王朝に対する中傷以外のことはすべて赦すものである。』と言った。おまえの言った通りにおまえを処そう。」
 そしてムータディドはサラフスィーを殺害した。

 舌の傷は手の傷のようなものであり5、言葉の過ちは行為の過ちのようなもので、言説の誤りは足運びの誤りと類似のものであることにかわりはない。上司(sahib)を裏切って支配者(sultan)やそのワズィールに接近したからといって、そのことで寵愛を受けるであろうと期待することのないように注意せよ。イスマーイール・ブン・ブルブルとの関係においてアブー・ヌーフという人物6に生じたことのように、しばしばその〔接近したつもりの〕人物との関係において自分の状況を悪化させることがある。アリー・ブン・ムハンマド・ブン・アルフラートが以下のように語った。
 ムータミド──彼に神の慈悲がありますように──〔ms. 76〕のイスマーイール・ブン・ブルブルに対する不満が増大すると、ムワッファクはムータミドの心中が穏やかになるまでイスマーイールを遠ざけておくことによってムータミドの顔を立てようとした。そこで彼はイスマーイールに「クーサー7にあるおまえの私領地(diya`)へ行って、そこに1ヶ月間滞在して休職し、その後に戻ってこい。」と言い、その後任にハサン・ブン・マフラドを任命した。ハサンは、アブー・ヌーフを代理人とした。アブー・ヌーフはイスマーイール・ブン・ブルブルにハサンに関する情報を書き送っていた。イスマーイールがワズィール職に復帰すると、アブー・ヌーフは彼の許に現れ、親しげに語りかけた。しかしイスマーイールは顔をそむけた。二人きりになると〔txt. 52〕、イスマーイールはアブー・ヌーフに近寄って言った。
 「おまえを私に近づけたとおまえが考えた状況は、私をおまえから遠ざけ、おまえを信頼することを私に禁じた。なぜなら、おまえを起用し昇進させ、私が任せたよりも多くの仕事を任せた人物に対して、おまえが忠実で(salih)ないのならば私に対しても忠実でないからである。私は、おまえが私の許にいることも〔ms. 77〕私の側近と交わることも望まない。おまえの気性が合う地方(nahiya)の駅逓(barid)を選べ。」  そこでアブー・ヌーフはマーフ・アルバスラ8の駅逓を選び、イスマーイールは彼をその職に任じた。

【1999.9.11:谷口淳一】[[このページの先頭へ]]

 御上が、間違ったアラビア語で話したり、信頼できない (madfu`) 伝承を語ったり、破格の詩を詠んだりするようなことが起きた場合には、単なる仕え人や側近でない者はいうにおよばず、座にくわわっている妻妾やお気に入りの者でも、面と向かってはっきりとそれを指摘するべきではなく、遠回しな言い方やほのめかしでそれとなくそれを示し、それに関して正しい知識への道となるような類例や近似例を引用するべきである。また、御上が手ずから書き記されたときに、何かしら文法や表現に不用意な点がある場合があるかもしれないが、そのような際には宰相か文書官が密かにひとにわからないように訂正するべきである。これによって、彼は忠誠を尽くして助言することになり、欠点や短所が露見することから主人(カリフ)を守ることとなるのである。

 ナドル・ブン・シュマイルが語るところによれば、〔txt. 53〕
 私はメルヴでマームーン──彼に祝福あれ──に伺候いたしました。〔ms. 78〕私はぼろぼろの襤衣を身につけておりましたが、私におっしゃるには
 「ナドルよ、おまえはそのような襤衣で私のもとに参ったのか。」
 「信徒の長よ、メルヴの暑気を払うことなど、この着物でなければかないませぬ。」
 「ちがうな、おまえは禁欲的なだけだ。」
 そして私たちは伝承についての知識を競いはじめました。マームーンがおっしゃるには
 「フシャイム・ブン・バシールが、イブン・アッバースからシャービーからムジャーリド〔の経路〕で私に伝えたところによると、神の使徒──神よ彼に祝福を与え賜え──が仰せられるには『男が女をめとるには、その信仰とその美によってである。そこには欠如ではなくよき行い(サダード sadad)がある。」
 私が申し上げるには
 「あなたのご記憶はただしいのです、信徒の長よ。間違ったのはフシャイムです。アウフ・アウラービーが、イブン・アッバースからハサン〔の経路〕で私に伝えたところによると、神の使徒──神よ彼に祝福を与え賜え──が仰せられるには〔txt. 54〕『男が女をめとるには、その信仰とその美によってである。それによって欠点は補われる(スィダード sidad)のである。」
 マームーンはそれまで寝そべっておられたが、身を起こしてお座りになられた。
 「サダードは間違ったアラビア語なのか、ナドルよ。」
 「そうです、しかしフシャイムが誤っただけです。〔ms. 79〕かれはアラビア語に誤りの多い人物なのです。」
 「その二つの違いは何だ。」
 「サダードとは宗教において追い求めるものであり、正しい道です。スィダードとは充足することで、何によらず、あなたが何かをふさぐのに用いるものがスィダードなのです。」

 「それではアラブにとって最も魅惑的な句を詠ってみせよ。」
 「ハカム・ブン・マルワーンによせるハムザ・ブン・ビードのいうには、

   彼女は私にいう、皆が眠っているときに
   「いつか私たちのところにお泊まりなさい。」しかし、わたしは泊まらなかった。
   「あなたはどのお方のところへお休みにいかれるの。」わたしは彼女にいった
   「ハカムのところ以外ならどこへでも。」
   彼の大天幕の入り口で侍従二人が呼ばわる
   「これなるイブン・ビードが門前に。」と。彼は微笑む。〔txt. 55〕
   わたしはあなたのもとに頌えにまいって、未だに褒美をいただいていない。
   さあ、くれ。支払えるのなら私に褒美を与え賜え。

 「それではアラブにとって最も道義正しき詞を詠ってみせよ。」
 「イブン・アビー・ウルーバ・マダーニーのいうには、

   私は、たとえ従兄弟がそこにいなくとも
   攻めたてるのだ。彼なしで、彼をささえて。〔ms. 80〕
   彼に利するのは我が助け。たとえ彼が
   天にも地にも足下の定まらない男だとしても。
   この事件が彼の家畜に害を与えたとしても
   私たちの健康な家畜が彼の病んだ家畜に充てられる。
   彼が軍を揚げるならば、私は彼に手勢を加え、助け手となる。
   彼がサアーリークとなるならば、私はその一員となろう。
   荒れ馬を乗りこなそうと我が名を呼ぶならば
   私は彼のためにその背にまたがろう。
   もし彼が奇妙なことをしでかしたとしても
   彼の隠していることを知ろうとはすまい。〔txt. 56〕
   そしてもし彼が美しい着物を着ていたとしても
   私は「あぁ私にも彼のようなすばらしい着物があったらなぁ。」などとは言うまい。

【1999.10.3:清水和裕】[[このページの先頭へ]]

1 Abu al-Saqr Isma`il b. Bulbul, al-Shukur al-Munasir li-din allah. 265/878,79年にムータミドのワズィールとなる。278/891,92年にムータディドによって捕らえられた。獄中で没した[校訂49ページ、注4]。

2 この言葉をマンスールあるいはマームーンに帰す史料もある[校訂50ページ、注1]。

3 al-Qasim b. `Ubayd allah b. Sulayman b. Wahab. ムータディドとムクタフィーのワズィールを務める。291/903,04年没[校訂50ページ、注3]。

4 Ahmad b. al-Tayyib al-Sarakhsi. ムータディドの教師から飲み仲間となった。バグダードの地誌と美点を記した書を著したが散逸した。286/899年に処刑された[校訂50ページ、注2]。校訂テキストでは、この人物のニスバを al-Sarkhasi と読むように母音点が付されているが、このニスバはホラサーンの Sarakhs に由来するものと考える方が妥当であろう。

5 イムルー・アルカイス(Imru' al-Qays)の言葉[校訂51ページ、注1]。

6 校訂者はこの人物を、カリフ=ムータッズの母カビーハ(Qabiha)の書記でムータッズの治世には印璽と署名を任されていた Abu Nuh `Isa b. Ibrahim b. Nuh al-Katib に比定している[校訂51ページ、注2]。しかしその注で言及されているように、このイーサーという人物はムータミドが即位する以前の255/868,69年に殺害されているようである[The History of al-Tabari 35: 163]。したがって、本文中のアブー・ヌーフとは別の人物であり、この人物については結局のところ詳しいことは分からない。

7 Kutha. バグダードの南方約50kmを東西に流れチグリス川とユーフラテス川を結んでいるクーサー運河の流域か、あるいは地域の中心都市 Kutha Rabba を指していると考えられる[Le Strange. The Lands of the Eastern Caliphate: p. 68]。

8 Mah al-Basra. バスラの北北東約400kmのザクロス山脈中にあるニハーワンド(Nihawand) の別名。イスラーム時代初期にここからの税収がバスラにおける給与支払いに割り当てられたことからこの名前が付けられたという[Le Strange. The Lands of the Eastern Caliphate: p. 196-197]。

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