///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注31-36ページ///
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第2章 つとめの作法


〔txt. 31, ms. 38〕

 アミールないしワズィールないし有力者がカリフの御前に出る際、床に接吻することは、古い習慣にはなかった。そうではなくて、〔来訪者〕 が入りカリフにお会いすると、二人称単数を用いて、「なんじ、信徒の長に平安あれ、神の慈悲、祝福よあれ」と言った。それが、より的確で効果的で適切で実際的だからである。婉曲的に挨拶がなされた場合、その言葉が曖昧に受け取られる可能性が生じる。それゆえに二人称〔単数の使用〕が必要である。ワズィールないしアミールは、前に進みでるだろう。するとカリフは、袖で被われた手を与える。これは来訪者が、手に接吻し、カリフに敬意を表し、〔接吻した場所で、この偉大なる地位を際立たせるためである1〕。カリフが手を袖で被う理由は、口ないし唇が直接ふれないためである。ここから、接吻を床にするよう改定され、今日では全ての者がそうするようになった。
 しかし後継者たる〔ms. 39〕カリフの子供達、ハーシム家の人々、裁判官、法学者、禁欲主義者、コーラン朗誦者は、手にも床にも接吻せず、先に語られたような挨拶だけを行っていた。その中の幾人かは、賛辞や祈願を口にしたかもしれないが。彼等も今では床に接吻する集団に混ざってしまった。こういった行為を慎んでいるほんの僅かな人々をのぞいては。中流階級の軍人、〔txt. 32〕それ以下の軍人、一般大衆、全く社会的地位を持たない者には、床に接吻することさえ許されていない。彼等の階級は、低くすぎるからである。
 ワズィールおよびそれに同様な地位にある者最も相応しい振る舞いは、次のようなものである。カリフの御前に出る際、容姿、身なりを清潔にし、落ち着きある歩き方をし、香を焚きこみ、その良い香りがそで口、〔ms. 40〕脇からただよい来るようにすること。支配者が嫌っていることを、その臭いを嗅ぐことを拒んでいることを知っている物は、避けること。イブラーヒーム・ブン・アルマフディーはムータスィム──二人に慈悲あれ ── にこのような失敗をおかしてしまった。
 イブラーヒームは、大量のガーリヤ2 を使っていた。毎日1ウキーヤ3 分を、頭と顎ヒゲに焚きこんで、髪に櫛をとおしていた。するとガーリヤは、着衣の中にしみ込んでいった。ムータスィムはこの臭いを嫌っていた。それに耐えることが出来なかった。イブラーヒームを隣に座らせて大変辛いめにあっていたのだが、カリフはそれを表に出さなかった。がカリフは堪え難くなって来たので、アリー・ブン・アルマームーンを二人の間に座らせた。カリフのこの行いは、イブラーヒームにとって不可解であり、心中悩んだ。歌手のムハーリクが、やって来てイブラーヒームに次の話を教えるまで、イブラーヒームはその原因を知らなかった。
 その話の内容は次ぎの通り。〔txt. 33〕ワスィーフがムータスィムを訪問し〔ms. 41〕、ひれ伏して、足に接吻した。しかしカリフは、ワスィーフを追い払って、こう言った。「お前は、信徒の長のおじイブラーヒームの真似をしてガーリヤをつけているのか。私はイブラーヒームのそれにほとほと参ってしまったので、彼の席を私から遠ざけたほどなのだ」。
 そこでイブラーヒームは、カリフの自分に対する扱いの原因を知り、1ヶ月ほど仮病を使った。騎乗してムータスィム── 神よ彼に慈悲をそそぎたまえ──を訪問した。カリフは彼の容態について尋ね、イブラーヒームは、「落胆しています」と答えた。カリフは言った、「見たところ、健康は回復しているようだが、なぜ落胆しているのか」。「信者の長よ、ガーリヤです、わたしが焚きこんでいたあれです。医者達が、今は私にそれを禁じてしまったのです」。「彼等の言葉に従いたまえ。君はまた別の好きな香を選ぶのだ」。イブラーヒームは、ガーリヤを断った。彼の席も元に戻った。
 〔ワズィールおよび同様の地位にある者がなすべきことに〕 歯ブラシを常用し、私的な会話や相談の際に口臭を〔清潔に〕保っておくこと4 がある。〔ms. 42〕また、冬であれ夏であれ、汗をおさえる木綿を含む着衣(jubba)を着込んでおくことがある。

【1999.2.19:沼田敦】[[このページの先頭へ]]


 以下のようなことも、カリフの御前に出る者が守るべき作法である。両側や後ろをあまり見回さず、手をはじめ身体の各部をあまり動かさないようにする。疲れた時に休むために足を上げることもなるべく控える。余計なものからは視線を逸らせ、カリフただ一人を、その言葉が発せられるところを注目する。カリフの御前(majlis)で誰かに耳打ちしたり、手や目で合図をしないようにする。カリフに届けられた文書(ruq`a)や書面(kitab)は〔ms. 44〕、読む必要がありカリフが許可したものだけを、その面前で読み上げる。カリフと話す者は、カリフの用件を確認したり反証を挙げる場合には、必ず特に低い声で完璧な方法で話すようにする。
 入ってから退出する時まで自分の地位に応じた場所を占めるようにし、そこを通り過ぎてより高い場所や低い場所へ行かないようにする。ただし、近くで密やかに話すためにカリフが招いた場合は別である〔txt. 35〕。カリフが自分に話しかけていたり注意を向けている限り立ち去らず、カリフとの用件が済めば留まらないようにする。カリフが見ている前で退出する際は、カリフに背を向けないように後ずさりで退出する。そしてカリフの視界から外れたならば、前を向いて進むのである。  たとえ笑いを誘うようなことが生じたとしても笑いを抑える。よく笑う者は外見が愚かに映り、あまりに陽気な者は威厳を失う。必要以上に口数の多い者は不注意に陥ったり過失が多くなる〔ms. 45〕。鼻汁と唾は絶対に出さないようにし、咳とくしゃみはは可能な限り避ける。ある人物が君主(sahib)の目に最も立派に映るのは、その人が寡黙な人柄であり、すっきりした5 身体、すなわち唾や鼻汁を出しておらず飲食物などを何も入れていないという状態の場合である。カリフの前で不注意にも以上のようなことをすると、目と心からその人物の素晴らしさが失われ、不作法さがその視線や言葉に目立つことになる。後者(飲食)は仲間(ikhwan)や座を共にする者(julasa')とならば構わないが、高官たち(ashab)や長たち(ru'asa)と共にすべきではない。前者(唾や鼻汁を出したり、くしゃみや咳をすること)については、何れの場合も避けるべきで、どんな人物と居る場合でも醜いことである。
 カリフが話すことに十分に耳を傾けて、彼が命じたことや述べた言葉を確認する必要が生じないように注意する(an yataharraza min)。そのようなことをすれば、聞き手がそれを理解しておらず、カリフが述べたことが彼にとって理解不能であったと示すことになるまたカリフにもう一度言ってもらうように頼み〔ms. 46〕、同じ内容の反復をカリフに強いることになってしまい、相応しい作法(adab)から逸れてしまったことを示すことにもなる6。また虚しいと見なされる話や不快に思われる表現を用いることは避けるべきである。
 以下のような話が伝えられている。住民が駝鳥(na`am)を知らない国(bilad)のあるワズィールがその君主(sahib)に、駝鳥を念頭に置いて、燃えている炭と焼けた鉄を飲み込む鳥というものを説明した。すると君主は彼の言葉を嘘であると思い〔txt. 36〕、彼が正直に話しているはずがないと考えた。ワズィールは君主から聞いた言葉に意気消沈し、自分に対する対応に打ちのめされてその前から退出した。そして駝鳥を求め自国(balad)へ運ぶために大金を費やし多くの犠牲を払った。ついにこの上ない困難の後に幾羽かの駝鳥が運ばれてきたものの、〔ほとんどが〕途中で死んでしまい1羽だけが無事であった。ワズィールはそれを王の許へ連れて行き、燃えている炭と鉄を与えたところその駝鳥はそれを飲み込んだ〔ms. 47〕。王はその様子を見て、またワズィールが駝鳥の様子と自分が押し込められた事態から自身を守ったことに喜んでいるのを目の当たりにして、ワズィールに言った。
 「今日私の許でのお前は、あの話をして言い張っていたときよりもさらに愚かであるぞ。知性がある者ならば、聞き手が否定し、それを証明するためにお前が費やしたような労力や犠牲を必要とするような話はするべきではない。もしもこの生き残りの駝鳥が死んでしまっていたら、お前が虚偽を話したということが確実なこととなり、財貨も苦労も無駄にしてしまったところなのだぞ。もし要らぬことを話さなかったならば、お前が陥った事態は避けられただろうに。」

【1999.3.14, 3.27:谷口淳一】[[このページの先頭へ]]

1 この箇所文意不明確。

2 ジャコウとリュウゼンコウからなる香水、香料。

3 uqiya. 重さの単位。エジプト 37.77 grams. アレッポ 320 grams. エルサレム 240 grams. レバノン 213.3 grams。

4 「のどびこに気を配る」という表現から「大口を開けない」という別解釈も成り立つ。

5 原語は sada(渇き)である。文脈、特に直後にある説明から考えてこのように訳出した。

6 この部分はやや難解である。以下にもう一つの試訳を示す。「さもなくば、聞き手はそれを理解せず、カリフが述べたことが彼にとって理解不能になってしまう。または、カリフに…逸れてしまうことにもなる。」

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