///アラビア語写本史料研究会『カリフ宮廷の儀礼』日本語訳注訳注14-18ページ///
[[前のページ(訳注7-14ページ)へ]]

 サムサーム・アッダウラ1 の治世中である376年2に私は、ビザンツの要人ワルド(Ward)3が王宮(Dar al-Mamlaka)へ参殿するのをこの眼で見た。ワルドは、バシール(Basil)4にうち負かされ、アドゥド・アッダウラ5に助けを求めて逃げこんできた。〔txt. 15〕彼はワルドをマイヤーファーリキーン(Mayyafariqin)で捕らえ、バグダードへ連れていった。ワルドはアドゥド・アッダウラが没するまで拘留され、〔さらに〕サムサーム・アッダウラの治世末まで拘留され続けた。そして、当時の軍司令官(sahib al-jaysh)だったズィヤール・ブン・シャフラーカワイフ6がワルドの釈放と祖国への送還を願い出た。幾つかの条件が付けられ幾つかの取り決めが交わされた後で、ワルドは釈放され、旅路を保証された(fusiha la-hu fi al-tawajjuh)。ワルドの参殿の様子を描写すると次のようになる。〔txt. 16〕
 
 王宮には〔ms. 17〕、王宮での集まり(majlis)に使用されているアドゥド風の敷物が敷かれ、王宮のすべての部屋の戸、中庭、廊下、通路には錦織が掛けられた。ティグリス川からサムサーム・アッダウラの御前まで、ダイラム人〔兵士〕が実に美しい衣服と実に見事な武具と武器を身に着け、階級ごとに2列に並んで立っていた。彼らとそのグラーム達は、手に短槍(zubinat)7と盾を持っていた。宮廷付きのグラーム(ghilman dariya)とハーディムは、美しい着衣をまとって、バルコニー(rawshan)にずらりと並んで立っていた。サムサーム・アッダウラは、金の三連天蓋(sidilla)8の下で大きな玉座(sudda)に座っていた。その玉座の下には鉛製の川があり水が流れていた。サムサーム・アッダウラの前には、金の香炉(kanun)があり、その中では数片の沈香木が焚かれ香りを漂わせていた。
 ワルドと彼の兄弟と息子が〔txt. 17〕、2列の〔ダイラム人兵士の〕前に現れた。ワルドは上着と腰帯を身に着けていた。ワルドの前には、刀と宝飾を施した(makhruz)腰帯を身に着けているハージブ達がいる。ワルドはサムサーム・アッダウラに挨拶をしたが〔ms. 18〕、軽い会釈と手への接吻以上のことはしなかった。ワルドにはクッションの付いた椅子があてがわれた。二人は言葉を交わしたが、それは通訳が双方へ言葉を翻訳しながらのことであった。ワルドは入った門とは別の門から去った。別の宮殿(dar)には、先の宮殿と同じように兵士が並んでいた。その日のダイラム人〔兵士〕の数は、約1万人であった。これは、当時としては壮大なものであったが、ムクタディル──神よ彼を祝福し給え──の治世の頃のものとは比較にならない。それ以前のカリフ達──神よ彼ら皆を嘉し給え──による同様の行事は、さらにムクタディルのものとも比較にならない。それ以前のカリフのものは、実に偉大であったのに対し、近年のものは規模が縮小してきているからである。

 かつて諸事はこのように管理されていた。巡礼の通信袋(kharita al-Mawsim)9は4日で到着し、エジプトの通信袋は〔ms. 19〕11日で到着した。〔txt. 18〕ムータスィム──神よ彼を祝福し給え──に、ダマスクスから鉛の容器に入れられてアスパラガスが6日で運ばれたものであった。より最近では、アドゥド・アッダウラの治世中にファールスの通信袋が8日で到着したことがある。

【1999.10.4:沼田敦】[[このページの先頭へ]]

1 Samsam al-dawla. ブワイフ朝の君主。大アミール在位は372-376/983-987年。

2 正しくは375/985,86年[校訂14ページ、注4]。

3 バルダス・スクレロス(Bardas Skleros)。皇帝ヨハネス1世(969-976)の下で活躍した軍人。976年に帝位を主張してコンスタンティノープルへ進軍するが、バシレイオス2世に敗れて979年ブワイフ朝領へ逃亡した。991年没。[``Skleros.'' Kazhdan, A. P. et al. ed. The Oxford Dictionary of Byzantium. New York et al., 1991.]

4 ビザンツ皇帝バシレイオス(Basileios)2世。在位976-1025年。

5 `Adud al-dawla. ブワイフ朝の君主。大アミール在位は367-372/978-983年。

6 Abu Harb Ziyar b. Shahrakawayh al-`Adawi al-Daylami[校訂15ページ、注4]。

7 原文は複数形。単数はzubin。防衛に用いる短くて軽い槍[校訂16ページ、注4]。

8 ペルシア語起源の語で、三つのドームを互いに組み合わせた形状を意味する[校訂16ページ、注6]。

9 徴税官の書類や金銭財宝などを運搬するために用いられた袋。その職務を担当したのがsahib al-kharitaで、Diwan al-Khara'itという部署があった[校訂17ページ、注5]。

[[このページの先頭へ]]
[[次のページ(訳注18-22ページ)へ]]