インドネシアにおけるイスラーム研究に関する調査

(1998年8月3日−9月3日)
小林寧子(愛知学泉大学)

 近年インドネシアにおいては、イスラーム関連の出版物、セミナーが増え、またイスラーム研究が盛んになってきていることが伝えられているが、その活動は日本にはまだほとんど知られていない。今回の出張は、現在インドネシアにおいて、イスラーム研究はどのようになされているのか、そのテーマ、方法論、資料等を知ると同時に、世界のインドネシア・イスラーム研究の中で、インドネシアの研究者自身はどのような位置にあるのか、また何をめざしているのかを把握することを目的とした。
 訪問したのは、イスラーム国立宗教大学(IAIN、全国に14ヵ所)の中でも、ジャカルタ、ジョクジャカルタ、スマラン、スラバヤ、バンドゥンの5ヵ所、並びに、民間のイスラーム研究機関であるP3M、パラマディナ財団(両者ともジャカルタ)、LKiS(ジョクジャカルタ)である。さらに、インドネシア社会科学院の研究員、フリーランスの研究者に数名会った。インドネシアでイスラーム研究の中心に位置するのはIAINであり、中でもジャカルタとジョクジャカルタの2校がモデル校となっているのに鑑み、この2つの大学では比較的多く時間を費やし、そこに提出された博士論文をかいま見るという作業も行った。また、イスラーム研究といってもあまりに幅が広いため、調査者の関心にひきつけ、特に歴史研究、イスラーム法研究、ジェンダー研究(の順に)重点を置いて質問を行った。
 まず、IAINに関しては、その機能、研究に関する報告書が数点あり、それも参考にして報告したい。結論から言えばIAINは過渡期にあると言えよう。IAINには伝統的イスラーム学の継承と発展という任務がある。実際、博士論文を見るかぎりは、古典テクストを対象とした研究が目立つ。ただ、このような研究は「概念的」、「規範的」な研究に終始する傾向にあり、現代社会との関連性が乏しい。また、ムスリムが実際に経験した個々の歴史の問題を扱わない。しかし、現在IAINはこれに社会科学系の学問を強化し、従来のイスラーム学との統合をはかろうとしている。ジャカルタのIAINの発行する"Studia Islamika"に掲載される論文(論文本体は英語かアラビア語、これにインドネシア語かアラビア語サマリーがつく)は、多くがイスラーム問題を扱った、歴史学、社会科学系の論文である。海外の研究者の論文も頻繁に掲載し、少なくともインドネシアのイスラームに関する学術誌としては世界で最も重要なものに成長しつつある。また、IAINの卒業生を欧米の大学院へ留学させて研究者の養成をはかり(留学先で最も多いのはカナダのマクギル大学)、さらに、IAIN自身が名称をInstitute をUniversityに変更し、本格的に社会科学系の大学への脱皮をはかろうとしている。しかし、経済危機による資金不足で、この計画は困難に直面している。
 さて、3つの分野に関しては以下のことを研究動向として記したい。まず、歴史であるが、17、8世紀のインドネシアのウラマーに関する研究がいくつか出てきた。過去のウラマーの思想に踏み込んだこと、また、従来のインドネシア史研究で使用されなかったアラビア語資料を駆使ししたことが注目すべき点である。ただ、全体としては歴史研究はまだ方法論の弱さ、外国語資料を駆使する力量の不足が指摘されている。次に、イスラーム法研究は最も多くの業績が出されている分野である。その多くがまだ理論的な問題を扱っているが、インドネシアのコンテクストの中でイスラーム法のあり方を考える研究も出てきた。いわゆる「イスラーム革新」の実践が試みられている分野である。特に女性の権利の問題に焦点をすえて従来のイスラーム法学を批判的に検討しようとする動きに興味深いものがあるが、まとまった成果はまだほとんど出されていない。イスラームの絡んだジェンダー研究はまだ始まったばかりという段階であり、今後どういう方向に向かうかも定かでないが、この分野はIAINの他にもNGOもしくはフリーランスの研究者がその進展に大きく関わるであろうと予想される。少し残念に思われたのは、インドネシアではセミナーは多く開かれるがその成果がまとめられて出版されることが少ないことである。 
 一方、民間のイスラーム研究機関では、一般市民も参加するセミナー、勉強会が盛んである。特に、今のインドネシア社会が抱える問題(宗教間の対話、環境問題、人権問題等)を題材とし、イスラームの教義を現代のインドネシアというコンテクストの中でどのように再解釈できるかという新しいディスコースが模索されている。さらに、これらの機関が発行する雑誌や書籍は、イスラーム関連の出版物を充実させており、また、イスラーム問題の関心の地平を大きく広げている。ただし、昨年夏の通貨危機以来、印刷紙の高騰で、出版活動が鈍ってきているのは否めない。
 また、改めて痛感されたのは、インドネシアのイスラーム問題では常識的に使われる用語や人物名の多くが日本では知られていない(学びにくい)ことである。この20年余り日本ではインドネシア研究が目覚ましく発展する中でイスラームに関する研究が取り残された弊害か、逆にその原因であったかは定かでないが、今後を考えると早急に克服されるべき障害である。
 最後に、当然のことながら、32年も政権の座にあったスハルト退陣の5月「政変」からまだ日が浅いだけに、イスラーム系の大学ではそのとき何が起きたのか、これをインドネシアのイスラーム知識人がどう受け止めたのかも関心事であった。大学はすでに平常に戻っていたが、スハルトは退陣しても、悪化する経済による圧迫感と、まだ先の見えない政治に対する不安が強く感じられた。また、スハルト体制下でイスラーム諸組織、運動は「非政治化」(も しくは「脱政治化」)がなされてきたが、5月「政変」の前後から政治的イデオロギーとしてイスラームが利用されることが多くなった。これが複合社会インドネシア、またウマット自身に何をもたらすのか注視する必要がある。解禁された言論の自由は研究活動にも大きな影響を与えそうである。(文責:小林寧子)