シリアとトルコの水資源開発に関する現地調査

(1998年8月10日−8月30日)
木村 喜博

 今回の現地調査は、シリアとトルコを対象とし、水資源開発とこれをめぐる地域政治の展開について資料と情報を収集し、これに関連する研究機関・研究者とのネットワークの可能性を探ること、およびおよび水資源開発の現状を視察することであった。
 シリア、イスタンブールを含む地域の今年の夏は、50年来の猛暑で現状視察はとても困難であった。そこで、現状視察はダマスカスとホムスの中間、アンチ・レバノン山脈の東部に位置するカラムーン地域の水利用の状況を見学に限定し、その他の大半は資料・情報の収集を中心に研究機関との研究協力を開発することにした。
 ここでは、滞在の8割を占めたシリアでの調査について、しかも今回訪問した研究機関のうち「現代イスラム世界と経済」(2-b)と関係の深い次の2つの研究機関の概略を紹介することとする。

<アラブ戦略研究センター>(Arab Centre For Strategic Studies)

 ダマスカスのメッゼ・ジャバルに本部があり、そのほかにカイロとサナアに支部がある。1995年に設立された民間の調査研究機関で、機関の代表は元大統領のAli Nasser Muhammadである。
パンフレットによれば、このセンターの目的は、

  1. 戦略的な調査研究を積極的かつ広範囲に実施し、アラブ諸国の今後の戦略・政策の立案に資すること
  2. アラブ諸国の政策坦当者に正確な情報を提供し、アラブ諸国の包括的な発展のプロセスを促進しかつアラブ諸国の協力を促進すること
  3. アラブの個性を高揚させ、豊かにするためにアラブの遺産やアラブ・イスラム文化の遺産を再生させるような調査研究を実施すること
  4. 包括的な発展プログラムにアラブの研究者や民間および政府機関を参加させること
である。
 さらに、このような目的・目標を達成するために、このセンターは次のような事業を実施することを計画している。
  1. 広範囲でかつ長期的な発展・成長を実現させるために、アラブの現実をあらゆる側面から研究する
  2. アラブの情報ネットワーク網を確立する
  3. 国際舞台においてアラブ世界がとるべき政治的立場についての研究を実施する
  4. アラブ世界の「国家」に関する研究を実施する
  5. アラブ地域に関する海外での戦略的調査・研究をアラビア語に翻訳する
  6. アラブ世界の事情に関連した書類、定期刊行物、書籍、雑誌などを収集し、保管する
  7. フォーラムやコンファレンスに参加したり、これを主催して、現在および将来に関する知識や経験を交換する
 センターは、これらの事業を遂行するために、次のような4つの部局からなるの事務局体制を整備している。
  • 情報課(情報と図書を業務とする)
  • 調査研究課(アラブ・国際関係、開発調査・研究、社会・歴史研究、アラブ民族の保障に関する研究、統計・世論調査、女性・家族の研究)
  • 翻訳・出版課
  • 総務・管理課(庶務、財政、対外関係)
 このセンターの財政は、寄付、贈与、センター事業からの収入、および Ali Nasser Muhammad 氏からの出資を財源としていた。その比率などについては、明確な回答を得ることが出来なかった。寄付等には、例えば国際会議を開催するときに「開催地の政府から会場費を無料にしてもらう」などの便宜供与に伴う事実上の援助なども含まれていた。
 このセンターは固有の研究者を抱えていなかった。本部や支部のあるシリア、エジプト、イエメンの学者を使って研究を実施し、その成果を出版しているのが現状である。
 現在までに、上記の事業が次々と開始され、その成果が印刷物となって刊行されている。
  • 「戦略研究」(1996年1月から、現在10号まで)
  • 「戦略研究(翻訳)」(1996年1月から、現在10号まで)
  • 「湾岸事情」(1998年2月から、現在1号まで)
  • 「湾岸事情(翻訳)」(1998年2月から、現在1号まで)
  • 「イエメン事情」(1997年1月から、現在1号まで)
  • 「現状報告」(1997年7月から、現在2号まで)
  • 「特別報告」(1996年1月から、現在10号まで)
  • 「AL RISALA」(ニュース・レターで現在第7号まで)
  • 国際会議の報告書(これまでに1冊)
 このセンターの住所は以下の通りである。
[本部]
Damascus-P.O.Box 36843,
Tel: 224-8422 Fax: 613-2112
[カイロ・センター]
1, El Sadd El-Aaly St., El-Galaa Bridge Sq., Dokki, Giza
Tel: 360-6078 Fax: 336-9718
[サナア・センター]
Sana'a - P.O.Box 19829
Tel: 276-934 Fax: 236-062
[ラッスルハイマ・センター]
Ras Al-Khaima, P.O.Box 10428, UAE
Tel: 212-766 Fax: 212-977

<National Information Centre>
 このセンターは、ダマスカスにある情報センターで、バランケに本部があり、ダマスカス市内に数ヵ所の事務所を持っている。またシリア国内に情報収集のための出先が配備されている。
 私が訪問した本部は、広大な敷地を持ち、設備が十二分に整っていた。
 このセンターは,党の地域指導部のもとに組織された国家の情報センターである。資金は潤沢と見られ、コンピュータ機器を最大限に利用して情報の収集、分析、整理を行っている。コンピュータの機種は、韓国製、台湾製のもので、日本の機器を見ることはできなかった。
 情報の種類は、政治、経済、統計、社会に関するもので、戦略情報が主体であった。その内容は、写本、新聞、これまでに出版された書籍、写真などであった。しかも、これら資料はオスマン帝国が崩壊し、ダマスカスにファイサルによってアラブ政府が樹立されたときから現在に至るまでのものであった。
 このセンターは460名のスタッフを抱えているそうであるが、そのうち160名強は連絡要員等であるという。調査、研究のためのスタッフはこのセンターに常勤しているわけではなく、またここに研究室を構えるようなことはない。コンピュータ技官など(学生の兼務が多かった)は常勤である。
 このセンターには、調査・研究のために、約30万冊を超える書籍を所蔵する図書館があるが、これは調査・研究に従事するスタッフのためのもので、一般には開放されていない。
 このセンターの大きな特徴は、上記のようにして収集・分析された情報の一部がインターネットや印刷物の形で提供されていることにある。たとえば、下記に挙げた雑誌の販売網には、レバノン、サウジアラビア、UAE、バハレーン、エジプトなどのアラブ諸国の他に、ギリシャ、スウェーデンなどが含まれている。これまでのシリアという国柄からは想像できないような状況である。ただし、ここを訪問することも、外交官等に対する宣伝は別として、民間人には簡単に許可されないことを見ても、また訪問の全行程がすべてチェックされ写真等で記録されていたことを見ると、まだまだ旧「社会主義」体制の警察・管理システムが十分に生きていることは事実である。
 また、事務、管理、技官などの勤務体制は、シリアでは全くの別世界であった。出勤は、コンピュータで時刻まで管理され、勤務時間中の飲食・雑談は厳禁とされている。ここを訪問したレバノン人が「日本の管理システムを取り入れたのか」と質問したそうであるが、それほどに日本の会社の勤務形態と類似していた。仕事は、内容別に、グループに分かれ、それぞれリーダーがこれを管理していた。とくに、日本の銀行の窓口業務のような業務体制ができ上がっていた。感心したことに、各人に仕事の具体的な質問をすると的確な答えが返ってきたことである。スタッフの訓練が十分に行き届いていると感じられた。これまでのシリア人の職業態度に対するイメージを新たにする必要がある世界であった。
 このセンターの印刷物は、"International Information"(季刊誌)に代表されている。今年は設立から6年目で、これまでに56号まで刊行されている。ちなみに、第56号は水資源問題の特集であるが、このようにこの雑誌は戦略的な研究・情報を中心とする定期刊行物である。

 このセンターの住所は以下の通りである。
National Information Centre
Syria, Damasucus P.O.Box 11323
Tel: 222-7367 Fax: 223-6146

(感想)

  1. 問題の枠組みに関して
     「中東アラブ地域に関する水資源開発と地域政治」という問題は、この地域が現在直面しており、また将来もますます重要となる問題であることを考えると、これを理解することなしに当該地域の経済、政治問題を論ずることは不可能である。かつて、ホ油がこの地域の政治、経済構造を支配していたが、1970年代以降アラブ中東諸国がこの石油を自らのものにするにいたり、中東地域におけるその重要性は大きく転換しようとしている。これに代わり、中東の地域政治の舞台で1990年代に入ってその重要性を顕在化してきたのが水資源である。これは、単にその経済資源の開発という側面からだけではなく、中東地域の政治構造の側面からも、将来の方向を左右する基本的なファクターとして、大きな課題となっている。その意味では、水資源の量、質、汚染などの問題、水資源と農業・工業の発展及び人口増加・都市化などの問題とともに、水資源の減少と利用をめぐってもたらされる一国内・地域間の紛争について研究することが必要である。今回は、シリア、トルコ、イラクをカバーする地域を対象としているが、さらにモロッコ地域、エジプト=スーダンをカバーする地域、パレスチナ=ヨルダン=イスラエル=シリアをカバーする地域、サウジアラビア、イエメンを含む湾岸地域などが、研究されなければならないことは言うまでもない。
  2. 現地の中東地域でも、社会科学系中心の研究が「戦略的な研究」にシフトしていることがはっきりとうかがえた。上記の2機関は、民間および政府機関の区別こそあるが、紛れもなくこの方向を明確に示しているといえる。とくに、1990年以降、これら「戦略的な研究」がますます重要性を占め、このために国家なり民間なりが資金と人材を投入している。「水資源の問題」も、当然ながらこれら戦略研究の骨格を形成している。
  3. これら戦略的な研究に関して、現地の研究機関は、日本に対しては、日本と中東、日本・アラブ関係に対する日本の認識、態度の研究を期待しており、また将来の発展の方向に関して日本の経験を参考にするための研究協力を推進すること、などを期待している。たとえば、「アラブ戦略研究センター」では昨年から年一回の割合で国際会議を開始し始めたが、日本からの参加を多いに歓迎している。