「中国におけるスーフィズム研究の動向─新収集資料に基づいて」研究会報告書

[報告者]梅村坦(6班)+東長靖(2班c)

 さる9月27日、表記の研究会が東京・四谷の上智大学において行われ、日曜日にもかかわらず16名の参加を得て、活発な議論が行われました。
 この研究会は、資料収集を任務とする6班と、研究動向調査を旨とする2班cグループの共催で行われたもので、後者においては第5回スーフィズム研究動向研究会をも兼ねています。
 今夏、中国において資料収集と研究調査をしてこられた黒岩高氏と安藤潤一郎氏(ともに東京大学大学院)を話題提供者に迎え、最新の資料・研究動向についてお話しいただくとともに、それをもとに幅広い議論が展開されました。
 今回の研究会は中国に焦点を合わせていますが、それ以外の地域(アラブ・トルコ・南アジア・東南アジア・西トルキスタンなど)を専門とする研究者の広範な参加を得たため、研究会にも工夫がこらされました。すなわち、全体を2部に分け、第一部で中国のスーフィズムについて概説した論文の読書会形式をとって、基礎的な知識を共有したうえで、第二部で研究発表を聞き、議論するというスタイルを取りました。

 以下、それぞれの発表についてご紹介します。

第一部 読書会発表(安藤潤一郎氏・東大院)
F.Aubin, "La Chine," A.Popovic & G.Veinstein(eds.), Les voies d'Allah, Paris: Fayard, 1996, pp.261-267
をテキストに用い、中国のスーフィズム、タリーカに関する情報を要領よく提示して頂きました。テキストの全訳がハンドアウトとして配られ、事実関係の誤りはいちいち指摘されるとともに、批判的なコメントが加えられました。その主要点は、本論文がスーフィズム研究という枠組みのなかで、中国スーフィズムの歴史的・文化的定位を過不足なくとらえていることを評価したうえで、中国社会との相関関係や中国史や東アジア史のなかでの位置づけという視点が弱いことを批判したことにあります。たとえば、回儒の典籍は中国スーフィズムの文献として読むことも可能であるが、儒学の立場からとらえることも可能であることなどが指摘されました。この文献群は豊穣な未開拓分野であり、今後の研究がおおいに期待されるところです。

第二部 研究発表(黒岩高氏・東大院)
 「17〜19世紀の中国ムスリム社会の変容と"ネオ・スーフィズム"」と題した本発表は、新しく中国で収集された「茂路提(Mawlud)」などの刊本を用いつつ、中国西北部に18世紀前後に起こった変動を辿るとともに、いわゆる「ネオ・スーフィズム」とこの変動の関係を問う、という意欲的なものでした。
 全体の構成は以下のとおりです。

  1. 17世紀半ばに”西方”から来た聖者と現地の回民による教団の創設の伝承
  2. 18世紀中国外に遊学するスーフィーの出現
  3. フレッチャーに打表される欧米の研究者の馬来遅・馬明心の活動についての見解
  4. ”ネオ・スーフィズム”、”タジュディード”に対する批判
 第1章ではフフィーヤ、カーディリーヤ、クブラヴィーヤの3教団の創設についての伝承が紹介されるとともに、それらが”西方”から来た聖者に関係することが説明され、これに対して、18世紀になると逆に中国からスーフィーが外へ出ていく様子を馬来遅・馬明心の二人の事跡をたどることで活写したのが第2章です。第3章は従来の欧米の研究による、これらの運動の位置づけであり、それに対して”ネオ・スーフィズム”の概念の適用が可能かを問うたのが第4章です。高度な問題設定ゆえ、結論に至るまでには一層の理論構築が必要かと思われますが、中国固有の問題をより広い視野・枠組みのなかに位置づけようとする意欲を伺わせるに十分な発表で、今後の研究の進展がますます期待されます。

 各々の発表後の質疑応答は、中国・東トルキスタン史研究者による専門的で鋭いコメントと、他地域研究者による、より広い分析枠組みをめぐる議論が重層性を増し、新しい総合的研究への胎動を感じさせるものとなりました。 中国イスラーム研究は、漢籍を読む訓練を受け、長い中国研究の伝統の上に立つ日本の研究者が、欧米の学者に比べてアドバンテージを持つ領域であることを実感させる研究会でもあったことも申し添えます。