第2班a研究会『現代からみたギアーツ』
report

テーマ: Clifford Geertz, The Religion of Java,
       The University of Chicago Press, Chicago, 1960.
評者:  小林寧子(愛知学泉大学)
ディスカサント: 関本照夫(東京大学)

表記研究会が1999年3月6日、上智大学において行われ、約20名の参加者によって 活発な議論が行われました。広島大学大学院院生、赤崎雄一さんによる研究会報 告を以下に掲載します。なお、2班aグループでは、来年度も東南アジアのイス ラームに関する基本文献を取り上げて数回、研究会を開くことを計画しています。 ご関心のある方は、上智大学川島緑までご連絡ください。(川島 緑)

<報告および質疑応答の要旨>
 本研究会は、東南アジアのイスラームに関心を持つ若手研究者が一国研究の枠 を越えて交流し、知識を共有することを目的としている。今回は、ジャワ人ムス リムのイメージに多大な影響を与えてきたギアーツの”The Religion of Java” をテキストとした。ギアーツの主張、彼が調査した時代背景、彼の研究への批判 点を整理し、現代からギアーツ研究をどのように見るべきかを、愛知学泉大学の 小林寧子氏に報告していただいた。
 ギアーツは、ジャワの宗教的多様性を強調しており、宗教信仰、倫理的選好、 政治的イデオロギーによって、次の3つの文化類型を設定した。アバンガン類型 は、アニミズム的な宗教意識を持つ農民などであり、インドネシア共産党支持者 が多い。サントリ類型は、イスラーム信仰に熱心な商人などであり、マシュミ、 ナフダトゥル・ウラマー支持者が多い。プリヤイ類型は、ヒンドゥー的な宗教意 識を持つホワイト・カラー層などであり、インドネシア国民党支持者が多い。
 小林氏は、まず、サントリ、アバンガンという語の起源、ギアーツが調査した 1950年代という時代背景を説明した後、彼の研究がジャワ社会の特質を描き出し た点、および、「オリエンタリスト」とは異なる土壌から生まれた研究である点 が高く評価されたことを指摘した。
 その一方で、ギアーツの研究は、発表後、四半世紀もの間、多くの研究者によ って言及されてきたことにふれ、ギアーツに対する批判を次のように整理した。 第一に、サントリ、アバンガンは宗教を軸にした分類であるのに対し、プリヤイ は社会階層を表す用語であるという批判。さらに、アバンガンはサントリに変わ りうるヴァリアントであることを見逃している。第二に、ギアーツが多様性を好 む人類学者であり、イスラームとジャワ・ヒンドゥーの伝統的調和という側面を 見落としているという批判。第三に、イスラームの思想はジャワに定着してお り、イスラームに関する無知からの系統的誤りを犯しているという批判である。 さらに、ギアーツ研究がその後の研究に与えたインパクトとして、「近代派」を 高く評価しているものの、ジャワにおけるイスラームの影響は「大したことな い」という印象を与えてしまっていることを指摘し、以後、インドネシア・イス ラームに関する研究は「近代派」偏重であり、80年代半ばになるまで「保守派」 に十分な研究関心が傾けられなかったことが付け加えられた。
 次に、現代からギアーツ研究をどのようにみるべきかである。第一に、歴史的 コンテキストを考慮した上での民族誌としての価値を挙げる。アバンガンに関す る叙述からは、ジャワ農民の慣習であるスラマタンの例が多く示されている。サ ントリに関する叙述からは、「近代派」と「保守派」との確執、共産党との対 立、宗教省の未整備な状態など、国家建設途上期にあたるインドネシアの困難を 伺い知ることができる。一方、プリヤイの部分は先行研究に照らし合わせて、記 録としての価値も少ないと指摘する。第二に、ギアーツが描いたアバンガンもプ リヤイも皆ムスリムであることを指摘し、彼がアバンガンを独立した宗教と考え ていたのかという疑問を挙げる。さらに、本書は進歩の精神があるのは「近代 派」のみであるという印象を与えてしまっているのだが、ギアーツが他の論文で は社会変革におけるキヤイ(宗教教師)の役割を評価していることを考えると、 「保守派」のダイナミズムをより積極的に描き出すことが可能だったのではない かという問題を指摘した。
 最後に、ギアーツ後のジャワのイスラームとして、アバンガンの「再イスラー ム化」が進行している点を補足として付け加えた。
 以上のような小林氏の報告の後、東京大学の関本氏によるコメントがなされ た。歴史的視点を持ちながら「モジョクト」という地域の宗教と社会変化を描き 出してはいるものの、ジャワの宗教は一般化が難しい点。イスラーム普遍主義  対 地域主義という構図の中で、意識的、自覚的アバンガン(本人たちの言葉に よるとイスラーム・ジャワ)が存在する点などがコメントとして挙げられた。
 この後、各参加者から次々に質問が出された。特に、アラブ地域研究者の方々 から、インドネシア人ムスリムとアラブ地域との関係、インドネシア人・ムスリ ムによるアラブ地域のイスラームへの認識などに関する質問と、インドネシア研 究者が便宜上よく用いる「近代派」、「保守派」という二元論的分類の危険性を 指摘する発言が挙がった。この他にも予定時間ぎりぎりまで活発な議論がなされ た。
 ギアーツの研究は、ジャワのイスラームを研究する上で最も重要なものの一つ であろう。しかし、彼の研究への批判点もすでに多く出されており、それらを整 理した今回の研究会は、彼への評価をこの時点で共通のものとするのに役立った と思われる。筆者自身にとっては、インドネシアのイスラームを研究する上で、 ジャワの個別の地域を研究したケーススタディーをさらに深める必要性を再認識 できた。ギアーツの描くスラマタンは東ジャワのイスラーム特有だと考えられる 叙述が見受けられる。その一方で、プリヤイに関する叙述では彼が以前に調査し たジョクジャカルタ地域の影響が強く感じられる点は、大きな疑問として残っ た。
 今後も、本研究会では東南アジアのイスラームに関する基本的文献を講読して いく予定である。これからも一層、建設的な議論が期待できる。
                           (文責:赤崎雄一)