「インドネシア民主化に関する研究会」第1回報告

[日時]10月22日(木)19:00〜21:00
[場所]上智大学(四谷)7号館11階第2会議室
[報告者]Endo Suanda
(インドネシア舞台芸術協会会長/国際文化会館1998年度アジア・リーダーシップ・フェロー)
[使用言語]インドネシア語(通訳付き)
[発表題目] 明瞭性と曖昧さ:インドネシアの国民社会文化と地域社会文化のディスコース
(Konsep Kejelasan dan Ketidakjelasan:Sebuah Diskursus Sosial-Budaya Lokal dan Nasional Indonesia)

[報告概要]
 インドネシアの文化芸術を民衆社会の視点から見ていくと、国民(国家)の文化・芸術とは相容れない地域の文化芸術というものが存在する。上から、中央および地方政府からの文化芸術は非常に明瞭な行政区画によって区分される。それは州とか県とか行政村単位の文化である。
 しかしながら、具体的にたとえば西ジャワ・チレボン県はジャワ文化なのかスンダ文化なのかを考察すると、文化・民族グループで語れば明らかにジャワ文化に属しているといえる。しかしジャワの「中央」文化からは、チレボンはスンダ文化圏と位置づけられたり、あるいはジャワの「辺境」文化にされてしまう。より具体的にチレボン県トゥルスミ(Trusmi)村は、以前は一つの村であり、一つの墓地(聖地)をともに持っていたが、新しい行政区分によって(1974年)、この村は二分された。その結果、村の人びとアイデンティティは曖昧なものになってきている。
 このようなことは、カリマンタン(インドネシア)、マレーシアのサバ・サラワク州、ブルネイの3つの国にまたがって存在するダヤク系の人びとの文化境界を曖昧なものにしている。明瞭なのは行政区分なのである。このような文化芸術の明瞭さと曖昧さは、文書で書かれた文字と、文字を基に描かれたカリグラフィにも同じようなことが言える。たとえばムスリムがアラビックの文字を用いて、ワヤン(伝統的な影絵芝居)の登場人物を描いている。民衆の求める文化芸術はしばしば、行政区や文書の明瞭さを求めるのではなく、むしろ曖昧な中に文化芸術の創造力、豊かさが込められている。
 上からの文化統制も文化の持つ本来の表現力を封殺するものとなっている。たとえばチレボン・インドラマユのある地方の祭りの、仮装パレードには中国文化が色濃く繁栄されていたのに、1994年以来、中国色が政治的理由で消されるという 事態になった。
 インドネシアではこのような文化統制がスカルノの「旧体制」時代にも、スハルトの「新体制」時代にしばしば起きている。文化芸術の政治支配という事態である。ここではすべてが「べきである」「べきでない」ということで語られてしまっている。スカルノ時代には偉大な国民文化が語られ、スハルト時代には「開発の神話」に文化芸術が従わせられてしまった。
 民衆の文化芸術にある本来的な一体性を基礎にした、曖昧さ、不明瞭さを含んだ文化芸術の力を尊重すべきではないだろうか。