尊厳ある死・安楽死の概念と区分
尊厳ある死の定義
「尊厳ある死」(Death with Dignity −本来の意味での「尊厳死」) とは、人間としての尊厳を保って死に至ること、つまり、単に「生きた物」としてではなく、「人間として」遇されて、「人間として」死に到ること、ないしそのようにして達成された死を指す。
こう理解するなら、「尊厳死は倫理的に許されるか」と問う必要はなく、定義からいって尊厳死は目指されるべきこととなる。i.e. すべての死は尊厳死であるべきなのである。
i.e.これは目標ないし理念をあらわす概念である。
これに対して、「尊厳死を実現するにはどのようにすればよいか・するべきか」が問題となる。ことに「死」以外に人間らしさを保つ方途がないと判断
される場合に、意図的に死をもたらすことが「安楽死」と呼ばれる。
安楽死の定義
苦しい生ないし意味のない生から患者を解放するという目的のもとに、意図的に達成された死、ないし
その目的を達成するために意図的に行われる「死なせる」行為。
[註]
(1) 「苦しい生ないし意味のない生」というのは、患者が「苦しい」「もはや生きる意味がない」と評価している場合を指しているのであって、決して他から生に意味があるかどうかを評価するものではない。
(2) この定義は、「安楽死」という語自体に倫理的評価を含めないようにするものである。現在の使われ方には、「京北病院の事例は安楽死とはいえない」というような
言い方で、倫理的ないし法的に正しいと認められるもののみを安楽死と呼ぶような
使い方もあるが、それに従うと「安楽死は正当化できるか、できるとすればどのような場合か」といった問題の立て方ができなくなるので、それを避けようとした。
また、意図的でなくても結果として「患者が死によって苦から解放された」という
場合も「安楽死」と呼ぶような定義を採用すると、考慮しなければならない範囲が
広がり過ぎ、考えようによっては全ての死は生きる苦からの解放であるということ
になってしまうので、「意図的」という限定を効かせているつもりである。
- 安楽死の区分
- 行為の様態に関する区分
- 積極的安楽死 (active euthanasia) 〈死なせる(殺す)こと killing〉
- 消極的安楽死 (passive euthanasia)〈死ぬに任せること allowing to die〉
- 大方の傾向は前者に対してはより厳しく、後者(治療しないこと?)に対しては相当許容するものである。とくにこれを「徒な延命治療はしない」と表現するならば、理屈としては大方が認めているといえよう。
- これに対する異論が Rachels 1975 によって提出され、議論が交わされてきた(Beauchamp1978;Sullivan1977; Rachels1978; Brescia1991 etc)。
--> 「積極的・消極的安楽死」という概念だけでは、駒が少ない。
- 決定のプロセスに関する区分
- 自発的安楽死 (voluntary euthanasia) : 患者本人の意思による場合
- 非自発的安楽死 (non-voluntary euthanasia) : 患者本人に対応能力がない場合。典型的には新生児で重度の障害がある場合の安楽死が問題になるときには、この部類に含まれる。
- 反自発的安楽死 (involuntary euthanasia) : 患者本人に対応能力があるにもかかわらず、意思を問わずに、あるいは意思に反して決定される場合。
これは稀であろうし、もちろん倫理的には認められないであろう。
以上、組み合わせると、理屈としては6通りの区分が可能である。この内、
自発的消極的安楽死がマスコミ等では、「尊厳死」 と言われている。
また、非(反)自発的積極的安楽死が 「慈悲殺」mercy killing に当たる。
区分のヴァージョンアップ