苦しい生ないし意味のない(と思われる)生から患者を解放しようとして 為す行為が、何らか患者の余命を短縮する場合を仮に「緩和死」と呼ぶ。
「非意図的」のほうはよりよいQOLを意図している
さまざまな「安楽死」
〈間接的安楽死〉と命名されたのは、苦痛の緩和を意図する措置が結果として死期を早めることが予想されるにもかかわず、緩和という目的のためにその措置を選択するという場合である(すなわち非意図的積極的緩和死)。
このような用語法を採用すると、例えば「強制的栄養補給を続けるとかえって患者の苦痛が増すので、これを中止した結果、死期は若干早まったと考えられる」といったケースも、さらには緩和医療の範囲内の医療措置としての「死期が早まってもいいから、治癒的医療はせずに、QOLをいましばらく保持する措置のみを行い、人生最後の日々を充実して過ごしたい」という患者の自己決定に基づく方針選択すらも間接的消極的〔安楽死〕ということになってしまう。だが、そのような用語法は目下の問題を巡る議論を整理するどころか混乱させると思われる。 安楽死の本論での定義からすると、「安楽死」の下位区分には含まれない。なぜならこれは意図的に死期を早めているのではないのだから。 ただし、意図的でなければ、死期が結果として早まったとしても問題ないかどうかは、検討しておく必要はある。