京北病院院長の行為はどのように位置づけられるか


尊厳死と安楽死の概念と区分によると、 京北病院院長の行為はどう位置づけられるか。

積極的安楽死である。筋弛緩剤の投与の仕方は「痙攣をなくすため」という意図の下にやったとは言い逃れできないだろう(人工呼吸の措置も併せ行うのでなければ、痙攣対策が主たる意図だといえない)。

その行為の時点だけに注目すれば、非自発的安楽死である。
それまでの経過全体に注目すれば反自発的安楽死というべきであろう。というのは、患者が対応能力があった時点で、本人の意思を確かめる機会があったのに、それをせずにいて、事ここに至って積極的手段をとったのだから。

したがって、識者が指摘しているように、慈悲殺であることに相違ない。