意思決定支援ツールの開発と死生に関する思想的・倫理的研究
長命は人類が希求してきたところであり、医学・医療が目指してきた生存期間の延長は寿命革命につながりました。一方、さまざまな加齢変性を抱えながら最期へ向かう過程において、医療のためにかえって本人の苦痛が増す場面もみられるようになりました。多くの人にとって人生は長くなりましたが、老衰の進んだ超高齢者に負担となる医療行為が行われることも多くなりました。私たちはこのジレンマにどのように対応すべきでしょうか。これは臨床現場において「生き終わり」のあり方を考察する臨床死生学の中核のテーマです。
当講座ではこのテーマに関わる課題について、臨床現場における意思決定を支援するため、さまざまな取り組みを行ってき
ました。
その主だった成果として、まず、日本老年医学会の研究班員として取り組んだ「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガ
イドライン ―人工的水分・栄養補給の導入を中心にして」（2012年）の策定が挙げられます。会田らの調査研究の知見と当講座前特任教授の清水哲郎の臨床倫理の理論をあわせ、ガイドラインの草稿を作成しました。
その後、この課題を本人と家族の視点から捉え、本人と家族
が医療・ケア従事者の助言を得ながら最善の選択に至ることを支援するため、『高齢者ケアと人工栄養を考える ― 本人・家族のための意思決定プロセスノート』を2013 年に出版しました。
その成果を踏まえ、慢性腎臓病の専門医療者との協働で、『高齢者ケアと人工透析を考える ― 本人・家族のための意思決定プロセスノート』を2015年に出版しました。いずれのノートも、本人・家族らと医療・ケア従事者が本人の最善のために一緒に考え共同意思決定（SDM）に至ることを支援するためのツールです。
また、科学技術振興機構社会技術研究開発センター（RISTEX）のプロジェクトとして、高齢者が最期まで自分らしく生きるために、心身の健康面から今後の人生を長期的に考える『心積もりノート』を2015年に開発し、そこに会田のフレイル研究の知見を取り入れ、2018年に改訂版を発行しました。
さらに、2019年に日本老年医学会が発表した「ACP推進に関する提言」においても、会田らの研究成果が活かされています。
また、本講座に日本学術振興会特別研究員として所属した日 笠晴香（現・岡山大学専任講師）と本講座元研究員の圓増文（現・ 東北大学助教）が著した『子宮内膜症で悩んでいるあなたに ―意思決定プロセスノート』（2018年）でも、本講座の「情報共有―合意」モデルが取り入れられています。
さらに本講座では、意思決定支援ツールの開発に加えて、現場の臨床実践を下支えし豊かに捉え直すような多角的な思想的・倫理的研究を行い、その成果を広く社会に還元しています。その一つの成果が本講座の協力教員も執筆に加わった『医療・介護のための死生学入門』（東京大学出版会、2017年）です。
2017年度から本講座に加わった早川は、人間存在の傷つきやすさや依存性に着目する「ケアの倫理」の観点から、死生をめぐる諸問題を考察することで、臨床倫理における人間理解を理論的・思想的に奥行きのあるものにすることを試みています。 また研究員の田村は死やケアについて透徹した思索を展開したハイデガーの研究をもとにして、人間の死生をめぐる哲学的・倫理的問題を根本的に考察し、坂井は臨床現場における本人側と医療・ケア従事者間のコミュニケーションについて社会学の方法論を用いて実証研究を行い、知見を発信しています。
