『史学雑誌』111編12号(2002年) pp.102-104


史学会百回記念大会・第4セッション 要旨

修正主義をこえて                                        

近藤 和彦

2005. 1.14更新


 ここでいう修正主義(revisionism)とは、英米においてこの二十年あまり優勢な歴史研究の潮流のことであるが、これを広く学問のあり方として検討した。P・オブライエン氏が経済史・世界史の観点から、福井憲彦氏がおもに社会史の観点からコメントを加えてくださり、問題の構成はより明らかになったであろう。ただ、討論時間が十分になかったことは惜しまれる。

 英語圏の歴史学の古典的な枠組といえば、ホウィグ史観、すなわち十九世紀イギリスに完成したとされる議会制民主主義ないし立憲王制、自由主義の足跡をたどる進歩的な目的史観であった。やや広げて、近代西欧文明の正しい歩みとその根拠を明らかにしようとする学問と考えるなら、ひろく近代人に共通する「天路歴程」の物語、「幸福の神義論」といえる。二十世紀半ば以降、歴史学の実証水準は深まり、またいくつかの要因があわさって「進歩」や「歴史の目的」にたいする醒めた立場がひろまった。近代歴史学の前提にあった国民国家の発達における必然の道やモデルは否定され、多様性が強調された。修正主義は、こうした情況で蓄積された遠心的な業績群である。

 同時に進行していたのが、史料革命であった。ヨーロッパ各国では十九世紀に国立公文書館が設立され、二十世紀には地方文書館や公私のアーカイヴズも整備されてきた。公私のマニュスクリプトを編纂し刊行しようという国家事業は、十九世紀に始まった。『大日本史料』『大日本古文書』にも類するが、索引の有無は決定的である。イギリスではこれらに類する企画にくわえて、全国文書登録システム(NRA)が編成された。コンピュータが導入されてキーワード検索が可能になり、現在ではオンライン網によって世界中からアクセスできる。文書リサーチの革命である。

 こうした傾向の先駆に、戦間期のL・ネイミアがいた。彼の始めたのは、イギリス国会議員たちの血縁関係や財産、学歴、人事などをめぐる伝記的事実の集合、すなわちプロソポグラフィである。戦後にマイクロフィルムや乾式複写機がひろまり、いまやコンピュータの普及とともに、どの時代どの社会についても、こうしたデータ集積は研究の前提条件になったといえる。

 十七世紀のいわゆる「ピューリタン革命」をめぐって修正論が進んでいる。一九八〇年ころから勢いをもった修正主義は、実証研究にもとづいて地方や州の人々が中央とは別の論理で考え動いていたことを強調し、内戦や共和制期にあっても「中間派」が多く、イギリスはイングランドだけではなく、その政治社会は複雑であったという。革命の必然論は否定されて、チャールズ一世の非社交性や無定見といった資質が問われ、隣接する王朝がどうなるかといっためぐりあわせや短期的に進行する政治プロセスが叙述されて、これが歴史のダイナミクスとされる。事態は、一君主をいただくイングランド・スコットランド・アイルランドという三王国のあいだの内戦ととらえられる。十七世紀史の修正にあたって重要な役割をはたしてきたのは、C・ラッセル、J・モリルといった政治史家たちであり、彼らには文書史料が残っているかどうかが決定的であり、もの・図像・景観などは軽視される。修正主義からする通史・概説は未だしの観がある。more

 こうした修正は、より長期的なイギリス史像の見直しと密接不可分であり、十六世紀の宗教改革・テューダ国家の研究、「長い十八世紀」の政治社会、産業革命、ジェントルマン資本主義をめぐる新展開とも符合しつつ進んだ。だが同時代ヨーロッパの比較・関係の観点がないかぎり、修正主義の仕事はせいぜい「英米中心主義の改訂版」というべきものにとどまる。さらに加えて、近世ヨーロッパ共和思想の展開をスケール大きく論じるJ・ポーコックもいる。またヨーロッパ国制史の一群の仕事が、広いパースペクティヴからイギリス史を相対化してきた。これらの研究は狭義の修正主義とは違うが、それと共鳴する関係にあって、学問的覚醒をもたらし、問題をイギリスばかりでなく、ヨーロッパ・大西洋世界のなかで考えなおすよう促してきた。近世ヨーロッパの主権国家システムを「一七世紀の危機」といった脈絡で再考する契機にもなる。

 修正主義の特徴をまとめるなら、これはアカデミズムにおける歴史学であり、進歩主義の枠組を拒絶し、文書の学であることにこだわり、自分のテーマの複合性・多様性・特殊性を主張する。ときに歴史の連続性を強調し、他から用語を借用することはあっても、比較史・関係史には、おおむね消極的である。日本のたいていのまじめな歴史研究者の仕事と本質的に違わない。じつは、ここに問題がある。

 近代歴史学はランケから二百年近くの蓄積をへて、また現今の電脳革命と競争主義によって、サイエンスとして確立しつつあるようにみえる。サイエンスであればローカルな言語世界から踏みだして、当面は欧米学界とのあいだに競争的なアリーナを共有することになる。歴史学は「サイエンス・ゲーム」として純化してゆくのだろうか。

 歴史における細部と個性と多様性にこだわる潮流が優勢にあるとして、それに無批判に追随する必要はない。わたしは二つの点を指摘した。一、日本人の外国史研究について、かつてネガティヴに語られることがあった。だが思い起こしたいのは、ヨーロッパ史についても日本史についても、外国出身者が独自の貢献をしている事実である。「国史」として見ているだけでは持ちえない観点がある。対象から離れて取り組むことによって「アルキメデスの点」が得られることもある。日本人研究者の独自の優位性にも思いいたる。

 二、歴史学はテクストクリティークに淵源する人文学の一つであり、異文化を理解し把握しようとする意志に貫かれた、啓蒙の学問でもある。カーのいう「歴史における方向感覚」、ネイミアのいう「大きな輪郭と意味ある細部」という見識に耳を傾けたい。歴史学は、過去と対話する現代の知識人の仕事である。二十世紀の資産として修正主義を継承し、これを二十一世紀の現実のなかで考えなおし、構築しなおす必要がある。 

東京大学出版会(2004年11月刊)版の修正主義をこえて」をめぐるQ&A


史学会大会 第100回記念大会

〈歴史学の最前線〉 アルバム 

 

11月9日(土)〜10日(日)には4つのパネルが組織され、

中世の境界と領域 (村井章介、金容徳、荒野泰典)

近代史研究の新展望 (鈴木淳、Margaret Mehl、宮地正人)

アジア史研究の新地平 (佐藤次高、Ronald Toby、杉山正明)

修正主義をこえて (近藤和彦、Patrick O’Brien、福井憲彦)

 といった報告・コメントが続きました。