『思想』No.860(1996年2月)pp.1-3
<思想の言葉>
時間の批判に耐える

近藤 和彦
2001. 1. 20 登載


  近代イギリスの人文学における功績を二つ挙げるとしたら、新英語辞典(現在のオクスフォード英語辞典、OED)と国民伝記事典(DNB)だろうか。どちらも一九世紀の末葉にひとつの成熟点にたっした文学研究と歴史研究が結びついて実現した企画であった。完成後も増補や改訂がつづき、いまなお生きているプロジェクトだという点でも共通している。OEDのほうはCDローム版とともに新しい二〇巻本も発行され、英語学や文学ばかりでなく、歴史学にとっても無限のインスピレーションの泉でありつづけている。DNBはというと、一九〇一年に一応の完成をみたときに六六巻、二万八千余名からなり、未刊の文書なども用いて簡潔ながら信頼度のたかい伝記事典ができあがった。いまでも多くの人物について調べる最初の手掛かりといえるが、しかし、全体に政治家・軍人・聖職者・文人に偏っていた、そもそも項目だけでなく執筆者をみても女が少なすぎる、といった批判がつづき、七〇年代から労働運動家、演劇人、フェミニスト、経営者や科学者について伝記事典が刊行されてきた。

  こうしたDNBを、二一世紀にむけて全面的に改訂というより、新規に編集しなおそうというプロジェクトが始動中である。オクスフォードの近代史教授C・マシュー* を総編集長とし、各種の学会フェローの意見を徴したあと、項目と執筆者を定めて、編集陣が動きはじめた。二〇〇二年にCDロームで刊行することを目標に、調整はこれからもつづくが、執筆者に配られた三六ページの「執筆要項」と周辺の動きから次のようなことが言える。

  新DNBの執筆者は「正確、情報ゆたか、明晰にして、読んでおもしろい」伝記を書くことを求められている。その情報とは氏名、生年月日から、親や配偶者の背景、そして本人の経歴はもちろん、死因、遺産、著作などを具体的に記し、評価の変遷、さらに参考にした史料を文書だけでなく図像、あるなら音声まで明示するのである。各項の書き出しや史料一覧の様式などは例示されていて、これに従わなくてはならない。しかし同時に「署名伝記」でもあるので、執筆者の見解を十分に表明する余地はある、と要項の第一ページに保証されている。「次世紀の批判に耐える」ものであること、と念は押されているが。力量のある執筆者には「腕のなる」仕事と言えるだろう。

  イギリスでわたしが取り組んでいるのは伝記ではないが、人の残した証言を相手の仕事だから、どうしても史料と人生、世の中というものについて想いをめぐらすことになる。たとえば、ある図書館の文書部で遭遇した、一八世紀後半マンチェスタのヒバートという商人(非国教徒)による大判の家計簿は、日常茶飯事に終始している。家計は家長=主人の責任だったようで、ミルクや卵、親類への贈物、日曜学校への献金、地方税、等々とならんで、ほぼ毎週、妻に定額の生活費を与えていた。「妻に生活費として支払い」という記載から、やがて「ヒバート夫人に家族費として支払い」というように表現は変わるが、二〇年余にわたって額は一ポンド一シルと一定している。フランス革命の年に支出計二八三ポンド一一シル余りのうち、妻へは一ポンド一シル×五四回=五六ポンド一四シル。この額の比重をどう考えるか。そもそも「妻」という呼称から「ヒバート夫人」という呼称への転換はどういう意味があるのか。

  財布を握って放さないこの非国教徒ブルジョワの淡々として感情のさっぱり現われない生活記録は、ただ息子の医師ヒバート、ついで孫の歴史家ヒバート=ウェアが、あらゆる文書を大切に保存したから、今に伝わっているわけだ。だが、この没感情的な家計簿には、じつは数葉にわたって破りとった跡もあらわな箇所がある。二〇世紀の文書官が鉛筆でふした整理ページ数ではこれらの葉がないものとして扱われているから、それ以前に本人か誰かが破り捨てたものと想像される。

  記録によって経験は定式化され、一面が強調され、別の面が捨象される。どんな記録が残っているか、失われたか、は後の研究者にとってばかりでなく、しばらく時の経過した当事者たちにとっても、「現実に経験したこと」とほとんど同じだけ重大なことかもしれない。

  自由党の蔵相・首相だったロイド=ジョージと秘書フランシスとの私信の往復は有名だが、第一次大戦の最初の秋にロイド=ジョージは、先に秘密を保持するため焼却するように彼女に伝えた指示のとおりに、二人の交信がもはや再生できなくなっているのを知って、くりかえし残念がった。同じ大戦の直後にはじまるケインズとロシア・バレー団のリディアのあいだの書簡も最初は断続的で、空白のあと、互いの呼び名がごく親しげなものに変わった。どちらの交信も、今は本として読めるが、こうした本は言うまでもなく、編集され構築されたテクストである。いや、本になる前の手紙の集合も、メモや日誌類もふくめて、当事者のあいだで志と夢をこめ、思惑を抑制しつつ表象した、もう一つのレヴェルのテクストであり、これを再構成するのは歴史家の一つの仕事である。

  『アンネの日記』も、慰安婦や戦争捕虜の証言も、O・J・シンプスン裁判も、それぞれ当事者によって表象され、メディアの編集を経由し、その時代の意味を帯びて流布する。あるいは翻弄される。歴史的証言は絶対でも中立でもない。だからこそ、これらをどう受けとめるかに、人の豊かさ、あるいは社会の病いが出てしまう。批判的に分析し、再構成するのが仕事のわたしたちだが、時の経過という批判に耐える仕事をしているだろうか。あらゆる災難と幸運を巡りめぐって、今ここまで到達してくれたテクスト(の断片)である。その汚れや欠落もふくめて、こちらの全知覚を動員して迎えたい。それに、わたしたちは徒手空拳でテクストとコンテクストに対するわけではない。たとえば新DNBに結実するような人文学の蓄積もある。

  ポストモダンの時代だからといって、あたかも主観性の専制をとなえることは、爛熟した先進国文化をあきなうインテリの遊戯、あるいは哀しい笑劇にすぎないのかもしれない。歴史と証言には謙虚に、また頭だけでなく全身で接したい。「素朴レアリスム」でもなく「言語ゲーム」にも終始しない立場というものがあるだろう。人知をこえた歴史的めぐりあわせにどう対するか、ということにも共通する問題だと思う。

  * 残念ながら、その後 Colin Matthew は急死してしまった。そうでなくとも大事業である New DNB の進捗は、なおさらに遅れざるをえない。

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