『マルク・ブロックを読む』を読んで
私信より 2005年6月1日付
二宮宏之さん
やや天候不順ですが、お元気のことでしょう。
『マルク・ブロックを読む』を頂いてからずいぶんたってしまいました。この本は4月にイギリスから帰国したら机上に待っていてくれたもので、それ以来、部分的に順不同に読むということを繰りかえし、何人かの友人とは感想を語りあっていましたが、新学年の校務やいくつかの決定などにかかわっていて落ち着かず、今日ようやく机に向かって、最初から最後まで少々の参考図書も参照しつつ読了しました。感動しました。二宮さんのこれまでに刊行された3冊の日本語単著のうち、一番緊密に構成されているばかりでなく人の心をうつ作品ではないでしょうか。
岩波セミナーという性格もあるのでしょうが、二宮さんの読みと語りの方法は繰りかえし明示され、曖昧なところがありません。マルク・ブロックの作品の意味と仕組みを読み解くことと、人そのものを読むこととが不可分に進行し、しかも第一講は「ぼく」ないし高橋幸八郎を初めとする日本側の文脈で始まり、最後の第五講は彼の遺書の意味するところを(その字をも)読むことで、結ばれます。もしかすると、二宮さんにとってはこの遺書のメッセージを読みとることこそが本書の究極の課題だったのかもしれない、とうかがわせる構成です。ブロックを聖人君子や英雄として奉るのでなく、しかし20世紀前半の最良の歴史家の誠実な生と知的な遺産をその時代のなかでとらえ、提示したのは二宮さんですから、フランス・共和主義・普遍をわれわれに遺贈された問題としてしっかり受けとめることによってこの書を閉じる。すなわち読者にそれぞれの「『マルク・ブロックを読む』を読む」という課題を委譲していることは明白です。
<以下はやや技術的であまり普遍性がないので、省略>
近藤 和彦