『歴史学事典』第6巻(弘文堂、1998)

民衆史(history of the common people)
2000. 11. 1  更新


  権力や知へのアクセスをもたぬ民衆(ふつうの男女)をとくに対象とする歴史学は、19世紀後半に始まった。民族学および社会主義の影響、広義の経済史や社会史、そして労働運動史との関係をふくめて、ニュアンスはさまざまである。

  図書館・文書館の整備によって活性化した地域史、他方でマルクス主義による人民闘争史観の普及により、1950年代から民衆史の事例研究は盛んになった。歴史学に浸透した民主主義とポピュリズムの反映ともいえる。ピューリタン革命を担いながら指導者たちと対立した兵卒たちの研究は両大戦間から刊行されていたが、フランス革命中の山岳党と連携しながら固有の動きをしめしたサンキュロットの運動を明らかにした A.ソブール(1959年)、革命軍と対立した地方の人々の事情を究明した R.コッブ(1961−63年)、さらには社会人類学や民衆史とも交渉しながら『素朴な反逆者』(1959年)を描いたE・ホブズボーム、18世紀英仏の民衆運動の比較を行なった G.リュデや R.B.ローズたちの仕事は、今では古典的な意義をもつ。日本でもほとんど同じ時期に人民闘争史および民俗学との苦闘を交えつつ百姓一揆や自由民権運動の具体相が明らかにされてきた(安丸良夫、色川大吉、鹿野政直、井上幸治)。

  こうした研究が英仏から広く西側諸国に普及したのは、1960年代後半の社会史の興隆と時を同じくする。時代の背景としては、知の大衆的な普及、大学と大学生の拡大がある。みずからエリート出身でなく、またエリートの階梯を約束されてもいない学生も教員の側も、従来の正統的歴史学における権力者・偉人よりはふつうの男女の生きかたに関心を向けるようになったのである。だがこれは、70年代80年代の知の成熟にともない、さらに様相を転じてきた。特定の要素の発達史でなく、多くの要素の複雑な絡みあいや言説そのものが問われるようになってきたのである。史料の量的・質的拡大、電子工学の普及にともない史料へのアクセスが容易になってきたことも、これを促進した。

  『ベナンダンティ』『チーズとうじ虫』などイタリア民衆の夢の世界から仕事を始めた C.ギンズブルグは、いまやユーラシア全体を形態学的に見渡して『闇の歴史』を解読している。『愚者の王国、異端の都市』でリヨンの職人たちの信仰と文化を考察したナタリ・デイヴィスは、80年代に『帰ってきたマルタン・ゲール』『古文書のなかのフィクション』で民衆の「うそ」を歴史的与件のなかの精一杯の選択として再構成していたが、いまや『辺境の女たち』の主体性とネットワークから、さらに複合社会における文化混交に焦点を合わせようとしている。ギンズブルグとデイヴィスは、両者ともに C.ギアツのような民族学、また文学批評、そして K.トマス、E.P.トムスンのような経験主義史家からたえず学び、70年代の民衆文化の民族誌にとどまることなく20世紀歴史学の最高の遺産を産むにいたった歴史家として次世紀に伝えられるであろう。

  こうした意味で民衆史とは、歴史学において「何を対象とするか」だけでなく、むしろ「いかに」という方法の問題でもある。

 参考:社会経済史学会(編)『社会経済史学の課題と展望』(有斐閣、1992)

 近藤 和彦

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