『ヨーロッパ史へのいざない』創刊号
(NHK学園、1999年6月)

21世紀人にこそヨーロッパ史を


  中学の歴史の教科書からルネサンスが消えるといいます。詰め込み教育を解消するために「精選」と「主体学習」をスローガンに、従来の学習指導要領が見なおされた結果、「世界の歴史については・・・我が国の歴史と直接かかわる事柄を取り扱うにとどめる」という方針が打ちだされ、エジプト、ギリシア、ローマと一緒にルネサンスもなくなってしまったのです。

  教科書の編集は文部省の新しい指導要領が出てから執筆、検定、採用と数年かけて行われますから、ルネサンスのない教科書が出回るのは、平成14(2002)年です。それまでは、四大文明からギリシア、ローマ、キリスト教、ゲルマン人、ビザンツ、イスラム、十字軍、中世都市、とたっぷり書きこまれた現在の教科書が使われます。やがて古本として価値が出るかも知れませんね。

  教材を精選し、生徒の主体的学習をうながすのは、良いことです。誰も反対しません。それに日本の中学生ですから「我が国の歴史の大きな流れと各時代の特色を」優先して教えるのは当然です。しかし、強制力をもつ指導要領でルネサンスまで消してしまうのは問題です。同じ指導要領には「我が国と諸外国の歴史や文化が相互に深くかかわっていることを考えさせるとともに、他民族の文化、生活などに関心をもたせ、国際協調の精神を養う」と謳われています。これはすばらしい。どういう議論があったのか、おそらく苦渋の決断だったのでしょうが、21世紀をになう世代の教育内容については、もう少し慎重であるべきでした。

  世界の歴史、とくにヨーロッパの歴史を根本的に見なおそうというのは、じつは専門研究の場でも繰りかえし言われていることです。良きもの正しきものはすべてギリシア以来のヨーロッパに由来し、近代文明もヨーロッパに生まれた、という「ヨーロッパ中心主義」の考え方は、パリ、ロンドンが世界の中心だった時代の西洋人の世界観です。これをわたしたちまで有りがたがる必要はありません。ヨーロッパに真善美だけがあったのではないことは、植民地支配や奴隷、アヘンの貿易などを考えても分かります。じつはルネサンスにしても、中世のヨーロッパから内発的に生じたのではありません。むしろ、ビザンツやイスラムを経由して伝授された古代のすぐれた文化に接する喜び、つまり今風に言えば「異文化」学習として始まりました。積極的に異邦人と交渉し、異文化をたっぷり吸収して自らのものにしたからこそ、ヨーロッパ人は近代文明の担い手になれたのです。

  ヨーロッパの歴史を見なおすことは決してヨーロッパ中心主義を復活させよう、というのではなく、むしろ反対です。自国の歴史と文化を尊重するあまり、かつてのような「鬼畜英米」の愚は繰りかえしたくない。近代文明の成り立ちをきちんと人類の経験のなかでとらえなおし、おごり高ぶらないようにしたいものです。多文化の共存する21世紀の地球人には、ローマもルネサンスも啓蒙もヨーロッパ統合も、「ヨーロッパ史への招待」講座で学びなおしていただくほかありません。                                                         

引用はすべて平成10年12月づけの『中学校学習指導要領』(文部省刊)より。
全科目を合わせた冊子が全国の政府刊行物販売所で買えます。260円。
 
近藤 和彦

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