『週刊読書人』 1992年

E・ホブズボーム/T・レインジャ(編)『創られた伝統』
前川啓治/梶原景昭 他訳 (紀伊國屋書店、1992)

近藤和彦
2003.6.6 保守


  カバーの折り返しに 「『近代』の本質に、類のないアプローチを試みたものとして、評価の高い論文集」 という。 E・ホブズボーム(Eric Hobsbawm) のロンドン大学退職を記念して刊行されたいくつかの論文集のなかでも、とりわけ学際的であることを明示した編著であり、まったくその通り。だが、評価の高い訳書になるかどうか。それは別の問題であろう。
  悠久の民族的な伝統と考えられていたことが、じつは百年前後くらいしかさかのぼれない、近代史の産物だったということが少なくない。これは近代天皇制についても、数年まえから常識となったことである。序章「伝統は創り出される」(Introduction: Inventing Traditions)にはじまり、世紀転換期の「伝統の大量生産」(Mass-producing Traditions: Europe, 1870-1914)という章におわるこの論集 『創られた伝統』(The Invention of Tradition, 1983)は、計六名の歴史家、人類学者によるもので、魅力的な表題は 『伝統の案出/捏造』 とも訳せる。イギリスの歴史学を代表する 『過去と現在』 という学術誌を編集刊行している Past & Present 協会が、その叢書の一つとして一九八三年に刊行した。ペーパーバック版もでて、英語圏では、すでにかなり普及した本である。
  編者の一人ホブズボームが、序章と最後の章を執筆し、やがて近著 『国民とナショナリズム』 (Nations and Nationalism) につながってゆく論点を呈示している。第二章「伝統の捏造−スコットランド高地の伝統」を書いているトレヴァ=ローパ(Hugh Trevor-Roper, Lord Dacre デイカ卿)は、政治的にも学問的にも右寄りで、かねてホブズボームの宿敵とみられてきた歴史家だが、こうした人もくわわって、この論集に深みと広さをあたえている。スコットランドといえば我々がよく連想するタータンのキルト(スカート)は、じつは十八世紀にイングランドの産業家がデザインしたもので、これが普及したのはスコットランド高地連隊と、一八二二年の国王行幸にあやかった一商会の上手な商売の結果だったとは! 
  かくしてこの論集は、スコットランド・ウェールズからインド・アフリカまでおよぶ歴史と文化をあつかい、広汎に例示しながら論理するどく分析する、明晰にして、かぎりなくおもしろい本である。これを翻訳する苦労は、たいへんなものだったろう。正確な翻訳のためには、英語の語法の十分な修得と、歴史・地理・文化についての該博な知識、そして練達した日本語力が要求される。
  たとえば、「フランス共和制の象徴、聖母マリア」 とくりかえして平然としているのでは困る。「レイム」 とは、フランス王の戴冠式のおこなわれた大司教座都市ラーンス(Reims) のことだろう。ロンドン都政の単位、そして一九一〇〜一一年の国制危機や一九三一年の挙国一致内閣を知らないまま イギリスの王権と国制(憲法)の関係を論じた箇所を訳すことはできない。この訳書について象徴的なのは、歴史家が多数をしめる原論集が、翻訳にあたって歴史家の協力のないまま刊行されたということである。
  逆に、せっかく人類学の専門家たちによる共訳であるのに、そのメリットが生きてこない場合もある。セフィル・プレンとは ウェールズの制裁の儀礼(シャリヴァリ)だとわかっていれば、一四九ページのような混乱は生じなかっただろう。ネーションがしばしば国家と訳されてしまい、文意を不明瞭にすることがある。また、せっかく序論(p.11)に practice をめぐる慎重な記述があったのに、第5章では生きてこない。インド臣民に保証されたのは 「宗教的な実践を行なうこと」(p.260)ではなく、「各々の宗教の礼拝」だろう。
  明快で構成的な、そして勢いのある英文は、やはりそれが生きるように訳したい。任意の例をあげると、たとえば一九世紀ウェールズにおける伝統の創出を論じた部分(九一ぺ−ジ)。「彼ら[エリートたち]は皆、民衆から少し距離をおき、自分たちの置かれた状況を把握していた。そして、出版文化、謹厳な道徳主義、運搬や伝達の向上、昔の包括的な近隣関係に取って代わろうとするクラブや各種社会団体の欲求を考慮に入れた上で、ウェールズの過去を探求し、保存し、新しい状況下で再生しなければならないと気づいていた」。
  この日本語は原文の明晰な勢いを失い、脱落もある。
わたしだったら、こうするだろう。
彼らは皆、自分の位置を自覚し、民衆から少し離れたところに立っていた。彼らの認識によれば、ウェールズの過去は しらみつぶしに探して見つけ出し、保存し、新しい環境のもとでウェールズ民衆のために再創造されねばならないのであった。新しい環境というのは、出版文化があり、[非国教徒の]生まじめな道徳があり、交通とコミュニケーションが改良され、各種のクラブや団体が古くから何でも一緒という近隣関係に取って代ろうと意欲満々だったからである」。
  この訳書にかぎらず よくあることだが、グレート・ブリテンを「大英帝国」と訳す悪習は、もう止めにしたい。Great Britain とはあくまでイングランド、ウェールズ、スコットランドが属するブリテン島をさす語であって、海外植民地をふくむイギリス帝国とは別物である。
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