朝日百科『世界の歴史』99「18世紀の世界」〈働く女たち〉
1990年10月21日

二重革命の時代の女と男

近藤和彦

2000. 8. 26 更新


  18世紀後半から19世紀前半にかけて、各地で産業革命(工業化)と民主主義革命がつづく。経済と政治の二つの領域で始まり、社会と文化のすべての領域におよぶことになる、この世界史の画期を「二重革命の時代」と呼んだのは、イギリスの歴史家ホブズボームである。本号ではこの二重革命の時代の女性庶民の生きかたを、最近の歴史研究によって明らかになった新事実を中心に紹介しよう。

  産業革命とは、イギリスの工場と蒸気機関の革命にとどまるのではない。世界の資本主義のシステムのあり方から、ふつうの人々の生活、結びつき、文化のあり方までおよぶ変革だった。この産業革命をささえたのは、第1に勤勉で購買意欲のある国民であり、第2に積極的経済政策をとる政府であり、第3に広大な植民地であった。

  勤勉で購買意欲のある国民といっても、ホーガースの「当世風の結婚」に描かれた貴族のように、邸宅を新築し、美術品や異国の物産、そして使用人や芸能人のサーヴィスを購入しただけではない。圧倒的多数の労働民衆は、日々の糧を市場で売り手と冗談をかわしながら買い、居酒屋で日々のウサをはらし、語り合った。夫婦とも働きであれば、子どもが親の手助けをできるようになるまでは「おばさん学校」にあずけ、夕食はお惣菜屋か外食ですませることが多かった。16人もの娘を生み育てながら、お惣菜屋と雇用斡旋所を経営し、料理書と町の人名録を出版した肝っ玉母さん、エリザベス・ラフォールドは産業革命を裏からささえた、マルチ人間のはしりと言える。

  こうした貴族や平民の織りなす活発な国内市場と7つの海に広がる重商主義帝国が、イギリス産業革命の前提条件であった。そして、実はフランス革命とは、イギリスに出遅れてしまったフランスによる新規まき直しのペレストロイカだったという有力な説もある。 すでに17世紀のイギリスでは2度の革命により、立憲君主制と宗教的寛容と営業の自由をむねとする国家権力が確立していた。しかし、反封建特権の旗印を鮮明にした革命は、アメリカ独立革命(1776年)、そしてフランス革命(1789年)を待たねばならなかった。こうした民主主義革命は18世紀末の北大西洋両岸の白人社会で始まるが、その影響はカリブ海のハイチ島の黒人革命(1793年に開始、1804年に独立)までおよぶ。人権は白人だけのものではないのだ。

  だが、英語でもフランス語でもドイツ語でも「人」とは男である。フランス革命の自由・平等・友愛(兄弟愛)も、T・ペインの『人間の権利』も、人種や身分をこえて普遍的な人権と民主主義を唱えてはいるが、性差については鈍感な思想であったといえる。人権の名のもとに男権、すなわち男の自由・平等・友愛が論じられていた。時代を先駆けたメアリ・ウルストンクラフトや、フランス革命期のパリの共和主義婦人協会の女性たちは、この民主主義革命が性差別を補強してしまう点を論破している。女性解放思想の古典、『女性の権利の擁護』(1792年)を著わしたウルストンクラフトの波乱にとんだ生涯の最後は、フェミニストの先駆けにふさわしい。次女の出産後に敗血症が悪化したが、もっぱら男性からなっていた産婦人科医の診療を拒否しつづけ、手遅れになったのだという。

  ヨーロッパで始まった二重革命は、当然ながらアジアにもおよぶ。中国・広東デルタ地方にあった、結婚しない女性の盟約や別居の伝統(奇習としてとらえられた)は、蚕糸業の展開によって新しい意味を付与される。工場制度のもとのいわゆる「女工哀史」でなく、したたかに闊歩していた女の世界を想像してほしい。

  この号で紹介される元気印の女たちと、縁あって彼女たちとかかわった男たちから浮き彫りになってくるのは、女の生き方を凝視する男の目と、民衆の世界に出会って困惑するブルジョワの目との重なりである。その視線は揺れ迷うが、やがてヴィクトリア風の価値世界が確立することになる。つまり、男(およびブルジョワ階級)が公的なもの、理性と権力を代表し、女が私的なもの、情緒と家庭を代表する19世紀後半以来の欧米の価値世界である。ここで見るのはそう固まってしまう前の情況である。

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