『東京新聞』『中日新聞』1991年2月

マリー・コンティヘルム Marie Conte-Helm
『イギリスと日本 − 東郷提督から日産までの日英交流』
サイマル出版会、1990年12月

近藤 和彦
2001. 1. 20 登載


  原題は『日本と北東イングランド』(Japan and the North-East of England)で、一九八九年に刊行された。日本版にはテーマにそくした副題がついている。北東イングランドとは、ニューカースルを中心とするタイン河畔の鉱工業地域である。この好著は、幕末にはじまり現在にいたる、この地域の軍事と産業に焦点をあわせた日英交流史である。推賞文のように「イギリスへの投資に現に関係している人、将来関係するであろう人」だけに読者が限定されてしまっては惜しい。

  著者はアメリカ生まれの女性で、英国大使館に勤務したあと、現在、北東イングランドでポリテクニックという準大学の教員である。いわばよそ者によるリサーチが、本書をたんなる一地方の郷土自慢ではなく、広い読者の関心にこたえる読物にしている。

  ヴィクトリア時代のイギリス人は自信にみちて、遠来の「日本人に対して、嬉々として優位性を誇示した」ばかりか、「繊細な日本人の心を傷つけ、イギリスの印象を損なう」ことのないように配慮する余裕もあった。

  日露開戦時の旅順港の奇襲攻撃にたいして「この豪胆さは海軍史に名誉ある地位を占めるだろう」と記した英紙は、三十七年後に帝国海軍が真珠湾で同じ奇襲攻撃をおこなうと、これは卑劣な反文明行為であると非難する。日露のときには日英同盟があったばかりでなく、主要軍艦と火砲はイギリスのタイン河畔で建造されたものだったからである。そして今では保守党閣僚が競うように日本企業の投資、プラント建設を誘致している。このように、本書のあつかう一三〇年近くの期間にわたるイギリスの世論の「揺れ」が浮き彫りにされて、読者に覚めた判断をうながす。

  興味深いエピソードもたくさんある。軍需商人の妻エイミー・ノーブルは平和主義者で、東郷と一緒に収まった写真では、二人は不自然なくらい距離をとり、限りなく神妙な表情である。大正時代にイギリスに移住して、この地の女性と結婚し、一九八六年に天寿を全うした秋山太一の老顔も、読者の想像力を駆りたてる。本書には印象的な図版が多い。

  なお、この地域の歴史については日本にも専門家が何人かいる。そのうち松塚俊三氏は新刊の『英国をみる』(リブロポート、1991)で、海軍将校・深町多計三の墓の写真を示しながら、東郷平八郎とアームストロング社の関係を伝えている。
 

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