517. 削除理由 サイトの主  2003/03/10 (月) 15:16
昨夜付の投稿 515 については削除いたします。理由は

1.無内容であり、かつウィットに欠けること

2.
>社会主義・ロシア革命・金正日体制などにかかわる諸問題
>について自分の感想・寸評・回想などを気ままに書き記す
>ことにしました。

という藤井氏、そのサイトへの参照を求める石川古稀氏のいずれにもわたしは共感を覚えず、またいかなる意味でも連座したくありませんので。



516. ご自身を明らかに サイトの主  2003/03/10 (月) 14:57
515 のメッセージは軽視できない(人身攻撃の可能性を含む)重大なものですが、投稿された「石川古稀」氏のメールアドレス
 jrushis@netscape.net
はアイデンティファイできません。本日20時までにご自身と根拠を明らかになさらない場合は、無責任な発言として削除します。



514. 『朝日新聞』2月27日の意見広告 サイトの主  2003/02/28 (金) 19:03
『朝日新聞』朝刊にのったイラク先制攻撃反対の意見広告、
中ほどのかなり目立たないページで、残念といえば残念。しかし、27日、駒場で会う人びとと話題にしましたし、そもそもどなたの名があるか、ということじたい、知る人には意味をもつわけです。今回はインタネットで署名・醵金を集めましたので、そういうことに馴染んでいない先生方の名がないことはしかたありません。
小さなインパクトはありました。
もう一つ、醵金した1522人のうちには、さまざまの事情で匿名となさった方もあります。署名に名を連ねればそれで了、ではない、という30年ほど前の折原浩先生の発言を想い出しながら、小さな活字をていねいに読みました。いろいろなことを考えさせてくれます。



513. Christohper Hill died K. Kondo  2003/02/26 (水) 17:44
Christopher Hill, born in 1912, died 24 February 2003.
Bridget, his wife, had died of cancer in August 2002.



512. Re: 反戦署名のhoax サイトの主  2003/02/15 (土) 16:17
511. に記したことだけでは誤解をまねくかもしれませんので、
わたしから発信した私信の一部を引用します。
..................................................

反戦の署名を募るメールをいただきました。ありがとうございます。第三次大戦に反対するその趣旨には反対できません。ただし、次の3つの理由からわたしは署名せず、また友人に転送もしないことにします。
1) Johnson Tomeh という呼びかけ人についてわたしはまったく知らない。そして彼のメールアドレスは<jtomehe@yahoo.com>となっている。これでは彼の所属も発信地も不明で、最悪の場合は本名ではない可能性さえある。

2) 署名者552名をプリントして読んでみましたが、わたしが名を知っているのは、最後の日本人二人のみである。

3) Google にて次のような警告を見た。

> 511. のとおりなので省略

....................................................

かくいうわたしも、合衆国政府の理不尽には黙っていられませんので、『朝日新聞』2月27日に掲載される「社会科学者は訴える」反戦意見広告に賛同して拠金しました。こちらは呼びかけ人など既知の人であり、当方の所属も明らかにするものでしたので。
念のため、まだ間に合うのかどうか知りませんが、この連絡先を記します。

>メールの場合の宛先 akamac@ll.ehime-u.ac.jp(llは「エル・エル」)
>FAXの場合の宛先 03−5442−1608 河原田麻衣子
>送金は 郵便局の口座 『「社会科学研究者は訴える」事務局』
>10060―72883671 へお願いします。
>以上についてのお問い合わせは 事務責任者・井村喜代子宛に
>電話(03―3942−1466、午後〜夜)、FAX(電話と同じ)、
>メールimura-k@mve.biglobe.ne.jp でお願いします。



511. DO NOT SIGN the unicwash.org PETITION K. Kondo  2003/02/15 (土) 15:20
> unicwash@unicwash.org
>
> Please don't forward messages like these. Email petitions are pretty much always hoaxes, and those that are not hoaxes are entirely ineffective as email is beyond trivial to forge. These messages qualify as viruses.
> In this case, you can see how many websites (and in how many languages) warn you about this HOAX simply by going to Google:
> http://www.google.ca/search?q=unicwash%40unicwash.org
> Going to Google is the *FIRST* thing someone should do whenever they are sent a message asking them to forward it onward.
> Note: If you want to support peace, please think about the damage that such an email social virus can cause. While you think you are promoting peace, you are more likely just distracting fellow supporters of world peace and accomplishing the opposite to what you thought you were doing.
> If you want to write someone to support peace, write your member of parliament a personal (not Cc'd to the planet) letter. Rather than sending email, print out your letter, sign it, and send it to them. This will have a much greater effect than any armchair politics that is possible on the Internet. Armchair Internet politics are largely ignored by politicians because of how easy it is to do. If you want to prove that you have something worthwhile to say, then get it on paper!
...................................................

> The email account you are trying to reach, unicwash@unicwash.org recently closed due to a massive petition campaign that was started by an unknown source. While the intentions were admirable, this petition generated thousands of emails and has caused serious computer problems on our system. For those looking to send a petition somewhere, we suggest sending a postal letter to your government representative.



510. メトロの匂い サイトの主  2003/01/30 (木) 13:10
>「『メトロ』のにおいがする・・・」かぁ・・・。
>(ゼミの後の・・・なにもかも懐かしいです。)

育児休業中のグスタフ王から久々の来信。王子はすこやかに育っていることでしょう。
パリならぬ本郷の「メトロ」はあいかわらずです。
先日、食堂の向かいの時計屋で腕時計の電池を替えてもらいました。おじさんは大正7年生まれ。ぼくの父と同じ! 16歳からずっと(出兵した間は別として)この本郷の地階で東大生たちを観てきたんですって。表彰状がかかっています。



509. Re: 国民的物語 Gustav  2003/01/30 (木) 10:36
>  映画「望郷」の邦訳字幕では「メトロ」とはパリの地下鉄、と受けとられていますが、じつは metropolitain すなわち首都の/帝国本国=内地の、という元来の意味でしょうね。

「望郷」というよりは、あの傑作は「望都」とでも言うべきなんでしょうね。「『メトロ』のにおいがする・・・」かぁ・・・。
(ゼミの後の・・・なにもかも懐かしいです。)



508. 小泉氏と彼の国 8peaks  2003/01/22 (水) 21:16
先生のホームページの掲示板いつもみてます。
貴乃花の引退の引き金になった武蔵関戦について。
当時は、彼は良くやったなあと考えてました。
しかし、やはり、あの出場もそれをほめたのも、明らかな判断ミスだったと自らの不明を恥じました。
しかしおとといの首相のコメントからすると、首相自身はそれを判断ミスだとは全く思ってないようです。
「みかけのよさだけを狙って、長期的な視点や戦略を欠いたやりかた、最終的には失敗に帰する」ことにおいて、この件は、小泉氏と彼の国の欠陥を体現しているように思われます。



507. 国民的物語 サイトの主@本郷  2003/01/21 (火) 20:08
 K くん、いよいよペペのごとくカスバの世界に入り込んで、出てこられなくなるのかな。「メトロの匂い」を伝えるインタネットは繋がるのだろうか。とにかくお元気で。映画「望郷」の邦訳字幕では「メトロ」とはパリの地下鉄、と受けとられていますが、じつは metropolitain すなわち首都の/帝国本国=内地の、という元来の意味でしょうね。

 ぺぺほどでなくとも長く海外にいると、日本の国民的関心事/物語のあらすじを知識としては得られても、感覚的にちがうものになります。
 ぼくの場合、94年8月〜95年12月末までイギリスにいたので、貴乃花の横綱昇進も景子さんとの結婚も「情報」として知っただけです。それはまだしも、神戸の地震も地下鉄サリン〜オウムの捜索・裁判の物語もよく通じてない「非国民」と、家族からときに罵られます。それはそれで、ぼくは別の経験と感覚を得ているわけだから、と居直るしかありません。(その前、1980年夏から82年夏には、山口百恵の引退、松田聖子のデヴュー‥‥「蜂の一刺し」も「教育正常化」も、リアルタイムでは知らなかったなぁ。)



506. 大相撲 K@南仏(来月は対岸へ)  2003/01/21 (火) 08:43
近世史でも国制史でもない私ですが、以前は十両以上の力士
全員の名前と特徴、主だった力士の部屋くらいまではおぼえ
ている人並みの相撲好きでした。ところがここ数年はすっか
り関心をうしなって、誰が大関かもわからないくらい。

なぜそうなってしまったのか、と自省してみるに、毎場所の
取り組みをつうじて大きな物語に参加している、という実感
がうしなわれたということが一番大きいように思います。た
とえ予定調和ではあってもぼくが子供の頃の相撲はとてもわ
かりやすい物語に全体が収斂していた。それが変わってきた
ように思える理由を土俵の上に見るべきか外に見るべきか、
あるいは僕自身の問題なのか、、、

そんななかにあって貴乃花は、たったひとりで物語を感じさ
せる、まさしくauraをまとっていた時期があった。寂しい
ですね。



505. 貴乃花の引退 2. 主@深川  2003/01/21 (火) 01:39
 前にもこのBBSで話題になったとおり、2001年の夏場所千秋楽の処理を誤って、貴乃花は実質的に終わってしまった。14日目に負傷した貴乃花に、協会理事長か審判委員長かが全面的に責任をとって千秋楽に休ませる/不戦敗を宣言する、という決断をしなかった。ことの表面しかみない馬鹿な宰相が「よう頑張った。感激した」などと土俵の上で言ったときに、もう強い貴乃花は終わりかけていたのです。ガンバリズムに囚われて稀代の人的資源を無駄遣いしたのは、相撲協会ばかりでなく、長期におよぶ休場=治療・リハビリを許さないマスコミでもあった。とりわけ『朝日新聞』は、今場所の貴のダンマリを20日朝まで攻撃して止まなかった。
 若乃花や栃東のようにうまい力士が上位で長くやってゆけないことにも現れているように、こんなにも体重と怪我に決定的に左右されるスポーツは、なにか根本的な点で対策を講じないかぎり、将来はないでしょう。
「相撲を愛していますから」と20日、引退声明後の貴乃花は言いました。いろいろな意味で近代的でない相撲という Beruf に命をかけて、貴乃花は散った。『朝日新聞』をはじめとするマスコミは苦闘し考える貴乃花を鞭打ち、追いつめた。あるいは、貴乃花じしん自覚的に、悲壮な役回りに殉じたのだろうか。



504. 貴乃花の引退 1. 主@深川  2003/01/21 (火) 01:36
 東大西洋史では伝統的に大相撲への強い関心があって、それこそ「場所中は仕事にならない助手」が歴代つづいた時期もあったようです(ぼくの遙か前、伝説的な世代のはなし)。これはしかし、近世史というか国制史にかぎって院生・オーバードクターにもあてはまる、かなり最近まで受け継がれた伝統でした。
 ぼくは30代まで主観的には近世史でも国制史でもなかったので!相撲についてはごく中立的な立場だった。柴田先生と一緒に富岡八幡宮の横綱碑を見に行った折など、二人とも「北勝海」が読めなくて困惑しつつ、「N君なら読める!」なんて慰めあってた場面を想い出します。
 しかし貴花田、貴ノ花、貴乃花については別で、宮沢りえのこと、次いで家族との関係が心ないマスコミの餌になるにつれ、それに応じてかつての屈託のない少年が寡黙な青年に変身するにつれ、特別の関心が生じました。ほとんど悪意に満ちたメディアと逆にナイーヴなファンとに囲まれて、そうしたものに振り回されないよう相撲に専念する、という選択をし、それを持続させた孤高の関取に、ある高貴なもの(aura)を感じました。 高貴な者には悲劇がふさわしい。



503. 新年の挨拶 サイトの主  2003/01/16 (木) 20:46
新年も明けて3週目です。お元気でしょうか。

暮れから正月にかけて、海外から一時帰国した何人かに会うことができましたし、マイナス27度のベルリンをはじめ、メールや写真の挨拶はたくさん頂きました。ありがとう。

ぼくからは、冬景色の東京アルバムを↓ご覧にいれます。
 http://kkondo.tripod.co.jp/walk_e.htm



502. 木枯らし‥‥ サイトの主  2002/12/17 (火) 14:10
本郷は、木枯らしが吹いて、完全に冬景色。

グスタフ家に因縁の12月9日、アドルフ王子誕生との報につづいて、
ヒロチ公は学振の面接会場に乗りこんで
時間ピッタリの演説で専門委員をうならせたとの報、来たる。

ぼくは先週風邪をひいて、迷惑をかけました。
復帰して、前触れなしに皆さんに頼みごとを重ねるかもしれませんが、どうかよろしく。



501. 美しい秋の本郷 サイトの主  2002/11/28 (木) 19:00
 このサイトの発言数も文字どおりお陰様で、500をこえました。ふつうの掲示板のレスと比較すると、各発言が概して長いのですね。おそらくは条件反射的な書き込みよりも、別の画面でエディタを使って書いた文章をコピー&ペイストする人が少なくないと思われます。
忙中閑、美しい光景のアルバムを作りました。↓ ご覧ください。
 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/hongo0211.html



500. Re: 作品を サイトの主  2002/11/26 (火) 13:18
>‥‥文書をパソコンに入力することは、それ自体が目的なのではなく、後にプリントアウトして内容を深く検討するための、あくまでも方便にすぎません。

 そうと知って安心しました。ときに常識が通じないのかな、と思われることもありましたので。

>‥‥焦点の対象はあくまでも個々ばらばらの親族なのに、常に結婚式というストーリー全体が見えている、そういう構造になっています。
> これだな、と思いました。

 心意気や、よし。小説よりもエキサイティングな、ギンズブルクも恥じるような、作品を読むのを楽しみにしています。
 スピードが必要、というのは実際的にして賢明な知恵です。ぼくじしん、慎重にしすぎて(あるいは外的な情況にはばまれて)完成に至らなかったプロジェクトがいくつあることか。スピードというより「勢い」といったほうが適切な気がしますが。
 自分ひとりで抱えこまずに、このサイトのような所で公言しちまう、というのも利口なやりかたかも。大学教師たちが特殊講義という名で今書いている(未完の)原稿をしゃべるのも、その一つでしょう。また、最近、30歳前後で課程博士論文をしあげる例がひろまってきたことも、良いことだと思います。



499. 小説か? ヒロチ  2002/11/22 (金) 17:14
このような失敗を繰り返さないためにも、個々の審問記録の個性を消すことなく全部をうまく論文にまとめる方法はないものか、思案していました。

小説にする!

と考えたこともありました(それが自分にできたとしての話だが。できたとしても論文として受理されないだろうな・・・)。ミクロストリアが叙述方法(物語)についての問題提起をしていたことを皆さんお覚えでしょうか?

今年、「モンスーン・タイフーン」というインド映画が上映されました。インドの中流家庭の娘の結婚式に親族が集うのですが、この娘が結婚式の寸前まで元彼氏との関係を断ち切れず、果たして結婚式はうまく執り行われるのだろうか、というのが全体のストーリーです。一方、集まった親族もそれぞれが個々にさまざまな問題を抱えており、話はそれぞれの親族に焦点をあてて、一見オムニバス形式で進んでゆきます。たとえば、主人公の従姉妹を性的虐待したことのある叔父がやってきます。性的虐待自体は結婚式とは関係ないのですが、従姉妹が性的虐待の事実を公にしたことによって、この叔父を結婚式に参加させるべきか、という問題が生じます。焦点の対象はあくまでも個々ばらばらの親族なのに、常に結婚式というストーリー全体が見えている、そういう構造になっています。

これだな、と思いました。



498. 審問記録を読む ヒロチ  2002/11/22 (金) 17:14
>文書を読む≠歴史学する

かといってわれわれは、何の素材もなしに歴史を考えることはできません。もし研究がなかったり、あったとしても不十分であれば、文書をひもといてみるしかありません。

手稿文書を読んでいると、文字の判読に労力を取られて、なかなか内容に集中することができません。手稿文書には、思考を妨げる障害物が多すぎます。ちょっと前に読んだ所が気になって読み返そうとしても、もう探し出すことが難しいくらいなのです。ですから文書をパソコンに入力することは、それ自体が目的なのではなく、後にプリントアウトして内容を深く検討するための、あくまでも方便にすぎません。

また、入力のスピードを上げる目的は、できるだけ多くの文書を読むことだけではありません。一つあたり平均して四、五百ページある審問記録を読むためには、あまりゆっくりと読んでいたのでは、今まで読んできたことを忘れてしまうので、かえって内容がわからなくなってしまいます。内容を理解するためには、逆説的ですが、スピードが必要なのです。

文書館に向かう三十分の道のりで今考えていることの一つに、個々の人間に共感できてこそその時代や文化を理解できるのではないか、ということがあります。もしそうだとすれば、審問記録はまたとない素材だということになります。われわれは制度とか政治とか経済とかいう抽象的なものには、(理屈では理解できても)共感することはなかなかできませんので。審問記録を単に奇妙奇天烈な人たちの事例としてではなく、時代や文化を知るための手掛かりとして利用する道を考えています。(もちろん奇妙奇天烈さはそれ自体で価値を持ちますが)

面白い審問記録がたくさんあるのに研究の対象にならなかったは、それらが論文という形式にはなじまない、という理由があると思います。個々の審問記録自体は面白くても、それらを全体としてどうやってまとめていいのか、困ってしまうのです。博論を書く人は、個々の審問記録をいくら連ねても博論を書くことはできないので、異端審問制度の制度的側面とか、判決や報告書の数量化など、いかにも論文になりそうなテーマを選ばざるをえませんでした。その結果、どれも似たりよったりの、しかもあまり面白みのない研究ばかりになってしまい、そのうち研究の数も減ってゆきました。



497. Re: 文書を読む≠歴史学する サイトの主  2002/11/21 (木) 19:28
> 効率が上がるというのは、文書を見つめたままでパソコンに入力できるようになると、どこを読んでいたかわからなくなることがなくなる、ということです。それまでの3,4倍のスピード(音読するのと同じくらい)で入力できるようになります。‥‥

そんなことは聞くまでもない。そうした「効率」が何をもたらすのか、が問題なのです。
だれかの修論のように、何百ページ(千何百ページ?)にわたって、ただ転写した史料を読まされるのは、かなわない。読むに値するものを書いてくださいね。
(かくいうぼくも The workhouse issue at Manchester: Selected documents 1729-35 [1987] のような史料編纂をしましたし、自画自賛ながら有意義な仕事だったと思っています。英米人に引用されるのは、ほとんどこれのみかもしれない。)
ぼくが 495 で言っているのは、わざわざ効率の悪い「手で写す」という作業を選ぶことによって「考える」効果があるということです。考えることさえできれば、(そして特定部分について手で書体をまねる、複写をとるということを加えるなら、)PCを使うことは当然ながら賢明な手段です。



496. 研究費 ヒロチ  2002/11/20 (水) 05:26
近藤先生、お返事ありがとうございます。

>‥‥一時的には幸せの骨頂でしょう。

愚の骨頂でなければいいのですが・・・

>その効率とはなんでしょう。

手稿文書を読んでいるときは、文脈の中で文字を判読しているので、文書から目を切ってしまうと、どこを読んでいたのかわからなくなることがしばしばあります。ときには全くわからなくなって、最初の行から読み直さねばならなくなることすらあります。鉛筆で紙に写す場合は余っている手の人差し指を文書に添えながらできるので、目を切っても大丈夫ですが、その分余計に時間がかかりますし、パソコンへの入力に比べて体力の消耗が烈しいので、長時間の労働には向きません。

効率が上がるというのは、文書を見つめたままでパソコンに入力できるようになると、どこを読んでいたかわからなくなることがなくなる、ということです。それまでの3,4倍のスピード(音読するのと同じくらい)で入力できるようになります。

日本語の場合は漢字変換があるので、完全ブラインドタッチはできませんね。日本史を研究している人は大変でしょう。

なお、パレオグラフィーの本を読むだけでは字体はなかなか覚えられません。僕は、あたかも書道の稽古のように、書記の字体を真似て紙に写してゆき、書記のクセを覚えるようにしました。視覚だけでなく、身体感覚を利用するのです。すると不思議なことに、今までさっぱり判読できなかった字が読めるようになるのです。

>‥‥何百万・何千万の研究費が血税から支払われる‥‥

僕も早く研究費の恩恵に与れる身になりたい・・・そうすればいい加減な発言もなくなるだろうな・・・今だに授業料払ってるし・・・

>ヒロチくんの(一時)帰国はいつですか?

今月の末に帰国して、一月の頭まで日本にいます(じゃないとお年玉がもらえないから)。



495. Re: ヒロチの幸せ サイトの主  2002/11/19 (火) 14:35
マドリードからのお話を聴いていて、ちょうど10日の史学会大会で話した「修正主義」の問題だな、と受けとめました。
歴史家がまともな研究文献のないテーマの史料にはまって出てこられなくなっている状態は、一時的には幸せの骨頂でしょう。

>‥‥そのそもしっかりしたカタログもありません。

という情況は、ほとんど日本的だな。
要項・索引を作ることはアーキヴィストの仕事とはいっても、専門の歴史学的指針・助言は必要です。想い起こすのは、今ではケインブリッジ大学図書館に収まっている Cholmondeley(Houghton) Mss です。このチャムリ家に保存されていたウォルポールの文書を整理してタイプ印刷のカタログにしたのは1950年前後の文書官ですが、しかし例のジャック・プラム先生の監督・指導に依拠していました。というより、プラム先生はこの文書の山の整理は自分の生涯に課せられた任務だと意識していたのではないか。今でも、この3冊あまりのカタログをみると、JHP という署名をそえたメモが随所に入っています。

> 手稿文書を読むのは簡単ではないし、‥‥とはいえ‥‥いずれは慣れます。

そして楽しくなっちゃう! これまでの通史・概説とちがう世界を前にして(人知れず)高揚したときを味わう! Ay, there's the rub. 修正主義の落とし穴はここにあります。

> パソコンに入力するのも最初は時間がかかります。しかし画面を全く見ずに文書だけを見つめながら入力できるようになると、飛躍的に効率が上がります。

その効率とはなんでしょう。
ぼくは文書を読むときには、PC入力でなく手で写すのを好みます。理由は、1) サインの字体をまねたりできます(あとで別の文書館で同一氏名の人の文書と出会ったときに、同定できる、あるいは正本か控えかがわかる)。
2) どうしてもスピードが遅くなるので、考えながら、選択しながら読むことになる。文書はたしかに過去から現在のわたしへのメッセージなのだが、メッセージの海の無数の水滴に付き合うことはできない。歴史学は死人=近世人のしもべではなく、現代に生きるわたしの営みです。でなければ、何百万・何千万の研究費が血税から支払われる理由はないでしょう。(「現代に生きるわたし」といっても、きわめて広く長いスパンで考えられていることは言うまでもありません。)

ヒロチくんの(一時)帰国はいつですか?



494. 事情説明(続) SDHH  2002/11/18 (月) 03:50
手稿文書を読むのは簡単ではないし、それなりに熟練を要するのは確かです。最初はどっちが上でどっちが下なのかもわからなくなるくらいに戸惑います。とはいえ、たかがアルファベットの三十文字くらいの組み合わせでできているのですから、いずれは慣れます。

パソコンに入力するのも最初は時間がかかります。しかし画面を全く見ずに文書だけを見つめながら入力できるようになると、飛躍的に効率が上がります。手稿文書が読めるようになり、完全ブラインドタッチができるようになるまでに少なくとも三ヶ月はかかります。

なお、読む能力にしろ入力する能力にしろ、ちょっとサボるとすぐに落ちます。実際、スペイン人でも夏のバカンスから戻った後は字が読めなくなって、これなんて読むの?などと周りの人に聞いています。ですから、文書館仕事は、一度始めたら、終わるまで止めてはいけないのです。

手稿文書を読むよりは、研究書を読む方を優先させるべきだとの意見もありましょう。全くその通りだと思います。なのになんで手稿文書ばかり読んでいるのかというと、面白いからということにつきます。学問的な意義は後から考えることにしますが、面白かったら、それだけで読む意義があると思うのです。(その他の言い訳は直接お会いしてからということで・・・)



493. 事情説明 SDHH  2002/11/18 (月) 03:49
スペインでドツボにハマっているヒロチ(略してSDHH)と申します。

現在、文書館(国立歴史文書館)通いを続けています。指導教官から「早く論文を書け!」とのお怒り(ないしは励まし)のお言葉をいただく前に、事情をご説明申し上げます。

スペインの場合は、先進諸国(英・仏・独)とは違い、刊行史料がほとんどありません。中世史であれば有名なものに限ってはそこそこ揃ってはいるのですが、近世史になると全くといっていいほどなく、修士論文を書くことさえ手稿文書を使わずしては難しいほどです。

先進諸国では、おそらく文書館員が史料の刊行を行っているのでしょうが、スペインでは史料の刊行は歴史家の仕事なので、史料が刊行されるか否かは歴史家の善意にかかっています。有名な史料でも刊行されていないものはたくさんあります。

刊行史料がなくてもすでに研究がなされているはずだとお考えでしょうが、それもありません。これは自分で文書館に通うようになってからわかったことですが、毎日まじめに通っている人はごくわずかしかいません。大学で職を持っている人たちは忙しいので、たまにやって来て必要な部分だけを確認してゆくだけですし、博論作成中の学生でも、マドリードに在住していなければ国立文書館を継続的に利用できません。史料の膨大さに比して、研究者の数があまりにも少ないのです。より正確に言うと、継続的に文書館に通える研究者の数が少ないのです。たまに来る研究者は、すでに研究されたことのある史料を請求することしかできないので、特定の史料のみが何度も請求されるということが起こります。

そもそもしっかりしたカタログもありません。これは文書館員の怠慢のせいですが。異端審問記録に関しては、100年くらい前に作成されたかなり雑なカタログがありますが、中身は請求して実際に確認してみるまではわかりません。

だったら片っ端から請求してやる!と思ったわけでもないのですが、一仕事終えて少し時間に余裕ができたので、適当にあたりをつけて請求し出してみたら、面白い史料がたくさん出てきました。それらの史料の存在については、今までの研究史においては言及すらなされていません。こういった史料は、二年も三年も文書調査ができる暇な(つまり僕のような)研究者が出てこない限り、いつまでも発見されないまま、ということになります。



492. しばらくぶりの更新 サイトの主  2002/11/12 (火) 16:07
皆さま
 まったく久しぶりですが、ウェブサイトを更新しています。
 史学会大会と校務などもろもろのことが重なって、間があいてしまいました。「グローバル化の世界史」ページの登載がなぜかうまく行かないままでしたが、これは今日になって、他のデカイ写真ファイルを降ろし、またファイル名を改めて FFFTP のご機嫌を窺いつつ数度こころみて、なんとかなったようです。
 修正(revise)することなしにサイトも永らえることはないでしょう。修正主義(revisionism)の覚醒効果はあまりにも明らかだが、それだけで終わっては淋しい、というのが史学会大会第4セッションのメッセージでした。



491. 今井 宏 先生 サイトの主  2002/10/18 (金) 18:17
 今日、18日午後、六本木/赤坂の霊南坂教会で執り行われた告別式に行ってきました。
 1930年9月にお生まれの今井先生は72歳、まだまだ早い死でした。座席が隣になった浜林先生は、お元気でしたが「最近、自分より若いのに先立たれてさみしいね」と静かに言っておられました。
 口の悪いS名誉教授は、「イギリス史と女子大関係ばかりか」と暴言を吐いておられたが、そんなことはない。喜安さん、遅塚さん、西川さん、坂井さん、木村さん、福井さん‥‥と大陸史の皆さんが顔を揃えていましたよ。
 1958年春、つまり28歳になる年に東京女子大に就職なさって、それ以来、非常勤は別にして、40年間、ずっと同じ大学に勤められたのだから、告別式では当然ながら同窓会の強いプレゼンスを感じてしまいます。
 じつはぼくは、残念ながら今井先生と濃密に交渉する機会はなく、ごく「紳士的」な関係に終始してしまったような気がします。「イギリス史研究会」では1975年以来、何度か報告させていただいたし、何より『イギリス史 II(近世)』が出たときは、どこかの一室で執筆者ご一同+近藤で、かなりしっかりと批評会をしたのですが( →『史学雑誌』100-11の書評の前提にそうしたことがあったのです)、ある所まで討論がすすむと、その先には立ち入って衝きつめない。一種の品性なのかもしれないが、あまり高品位ではなく若かったぼくは、不満のようなものを感じたことでした。
 今年4月に『長い18世紀のイギリス』を差し上げたら、そのご返事に「目下 開店休業中です」とあり、気を弱くなさっているな、とは感じましたが‥‥。 Aくんとお見舞いに行こうか、とメールでやりとりしているうちに、病状は急転したようです。
 今日、教会の二階席に座して、遺影がほんの少し仰角でおいてあったので、ちょうど目を正面から見つめあう位置になりました。「人生の年月は70年ほどのものです‥‥」という石井牧師の言を耳にしつつ、感懐に耽りました。想いが残ります。

 なお、次のサイトで、東京女子大の最後のころの今井先生のスナップを見ることができます。↓
 http://www.twcu.ac.jp/as/history/imai/album.html



490. HP としひこ [URL]  2002/10/12 (土) 21:20
サイトの主さま、お返事ありがとうございました。予告どおり、ようやくぼくのHPも完成しました。つたないものですが、是非一度ご訪問ください。

http://homepage3.nifty.com/toshihikoiwama/



489. HP としひこ [URL]  2002/10/12 (土) 21:19
サイトの主さま、お返事ありがとうございました。予告どおり、ようやくぼくのHPも完成しました。つたないものですが、是非一度ご訪問ください。

http://homepage3.nifty.com/toshihikoiwama/



488. Thank you! サイトの主  2002/10/07 (月) 15:13
最近、ある場でとしひこさんのことを話題にしたばかりなので、うれしいお知らせでした。

>‥‥HPの管理者はリンクを作成しました。ゼミのHPは
>http://isweb43.infoseek.co.jp/school/kkhhh/iwama-semi.htm

さっそく拝見。ご馳走を前にしんみょうな学生さんたち‥‥etc.
それぞれきれいに撮れていますね。
ところでウェブの効用ですが、今までのところ情報の伝播、収集には威力を発揮するが、ものを考えるにはあまり相応しくないような気がします。むしろ、人をして「反応させる」が、「考えさせない」のがインタネットの特徴?  それなりに充実した内容だと、ぼくはかならずプリントして読みます。



487. リンクについて としひこ  2002/10/06 (日) 17:02
サイトの主さま、ご無沙汰しています。事後の連絡で大変恐縮ですが、ぼくのゼミ生が、HPを作成しました。その際、ぼくが講義等で薦めたHP(このサイトも含まれています)の内容をもとにHPの管理者はリンクを作成しました。ゼミのHPは

http://isweb43.infoseek.co.jp/school/kkhhh/iwama-semi.htm

です。掲示板にパスワード設定がありますがこの点はご容赦ください。

ぼくも簡単なHP原稿をほぼ完成させましたが、一部のHP(講義資料の配布)にアクセス制限をかけるための勉強をしています。サイトは勤務校のものではなく、niftyのものを使用する予定です。






486. Welcome back! サイトの主  2002/09/25 (水) 15:29
> ノートPCのバッテリというのは馬鹿にできない問題です。

ぼく自身の経験からも、ほとんど画面を立ち上げてまもなく、バッテリ切れの警告、モタモタしているうちに「強制終了します」というメッセージとともにほんとに切れてしまう‥‥というのは惨めな気持になります。しばらく前の Lavie はそうでした。
じつはデジカメでも似たような経験をしましたので、今回はバッテリをふたつ持ってゆき、交互に使いました。こちらのバッテリは小さいのでなんでもないが、PCのバッテリはそれなりにかさばるので‥‥

>地中海南側の某国を訪れ、‥‥
>この旅行はとても興味深い体験でした。

ほとんどカミュ的経験かな? お話聞けるのを楽しみにしています。



485. 地中海のむこう側 mailto:akkudo@club-internet.fr  2002/09/22 (日) 12:27
サイトの主様

ご無沙汰いたしております。

ノートPCのバッテリというのは馬鹿にできない問題です。今年の夏、地中海南側の某国を訪れ、間近に電源コンセントがあるとはかぎらない史料館・図書館の閲覧室を見ては、贅沢を言ってはいけないと思いつつもとまどいをおぼえました。そんな些末なことがらはともかく、この旅行はとても興味深い体験でした。

今週から一時帰国をいたしますので、研究室でお目にかかり直接ご報告をする機会があればと考えております。



482. Dynabook S5 サイトの主  2002/09/11 (水) 15:06
> ‥‥バッテリ駆動時間は実に長い。

実質的にカタログ上で半日もつ、と書いてないと役に立たないのではないか。ぼくは飛行機のなかで数時間作文をして、自宅に帰ってみたら電源コードがスーツケースのなか(佐川急便で翌日配達)、こりゃいかんというので、メール送受やファイル整理をバッテリのままでやりましたが、まだ電源は30%くらい余裕があったようです(大容量バッテリが標準装着で7.7時間ということになっていますが、今のところその表記どおりです)。

> USBポートが二つも内蔵されている。これは現状ではフルサイズノートにも搭載されていない先進的な規格です。

そうとは認識していなかったが、USBが複数ないと不便ですよ。ぼくはバックアップはUSBメディア(IO Data 128MB)でとるので、なおさらです。とはいえ、ケインブリッジの電脳室のPCにはUSB端子がなく、学生たちはフロッピでデータを移していました。ぼくのDynaにはフロッピドライヴがない! という問題も生じたのですが‥‥。そういうこともあろうかと、生協のお兄さんに勧められてフロッピドライヴは買ったのだが、面倒、と日本においていってしまった!



481. Re: 帰着しました Gustav  2002/09/11 (水) 14:04
主さま、お帰りなさい。無事に帰朝のご様子、何よりです。(思えば一年前の今日(この忌まわしき日)によしこんを伴って私も完全にルンドの本拠を引き払い、帰国したのでした。)

> ついでに、買ったばかりのDynabook S5 ですが、快調でした。

すばらしい…。IBM一辺倒な自分ではありますが、最近ちょっと気になったので東芝、Sony、IBMあたりのノートを調べていたのです。モーバイル用途でしたら、バッテリ駆動と快適なパーフォーマンスのバランスを考慮すれば、現状ではMobile Pentium III 800Mhzあたりが妥当なのですが、それにしてもDyna S5に標準で付属しているバッテリ駆動時間は実に長い。もはや無線LANデヴァイスの内蔵は必須スペックですが(とはいえ、それは日本国内の都心部あるいは空港などのホットスポットでしか利益を得ないでしょうが…)、さらにDyna S5にはUSB2.0規格に対応したUSBポートが二つも内蔵されている。これは現状ではフルサイズノートにも搭載されていない先進的な規格です。外付けHDやDVD-R、イメージスキャナなどを用いた大容量データ転送をUSB2.0は実現しているのです。そんなものまでに目を配っているPCがDyna S5。別にNHKのプロジェクトXなる番組に感化されたわけではありませんが、ワープロやノートパソコンの先駆けであった東芝技術陣の底力に感服するとともに、そんなところに我が国への希望を託したくなる(…などと言っている自分は、完全にプロジェクトXの番組制作の術中に嵌っていますね…汗。)IBMがサブノートパソコン市場から撤退してしまった今、サブノートパソコンのベストバイはDyna S5ですねぇ(…と宗旨替え)。

すみません…ついついあまりの羨ましさから、駄文をつづってしまいました…以後反省します。



480. 帰着しました サイトの主  2002/09/11 (水) 13:10
3週間の旅行から帰着しました。
リサーチと会談と両方とも所期の目的どおり果たすことができました。有意義で楽しい滞在でしたが、それはすべて日英の友人たちのご協力のお陰です。あたらめて many thanks!
それにしても大学 LAN の環境でふだん仕事している者には、あらためて電話接続の遅さ、高さを認識させられました。

ちなみに、この3週間に大学のサーヴァに溜まっていた着信メールは81通、おそらくすべては旅行中の指定アカウントに転送されていた=したがって既読のはずですが、これから確認します。

ついでに、買ったばかりのDynabook S5 ですが、快調でした。CPUが800MHzしかない、と言ったって、旅先の通信環境では、十二分です。それよりなにより、軽くて薄くて美しいボディ‥‥、ちょっと目立ちます。キーボードの広さ、バッテリの保ちの良さも選択の目玉でした。Canon BJ M40 とともに大活躍。 



479. Windows2000 & 歴史の重畳 mailto:kondo@l.u-tokyo.ac.jp  2002/09/05 (木) 23:29
> 熱帯を思わせる厳しい残暑と「もうどうにも止まらない」株価

じつは申し訳ないくらいのよい天気がつづき、直射日光は強いが日陰は快適。朝夜はやや寒くて、けさは6時ころ寒さに目がさめ、アノラックを上掛けに添えました。
日本のことは、どうもTV,新聞では報じられないな。こちらにいる日本人はほとんどウェブで日本の新聞を読んでいるらしいが。こちらでは Blair の Bush 追随路線が論議の的。Guardian 以外は愚かな内閣に追随しています。

> Windows2000 and XPはUnicodeを基盤にMultilingual環境を実現したOSです。アルファベットに加えて、仮名、漢字などの情報をもったフォントがデフォルトでインストールされています

いつも適切な指摘をありがとう。

> 西洋史研究者にWindows2000の利用を薦めた文章を3年ほど前の「クリオ」に記述しています。

申し訳ない。忘れていた! 偉大な先駆者は、孤独ですね!

> CopenhagenにいたO君がCambridgeに立ち寄ったそうですね。

朝食だけでしたが、一緒にしました。
それほど知的かどうか。とにかく中世と近世人文主義、「長い18世紀」(Cambridge University Libraryの実質的な中核はじつは高教会=トーリのオクスフォードに対抗すべくジョージ一世の寄贈した万巻の書によるものです。)、そしてヴィクトリア朝、戦間期、1980年代以降、といくつもの時代の所産が建物に象徴的に代表具現されている、文化の重畳と「生きてる歴史」を身をもって感得するには、よい場所ですね。
社会としては、日本のほうが効率的なばかりでなく優しい=成熟している、とぼくは思います。鉄道を時間どおりに運転できない、改良工事を手際よく実現することのできないこの国、まずい飯をアルコールでごまかしているこの国民が、日本経済を馬鹿にしてる/下に見ている、というのは、およそ歴史に残る fallacy でしょう。
日本人よ、もっと前へ! としきりに思います。



478. Re: Windows2000での日本語入力 Gustav  2002/09/05 (木) 08:07
いつかこの9月のはじめの時期にイギリスに滞在して、Proms Last Nightに出かけてLand of Hope and Gloryを歌うことが密かな夢であるGustavが、熱帯を思わせる厳しい残暑と「もうどうにも止まらない」株価下落で、HopeもGloryも感じることのできない地からご挨拶申し上げます。

> Windows2000に最初からついているのですか? 

Windows2000 and XPはUnicodeを基盤にMultilingual環境を実現したOSです。アルファベットに加えて、仮名、漢字などの情報をもったフォントがデフォルトでインストールされていますので、Internet ExplorerやWordなどのMicrosoft純正ソフトウェアのように、Unicode環境に最適化されたアプリケーションならば、特別な作業を踏まなくても文字化けを起こさず、文字を表示できます。

また英語版のWindows2000 or XPであっても、日本語の入力さえ可能です。Windows2000の場合には(XPもほぼ同じですが…)、Control Panel→Regional Options→GeneralにあるLanguage setting for the system でJapaneseを選択し、さらにControl Panel→Regional Options→Input LocalesにあるInstalled input localesでJapaneseを加えれば、Microsoft IME(Japanese)がインストールされ、日本語を入力できるようになります。(この状態ですと、日本語環境で開発されているソフトウェアまで文字化けすることなくインストールできます。)

逆もまた真なり…で、日本語版でもWindows2000 or XPならば、ドイツ語、フランス語、スウェーデン語…といった特殊文字のある言語環境で作成されたアプリケーションを文字化けなく利用することができます。

以上のような利点から、私は西洋史研究者にWindows2000の利用を薦めた文章を3年ほど前の「クリオ」に記述しています。ですが、現在(私の務める大学の特色で留学する学生が多いのですが)学生たちからの要望も多いのでいずれ自分のHPで情報を整理・公開しようと考えています。

そういえばCopenhagenにいたO君がCambridgeに立ち寄ったそうですね。誠に素朴な北欧の地からからCambridgeに寄ろうものなら、あまりに刺激的で卒倒寸前の知的興奮を感じたのではないでしょうか。残暑の大阪にあって僕は15日に行われるスウェーデンの総選挙の行方に興奮を覚える日々を過ごしています…。どうぞお気をつけて。



476. Windows2000での日本語入力 サイトの主  2002/09/05 (木) 05:42
いま剣橋の両王妃学寮(Queens' College Cambridge)に滞在中です。歴史的な広い部屋(居間+two bedrooms)をあてがわれたのはよいのですが、インタネット環境は悪化しました。自分のPCをネットにつなぐことができないのです。
それなら、と、電脳室を使わせてもらっていますが、かなり遅いマシンで、Internet Explorer から nifty.com の画面に入ってゆく、という方法です。特別のソフトをダウンロードしなくても日本語で読み書きできるというのが驚きです。Windows2000に最初からついているのですか? ATOKでないし、自分の辞書も使えない、というので不自由ではあるが、2・3年まえのことを考えると革命的な変化ですね。



475. 再び訂正 Ramon  2002/08/22 (木) 09:33
その後、ベロットの経歴について調査を進めましたところ、私の発言で訂正を加えるべき箇所が発見されました。
ベロットは、1747年から1767年までドレスデンに滞在し、1768年にポーランド王の宮廷画家として、ワルシャワに移住し、この地で1780年に没しました。
ところで、当初ベロットが仕えたザクセン公=ポーランド王アウグスト3世は1763年に死にますが、彼の後継者にポーランド国会が選出したのは、ザクセン公ではなく、ポニャトウスキ Poniatowski家のスタニスワフ2世でした。彼は駐露ポーランド大使としてペテルブルクにいたとき、エカチェリーナ2世の愛人になりました。スタニスワフの国王選出はロシア軍の圧力のもとでおこなわれました。また、ポーランド貴族でスタニスワフを強く推したのは、彼のいとこアダム・チャルトリスキ Czartoryski でした。チャルトリスキ家はヤギェウォ朝の末裔ですが、ここで思い出されるのは、ポーランドの古都クラクフのチャルトリスキ美術館で、レオナルド・ダ・ヴィンチの「白貂を抱く貴婦人」はこの美術館の至宝です。去年末から今年初めにかけて、京都、名古屋、横浜で、チャルトリスキ美術館展が催され、レオナルドのこの絵は展覧会の目玉として展示されまていました。
ですから、ベロットが仕えたのは、ポーランド最後の王スタニスワフ2世でした。したがって、471の「当時、ザクセン公はポーランド王を兼ねていたので、ベロットはワルシャワの街並も描いています。」という私の記述は誤りということになります。もっとも、ザクセン公=ポーランド王の同君連合は、1697年から1763年まで続いており、ドレスデンとワルシャワの人的交流も密だったと思われるので、ベロットが次の仕官先としてポーランド宮廷を選んだのは、自然であると思われます。



474. ローミングwith BTopenworld サイトの主in倫敦  2002/08/22 (木) 05:39
ご無沙汰しています。しばらくオフラインの生活でしたが、その間にドレースデン等々について意義深い対話が続いていたと、たった今知りました。
ただ今倫敦にて、オブライエン先生と大事な話を決めて参りました。インタネット接続に戸惑いましたが、ふたたび Earls Court 在の K2兄の良き助言で、このように開通したわけです。今年は髭面ではないようですが、やはり地獄に仏、に近い、感謝一杯の気持です。 21日(水)夜



473. 訂正 Ramon  2002/08/21 (水) 11:12
訂正です。471で書いたベロットの原綴りが間違っていました。正しくは、Bellotto、tが2つです。謹んでおわびします。
なお、その後の調査で、ラフマニノフの交響曲第2番は、1906-07年にドレスデンで作曲されたことが判明しました。



472. 追伸 Ramon  2002/08/20 (火) 15:27
なお、ベロットのドレスデンの絵は、以下の本に掲載、紹介されています。
R.-M.Hagen(ハーゲン)、R.Hagen著、新井皓士訳『名画による歴史探訪−ヨーロッパの文化と社会−』(岩波書店、1996年)原題 Meisterwerke Europaischer Kunst.



471. ドレスデン挽歌 Ramon  2002/08/20 (火) 14:36
Gustav様、早速貴重な情報をお寄せくださり、ありがとうございました。「貧者の一灯」をともすつもりです。
御両親も、よい時期に中東欧へ行かれて、ラッキーでした。今後いつ、歴史的建造物やホテルやレストランが復旧して、この地域に旅行ができるようになるか、めどが立ちませんから。
ところで、戦災前のドレスデンの景観を見るのに格好の絵があります。18世紀ヴェネツィアの景観を描いたアントニオ・カナレットの甥ベルナルド・ベロット Bernardo Belloto (1720-1780) の絵です。カナレットの絵が、昨年春、上野の森美術館で開催された18世紀ヴェネツィア絵画展でたくさん展示されたことを、本サイトで主様が述べておられます。ベロットは、ザクセン公に仕えていました。この絵では、エルベ川とそれにかかる橋と旧市街の宮殿や教会や中世の街並が、丹念に描かれています。また、当時、ザクセン公はポーランド王を兼ねていたので、ベロットはワルシャワの街並も描いています。
第二次世界大戦末期、ワルシャワはナチス・ドイツ軍により破壊されましたが、戦後、もとの街並に忠実に復元されたのは、周知の事実ですが、復元にあたっては、ベロットの多くのワルシャワ景観図も参照されました。
それにたいして、ドレスデンでは、ツヴィンガー宮殿やゼンパー・オペラ座などの主要な歴史的建造物が復元されたにとどまり、廃墟のあとにはスターリン様式のコンクリートのビルが建てられました。これは旧西ドイツのミュンヘンやリューベックの街並が戦後忠実に復元されたのと対照的です。
実は、ベロットのドレスデンの絵は、ラフマニノフの交響曲第2番ホ短調(サイモン・ラトル指揮、ロサンゼルス・フィル、1984年録音、EMI盤)のジャケットを飾っています。私の記憶では、たしかラフマニノフはこの曲をドレスデンで作曲しました。近年ドラマで使われて有名になった第3楽章アダージョのエレジアックなメロディーを聴きながら、この絵をながめると、「エルベ川のフィレンツェ」といわれた美しい街並が二度と蘇らないことを思って落涙し、戦争の惨禍を呪う気持ちになります。



470. Re^2: 危機に瀕する中欧・東欧 Gustav  2002/08/19 (月) 17:15
チェコについては、先に紹介した

http://www.praguepost.com/P02/2002/20814/help.php

に、英語による義捐金情報が網羅されました。

またザクセンに関しましては、ザクセン州の公式ホームページに義捐金情報がでています。

(ドイツ語)

http://www.sachsen.de/cms/Hochwasser_FAQ_Anreisser.htm

(英語)

http://www.sachsen.de/de/wu/smwa/flood/index.html




469. Re: 危機に瀕する中欧・東欧 Gustav  2002/08/19 (月) 17:00
茨城へ帰省し、昨日大阪へ戻りました。茨城へ帰ってみると、私の両親は7月末にドレスデン、プラハ、チェスキー・クルムロフ、ブダペストを旅してきたばかりとのこと…。そのときの美しい写真の数々を見る一方で、テレビに映し出される水害の映像を目の当たりにし、私も衝撃を覚えました。とりわけRamonさまがすでにご指摘のとおり、ドレスデンという都市が見舞われた歴史的な不運の数々には、心を痛めます。

さて義捐金の件ですが、急ぎインターネットで検索したところ、とりあえずプラハにつきまして、Prague Post誌が主催する水害救援基金を、チェコ(全土)につきましてはチェコ放送が主催する義捐金の情報を見つけましたので、ここにお知らせいたします。詳細は

http://www.praguepost.com/P02/2002/20814/help.php

http://www.pinf.cz/floods.htm

をご覧下さい。ドレスデンなどについては、鋭意検索続行中です。



468. 危機に瀕する中欧・東欧 Ramon  2002/08/18 (日) 08:04
ここ数日、私の気分を滅入らせる事件が相次いで起こりました。
ひとつは、扶桑会の所謂「つくる会」の歴史教科書が愛媛県の中学校で採用されることが決まったこと。全国に先がけてかかる反動的歴史教育が本県で推進されることに、同じ愛媛県出身の私は深い憤りと恥ずかしさを覚えます。
第二に、中欧・東欧の洪水であります。ここ百年で最大の洪水は、ザルツブルク、プラハ、ヴルタヴァ(モルダウ)川上流のチェスキー・クルムロフ(エゴン・シーレの母の故郷)などの世界遺産都市やドレスデンに被害を与え、中欧・東欧の鉄道や道路などの交通網を寸断し、農業・商工業に甚大な被害を与えつつあります。環境汚染も懸念されます。中欧・東欧におけるかかる災厄は、第二次世界大戦における空襲以後、最大のものでしょう。とくにドレスデンは中欧で最も激甚の空襲を受け、約10万の死者を出しましたが、今回の水害でも最も被害を受けました。やっと戦災からの復興が進んだ矢先のこの洪水、ドレスデンはつくづく不運な都市と言わざるをえません。戦災で破壊されたフラウエン教会を瓦礫を組み合わせて再建していましたが、あの瓦礫は流出しなかったのでしょうか。また、ツヴィンガー宮殿所蔵のラファエロの「システィーナのマドンナ」をはじめとする名画群は無事だったでしょうか。
私は、ヨーロッパ史を専攻する研究者として、到底このような事態を座視することはできません。中欧・東欧復興のために義捐金を支払うことで、ささやかながら援助を行なうつもりです。ただし、街頭での募金は、宗教セクトの偽装によるものが多いので、正当なルート(郵便局・ユネスコなど)を通すつもりです。本サイトの読者の方々、なにとぞ募金に関する情報をお寄せください



466. Poor TeddyBear! サイトの主 [URL]  2002/07/29 (月) 14:24
>本日知り合いの者から「テディーベア」と呼ばれるウイルス
>についてのメールを受け取りました。‥‥

とかいったメールに悩まされていませんか。

>jdbgmgr.exeのファイル名の頭にテディベアのアイコンが‥‥

といったメッセージとともに、チェーンメールとして転送に転送を重ねているようです。これは hoax です。無視してください。
TeddyBear は windowsのために必要なファイル、もしすでに除去したなら下記にアクセスして復旧してください。
http://www.microsoft.com/japan/technet/security/virus/false/jdbgmgr.asp

いわば「××人が井戸に毒を投げ込んだ」といったデマに類する愚行で、これにたいする反応は、あなたの知性と合理的的判断力のテストかも。
参考のために、Google で jdbgmgr を検索してみてください。英語でも日本語でもたっぷり情報があります。



465. 『西洋世界の歴史』 サイトの主 [URL]  2002/07/26 (金) 15:46
おかげさまで『西洋世界の歴史』(山川出版社)はようやく2刷が出て配本されました。品切れでご迷惑をかけたかもしれませんが、今後はせいぜいご利用ください。
415+25pp、3200円の教科書は、今の時代、なかなか売れません。初刷で4000部も刷っちゃったので、どうなるかと心配していましたが、この機会に小さな間違いや不正確な記述をあらため、また巻末の参考文献も、ほんの少しですが up-to-date にすることができました。



464. Re^3: リンガ・フランカ & 史学会 白牛  2002/07/24 (水) 21:53
さらに有益なご教示、ありがとうございました。

なお、わたしの投稿文(462)中の書き下し文は、わたしじしんの手によるものです。文中で、紛らわしい表現がございましたので、あらためて注記させていただきます。当然ながら、文責もわたしにあります。



463. Re^2: リンガ・フランカ & 史学会 サイトの主 [URL]  2002/07/24 (水) 20:26
>‥‥英人「あんじ」もまた、東アジアに来ると、そのリンガ・
>フランカに従ったということでしょうか。

そうなのです。これは一知半解のぼくの考えでなく、荒野さんという東アジアのなかで日本史をみる第一人者に直接取材しました。16〜17世紀前半の東アジア海域では中国語・マレー語・ポルトガル語のいずれか(のピジン化したもの)を使うしかなかった、とのこと。これにオランダ語が加わるのはちょっと遅れ、ましてや英語が通じるようになるのは、はるかに後のことだそうです。パクス・ブリタニカの時代から遡及して、17世紀アジアでいささかでも英語が通じたなんて考えてはいけないのです!

ちなみに荒野泰典さんは、このところ11月の記念大会にむけて毎月行われている史学会例会(7月19日)でお話ししてくださいました。6月20日には福井憲彦さんでした。せっかくの公開的セミナーなのに、東大の院生の出席が極端に少ないのだよ。もったいない。 → http://wwwsoc.nii.ac.jp/hsj/
そんなことで戦後史学のイデオロギー性とか、国民国家の枠から自由な立場、とかよく言えるよ。



462. Re: Inglaterra, Gra-Bretanha 白牛  2002/07/24 (水) 16:20
サイトの主さま

 ご教示ありがとうございます。ポルトガル語(なまり)とは!対応関係も自然ですね。ひさびさに、目から鱗がおちました。
サイトの主さまも科研報告書の末尾で引用されておられるくだり
 
「今この衆参られ候国は、いがらたいら、また、げれほろたんとも申し候、何れも国はひとつ、名はふたつ御座候、かくのごとくあんじ書き付け上げ申し候」

は、文面から判断するに、三浦按針ことWilliam Adamsが、書き記したものですね。英人「あんじ」もまた、東アジアに来ると、そのリンガ・フランカに従ったということでしょうか。あるいは、当時の日本人に理解しやすいように、あえてポルトガル語風に書き記したのでしょうか。いろいろな可能性が考えられますが、興味は尽きません。ともあれ、ご教示、ありがとうございました。



459. Inglaterra, Gra-Bretanha サイトの主 [URL]  2002/07/18 (木) 14:50
 白牛さん、科研報告書を読んでくださってるのですか!?
 この『西ヨーロッパにおけるルネサンス像の再検討』所収の拙文には「いがらたいら又げれほろたんとも申候」と副題を付しました。ぜめし帝王(James I)から「日本 将軍様江」あてた信書を1613年 家康側近のあんじ(按針 William Adams)が読んで翻訳したのですが、その訳文のおもしろさと問題性を論じるための入口にしか立っていません。
 きちんとした論文にしたく多少のリサーチは進めていますが、いまの時点で言えるのは、この時代(近世)の東アジアにおけるリンガ-フランカ(多言語間の共通語)はポルトガル語(のなまり)だったということです。
 17世紀のポルトガル語についてまだつまびらかにしませんが、現代ポルトガル語では、イングランドは Inglaterra、その形容詞は ingles、グレートブリテンは Gra-Bretanha、アイルランドは Irlanda なのですね(アクセント記号は省略)。400年ほどたって発音が転化した可能性はあるが、それにしても、ほとんどピッタリでしょう。Terra=Land
  この衆の参られそろ国はイングラテラ
  またグラ-ブレタンヤとも申候。
グラがゲレと聞こえ記され、ブレがホロと聞こえ記されるのは、異常ではなく、むしろ Hepburn をヘボンと記す非凡さ(才覚)に類します。生半可な現代教育をうけた人々が、これをヘップバーンと記すのは、律儀な無能の証だと日ごろから思っています。



458. 「いがらたいら」「げれほろたん」顛末 白牛  2002/07/18 (木) 11:47
前投稿文を訂正し、再投稿させていただきます。

サイトの主さま、みなさま

 先日、ほんの軽い気持ちで「グーテンベルク革命」云々と申し上げたのにもかかわらず、その後、サイトの主さまやみなさまの広い視野と深い洞察力に満ちた議論が展開され、非常に勉強になりました。ありがとうございました。

記述に誤りがありましたので削除いたしましたが、昨日、本欄に投稿させていただいた質問(「いがらたいら」と「げれほろたん」の原語)につきましては、帰宅後、自宅にある『長い18世紀のイギリス』31頁で確認させていただきました。
 早速、本日、『大日本史料』十二編之十一巻、456頁以下を参照してみると、「いがらたいら」のほか、「いから」だけの表記もあり、では「たいら」は何の意?という疑問も出てきたのですが、いちおう、対応関係は理解できました。
 これらの記述には「イギリス」の表記も散見され、非常に興味深かったです。「イギリス」をめぐる呼称の問題は、こうした出会いのときからすでに起きていたのだということを、いまさらながら実感したしだいです。



456. Re^2: 修業時代の思い出 サイトの主 [URL]  2002/07/17 (水) 20:56
> 中学時代より心密かに愛読していた書に、坂井栄八郎先生による『ドイツ歴史の旅』(朝日選書)があります。

 いやはや、朝日選書とはいえ中学生でこれを愛読するというのは、尋常ではない。
坂井さんは、ご存じのとおり大人だから、「気の利いたこと」よりも「書くべきことを書く」とおっしゃるが、その文章に自ずから人文的素養がにじみ出る。いま、ある所で『・・史十講』という企画が進んでいるのですが、当然のように、筆のたつ坂井さんの『ドイツ史十講』が先行しています。

> 「思い出は尽ず沸きくれ 逼り来ぬ別離の刻は」で閉じられるマールブルクとそこで出会った人々への美しき思いに溢れた留学記は、一読すれば爽やかな情感が心に溢れます。

 そうですか。ぼくの場合は「爽やかな情感」というよりも硬質の万感をよびおこされます。
「単なるお客様としてではなく」「願わくばドイツ人の学生と同じように勉強したい」という「希望と意志」(p.239) は、また別の大学町ケインブリッジに、後年ぼくが到着したときの「希望と意志」でもありました。そのときにこの『ドイツ歴史の旅』はまだ出ていなかったし、ぼくは坂井さんを「18世紀のドイツ」『岩波講座 世界歴史』17 の執筆者として以上には、よく知らなかったが。‥‥1970年代には現役の西洋史研究者がどういう人か、まず『岩波講座』でどんなテーマを担当しているか、から探ったものでした。



455. Re: 坂井栄八郎先生 Gustav  2002/07/17 (水) 03:50
お二方の深い洞察と博識に裏付けられた対話を目にし、各方面から寄せられる"Your password!"ウィルスメールへの対処で辟易としていた気分が、台風一過の晴天の如く実に爽やかなものとなりました。Ramon様の"語りべ"としての力量に感服するとともに、歴史の"楽しみ"とは本来そうした魅力的な"語り"のなかにこそ内在するのだと勉強させられた次第です。

> 坂井栄八郎『ドイツ近代史研究』(山川出版社、1998)の135ページ以下「マールブルクの石母田先生」をご覧じろ。しばし感動して、胸が一杯になります。

私が年端のいかぬ中学時代より心密かに愛読していた書に、坂井栄八郎先生による『ドイツ歴史の旅』(朝日選書)があります。言わずもがな、この書物も、坂井先生の奥深い経験と教養に裏付けられた"語りべ"としての魅力溢れる著書です。Ramon様が言及されていらっしゃたアイゼナハのお話もここでは具に紹介されており、私がかつてリュッツェン詣に出かけた折には、この書物の記憶をたどりながら、"マルティン・ルター"号と名づけられたDBの特急に乗って"ゲーテ街道"を旅しました。

歴史紀行文としての魅力溢れる本書ではありますが、この坂井先生の著作の白眉は、エピローグ『マールブルクにおける修業時代の思い出のために』(初版では218頁以下)であると私は思っています。「思い出は尽ず沸きくれ 逼り来ぬ別離の刻は」で閉じられるマールブルクとそこで出会った人々への美しき思いに溢れた留学記は、一読すれば爽やかな情感が心に溢れます。この一文に記されたマールブルクの学究生活は、茨城の片田舎にあった中学生の私に、"歴史家"への憧れを(決定的に)抱せるものでした。



454. Erfurt und Marburg サイトの主 [URL]  2002/07/16 (火) 15:08
Ramon 殿を久方ぶりに迎えて、祝着至極。
 アイゼナハですが、残念ながら行けなかったのです。
ルターとバッハの故地ということは知っていました、ヴァルトブルクも。ただ窮屈な日程で、エクスカーションをする余裕はなく、エアフルト市内を探索するので良しとせねばならなかった。
ヴァイマルは前回(2000年9月)ドイツに行ったときにライプツィヒの翌日、行くことができました。
 とはいえ、エアフルトも中世・近世の染料生産で栄えたテューリンゲンの中心、司教座都市ですから、十分におもしろい。大学が1379年にできてナポレオン期に閉鎖された、ルターが修道士としてここに居た、といった事実から、近代史になると1848年蜂起の記念碑がいまでは市民にまったく無視され、社会民主党のエアフルト綱領の定められた会堂もさみしい。そもそもここは東ドイツでした。ヴェーバーの生地であることから、再興されたエアフルト大学はヴェーバー研究所を造っています。
 鉄道でエアフルトからマールブルクに移動する間に、むかしの東と西の国境をこえるのですが、英語が聞こえ、黒人が見え、町にも活気が出てくる、といった空気と景観の転換は、いろんなことを考えさせます。
 マールブルクについては、Ramon 殿の参列していた場で言及しただろうか? 分からなくなってしまったが、とにかく坂井栄八郎『ドイツ近代史研究』(山川出版社、1998)の135ページ以下「マールブルクの石母田先生」をご覧じろ。しばし感動して、胸が一杯になります。



453. ドイツ史の磁場 Ramon  2002/07/16 (火) 06:20
お久しぶりです。具合は大分よくなってきました。睡眠時間も7〜8時間に延びてきました。
ところで、昨年末、主様の来名の折り聞きそびれたことなのですが、秋にエアフルトへ行かれた際、アイゼナッハ Eisenach へは行かれましたでしょうか。
釈迦に説法ですが、アイゼナッハは、J.S.バッハの生地です。また、市街の南の山に聳えるヴァルトブルク城 Wartburg では、中世にミンネゼンガーMinnesaengerと呼ばれた吟遊詩人が歌合戦を繰り広げ、リヒャルト・ワグナーにオペラ「タンホイザー」の着想を与ました。また、マルティン・ルターがザクセン公の保護下で新約聖書のドイツ語訳を行ったのも、このヴァルトブルク城においてでした。そして2世紀後の1729年、ルターのこのテキストをもとに、バッハは「マタイ受難曲」を作曲したのでした。
主様は、以前、「マタイ」を西洋音楽の最高傑作とみなされ、「ルターとバッハを持ったドイツ人は幸せです。」とおっしゃられましたが、この二人がともにアイゼナッハに関わりを持っているのは、単なる偶然でしょうか。
さらに、1817年、学生組合ブルシェンシャフトが宗教改革300周年の記念祝祭を催し、ドイツ統一を求めるデモを行ったのも、ヴァルトブルク城においてでした。また、1869年、ベーベルやリープクネヒトが、現在の社会民主党の源流となる社会民主労働党を結成したのも、アイゼナッハにおいてでした。
このように、現在の人口わずか4万4000人の小都市で、ドイツ史の重要事件が次々に起こっているのは、大変興味深いことだと思います。アイゼナッハは、これらの諸事件の「記憶」の堆積した、「地霊」(genius loci)の宿る場といえましょう。
さらに、同じチューリンゲン地方 Thueringen には、「ドイツのアテネ」と呼ばれるヴァイマル Weimar があり、ゲーテをはじめ、シラー、ヘルダー、バッハ、フランツ・リスト、クラナッハ、ベックリンが活躍した文化都市で、ワイマール憲法が発布された場でもあります。
私は、ドイツ史の素人ですが、チューリンゲンは、ドイツの歴史の転轍手が集う磁場ではないでしょうか。



452. Re: おめでとう サイトの主 [URL]  2002/07/15 (月) 14:45
> ひととき晴れがましく、また
> 懐かしい時間を過ごすことができました‥‥
> P.S.卒論執筆時期と、妻と付き合い出した時期の重複・・ 

450.にも書いたとおり、「インターネット的結合」と「ご託宣」について、見聞をひろめるというより、わが蒙を啓くことができたし、楽しい機会でした。
唯一、日欧歴史教育会議という欧州評議会(CE)代表団をむかえての会議とぶつかったので、気が気でない局面もありました。これはいかにマールバラ公+妃とはいえ、責任はないし、どうしようもなかったですね。
お元気で、「50年ものの結合」をせいぜい見せつけてくださいな。



451. 土曜はありがとうございました Marlborough  2002/07/15 (月) 00:38
 こんばんは、Marlboroughこと堤です。

 土曜はお忙しい中私の結婚式および披露宴にご列席を
賜り、誠にありがとうございました。近藤先生はじめ
研究室の友人達に囲まれ、ひととき晴れがましく、また
懐かしい時間を過ごすことができました。先生にも
楽しんでいただけましたでしょうか。

 あの後二次会でも同期のみんなに幹事をやってもらい、
これまた楽しい時間を過ごせました。よい友人達に恵まれた
幸福に感謝しております。

 今後ともよろしくお願いいたします。

 P.S.卒論執筆時期と、妻と付き合い出した時期の重複に
   ついての鋭いご指摘は、実に耳が痛うございました・・・。 



450. 土曜の夜に サイトの主 [URL]  2002/07/13 (土) 20:59
 いま地中海の南・北どちら側にいるのでしょう、Kくん、久しぶりです。
 土・日は「日欧歴史教育会議」というのが六本木で開催され、また土曜には Marlborough 公の結婚式も碑文谷・奥沢でありました。
 前者については、1日目(土)の基調報告を聴いてから、わが2日目(日)トリの報告を考え直さねばならないので、マールバラだかチャーチルだかのインターネット的結合のご託宣(oracle)を聞いて酔っぱらった頭を絞って、これから、なかなか苦しい夜となります。
 後者は、「松田聖子的世界の一端」をかいまみたことになるのでしょうか。とにかく、結婚式は本人にとってばかりでなく、出席者にとっても、たいへん有意義な「経験」ですよ。

 で、Kくんのいう
> 現在わたしたちが生きているのは、自分たちで思いこんでいる
> ほど特別な状況ではないのじゃないかな
について。ヴェーバーが20世紀の初めに「電車が何故、どう動くか、という原理を理解していなくとも、電車を利用することはできる」と言ったとおり、その後の我々は、その原理を理解することなく電車や飛行機や写真や複写機の利便に浴してきた。いまの事態の新しさは、Kくんの言うとおり
> 大量消費可能なメディアにのせて、内容を容易に複製することが可能になった‥‥
>「複製技術時代の芸術作品」
が一挙に大量に、世界的アクセスが可能、という点でしょう。
たしかにディジタル以前から予兆はあったわけだが、それにしてもフランス革命前の公共圏の展開みたいなもの or イギリス産業革命前の Society of Arts (大野誠『ジェントルマンと科学』)みたいな試み。ゆっくり確実な革命です。

 ちなみに、フランス人だけでなくイギリスの大学研究者の場合も
> 1.ほぼ全員がOutlookデフォルトのhtmlメールを用いる。
> 2.bccの使い方(存在)を知らない。ccすら使わず、数十人のアドレスがToフィールドに並ぶこともしばしば。
> 3.WORD文書の添付はあたりまえ。挙げ句のはてにMACユーザーが拡張子なしの添付ファイルを送ってくる。

というのは完全に「共通」ではないが、少なくない。
イギリスでは比較的 Becky! が普及しているのがよいのかもしれない。



449. つづき K@地中海  2002/07/12 (金) 19:12
もちろん、情報「量」の飛躍的増大、デジタル情報の全体化という現象には、重大な意味があるでしょう。サイバーパンクSFの世界が目の前にあらわれる日も、遠くないかもしれない。そうはいっても、現在わたしたちが生きているのは、自分たちで思いこんでいるほど特別な状況ではないのじゃないかな、と近頃は思います。

むしろ危惧を抱くのは、現在進行形の情報よりも、アーカイブと情報継承のあり方です。ここ二十年程度の間にデジタル化された情報は、磁気メディアであれ光学メディアであれ、百年後にはほぼ確実に消滅しているか、読みとり不可能になっているでしょう。古いメディアを永続的にアクセス可能にする、といういわば後ろ向きの投資を社会はつづけることができるでしょうか。デジタル情報の時代は、歴史となるはずの情報の空白を生むのではないか。そう考えると、むしろ特別な状況を生きるのはわたしたちのそのまたつぎの世代のヒトたち(なによりも歴史家たち?)なのかもしれない、などと夢想しているのですが、いかがでしょうか。

そのこととは関係ありませんが、六月の間、Klez付きのメールを三日に一度ずつ受けとりました。発信元のIPアドレスから犯人(当地の研究者)を推定していたら、案の定で、「そうなのよ。夫がAntiVirusをいれて見つけてくれたの」と悪びれもせずに答えられてしまった。

身の回りのフランス人研究者に共通するメール作法は、
1.ほぼ全員がOutlookデフォルトのhtmlメールを用いる。
2.bccの使い方(存在)を知らない。ccすら使わず、数十人のアドレスがToフィールドに並ぶこともしばしば。
3.WORD文書の添付はあたりまえ。挙げ句のはてにMACユーザーが拡張子なしの添付ファイルを送ってくる。

と、こんなところです。とほほ。



447. 今むかし K@地中海  2002/07/12 (金) 19:07
サイトの主様
ご無沙汰いたしております。

いわゆる"IT Revolution"、PCの脳死をめぐる議論に触発され、思いついたことを記します。

PCはわたしたちの体にそなわった記憶・情報処理機能を外部化する、一方で、IT Revolutionはグーテンベルク革命と比肩する(あるい は比較不可能な)一大変化である、ということは、みなさんご指摘の通りです。

ただここで思い出しておきたいのは、
1.PCの登場以前から、ヒトの記憶や知的生産活動はかならずしも物理的な肉体のなかに礼儀正しくたたみ込まれていたわけではない、ということ。

2.人の情報処理の仕組みは、ミクロに見ればニューロンのon/offというデジタルな情報処理が、綜合されたものであるということ。

1.については、たとえば、「失われたとき」が見いだされるためには、紅茶にひたしたマドレーヌと「私」とがひとつの回路を形成することが必要でした。もうすこし身近なたとえを使えば、パソコンがこわれて仕事ができないという状況は、インクが切れた万年筆や、ランプの油が切れた書斎と本質的には異ならないのかもしれません。あるいは(わが身に降りかかったらと思うとぞっとしますが)、蔵書ごとご自宅を焼失してしまった研究者の話を聞いたことがありますが、これこそまさに、研究者にとって"脳"の一部消失にほかならないでしょう。

2.についていえば、わたしたちが素朴な実感としては自分の身体が「アナログな」ものであると感じているのと同じように、デジカメの画像を、1000万個の0と1の羅列として直感するエンドユーザーは多くない。わたしたちがデジタル画像に処理を加えるときにも、実際にひとつひとつのドットに手を加える、なんていう面倒くさいことはあまりしないでしょう。そこには、画像処理用のソフトウェアという、0と1の数列をマクロに処理するためのしくみが噛んでくる。

むしろ重要なのは、あらゆる情報媒体が、専用のデコード装置(ハード&ソフトウェア)を通してしかアクセスできないものに置きかえられつつある、ということ。そして、大量消費可能なメディアにのせて、内容を容易に複製することが可能になった、ということなのかな、とも考えるのですが、ふと思い出すと、写真・映画の登場とともにわたしたちはそういう状況を、部分的にとはいえ、すでに生きてきたのだった、ということに気がついてしまうのです(「複製技術時代の芸術作品」)。



446. Re: ウィルス問題 Gustav  2002/07/10 (水) 23:45
辣腕と呼ばれる方々の将来に対する慧眼には敬意を表せざるをえません。テキストデータは普遍的データ特性を有するがゆえに、デジタルデータの本来的利便性を最大限発揮できる形式に思います。ヴァージョンアップの度に「ケバさ」を増し、独自のファイル形式に特化されていくワープロソフトは、デジタルデータの利便性とは逆行する存在と言えましょう。

慧眼といえば、今日某コンピュータ情報系のホームページに興味深い一文を見つけました。

http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/2002/0710/mobile161.htm

現在欧米に留学されている人が帰国した場合、もっとも驚かれるだろう我が国での状況の一つに、常時接続可能な高速ネットワーク環境の急速な普及があるでしょう。家庭では安価なDSLが普及し、都市部では無線LANのホットスポットが増え、我が国のネット環境は「いつでも、どこでも」高速に利用可能になりつつあります。(「話し中」による他者からの連絡途絶と電話代の高額請求への恐怖に怯えながら、電話回線を使っていたことが遠い過去に思えます。)

端末がどこでも高速にネットワーク接続されているということは、バックアップ用のファイルを何処かの信頼の置けるサーバに蓄積し、それをどこでも瞬時に取り出せるということを意味します。冒頭で紹介した記事では、こうしたサーバにメールやスケジュールのデータを蓄積させる例が紹介されています。確かに外部サーバにそうしたデータを保存しておけば、ウィルス感染やHDDの傷害といった事態に自らのPCが直面したとしても、どこからでもいつでもデータの復旧は容易です。

例えば、自らのプレゼンテーションで必要なデータも瞬時にサーバから引き出すことも可能で、質疑応答などで不測の事態に直面したときにも当該データを引き出すことで、より誠実な対応も可能になります。私も講義でそれを実践し…といいたいところですが、山深い北摂にあっては無線LANのホットスポットはもちろん、PHSや携帯電話さえ電波状態がままならず、結局現状では「絵に描いた餅」となっています。

我が国の経済、社会、文化の作法を一変させるような社会資本整備の進捗具合といった点で「も」、東京への嫉妬を感じたりする今日この頃…。横綱の競技人生を明らかに短くさせながら無邪気に「感動した」などと騒いでいるだけの長期的視野に欠ける我が国の性向では、過度の期待も能わずといったところでしょうか。



444. Re: EmEditorの紹介 Gustav  2002/07/10 (水) 22:32
「明快で美しい日本語を、平静な心で書こうと思ったらエディタ」というご意見に諸手をあげて賛同する次第です。秀丸を筆頭にテキストエディタもいろいろですね。安定度と信頼性からいえば、秀丸に一日の長があるでしょうか。Unicodeが広く行き渡ってからは、テキストデータによる多言語環境も柔軟に対応できるようになりました。

とはいえ、一点だけ秀丸に惜しい点があります。それは検索・置換機能に欧文特殊文字が対応していない点です。つまりウムラウトなどが入った文章を検索・置換できません。この点を完全に解決しているという点では、EmEditor Ver.3(市販品としてはEmEditor 2002)に一日の長があります。アクサンやウムラウトを多用したテキストデータを効率的に扱う「日本語」テキストエディタとして、私はここでEmEditorをご紹介します。(私はこれ一本です。)

http://www.emurasoft.com/jp/emeditor3/concept.htm



443. エディター、あるいは秀丸 サイトの主 [URL]  2002/07/10 (水) 20:08
442. の続きですが、独立したテーマでもあるので、スレッドを新しく立てます。

1988年のころ文豪ミニ5を愛用していたぼくは、テキストって何だ? という水準でした。しかし、PCに移行してから「松」やテキストエディターの単純で軽快な動きを知ってしまうと、ワードや一太郎や、その他のゴテゴテと装飾で一杯の「ケバい」ワープロを、皆さんガマンしてよく使うよ、と離れた距離から見ています。
とりわけワードで文章を推敲しているときにチューインガムのように文字がくっついたり伸びたり、カット&ペーストするとカーソルが勝手な動きをして「誤植」ができてしまうとか、イラツク思いをしたことありませんか。
ワープロソフトは、結局、テキストでつくった文章に最終的なお化粧を加えて、見栄えのよいように印刷するときだけ用いる、というのがぼくの方針です。

テキストおよびエディター、そして「秀丸」の良さについてまだ話を聞いてない人は、たとえば ↓
http://gomafu.hoops.ne.jp/paso/paso10.htm

またたとえばフランス語とエディターといった点については ↓
http://www.nagasaki-gaigo.ac.jp/toguchi/old_multilingual_system/imput_fr/editor.htm
をご覧ください。

少なくとも明快で美しい日本語を、平静な心で書こうと思ったらエディター、とりわけ秀丸ですよ!



442. ウィルス問題 サイトの主 [URL]  2002/07/10 (水) 19:35
k2 氏から久しぶりに書き込みをいただいたと思ったら、たいへんな濡れ衣・災難だったようで、なんと言ってよいか、言葉を失います。Gustav王も言うとおり、

> 多くの方がOutlookExpressをお使いの現状にあっては、これらの方々に自動プレヴュー機能を使わないなどの指示を徹底し、あらゆる自衛策を講ずるしか道はない‥‥
> ‥‥Al-Mail(学術関係者は無料で利用可能)、Becky!(シェアウェア)など‥‥

をあらゆる場で奨励するべきなんでしょう。ほんの数週間前に『朝日新聞』でウィルス対策として、あくまで MS 製品を使うことを前提に、ソフトを新しいヴァージョンに更新するのが一番、といった記事を載せていました。Shame! と叫びたくなります。

ウィルスがらみのメールを送ってくる人の多くは善意の初心者、最初からアウトルックがインストールされているから、それを初期設定のまま用いる、したがって html のままのメールをくださる人でした。

ぼくはメールについても文章の原稿についても、今では、テキスト主義者です。日本語・英語・ラテン語以外の場合、支障が生じうるが、しかし、1988年ころから岩波書店の辣腕A編集長が強く言っていました。「原稿はテキストでください。(パラグラフの)改行マーク以外の記号は使わないでください。アクセント記号などは、ハードコピーに朱で(欄外に)明記すればなんの問題もないし、そのほうが間違いがない」と。



441. サーヴァ名の変更 サイトの主 [URL]  2002/07/10 (水) 19:08
> 私の本務校でもこの春にサーバの更新があり、それに伴ったシステムの改変には私も面食らいました。

じつは、水曜の教授会で、わたしも、こちらも、と大紛糾して、たった今、解決したばかりです。
結果的に、Gustav王の心配してくださったような高級なレヴェルの問題ではなく、単純に、かつてのメールサーヴァ(の名)を取りかえると同時に、それ以外のサーヴァも名を替えた。ところが後者のサーヴァ名(ホスト名)変更を誰にも伝えないまま、責任者が**旅行に出かけてしまった。本日出勤して、ようやくみんなが沸騰状態になってることをはじめて認識した。‥‥というだけのことでした。
でもこれで文学部教官の全員がサーヴァシステムのこと、 alias名の考え方, etc. 学習する機会にはなりました。
(大相撲、貴乃花をめぐる意見表明は数日前のものですが、今夕10日にアプロードできました。)



440. Re: Klez 騒動 Gustav  2002/07/10 (水) 12:40
k2さま、ご無沙汰しております。このたびは、誠に理不尽な事態に直面されたご様子で、ご同情申し上げます。

klez系ウィルスにつきましては、私の本務校でも一時期猛威を振るっておりました。この春のサーバ更新によりホストレベルでのウィルスチェックがなされるようになってからは、ウィルス感染メールにつきましては、ウィルスが駆除されるようにはなりました。とはいえ、油断禁物、今回k2さまが直面された事態のように学内LANで感染する可能性もあるわけですから、クライアントレベルでのウィルスチェックソフトの導入と定期的な感染チェックは必須です。(それからクライアント端末への悪意ある遠隔操作を狙った「トロイの木馬」系ウィルスを謝絶する目的で、クライアントレベルでのファイヤーウォールソフトの導入も必須かと思われます。私の職場では、これによる攻撃がひどかった…。)

OutlookやInternetExplorerのセキュリティホールを衝くウィルスがこれほど蔓延している現状にあって、なぜMicrosoft社はデフォルトでウィルスチェッカーをWindowsに搭載しないのか…(ひょっとしてウィルス問題は、Microsoft社とウィルスチェックソフトを開発しているヴェンダーによる利益追求のための謀略か)と訝しむこの頃ですが、多くの方がOutlookExpressをお使いの現状にあっては、これらの方々に自動ぷレヴュー機能を使わないなどの指示を徹底し、あらゆる自衛策を講ずるしか道はないのかもしれません。

もちろんOutlookExpressの利便性は私も認めるところであって、たとえば特殊文字を用いる欧米言語のメールを日本語環境で送受信するには、OutlookExpressを用いるのが一番効率的です。(Microsoft社製品に共通するスペルチェック辞書を導入すれば、スウェーデン語などで書いたメールのスペルチェックもしてくれます。)従って、私は主に日本語環境下で用いるメールソフトと欧米言語環境で用いるメールソフト(これはOutlookExpress)を使い分けています。前者は、Al-Mail(学術関係者は無料で利用可能)、Becky!(シェアウェア)など(…私は隠れJustsystem支持者なのでShuriken Proを使っていますが…)テキストデータとしてメールを処理できるソフトです。これは基本的に多言語処理には不向きですが、日本語と英語だけを主に用いるならば、ウィルス感染の危険性は(皆無とは断言できませんが)少なくなります。




439. Klez 騒動 k2  2002/07/10 (水) 08:47
ご無沙汰しております。

昨日はこちらの学内でコンピュータ・ウィルス騒動があり、しかもその中心におかれるという経験をしました。相手は W32.Klez の亜種(E とか H)、送信者名にぼくの名をかたって学部教員のメーリングリストにメールをのせるという手口でした。

社内のLANに接続しているPCは Macintosh, メーラは Eudora(Klez はWindows の virus で、Outlook Express のアドレス帳を盗む)ですから、感染源である可能性はなきに等しかったのですが、午後3時すぎから苦情の電話と訪問への対応におわれました。ワクチン・ソフトをダウンロードしたFDをもっていって、各部屋をまわり、駆除作業もしました。結局、サーヴァ管理者がぼくの端末からのメール発信状況を確認して無実が証明されたのは、午後9時すぎです*。
 *そもそも午後3時の時点で、ぼくは感染メールを受信してもいなかったのです。

理不尽な仕事をしつつ認識を新たにしましたのは、端末にちゃんとチェックソフトをいれ、メールの自動プレヴュー機能はつかわず、怪しいメールはひらかないで削除する方が、わが学内にはとても少なかったことです。学内と学外のやりとりにはウィルスチェック・サーヴァがありますが、学内でのやりとりには何もチェックがありません。大きな隙を突かれてしまいました。

437. 末尾の Gustav 王のお話を噛みしめております。



438. Re: その後のご報告 Gustav  2002/07/09 (火) 05:27
白牛様。その後、PCが無事に修理されたご様子でまずは祝着に存じます。

いわゆるグーテンベルク革命との間では「匹敵」だとか、「類比」だとかのレベルだけでIT革命が論じられているところがポイントで、実際のところはグーテンベルク革命とIT革命の質はまるで違うレベルのものと私はとらえています。

すなわち、後者はいまだかつて人類が直面したことのない情報の作法を一変させるものです。もっとも文字・音・画像・動画といった私たちが認識可能な対象は、実際のところITが普及する前も後も変わりはありません。換言するならば、私たちが人間として本来備えている五感に変わりがない以上、人間が情報を処理するインターフェースには変わりがないということです。従って、そうした情報対象を操作するPCやインターネットの作法がどうだとかいう話は意外と些末な議論に思えます。

現今進展している事態の核心は、(1)人間が一見五感で感じ取っているように思える情報が、文字・音・画などの媒体の如何を問わず、実際のところは0と1という数字の羅列に置き換えられてしまっていること(そして日常的にはその構造が隠蔽されたまま私たちは暮らしている!)、(2)そうしたデジタル情報という一見単純で堅固には見えるが実は脆弱な構造の上に、常時参照・複製可能な巨大データベースがグローバルに展開してしまったということ、(3)そして誰もが完全に納得できないままそうしたグローバルなデジタル情報へ依存する日常・社会が構築されつつあるということにあるのではないでしょうか。

人間が洞穴に壁画を描き、文字を発明して以来の質的にアナログな情報は(グーテンベルク革命という事態をのぞけば)爆発的膨張をもたらすことはないものの、五感に即した確実なものでした。それに対して私たちが囚われている情報は無限に複製可能なデジタル情報です。確かにそれは急速に地球規模のネットワークを構築することに成功しましたが、その根本はすべて0と1に還元される世界です。例えばPCの「脳死」という問題は、一見便利そうに見えるそうしたデジタル情報世界がもつ根本的陥穽です。不謹慎な物言いが許されるならば、その0と1の連鎖を切り崩しさえすれば、この人の世に一瞬にして「黄昏」をもたらすことは不可能ではありません。



437. Re: パスワード, etc.  Gustav  2002/07/08 (月) 21:23
私の本務校でもこの春にサーバの更新があり、それに伴ったシステムの改変には私も面食らいました。(いつも主様と似たようなことを経験している気がします。)

(1)

(問題)FTPサーバのホストアドレスの更新が、旧来のクライアントむけフォルダに反映されていない。(すなわち旧来のサーバに割り当てられたクライアントむけディレクトリに蓄積されていたファイルが、新規サーバに設定されたクライアントディレクトリに継承されない。)

(経過)この問題は、一瞬「旧来のFTPサーバに保存したデータがすべて削除されてしまったか!」とあせったが、落ち着いて新しいFTPサーバのホストアドレス設定をすることで、無事に旧来のデータをサルベージすることができた。

(対策)サーバ管理者が旧来のデータ更新を怠るなどということはまず考えられない(もしそのようなことがあればそれは重大な過失になる)ので、新規ホストの設定情報を各自が用いているFTPクライアントソフトに入力すれば解決できる。(今回の主様の問題はこれにあたるような気がします。場合によってはホームページのリンク先などを変更する必要がでてくる場合もあります。)

(2)

(問題)ファイヤウォールをはじめセキュリティ機能がサーバレヴェルで強化されたのはいいけれど、自宅や出勤時など、学外から接続する際に学内のFTPサーバを参照できなくなった。

(経過)これはいまだに解決不能な問題で、学内のFTPサーバに蓄積されたデータを更新することは学外からはまったく不可能、研究室の端末からしかできない。

(対策)学外から学内のサーバに接続するには、サーバ管理者から自分専用の固定IPアドレスを取得して自分専用のサーバをたて(これはいわばネットワークの網の目に、自分専用の「穴」を開けるようなことなので、管理者によっては嫌がれることもあります)、WindowsXPではデフォルトで搭載されているリモートアクセス機能を活用するしかなさそう。

とはいえ対外的には強化されたネットワークも、学内から接続するとセキュリティはボロボロで、他人のディレクトリに容易に侵入できてしまうのは、なぜだろう…大切なデータはそうしたセキュリティの不安なサーバにはおけません。それならば高いセキュリティをうりにしている民間のFTPサーバサービスを利用するのも一つの手ですが、DSLなどの常時高速回線が必須となる…悩みはつきることがありません。



435. パスワード, etc.  サイトの主 [URL]  2002/07/07 (日) 15:52
 七夕なのに、ウェブサイトの更新が滞っています。
 理由は単純。サイトへ(FFFTPを使って)入ってゆくパスワード等々がファイアウォールにともない変わってしまって、ニャロメ、ぼくのほうで対応できてないからです。
 これまた、コンピュータを使っているつもりで使われてしまってる症候群ですね。



434. 脳死トラウマ サイトの主 [URL]  2002/07/07 (日) 15:40
 白牛さん、ご愁傷さま。
 ほんとにハードディスクの病は持ち主のトラウマですね。PTDS に悩む世界中のユーザが団結して集団訴訟を起こしたらどうなんだろう。ほんの数年前、FD=フロッピドライヴの不具合(の理論的可能性!?)で訴えられた東芝の米国法人が、争うことなく示談に持ち込んだことがありました。東芝がそんな弱腰でよいのか、といった文脈で問題にされましたが、我々のはFDのような部分的で小さな問題でなく、PCないしハードディスクの本質にかかわる、大げさに言えば現代文明の根本問題です!
 グーテンベルク革命との類比でPC=ディジタル革命はよく議論されますが、ルネサンスから近世の活版印刷・出版について、「脳死」に類する根本的なリスクはあったのだろうか? 誤植や乱丁は「脳死」ほど致命的ではない。海賊出版も焚書も次元がちがう‥‥

 想い出しました。1980年代の中ごろ、大阪市大を定年退職したある老教授は、フェティシュな本の崇拝者で、舶来の専門書は(せいぜい数百冊しか持ってなかった?)必ず2部購入して、一部は汚れないように大事に紙に包んで保存し、もう一部を開くときには、机上をきれいに片づけてから、白い手袋で汗や汚れが付着しないように1頁づつひらいた。学生・院生などは机の向こうで、間違っても唾など飛ばぬよう、おずおず/しずしずとご宣託を聴いていた, etc. 正確に何年とは覚えてないが、とにかくまだ名古屋のころ、M助手と一緒に、この名物?教授の退職記念の大阪市大紀要を見て、仰天したものでした(1983〜87?)。
 とはいえ、グーテンベルク以前から写本の物神崇拝 + 過神経症の学者はいくらでもありえたのだから、これも活版印刷ゆえの「脳死」トラウマではない。‥‥



433. その後のご報告 白牛  2002/07/06 (土) 23:13
 サイトの主様、グスタフ様、先日は丁寧なコメントを頂戴し、ありがとうございました。「突然死」したわがPCのその後です。グスタフ様のような経験も知識も(まして度胸も)ない私は、早々にあきらめ、メーカーへ修理に出しました。それからはまさに電「脳死」状態で、いかに自分が「電脳」に依存していたか、いやというほど実感させられました。トータル2週間ほどで帰ってきたのですが、当然のことながら、HDは真っ白、しかも購入時そのままの悪名高いMeに「退化」して帰ってきました。覚悟はしていたものの、目の前の「頭が真っ白」かつ「退化」してしまったわがPCに、さすがに呆然としてしまいました。

 こんにち進行しつつあるインターネット(およびPC)の爆発的な普及(=大衆化=日常化)は、かのグーテンベルグ革命に匹敵する歴史的な「事件」だと思いますが、それにしても、いかにも脆弱なハード(ソフトも?)に振り回され、苦悩する人びとの姿を、後世の歴史家たちはどう叙述するのだろうか? などと、ふと、考えてしまいました。



432. 今日このごろ サイトの主 [URL]  2002/07/01 (月) 15:34
 文学部サーヴァが金曜夜から月曜朝まで停止していました。ファイアウォール導入です。インタネットから離れて完全にオフラインで仕事するというのが、今や新鮮になっちゃった。

 先日は、ある衆院議員の「勉強会」なるものに呼ばれて行って話をしました。
その内容は、ほとんど「グローバル化の世界史」に書いたこと+ 歴史学は大事だ、これを大切にしないと我が国の迷走は止まない、ということに過ぎませんでしたが。ついでに歴史学部(Department of History)構想についても、また文科省の悪口も言わせてもらいました。
 これは本来、ある省(≠文科省)の若手官僚たちの会合というつもりで行ったのですが、じつはこの衆院議員が中心にいたのでした。それなりの文明論的な志をおもちで、ぼくの知らない世界の参加観察ができた、多少の主張はできた、という夜でした。



431. リードとウォマック サイトの主 [URL]  2002/06/26 (水) 19:20
430.でふれた
ジョン・リード『反乱するメキシコ』、そして
『歴史家たち』のジョン・ウォマックのインタヴュー(の絵)
については、わがサイトで ↓
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/ReedWomack.htm



430.  ありがとうございます サイトの主 [URL]  2002/06/26 (水) 19:05
> ジョン・リードの「世界を揺るがした十日間」をキーワードにgoogle で検索・ネットサーフィンしてましたらこちらにたどりつきました。

それはどうも。天恵でしょうか、‥‥他生の縁でしょうか。ちょうど昨夜だれかと雑談中にジョン・リードにちなむ映画 The Reds、そして彼のもう一つの作品『反乱するメキシコ』のことを話題にしました。後者(筑摩書房)は、ぼくもどこかで書評しましたし、『歴史家たち』(名大出版会)のジョン・ウォマックのインタヴューも好きな章です。

> 誤字があったもので気になり、‥‥ここに書き込まさせていただきます。‥‥
>「後世畏るべし」となってますが、「後生」ですね。

すみませーん。ご指摘のとおりです。愛用の Atok のせいとは申しません。校正おそるべし、でした‥‥。
ぴょんたさん、未知の方だと思いますが、ありがとうございます。



429. コンテンツに誤字があります ぴょんた  2002/06/26 (水) 14:12
 はじめまして。ジョン・リードの「世界を揺るがした十日間」をキーワードにgoogle で検索・ネットサーフィンしてましたらこちらにたどりつきました。徘徊してましたら (^^;) 誤字があったもので気になり、mailto がないようなのでここに書き込まさせていただきます。
 吉澤誠一郎さんに関して、「後世畏るべし」となってますが、「後生」ですね。ATOK15で変換しても「後世」となるようなので、見逃してしまいがちだとは思うんですが.... 。
 



428. “秘密”文書館 ヒロチ  2002/06/24 (月) 02:34
樺山先生が行かれたのは図書館の方で、文書館には行かれたことがないと聞いています。ルネサンス教皇のことを書いている塩野七生あたりが利用していてもおかしくなさそうですが、どうなんでしょうね。

Segretoに関しては、「秘密」という意味ではない可能性は大いにあります。なぜなら、本当に秘密にしたかったら、わざわざ「秘密」なんていう名前はつけないでしょうから。

これは文書館員に聞きたかったことだったのですが、なにしろこちらはスペイン語、向こうはイタリア語で話していたので、埒が明かないことが多く、尋ねる気にもなりませんでした。文書館で販売しているガイドブックにも、文書館の起源に関する説明はされているのですが、その名前の由来に関する説明は見当たりません。

文書館は、ヴァチカンの施設なのでもっとインターナショナルな感じがするのかと思いきや、実はイタリア人ばかりの極めてイタリア的な世界です。たとえば老文書館員にスペイン語で話したところ、全く通じなかったので英語に切り換えて説明しましたが、やはり通じず、「おまえら英語わかるか」「俺たちもわかんねえ」みたいな話になり、奥の方で働いていた若い兄さんを連れてきてやっと通じたというくらいなのです。

終始こんな感じだったので、「なぜSegretoという名前なのか」と尋ねたところで、「それはね、ヒ・ミ・ツ!」などというオヤジギャグでかわされるのがオチだったでしょう。

以上のような事情ですので、正解がわかるまでは、「秘密文書館」とさせていただきます(「秘密」でないと神通力がなくなるから)。



427. 秘密文書館? サイトの主 [URL]  2002/06/23 (日) 15:34
> わざわざヴァチカンにまで行ったのは、「秘密」というところがカッコウ良くて‥‥

いかにも「ヒロチ Vatican にゆく」でおもしろい話ですが、
イタリア語の segreto のニュアンスはどうでしょう。秘密・機密なのだろうか? むしろ英語の private に近くて、「関係者以外立入禁止」あるいはせいぜい、奥まったところにある「業務用」の場、といった意味ではないのだろうか。だからこそ聖職者が多いのだと思われます。

> 文書館員に、ここに日本人はやってくるのかと尋ねたところ、見たことないなあ、ちょっと聞いてみるよ、と言って電話をかけて(どこにかけたかは不明)わざわざ確認してくれました。やはり日本人は来ていないそうです。‥‥

それはないな。少なくとも名古屋市大の佐保さん、印刷博物館副館長の紘一さんは行って利用しています。一人はカトリック学校の卒業者だということ、一人は当該テーマの専門的第一人者ということを理由に許可してもらった、と聞きました。



425. ヴァチカンの秘密文書館へ行く(3) ヒロチ  2002/06/21 (金) 02:27
秘密文書館などというと特別なコネでもないと利用出来そうもない感じがしますし、本当に許可が下りるのかなあと多少は心配もしました。しかし、いつものことではありますが、こういうことはウジウジしてないで、とっとと実際に現地に行ってみれば、あっさりと解決してしまうものです。ダメでも失うものは何もないわけですし(金はなくなるが)。



424. ヴァチカンの秘密文書館へ行く(2) ヒロチ  2002/06/21 (金) 02:26
わざわざヴァチカンにまで行ったのは、「秘密」というところがカッコウ良くてえらく気に入ってしまったからなのですが、いざ来てみますと、部屋は明るくて清潔だし、文書もちゃんと公開されていて、何が「秘密」なんだか全然わかりませんでした。ただし、100年くらい前までの文書と、それ以前でも一部の文書は公開されていませんし、一日に請求できる史料は三つまでという制限があります。

文書館には四日間通い、フアン・デ・アビラの列福・列聖調査史料を全部で9冊閲覧しました。とりわけ研究に必要なのはそのうちの一冊で、17世紀初頭にスペインの十数の都市でフアン・デ・アビラの聖性を証明するために行われた聞き取り調査です。この史料は電話帳二冊分くらいの大きさでした。保存状態は良く、字も比較的きれいなので、マイクロからでも読むのに支障がないと判断し、一冊全部のマイクロの作成を依頼することにしました。ところが予算を作成してもらったところ、予想していた額の倍することが判明しました。マイクロは見開きの二頁でなく、一頁づつしか作ってくれないからです。もともと一枚につき0.45ユーロ(←中華食材店で売っているオランダ製の出前一丁と同じ額!)と割高なうえに、一冊ごとの請求につき(一回ごとではない!)7.75ユーロの手数料がかかります。全部で1450ユーロかかりました。貧乏学生にはめまいがする額でしたが、ふだんはケチケチして切り詰めた生活を送っている僕でも、プロの研究者としてやっている以上、研究に関することではケチケチしませんので、最初の100頁くらいの感謝状みたいなつまらなそうで多分読まなそうな部分はマイクロ作るのやめようかな、などとは全然考えもしませんでした。

ついでに文書館員に、ここに日本人はやってくるのかと尋ねたところ、見たことないなあ、ちょっと聞いてみるよ、と言って電話をかけて(どこにかけたかは不明)わざわざ確認してくれました。やはり日本人は来ていないそうです。それだったらヴァチカンまで行って高い金を払った意義も少しはあろうかと思いました。こうして前例を作っておけば、私も行ってみようかしら、と考える日本人の研究者も出てくるだろうからです。



423. ヴァチカンの秘密文書館へ行く(1) ヒロチ  2002/06/21 (金) 02:25
ヴァチカンの秘密文書館(Archivio Segreto)へ行ってきました。目的は、スペインの聖人、フアン・デ・アビラの列福調査史料のマイクロフィルムを入手することでした。興味のない人には面白くも何ともない話ではありますが、指導教官(←近藤先生)へ報告するために書きます。

ヴァチカンのホームページで文書館の規則を調べてみますと、学生は利用できないが、博士論文を準備している学生に限り、指導教官の紹介状とナントカ証明書を提出すれば一時利用書を発行する、しかし許可を与えるかどうかは館長の裁量に委ねられている云々、との説明がなされています。このナントカ証明書というのが何のことかわからなかったので、スペインでの指導教官に聞いてみましたが、「俺にもわかんねえよ」とあっさり言われてしまったので、紹介状だけを書いてもらいました。わざわざ行ってみて許可が下りないのも馬鹿馬鹿しいので、万一の場合に備え、去年提出した博論計画書を持参し、いかに自分がこの史料の閲覧を必要としているかを説明する準備をしておきました。

秘密文書館は、サン・ピエトロ聖堂の正面向かって右側、美術館と同じ建物の中にあります。文書館へ入るには、サン・ピエトロ広場のすぐ横にある衛兵がいる門でパスポートを提示し、入場許可書を発行してもらいます。そして美術館のある建物まで進み、中庭に入ると、右手奥に文書館があります。開館時間は8:30〜13:15、許可書の発行は10:30までです。

許可書の発行は入り口のすぐ左の部屋で行っています。紹介状を提出するだけであっさりと発行してもらえました。そもそも向こうはスペイン語が読めないので、紹介状はろくに読んでもいませんでした。こういうところは結構いい加減にやっていそうでした。

閲覧室は三階にあります。見回したところ40人くらいいて、そのうち四分の一くらいは坊さんでした。一日の利用者総数は60人くらいだと思われます。

閲覧室のさらに奥には、目録の部屋があります。この目録は一般には公開しておらず、ここに来なければ見ることができません。また、ここではメモすらとってはいけないことになっています。が、誰もがパソコンに入力していました。公開を目的としていなければ写しても良いことになっているのでしょう。この部屋では受付でもらった目録の分類の仕方についての小冊子を参考にして、文書の請求番号を探します。



422. Re: お大事に Gustav  2002/06/19 (水) 05:37
PC=Pax Computorianaは自己(事故)責任と神の加護とからなるPax Americana そのものを代表具現するとの発言には参りました…久方ぶりに爆笑させていただきました。自己責任、神の加護…とくると、確かにそれがプロテスタンティズム精神の究極的・現代的具現とも思えます。

そうしたスタンスは、現存在たる私たちの存在を根底から規定する同時代的な枠組みですね。多義的に見える研究者各位の現存も、PCのような世界内に、その世界を了解しながら存在せざるを得ないのだと強く感じます。PCの世界は際限なき物欲の世界にも見えますが、研究費も限られる非実験系人文研究者は、禁欲的に合理的な研究生活を構築しながら、クレイオーの輝かしき御代のために謙虚にかつ献身的に仕える。これが現代の歴史学者の実存のひとつの有り様でしょうか。研究・教育の普遍的(中世的)スタイルが崩壊した昨今にあっては、新たなあるべき姿を論じる公論がそろそろ起きてきても良い時期でしょうか…冗句が過ぎました。

> PCではなく、前に書いた電子辞書SR9200ですが、じつは5月のある日に不注意で床に落としてしまった。

先ほど私も愛用のミニノート(Sony製)を机から落としてしまいました。普段から手垢がつくのも嫌がるほどに愛でている道具で、またもや自己の事故の責任をとらねばならぬか…しかもそれはSony製…(スウェーデンにいったときも、スウェーデン人の友人がSony製品はある時期がくると図ったようにパタっと壊れると話していました)と一瞬ひやりとしましたが、今回は事なきを得ました。それは、私の日常ではもはや手放せない道具です。本の丈夫さにはさすがに敵いませんが、未知なる可能性を秘めたこうした道具について、いずれ「床にぶつけて壊れていたら商品にならない」という観念が一般的になるかも知れませんね。(現にIBM社のノートパソコンはそうしたコンセプトから頑丈に作られていますが。)その前には、人が振り回されないように十分に手馴づける必要がありますが。




419. バックアップよりも大事なのは サイトの主 [URL]  2002/06/17 (月) 13:08
417. にて
> Sony の保証書をみると − 本体の保証期間は、なんと
> 「お買い上げ日から3カ月」
> と明記していますよ! これは凄い。
と書きましたが、ソニーさん、済みません。これはユーザ登録をしない場合でした。オンラインでも葉書でも、ユーザ登録さえすれば、一年間保証されるのでした。訂正します。

PCではなく、前に書いた電子辞書SR9200ですが、じつは5月のある日に不注意で床に落としてしまった。畳やカーペットの床なら良かったのでしょうが、わが大学の床はコンクリートにせいぜい 3mm厚のリノリウムを張っただけのものですから、液晶画面が見事に割れて − しかし、ごく一部のこった画面に辞書の表示はされる。つまり、ハードディスクならぬROMメモリはこの程度のショックには大丈夫、という状態でした。
無くては困る、という必携用具になってしまっていたので、修理に出したら、保証期間中でしたが、待たされたあげく、液晶パネルの取り替えに10,314円+税。これは高いとはいえ、新品は3万円前後するわけで、なくなく修理から戻るのを待ちました。3週間余り。その間、むかしの電子ブックを使うこともありましたが、あまりの遅さ・融通のきかなさを再認識。
ようやく戻ってきたSR9200 をさすりながら、おまえの内容ばかりでなく preview 機能もジャンプもほんとに速くて優れ者だね、と愛でています。
バックアップよりなにより、大事なのは、まず落とさないということですね。その点、本というメディアには劣る。
ぼくが学生のころ、岩波書店の制作部の人が、まず本や辞書は床に放り投げてみる、と『図書』に書いていたのを想い出します。床にぶつけた程度でこわれるような製本では、商品として成り立たない、ということでした。



418. Re: USB2.0 Gustav  2002/06/13 (木) 14:50
USB2.0形式の外付けHDボックスを購入し、余っていたHDを内蔵させてデータ転送を試みました。

今回は6GB程のデータが、約15分弱で転送されました。現在、このPCのスペックはCPUがPentiumIIIの1.13Ghz(FSB133Mhz)、メモリが256MB程度のものですが、それでも1GBあたり2分半程度の転送速度です。あまり期待はしていなかったのですが、これは結構はやいと結論できると思います。

USB2.0は意外にお勧めです。



417. たいへんな週末  PCの代表具現するもの サイトの主 [URL]  2002/06/10 (月) 13:16
 いやはやグスタフ王ばかりでなく、未知の白牛さんもたいへんな週末を過ごしていたんですね。全知全能ならぬ神の加護(grace of God)が FIFA の世界杯に向いてほかの問題がおろそかになっているうちに、各地でPCトラブルが続いているのでしょうか。

>たしかにマイクロソフトもあこぎな商売をしますが、
>しかし考えてみれば、PCメーカーもひどいですよね。
>数十万もする代物を、たった一・二年しか保証しないとは。

いえ、このごろは − Sony の保証書をみると − 本体の保証期間は、なんと
「お買い上げ日から3カ月」
と明記していますよ! これは凄い。もうすこし我々ユーザ側の声を大にしないと、製造者側の免責≒無責任体制はどんどん拡大してしまいます。

 グスタフ王のご指摘のとおり、冷戦後の現代世界は
>自己責任に基づいた運用
 プラス
>‥‥一日の作業を終えたときに(大バッハでも聞きながら)
>「今日も無事に作業できたことを心から感謝します」などと、
>神様にでも祈ってしまう‥‥
といった、PC=Pax Computoriana (コンピュータに拝跪するかぎりでえられる平和秩序)なのでしょうか。このコンピュータ的秩序とは、結局のところ、自己(事故!)責任と神の加護とからなる、グローバル=アメリカ資本主義=Pax Americana そのものを代表具現しているわけですね。



416. Re: 「他人事」のはずが Gustav  2002/06/09 (日) 03:11
白牛さま、同じ問題に直面した者として心からご同情申し上げます。この蒸し暑い時期に、PCメーカーに振り回される理不尽さへの憤りは、いや増すばかりです。

システムが起動しない場合、MS-DOSシステムが入った起動用FDを挿入してみて起動できる場合にはおおよそHDのトラブル、そうでない場合にはPC内部のハードウェアのトラブルに原因が別れるかと思います。後者の場合には、PCの箱を開けて、各ドライブのケーブル接続を確認ます。その後、電源を入れてみても駄目な場合には、次に電源ユニットに問題がないかどうかを確認します。スイッチを入れてみて、モニタにBIOS画面が表示される場合には、電源ユニットは生きています。こうなるとトラブルは、マザーボード(システムボード)にあると推測できます。

マザーボードのトラブルに至った場合、こればかりは人文系研究者のスキルではどうにも修理のしようがありません。メーカーへ修理を依頼するか、自力でマザーボードを交換するかの選択に迫られます。既存のメーカー製のPCの場合、市販の自作PC用のマザーボードと寸法が異なる場合があるので、安易に後者の方法をお奨めはできません。

今回、私は(1)メーカーへ修理を依頼するとHDを初期化されてしまう(2)時間とお金がかかるという点から、かなりのリスクを覚悟の上で後者の方法をとっています。PCを完全に分解して、マザーボードを引き抜き、それをお店に持参しながら、寸法の近いものを探しました。(薄型デスクトップには、MicroATXという型が、近いです。)既製のPCメーカーのものにこの方法を適応する場合、大きな問題となるのは電源ユニットの供給電力です。PCを分解した際に電源ユニットに表記された供給電力をメモし、それに見合ったマザーボードを選ばなければなりません。例え寸法がMicroATXで合ったとしても、供給電力が200W以下ですと、Pentium4のようなハイパワーなCPUに対応したマザーボードは動きません。私の場合も、これまでCeleronのような低電力システムでしたので、ここはPentium4への誘惑をぐっとこらえてPentiumIII対応のマザーボードを選択しました。これが約1万円…。(私の場合、CPUが壊れた可能性も捨てきれないので、CPUも新調しましたが…これが約1万5千円。)

このお金があったら、何冊の本が買えたのか…、このトラブルに費やす時間があれば、何枚の原稿用紙を書けたのか…。誠に口惜しさだけが募るばかりです。



415. 「他人事」のはずが 白牛  2002/06/09 (日) 01:26
いつも拝見させていただいております。有益な情報のやり取りは、わたしのような「サイレントリーダー」にも裨益するところ大で、陰ながら感謝しております。

さて、今日の昼下がり、グスタフさんの書き込みを拝読して「人事ではないな・・」と思っていたのもつかの間、なんとそのわずか3時間後、わたしのPCも「突然死」しました。ほんとうに、いきなりやってきました。まったく同じ症状で、購入が昨年四月。正直、参りました。直近に必要な授業ノートが全滅しました。

せめて、サイトの主さまとグスタフさんの「バックアップ=リスクの分散」を、事故前に読むことができていたらよかったのに。

たしかにマイクロソフトもあこぎな商売をしますが、しかし考えてみれば、PCメーカーもひどいですよね。
数十万もする代物を、たった一・二年しか保証しないとは。
その理不尽さが身にしみます



414. 「リスクの分散」と「運」(補) Gustav  2002/06/08 (土) 23:22
長々と書き連ねた発言に、「何を釈迦力になって…」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。かく言う自分も、とても切なくなりました…なぜならば、何一つとして確実な手段は見当たらないからです。例えば、サーバに保存する方法も「全て」なのではなく、当面必要なものだけの「一時」的なものに過ぎません。

とはいえ、こうしていろいろな手段を講じておくと、非常事態が起きたとしても、落ち着いて対処できる心の余裕がもてます。自分の場合、今現在研究室のPCは完全沈黙状態にありますが、OSと基本的なアプリケーションのインストールくらいですむと思えば、1時間ちょっとの時間ですべては済むのだ…と、心穏やかな週末を過ごしています。



413. 「リスクの分散」と「運」(4) Gustav  2002/06/08 (土) 22:13
最後に、大学や企業が提供するサーバに自分専用のデータ保存領域を確保し、ftpを通じてデータを保存する方法を紹介します。私は現在、(i)自分が所属する大学と(ii)Justsystem社が提供するサーバ(…ひょっとするとルンド大学歴史学部のサーバにもまだ領域が残されているかもしれない…)に自分の書きためたているデータのうち、当面必要と思われるものを保存させています。(JustsystemのサーバサービスはInternetDiskというもので、Atokなどを購入すると無料で提供されるものです。)主様が指摘されるように、こうした外部サーバにデータを保存させるには、サーバの更新作業時に自分のデータも確実に保存されるかといった問題、外部侵入者を確実に排除できるかといったセキュリティ上の問題など、不安な点もあります。しかし、頻繁にサーバとの情報更新を行い、パスワードも変更するなど、自己責任に基づいた運用を心懸ければ、現状ではこれといった問題に直面する手段ではありません。この手段の最大のメリットは、インターネットへの常時高速接続が普及した昨今にあって、これといったメディアやドライブが用意できなくても、ネットにさえ接続できていれば、いつでも(無線LAN環境下ではトイレの時間でも)、どこでも(国内はもちろん海外からも)必要なデータを自分のPCに取り込める点にあります。私は、自宅で外出する直前まで書いていた文章など、サーバに放り込んでおいて、あらためて出勤のバスのなかで(この場合はPHSを使ってネットに接続させていますが)ダウンロードして作成を続けるなど、よくしています。もしこれが、無線LAN環境が局所的に整備されつつある(ホットスポット)東京であるならば、ネットへの接続速度も高速ですので、さらに快適な手段になりうると思います。

運に左右される道具というのも実に困ったものですが、結局、一日の作業を終えたときに(大バッハでも聞きながら)「今日も無事に作業できたことを心から感謝します」などと、神様にでも祈ってしまうのがPCの現状では、そうした運と如何に上手くつきあっていくかが、哀しいかな、PCを使うと決めた現代の研究者の作法なのかも知れません。



412. 「リスクの分散」と「運」(3) Gustav  2002/06/08 (土) 22:12
さて、外付けHDへのバックアップですが、これはこれで古典的な手法ではありますが、HDの耐久性さえ問題なければ、容量の点、簡便性の点でなかなか良いバックアップ手段に思います。しかしながら、外付けHDの接続形式によって、データ転送速度に大きな開きがあるので注意が必要です。

(イ)かつては主流だったPCカード方式の外付けHDは、電源を別途外部からとる必要はありますが、データ転送速度が速く、意外と使えました。

(ロ)しかし、PCカードスロットがすべてのPCにあるわけではないので、昨今は外部電源も必要ないUSB1.1による接続のHDが普及しています。主様が「あまりにも遅い!」とお嘆きのものは、このUSB1.1のものです。確かにUSB1.1形式ですと、どのPCにも接続でき、外部電源も必要ないので取り扱いはとても簡便なのです。しかし転送速度があまりに遅い点が欠点です。

(ハ)そこで、最近はデータ転送速度を大容量化させたUSB2.0 or IEEE1394による接続形式の外付けHDが普及しはじめています。私はまたUSB2.0形式の外付けHDを試みたことはありませんが、実際にUSB2.0形式のデータ転送速度が格段に速くなっているのは、USB2.0形式のイメージスキャナで体験済みです。それですとおおよそ4倍くらいの速さを感じることができます。とはいえ、USB2.0はまだまだ広く普及した形式とはいえません。おそらく現在この規格を積極的に搭載しようとしているのはNEC社のPCくらいで、それ以外の会社のPCですとあらためてUSB2.0スロットを増設する必要があります。

ビデオカメラなどの編集用として、USB2.0より先に普及したIEEE1394形式(SonyはそれをiLinkと呼んでいます)は、ほとんどのDOS/V PCだけではなく、Macintoshにも普及していますので、汎用性があるのですが、外付けHDに電源を供給するにはケーブル端子の種類(電源を供給するには6pin)が違う点に注意を払う必要があります。



411. 「リスクの分散」と「運」(2) Gustav  2002/06/08 (土) 22:11
(2)にあたるものとしては、PCカード型HD/フラッシュメモリー、USB接続タイプのメモリーキー(SonyのStarageMediaもその一つでしょう)、HDを使っています。PCカード型のHD/フラッシュメモリーも最近は容量が大きくなりました。取り扱いが非常に簡便で、データの転送速度が速い点に利点がありますが、値段が高く、すべてのPCにPCカードスロットがない点が欠点です。

USB接続タイプのメモリーキーは、現在ほとんどのPCにUSBスロットが内蔵されていることから汎用性が高く、日々の作業のなかでデータを転送する手段としては最も多用しています。(私は、IBMのメモリーキー32MBを使っています。)従って、FDにおさまりきらないデータを「FD感覚」で同僚の方々とやりとりするには、このメモリーキーを使うのが一番便利なのですが、Windows2000以上のOSでないとデフォルトでドライバが認識されない点に欠点があります。(WindowsME/98だと別途ドライバが必要になります。)

PCカード型、USB型は総じて取り回しが楽なのですが、容量が限られているため、一時的に作業中のデータを保存し、他のPCとのデータのやりとりのために使うものであって、長期保存には適さないと私は考えています。




410. 「リスクの分散」と「運」(1) Gustav  2002/06/08 (土) 22:10
データのバックアップは、基本的にリスクを分散させることを基本方針に、自分の資本と時間の余裕に応じて可能な限りの手段を講じておくしかないのかもしれません。

私の場合も、基本的には主様が紹介されたいくつかの方法を同時併用しています。その場合、各々の手段は(1)長期保存のための手段、(2)短期保存のための手段に大別されます。

(1)にあたるものとしては、現状ではMO、CD-RWをメディアとして利用しています。この用途では、一枚のメディアあたりの保存容量の大きさが決め手となります。(方式が統一されれば、やがてDVD-R/RW/RAM/R+…(こんなにも方式がバラバラといのも頭を抱えますが)といったDVD系に代わると思います。)

MOは「FD感覚」で容易にバックアップをとることができる点に利点がありますが、主様ご指摘のようにドライブ自体が普及しているわけではない(とりわけヨーロッパでは皆無でしょう…)ので、MOドライブのあるところでしかデータを展開できないのが欠点です。

CD-Rは汎用性という点では現状で最良の選択かもしれませんが、データを焼き付けるときに時間がかかるのが玉に瑕です。WindowsXPではCD-Rを「FD感覚」で使えるパケットライティング機能がデフォルト搭載されているというので、当初私は喜んで使っていましたが、その機能にデータを消去してしまう可能性があるという「とんでもない」エラーが発見されてからは、B'sRecorderのようなソフトと使っています。



409.  バックアップのために サイトの主 [URL]  2002/06/08 (土) 16:52
承前
 駒場のTくんに続いて、生協の担当者もその便利さをほとんど得意になって見せてくれましたが、この4月から Sony の storage media なる新製品が売れているとか。ほとんどボールペン的な大きさで、USB接続、16〜64MB 最大8800円。
容量ないし簡便さということで、かつてのフロッピディスクとMOディスクの中間でしょうか。他社も進出して、もうすこし値が落ち着くのを待つかな。
 以上とはまったく別の発想法で、大学のサーヴァに My Reserveフォールダを確保して、そこに大事なファイルは常に送ってしまう、という方式(只)もあります。たしかグスタフ王もスウェーデン駐屯中はそうしていたのではなかったでしょうか。今回東京に滞在していたイニスさんもオクスフォードのカレッジのサーヴァにそうしている、とのこと。
サーヴァの管理者との信頼関係とか、外部から侵入する悪意あるヤツとかのことを心配しなくてよいのでしょうか?



408. 大切なデータのバックアップ サイトの主 [URL]  2002/06/08 (土) 16:48
407. を読みました。
「上手の手から水が漏れる」、というか「猿も木から落ちる」というべきか。とにかく連戦、万全のグスタフ王でさえこうした災難に襲われるのだから、コンピュータは怖い。
 バックアップとして、皆さんは何をお使いですか? 前にも話題になりましたが、今のぼくは基本的に MO からハードディスクに移行中です。MOディスクは速くて640MBあるし、今では安いので、当面不満はないのだが、ドライヴをもって歩くのはつらい。MOが多数の人に普及しているというわけではない。ノートPCで機動的に動きたいときは、不便ですよね。
 そこでハードディスクですが、もちろんパーティションを切って Reserve Folders をおくドライヴを日常的に使っていますが、それに加えて、
A. 5月に東大生協で、USB接続で便利ですよ、と勧められて Baffalo Portable HD (40GB) なるものを買った。これは見栄えがクールで、USBなのでどこでも接続できる、という利点はあれど、じっさいにやってみると、あまりに遅い! いくら大容量だからといって一つのディスクをコピーするのに何時間もかかるのは実用的でない。
B. たしか半年くらい前、東芝が PCカード型のハードディスクとして売り出した高価な商品、これは現在 Logitec が Mobile HD (5GB) として売っています(中をみると Toshiba MK5002MPL との表示あり)。こちらを本日ようやく使い始めました。カードスロットに差し込むだけで、インストールは自動的。最初なので、いろいろコピーするのに30分はかかりましたが。いかにも大切なデータを保護する、といった雰囲気の「専用ケース」が付いています。
A, B どちらも電源は PC本体からとる方式。自分の2台(3台?)のPCの間でも、友人や大学のPC との間でも、USBないしカードスロットで接続できるから(あいてがWindows 98 以上でなければダメだが)、世の中で普及しているかどうかには左右されない便利さがある。
→ つづく



407. こちらはPC突然死 Gustav  2002/06/07 (金) 23:32
まさか、こうした嫌な話が伝染するという訳ではないでしょうが…私が研究室で利用しているPCが今日の5時限目の開始直前に突然死を起こしました。HDはおろか、CD、そして最後の頼みの綱であるFDからも起動しません…経験上、FDからも起動できないとなると、これはマザーボードの故障としか考えようがありません。(電源は入るし、ケーブルも確認済み。)よって、激鬱のなか迎えた5時間目でしたが、5時限中に学生からもたらされたスウェーデン勝利とのニュースで気を取り直し、部品集めにひとりさびしく箕面から下山して梅田を彷徨した次第です。

この場合、おそらくHDは壊れていないと思われるのですが(またたとえドライブのシステム領域が壊れていてたとしても、データ保存領域を別パーティッションに区切っていれば実害は少ないです)、それにしても購入して1年あまり(…昨年の春から数えて保証期間の切れるきっかり1年で、あたかも図ったかのようなタイミングで壊れました!)のPCがこの有様では、全く困ったものです。いつ何時でも不慮の事態に対処できるように研究室に待機させてあったノートPCのお陰で、授業を無事に乗り切ることはできましたが、はたして確実な仕事の環境を得るために何台ものPCを用意し、何枚ものバックアップ(MOやCD-R)を作らなければいけない…というのは、なんとも本末転倒な話です。

バグだらけのWindowsXP、そのような欠陥商品を堂々と市場に出して踏ん反り返っているMicrosoftの横柄な態度には辟易とさせられ続けて…すでに10年近く経ち、もう慣れっこになりましたが…今日の私の研究室での出来事の結果、またまた一人の人文系研究者が、教育・研究のための時間を無駄にして、「あらぬ」方面でスキルアップを果たした事態に、梅雨まだ至らぬ暑さのなか、深い憤りを感じています。

(きっとこうしたことでお悩みの方々は多いのだろうと推察いたします。心からご同情申し上げます。)



406.  XP の修正プログラム サイトの主 [URL]  2002/06/04 (火) 22:13
 承前
 今晩も、そういうわけで、UPSとは何だ、とGoogleで検索した結果を確実にするためプリントしようとしたら、即 暗転。こういうのは頭に来る。
慎重に周辺のケーブル接続状態を見なおしたうえで、ふたたび電源を入れ、今回はプリントすることなくいくつかの関連ページを見て歩くうちに
 http://support.microsoft.com/
 http://www.download.windowsupdate.com/
より、次のようなページに遭遇。
<スタンバイからの復帰に関する問題の修正プログラム>
 現象
 コンピュータをスタンバイ状態から再開させると、コンピュータが応答を停止 (ハング) することがあります。
 原因
 この問題は、Pci.sys ドライバが、電源が入った後でデバイスにアクセスするために必要な 10 ミリ秒の間待機しない場合に発生する可能性があります。
 解決方法
 マイクロソフトでは、現在この問題を修正する修正プログラムを提供中ですが、修正プログラムはこの資料に記載された問題のみを修正することを目的としており、障害があったコンピュータに対してのみ適用することを推奨します。

<UPSを接続するとコンピュータが停止する問題>
 これは結局「無停電電源装置」を付けたことが原因で、本体が停止しやすくなる問題!

 要するに Windows XP に根本問題が残るまま販売を強行していることにともなう欠陥なのでした。無能なままチケット販売を独占しているイギリスの Byrom 社よりひどい無責任のような気もする。ここは MS 社の言うとおり、<修正プログラム>を「今すぐダウンロードして」、インストールすることによって対処する他なし。



405. Windows XP の電源問題 サイトの主 [URL]  2002/06/04 (火) 22:09
 学期のさなかで校務多忙+大事なお客さんの来訪のつづく季節+科研プロジェクトの開始、というだけでも大変な事態なのに、PC環境も変わって、サイトの更新もままならぬ日夜です。
 そうしたなかで、この間ずっと悩まされていた問題が、今晩、一つ解決したよう(に思われる)ので、その経過を XP 利用の皆さまの参考まで、以下に報告します。
 5月9日に Vaio LX55G (当然ながら Pentium4で XP)をT助手に助けてもらってインストールしました。その後自力で Windows95 の旧マシーンから数日かけてゆっくりソフトやフォールダを移行しましたが、そもそもプリンタも秀丸も更新しないと動かないと知ったのはショックでした。一太郎は大丈夫。ALmail のファイル移動については、わざわざ大阪からグスタフ王に遠征して解決してもらった! バタバタしたが「終わりよければすべて良し」、全般に MEよりは安定して快調に使えてよかった‥‥、とか言いたくなるころに、じつは深刻な問題が毎日つづくようになったのです。
・Vaioが勧めるとおり夜、電源を切らずに「休止」にしておくと翌朝かってに電源がはいっていて、しかもこれが不安定、
・前触れなく電源が突然切れたり、
・印刷を命じると同時にPC本体のみ電源が落ちる(プリンタなどは無事), etc.  
 しかも電源を再投入すると「システムは深刻なエラーから回復しました」とか、「UPS Service についてエラー発生‥‥閉じられる必要がありました」とか、とても気持ち悪いメッセージがでるのです。
→ つづく



404. アマゾンのEUROさん サイトの主 [URL]  2002/05/29 (水) 20:20
amazon.co.jp の『長い18世紀のイギリス』カスタマーレビューに
  なぜ18世紀? なぜイギリス?, 2002/05/13
という題で
  投稿者 euro   大学村
さんから下記のような書き込みがありました。これはとても大事ないい問題を衝いてくださったと考えて、御礼かたがた編者として投稿してみたところ、数日してアマゾンのサイト管理者から、「著者からのコメント」欄へどうぞ、というメールをいただきました。なんだかまどろっこしいですが、そうします。
 念のため、大学村のユーロさん(!?)のレビューを引用します。
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 ヨーロッパ史の常識からすると、この本のように1680〜1830ころを一つの時代として捉えるのは馴染みにくい。フランス革命とナポレオン(1789〜1815)のインパクトが決定的なのです、そして1848年も。
 それから今の時代、歴史のトランスナショナルな捉え方に向かっていると思うが、著者たちは連合王国や英語世界の外について如何に?
 信じがたいほど緊密な、そして刺激的な、おそらく世界水準の共同研究だと認めたうえで、あえて伺いたい。イギリス史の特有の道を著者たちは主張したいのか? EUへの道は?