筑摩叢書を読む リード『反乱するメキシコ』
                          『ちくま』 253号(1992年4月)

 ジョン・リードといえば、日本では何といっても『世界を揺るがした十日間』(一九一九年刊)の著者として知られている。だが、このロシア革命の古典的ルポルタージュをあらわす数年前に、リードがメキシコ革命の現場にたちあい、兵士や農民たちと一緒に生活し戦った(いや、逃げまわった)ということは案外知られていない。一九一三年末から一四年にかけてのことである。

 かくいうわたしも、ジョン・リ−ドとメキシコ革命のことはこの本の訳者のひとり、野村達朗氏に連れられて、一九八四年の春まだ浅く雪のちらつく日に、名古屋のあるホ−ルでみた同名の映画『反乱するメキシコ』で知ったのだった(楽しく飲み食いして帰宅したら、義父が倒れたという知らせが待っていたので、よく覚えている)。メキシコから帰ったリードをむかえたニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの雰囲気は、これまた野村氏推薦の映画『レッズ(赤い連中)』でその一端を見ることができた。リードにもメキシコにも、もっと親しめる機会がふえるといいのだが。

 『反乱するメキシコ』を著したとき二六歳の、このハーヴァード出のジャーナリストは、ことの前後関係(クロノロジー)なぞほとんど意に介さず、むしろ読者に映像的な想像力をうながすことを第一に考える映画の脚本家のように書いている。

 序の冒頭、国境の郵便局の泥屋根にのぼって眺めた、山々、砂漠、家並。その光景のなかに今リードは記者として入っていく。印象的な夕刻の描写は、たとえばこう続く。「太陽は赤い斑岩の山々の頂にしばらくかかっていたが、やがてその向こうに沈んでいった。トルコ玉のような天球はオレンジ色の雲でおおわれた。そして起伏する砂丘はすべて赤々と照り輝き、やがて淡い光の中に溶けこんでいった。突然、前方に巨大な農場の堅固な要塞が現われた。‥‥西方の山々は、今や青いビロードのようにかすみ、薄色の空は波文様の絹地の天蓋に血がにじんだようだった。しかし、私たちが農場の大門についた頃には、上空はこぼれんばかりの星空であった。」

 こうした大自然のなかで農民の生活と内戦がつづいていた。リードの描くメキシコ人たちは貧しく、善良で、荒くれで、ほとんどメチャクチャだ。宿の部屋に「アメ公」リードを殺しにきた中尉は二丁拳銃をかまえたそのときに、テーブルの上の腕時計が目にはいり、それを進呈されると、感きわまり「ああ、親友よ」と叫ぶのだ。別のときに一団の兵士たちはアメリカのカメラマンから腕時計を共同で受けとり、「それから死ぬまでずっと一人二時間交代でこの時計をはめることに意見が一致した」という。また大攻撃の夜の明けたあと大きなラバに乗ったリードをみて、つぎつぎに人が寄ってきて所有権を主張した。「ああ、わしのかわいいラバよ、どこに行ってただ」。

 −−念入りに挨拶をくりかえし、客人を歓待し、もてなしを断ったり中座したりすると傷ついてしまい、カネでお礼を受けとらないかわりに、心のこもった気前のいい贈物は期待する。こういった貧農(ペオン)をリードは「メキシコの象徴」とよぶ。「愛すべき人間、我慢づよく貧乏で、長く奴隷の身にあり、多くの夢を抱き、そしてまもなく自由となるべきメキシコ人たち」。彼らはまた、中世・ルネサンスのヨーロッパの人々と同じく、祭日の夜に「奇蹟劇」のために集い、ともに演じる豊かな民衆文化の担い手であった。

 兵には女たちも同行する。彼女たちは男(マッチョ)の都合に振りまわされているようにも見える。「女には楽しいことなんかひとつもない」。だが、リードは女のしたたかさを、イサベルという、戦闘で恋人を失ったばかりの女性との一夜のエピソードによってペーソス豊かに伝えてくれる。「こいつは俺の女だ」と言いはる大尉殿から逃れるために、イサベルはリードを選び、周囲の兵士も女も子どももこの「婚礼」を祝福し、穏健なシャリヴァリとセレナードさえ演じてくれた。新しいシーツの用意されたベッドで二人は静かに寄り添って眠り、翌朝、イサベルは晴ればれしたおももちで大尉殿について行くのだった。

 「メキシコの象徴」ペオンたちの世界を代表するような革命家ビリャ[ビジャ]は、数か月前まで読み書きできなかった。匪賊の出身、メキシコのロビン・フッドは「野蛮人のような純真無垢な素朴さで、二〇世紀の世界とあい対することとなった」のである。この「政治にのりだしたペオン」に文明社会の複雑な手続き・約束ごとを説明するには一種の哲学が必要だった。革命政権の第一統領カランサには、しかし、こうした二つの世界の仲立ちをするような器量はない。もったいぶった取り巻きをしのいで会見に成功したリードからみると、カランサは支配者スペイン人の血をひく自由主義貴族であり、民衆の革命的エネルギーを利用しつつも「ご存知のようにビリャは無知なペオンにすぎない」と外国人記者に言ってしまうような、神経質で孤独な老人にすぎない。リードの取材のあと半年もしないうちに、エリート的なカランサの路線とビリャ、サパタの農民革命路線とは衝突するほかないのである。

 『反乱するメキシコ』に所収されている有名な写真がある。人々に囲まれてビリャが大統領の椅子にすわり、サパタがその隣に幅広の帽子を手にすわっている写真だが、これを現代の歴史家十四名のインタヴュー集『歴史家たち』(名古屋大学出版会)の編者は、ちょっとデフォルメをきかせて扉の漫画にしている。ビリャはそのまま悠然と座し、サパタは写真のように鋭くカメラを正視するのでなく、右手で顔をおおい、疲労ないし絶望のおももちである。激動のただなか、忙中閑のほっとした二つの表情、ということだろうか。実はリードと同じハーヴァードを出た元ジャーナリストで『サパタとメキシコ革命』の著者、ジョン・ウォマックのインタヴューがこの『歴史家たち』に収録されているのだが、この漫画では、革命家たちの後方にリードかウォマックのようにも見えるアメリカ人の青年が憂愁のおももちで立っている。

 正しい歴史のにない手や真の革命家といったものを探しもとめてきた歴史学にたいする懐疑と冷静な目が、リードからウォマックに継承されているようにも思われる。行動力と想像力とセンスをそなえたジャーナリストや研究者を輩出させるアイヴィ・リーグおよびニューヨークという「場」のすばらしさに、想いはいたる。この本のなかで一人がリードにむかって言っている。「俺には好きなアメリカ人が大勢いる。君も好きだ。‥‥それなのに、俺たちは一緒に語りあう時間がなかった。」
                                        近藤 和彦