296. Re: 註をどうするか サイトの主 [URL]  2001/06/01 (金) 20:18
>‥‥これをワープロに流し込んで整形する際には、脚注番号などの整形に手間がかかりますから、Kくんがおっしゃるようにマクロで自動化するべき‥‥

 なんだい。マクロ化した以外は、先端的な皆さんも同じレヴェルで悩んでいるのか。(テキストファイルとは、本来そのようにシンプルでなくちゃいけないわけだ。)
 むかし、MS-DOS「松」で仕事していたころは、ワープロでありながらエディタのようにきびきびと動き、かつ註は99まで付けられ、追加・削除も自由だったので、最初のメモから最後の仕上げまで松でやっていました。でも、3桁になると突然たいへんになる! というわけで、ぼくの「松」を駆使した最後の仕事『文明の表象 英国』* までは、註番号は各章90台に留めるしかなかったのです! {{* 執筆は1998年前半。わざわざ98マシーンのWindows 3.1 に松を乗せて仕事していました。}}
 ちなみに出版界の現状についてひとこと言っておきますと、DTPなどと違って普通の=プロの出版社から本や論文を出すときは、編集担当者から「テキストで下さい」と希望されます。ワードや一太郎やその他ワープロで提供した場合は、彼ら/彼女らは一旦どうしてもテキストに変換してから細かい編集=指定作業に移ります。だから(註のある文章だと99%)、万一のために、あらかじめハードコピーをください、と彼ら/彼女らは要求してくるのです。そういうことの分かってない編集担当者だと、印刷所のオペレータが気を利かせることになります。



295. Re^3: リサーチ途上 K主@入梅?の東京  2001/06/01 (金) 19:40
> 先日の一時帰国に際しては大変お世話になりました。

リサーチ途上の報告を聴くのは、楽しいことです。
偏狭なるアーキヴィストの眼をあざむきつつ大きな地図をどうコピーするか、とか、プロソポ・データをテキストファイルでどう入力するか、といったレヴェルの問題と、いったい議論が成り立つのかどうか、という不安とを抱えつつ、あるいは、そうだ今日中に洗濯しないと/配管工に来てもらわないと, etc. 大変なことになる、といった苦労を重ねつつ留学生活というものは展開するわけで、−−やはりこれは一生で一番辛くも充実した年間ですよ。
課題がじつに具体的でありつつ、理論的でもある。でありながら、
「‥‥特定のアンガジュマンなしに取り組もうという私の研究は」『クリオ』p.72 と言ってのけるあたりが、クールな@南仏くんらしい。



294. ためになります Gustav [URL]  2001/06/01 (金) 15:09
> おそらくGustav氏の言う方法も、
> (テキストファイル段階でアクセント記号付きの文字が使える、とい
> うこと以外は)基本的には同じことではないかと想像するのですが、

まったくおっしゃる通りです。テキストファイル段階で欧文と邦文をほぼ完全な状態で混在させてしまうということです。ただし、これをワープロに流し込んで整形する際には、脚注番号などの整形に手間がかかりますから、Kくんがおっしゃるようにマクロで自動化するべきに思います。さすがです、感心しました。

> 文字化けについては、日本語とフランス語のファイル
> を分けることで対処しています。Unicode(現状ではUTF-8ということ
> になるのでしょうか)のテキストに関しては、いまひとつ決心がつか
> ず、まだ踏み切っておりません。

僕はもうUnicodeから戻れません。こんなに素晴らしい多言語環境がWin2K上で実現されているなんて、夢にも思いませんでした。Unicodeで記述されたテキストを変換するコードは、現時点ではUTF-8がベストですね。たとえば最近はNACSIS WebCATさえ、UTF-8による多言語検索が可能にもなりました。とはいえ、残念ながら秀丸エディタはUnicodeで書かれたテキストを認識して表記させることができますが、Unicodeでの入力はできません。この点でEmEditorに一日の長があると思います。EmEditorにRef 2000、おまけとしてWord(あるいは一太郎)があれば十分で、しかも最近のノートパソコンはバッテリー駆動時間がやたらと延びたから(Win2Kの省電力管理とSteedStepなPenIIIの組み合わせはかなり強力なので)、最近はどこに行くにもX21を持ち歩いて、それだけで事足りています。もはやPDAなど要りませんな…。

KくんがUnicodeへの移行を決心できないのはなぜなのでしょう?Win2Kに移行していないから?それともDOSモバの資産を生かしたいから?

ところでリッチテキストとUnicodeなテキストを変換するツールをKくんは知りませんか?リッチテキストは大抵のテキストエディタでは扱えないので、変換するためだけにWordをたちあげるのはなんとも億劫です。



293. とんでもございませんm(__)m Gustav [URL]  2001/06/01 (金) 13:27
> とは、皮肉のおつもり?

とんでもございません…笑。(…などと書いてしまうと、一体誰がPen4ユーザーなのかわかってしまいますが…うらやましい限りです…笑)できることなら、常に力あるものが誰にとっても良い選択と私は思っています。

昨今はすでにハードウェアの発展は、常人の感覚では認識不能なレベルに到達した感があります。それを背景にして、ようやくパーソナル・コンピューティングにおける細やかでしなやかなユーザビリティの追求がアプリケーションのレベルで進んでいるように思います。今回のUnicodeの件もそうですし、最近はAtok14に実装されたiAtokという検索機能にいたく感心いたしました。ハードウェアに力があり、ブロードバンドで常時ネットワークに接続された環境があって、ようやくPCによる効率的な研究環境も真に使えるものになってきたのではないでしょうか?

> 問題は、註です。

正直なところ、基本的に誰もがダブル・スタンダードな状態にあると思うのです…。そうでなければ、最初からテキストエディタなど使わず、一太郎とかWordとかだけで書いてしまうとか。要は、読書ノート・文献データベースと原稿執筆をいかに有機的に連関させるかということ、これが今回ご紹介したかった点です。もちろんRefとテキストエディタを連関させてできるファイルはテキスト形式ですから、一太郎でも扱えます。問題は、テキスト側で仕上がった脚注を含むほぼ完成状態にある粗稿をワープロで整形するときに、どのようにして効率的に行うかということ、たとえばワープロにある脚注作成機能とどう連関させるか…といったことですね。これは現状では、一太郎にもWordにもあるマクロ機能で連続動作を覚え込ませるというKくんご紹介の方法が一番良いでしょう。

> お前もすみやかに Win 2000 に乗り換えよ、という助言ですね。

ここは強調したい点ですが、ServicePack2という修正版もでて、Win2Kの安定度・完成度は、そろそろ本物になってきたのではないかと思います。今秋にはWinXPなるものも出るらしいですが、しばらくはWin2Kで落ち着いた研究環境を維持できるものと思います。(WinMeは…WinXPの登場によって発売後一年足らずでお蔵入りになるわけで…ということはMicrosoft社がWinMeをどういう位置づけにおいたOSだったのかは、みなさん容易にご想像いただけますよね…。)



292. Re^2: Ref 2000 アクセスしてみました mailto:akkudo@club-internet.fr  2001/06/01 (金) 05:17
サイトの主様

先日の一時帰国に際しては大変お世話になりました。
さて、テキストエディタとワープロの関係というのは、私も多少考え
たことのある問題です。結論としては、テキストエディタである程度
書き進めた段階でワープロに移す、註に関しては「粗稿段階(テキス
トファイル)ではなんらかの記号で囲んでおく」という、先生とまっ
たく同じ方法に落ち着いています。おそらくGustav氏の言う方法も、
(テキストファイル段階でアクセント記号付きの文字が使える、とい
うこと以外は)基本的には同じことではないかと想像するのですが、

私が若干工夫をしているのは、粗稿の註をワープロ上で註に変換する
手続きです。たとえば脚注を{{ .... }}というかっこで囲んで、本文
中に記述しておくとします。つづいてワープロ上で、一連のキー操作
をマクロとして記録する機能を利用して、
1.{{と}}で囲まれた文字列を検索する。
2.この文字列を切り取る。
3.その位置で脚注を挿入する。
4.文字列を脚注エリアに貼り付ける。
5.行頭と行末のかっこ({{ }})を削除する
6.本文の元位置(脚注を挿入した位置)に戻る。
という一連の操作を記録します。このマクロにショートカットキーを
割り付けておけば、そのキーを押し続けるだけで、仮の註が書かれた
テキストファイルから、脚注付きのワープロ文書への切り替えは一瞬
で終わります。

不可逆的で原始的な方法ですが、私は修論以来この方法に落ち着いて
います。また、文字化けについては、日本語とフランス語のファイル
を分けることで対処しています。Unicode(現状ではUTF-8ということ
になるのでしょうか)のテキストに関しては、いまひとつ決心がつか
ず、まだ踏み切っておりません。いつもながら、Gustav氏の開拓精神
には頭の下がる思いです。



291. Re: Ref 2000 アクセスしてみました サイトの主  2001/05/31 (木) 19:35
> Ref 2000は、日本人研究者から見ればEndNoteに勝っています。
> Pentium 4といった誰もがうらやむ「超」強力・高性能CPUをもってWordをバリバリと高速・安定動作させられる環境なら全く問題ないのですが、‥‥
とは、皮肉のおつもり? Pen 4 であれ何であれ、日本語主体に書いているとき、ぼくはあいかわらず「秀丸」を愛用しています。ワードはいろんな点で気に入らないので、英語で作文するとき以外は、用いません。
問題は、註です。日本語論文で註をつけるときは、しかたない、粗稿段階ではなんらかの記号で囲んでおき、かなり完成度が高くなった段階で「一太郎」に切り替える、という、要するに不便きわまりない double standard 状態です。

>テキストファイルで脚注処理まで施された論文の概要を完成させてしまえば、最後にWordにそれを流し込み整形するだけで良い‥‥

この最後の部分を一太郎に、と読み替えるとして、うらやましい。お前もすみやかに Win 2000 に乗り換えよ、という助言ですね。

> http://member.nifty.ne.jp/refwin
アクセスしてみました。



290. Ref 2000のこと(2) Gustav [URL]  2001/05/31 (木) 16:37
ところがここで紹介するRef 2000ですと、日本語や英語はもちろんフランス語やドイツ語といった特殊文字を用いる文献も容易に記述できます。つまり読書ノートをとる際に、文献情報のほかに原文による引用箇所や日本語によるコメントを同時に記録することができるということです。この点でRef 2000は、日本人研究者から見ればEndNoteに勝っています。しかもRef 2000は、Unicodeで処理されているテキストファイルで情報のやりとりが可能です。この点が多言語環境を実現するという点では、最大の利点です。つまり先に挙げたEmEditor3を用いれば、和文・欧文混じりによる論文の下書きをテキストファイルで執筆し、そのテキストファイルにRef 2000にある文献リストから脚注情報を挿入しておけば、テキストファイルのみで欧文・邦文を混在させた論文の概要を完成させることができるということです。

テキストファイルベースで文章を執筆する利点は、MacだろうがWindowsだろうが誰でも閲覧できる汎用性、grepを利用した強力な検索能力、テキストエディタの高速性・安定性などにあります。Pentium 4といった誰もがうらやむ「超」強力・高性能CPUをもってWordをバリバリと高速・安定動作させられる環境なら全く問題ないのですが、数世代前のロースペックなPCを利用する場合にはWordよりはテキストエディタのほうが確実な作業ができます。テキストファイルで脚注処理まで施された論文の概要を完成させてしまえば、最後にWordにそれを流し込み整形するだけで良いのです。

ようやくUnicodeベースの多言語環境の利点を研究作業上、実感できる環境がEmEditorとRef 2000で実現されたということです。ただし、もちろんこの環境を実現するには、OSがWin2Kでなければならないという大前提があります。とはいえ、ちょっとヘビーな作業をさせた途端にシステムリソース不足とハングアップに陥るようなWin9X系OSよりは、Win2Kのほうが安心して作業できますし、そして今回このようなすばらしいソフトウェアが登場したことによって、Win2Kの環境はますます西洋史研究にとって魅力的なものになったと言えるのではないでしょうか。

http://member.nifty.ne.jp/refwin



289. Ref 2000のこと(1) Gustav [URL]  2001/05/31 (木) 16:35
歴史学研究の技術論的話題で恐縮ですが、これはみなで公にしたい情報と思い、こちらに書き込みます。それはRef 2000という文献管理ソフトの話です。『クリオ』誌上に投稿した拙文『西洋史研究とコンピュータ利用』を読まれたというRef 2000の作者から直接ご連絡をいただきまして、この非常によくできた文献管理ソフトを試用しました。私はこのソフトの出来具合にたいそう感心しましたので、ここに紹介します。

英語と日本語を多用されるイギリス史研究者の方々にはあまり馴染みのないことかも知れませんが、ひろく西洋史研究者の話をするならば、フランス語・ドイツ語・ロシア語…(なかにはスウェーデン語)といった特殊文字を利用する言語と日本語との混在、いわゆる多言語環境の問題で頭を悩まされている方々が多いのではないでしょうか。

1byte文字と2byte文字の区別を感じさせないUnicodeという文字コードを利用可能なWindows2000が登場して1年あまり、ここにきてUnicodeによる多言語環境の恩恵を容易に受けられる状況が熟して参りました。Win2Kが登場してしばらくは、たとえOSでUnicodeを扱えるとはいっても個々のアプリケーションレベルにおける言語処理が旧態然のままでしたから文字化けの問題を回避することはできないでいました。

ところが最近では、EmEditor3というテキストエディタの登場によりUnicodeをベースとしてテキストファイル形式での多言語共存を柔軟に行いうるようになりました。そしてUnicodeベースのテキストファイルをベースとして文献管理を行えるソフトとして上述のRef 2000が登場しました。

従来、研究上の文献管理ソフトとしてはEndNoteというソフトがデファクトスタンダードの地位にありました。欧米では今もそうです。確かにEndNoteはWordとの連係機能も強力であり、論文執筆上もっとも煩雑ゆえに慎重に行わねばならない脚注作成や参考文献表の作成で絶大な力を発揮します。しかし日本人研究者としての最大の問題は、表示フォントとして日本語フォントを扱えないがゆえに日本語文献を扱えないという点にありました。




288. Re^3:ドンジョヴァンニ Gustav  2001/05/31 (木) 15:54
学科旅行でしたか…懐かしい響きです。何も問題なく、無事に終わりましたでしょうか。お疲れさまでした。

> > DVD-POBG-1022
> で、注文します。

注文する際の番号は、POBG-1022でO.K.なようです。

それにいたしましても、オペラこそはDVDというメディアの特性をもっとも有効に活用できるジャンルだと私は思います。時に応じて歌詞を表示させたり、させなかったり、見たいシーンの頭出しが一瞬であったり…。惜しむべきは、ソフトがあまり揃っていないということでしょうか…今から70〜80年くらい前からの音源のみで伝えられている伝説的な名歌手たちの競演を、この目で確かめたい…と思っても、それはわがままな無い物ねだりですね。そういう意味では、このフルヴェンの『ドン・ジョヴァンニ』は掛け値なしで素晴らしい遺産ですね。



287. Re^2:ドンジョヴァンニ サイトの主  2001/05/30 (水) 13:06
月・火と学科旅行で河口湖に行っていました。
さっそくの情報、ありがとうございます。
> DVD-POBG-1022
で、注文します。



286. Re: DVD Furtwanglerのドンジョヴァンニ Gustav  2001/05/27 (日) 13:58
1954年ザルツブルク音楽祭のライブ収録のものですよね?国内版は販売元はポリドールより(おそらくDGレーベルで)以下の番号で出ています。

DVD-POBG-1022






285. DVD Furtwanglerのドンジョヴァンニ サイトの主  2001/05/26 (土) 20:53
ところで、フルトヴェングラがふって、シエピ、シュヴァルツコップなどが歌った Don Giovanni のDVDが商品化されたとどこかで見ましたが、いざ探すと見つからず。
ぼくはこれの映画版を1970年代に上野の文化会館大ホールで!見ました。VHSになっていることは承知していますが、できればDVDにて再見したいのですが‥‥



284. DVD re:268 サイトの主  2001/05/26 (土) 20:48
268.のグスタフ王の警告:
> DVDのプレーヤーとソフトにはリージョンコードというものが付加されているので、購入時にはお気をつけください。
> リージョンコードは世界を大きく6つにわけて設定されています。‥‥西欧、中東、日本、南アフリカはリージョン2、

はい。かろうじてこのことは認識していたので、アメリカのamazon.com からDVDを注文して何も見えないといった失敗経験はありません。そのぶんイギリスの amazon.co.uk への注文が増えています。
今のところ米・英いずれのアマゾンについても、本についてもCD、DVDについても事故はなく、260.としひこさんの体験には、taken aback!



283. Re: OED online としひこ  2001/05/16 (水) 19:44
サイトの主さま、Gustavさま、OEDの件では大変ご迷惑をおかけしました。Gustavさんと同じく、ぼくも同じく、OEDのサイトをCDROMの問題でさまよったという事実や、本年4月より着任した本学図書館(あるいは学内LAN)では現在のところOEDのオンラインの導入予定がないという背景を全く記すことなく、CDROMの件を談話室に記してしまいました。この点はうかつであり猛省しています。Gustavさんがいうように、ぼくも比較的安価になりつつあるOEDのオンラインを個人的に使用したほうが便利かな…と考えを改めつつあります。それゆえ、自宅より、ダイアルアップを通じて所属していたイギリスの大学の図書館に接続し、様々なデータベースや辞書を参照していたイギリスでの日々が少し懐かしく思います。



282. Re: OED online Gustav  2001/05/16 (水) 18:05
いやはや、ようやく支給された研究室のPCのOS総入換えがなんとか終わりそうで、ほっとしています。(もうWindows Meなんて、絶対に見たくない!)そして、今回のOEDの件につき、主さまが解決法にたどり着いたようで、さらに安心しました。

>じつは東大構内からは
> http://www.oed.com/ に直接アクセスすればすべて解決するのでした!

正直に告白します。このサイトなんですが、ここからも見られますし、実は今回の件でFAQのあたり何度も巡回したのです。やはり本家本元での情報が一番確実だろうと・・・。しかし、僕はここから有益な情報を得られることができないでいたのですが・・・僕って駄目ですね、自身喪失。何か有益なCD-ROMの解決情報がありましたでしょうか?

とはいえOED.COMで直接検索できますから、常時ネットワークに接続されている環境があれば、実はCD-ROM版を購入する必要はありませんね。確かにノートパソコンのHDDに入れて、いつでもどこでもという訳にはいきませんが、フレッツISDNやフレッツADSLなどのサービスによって、もはや日本でも常時接続サービスが安価に提供されるようになった今日、職場と自宅で常にネットに接続された端末があれば、それで十分なのかも知れません。僕は最近自宅でもネットに繋ぎっぱなしですが、おかげでOEDのスウェーデン語版とも言えるSvenska Akademiens Ordbokの検索サイトなどをいつも使えるので重宝しています。



281. OED online サイトの主 [URL]  2001/05/16 (水) 12:01
 もしやたいへん恥ずかしいことかもしれません。この間、OED CD-ROM の不具合について大騒ぎをしていましたが、じつは東大構内からは
http://www.oed.com/ に直接アクセスすればすべて解決するのでした!
これまではオクスフォードのLANに繋がっている人々の特権、と留学生たちを羨ましがっていましたが、いまやウェブの世界はかくも拡がったのです!
 知らないと損、というスレッドがありましたが、本当に不明を恥じます。



280. Re: OED 2nd ed.(version 2.0)につき紀伊國屋より Gustav  2001/05/15 (火) 13:07
> 1) これまで販売した
> OED 2nd ed.(version 2.0)の Installation Disc は
> Windows Me/2000 ともに対応していない。

「これまで販売した」というところがポイントですね。イギリスの一部のインターネットショップにあるOED ver.2.0についてはすでにWin2K対応が謳われていますから…。対処プログラムはすでに出回っているのでしょう。とはいえWin2Kへの対応は謳われていても、僕がネットサーフィンした限りでは、WinMeへの対応を謳っているものはありませんでしたので、そこが不安です。

> 2) ただちにOUP日本法人とともに対処したい。

という紀伊国屋のコメントにはいささか疑問を感じますね。OUP日本法人はすでに不具合の問い合わせがあったユーザーには上記の対処ソフトを配布していたと聞いております。

> 3) 紀伊國屋・営業から人が大学まで来て現Installation Disc を引き取り、これと引き替えに対応版Installation Disc を持参したい。残念ながら後者はまだ現物がない!ので、即日の対応はできない。

なぜ不具合のわかっているInstallation Discでの販売を進めたのかがわからない…。少なくとも高額なライセンス料を払い、ユーザー登録をしているものには事前の速やかな連絡があってしかるべきです。OUP日本法人と紀伊国屋との間で、どの程度連携がうまく保たれているのかも疑問です。

紀伊国屋さん、顧客の信用を落とさないよう、まぁがんばってください。



279. Re^5: OED 2nd ed.(version2.0) としひこ  2001/05/15 (火) 12:39
サイトの主さま。念のために、ぼくのノートPC環境も記します。SONYのVAIO Z505NRの標準OSはWin98SEですが、274のGatewayのように、HDをC、D、Eと分割し、CにWin98SE、DにWin2000、Eにデータという形にしています。Gatewayと同じく、VAIOの起動時にOSを選択できます。OEDのCDROM(ver.2)に関していえば、Win98SEのみをOSとして使用していた時も、現在Win98SEとWin2000を兼用している時も、前記CDROMはWin98SE上では使用可能です。PC環境の特殊性がCDROMを読み込まない時もあるようなので記しました。



278. OED 2nd ed.(version 2.0)につき紀伊國屋より サイトの主 [URL]  2001/05/15 (火) 12:02
 274, 276, 277 に関連しますが、独立スレッドとします。
 今朝、紀伊國屋書店営業部から電話があり、
1) これまで販売した
OED 2nd ed.(version 2.0)の Installation Disc は
Windows Me/2000 ともに対応していない。
2) ただちにOUP日本法人とともに対処したい。
3) 紀伊國屋・営業から人が大学まで来て現Installation Disc を引き取り、これと引き替えに対応版Installation Disc を持参したい。残念ながら後者はまだ現物がない!ので、即日の対応はできない。
とのこと。
それぞれ最寄りの紀伊國屋ないしOUPに、不具合をアピールしてください。



277. Re: お礼 Gustav  2001/05/14 (月) 22:05
としひこさま

多少なりともお役にたてたとするならば、嬉しい限りです。無事にSafe DiskプロテクトチェックプログラムのWin2K修正版を入手されて、Win2Kでお仕事の環境が整備されますことを心から祈ります。

> この2つのCDROMもただ便利だというだけでなく、談話室で言われているように、問題点も認識した上で、購入・利用したいですね。

私もそう思います。とはいえなかなかこうした利便性の高いCD-ROMについて、入手さえ困難な状況にある場合もあります。ですから利用に際しては参照すべき情報資源も少ないために、リスクが伴うことが多いです。私の個人的経験から致しましても、先に留学したスウェーデンで購入したスウェーデン語関連のCD-ROMも半分くらいの割合で、日本語環境ではWin2K環境でさえ利用不可能なものでした…。とはいえ、悔いてはおりません。と申しますのも、私個人が体験したことや得た情報をこうした開かれた議論の場で公にすることで、私のような者でもみなさまのお役に立てると思うことがあるからです。必要なことはこうした情報を集積し、議論する場が確保されることに思います。きっとみなさんも各自さまざまな体験・知識をお持ちでしょうし、そうした情報を必要とされている方々も多いと思います。



276. Re^5: OED 2nd ed.(version2.0) Gustav  2001/05/14 (月) 21:54
主さま、としひこさま

> さっそくインストールして、再起動したら、なんと
> Error 1611 This product will not run on this operating system というメッセージが出てくる! 

ふーむ…ここまでいくと、ぼくも皆目検討がつきませんね。今Error1611について調べてしみたのですが、正直に申しましてこれの意味するところ全くわかりませんでした。ですが、この現象は、ぼくがWin98上でスウェーデンで出されているある百科事典ソフトを導入させようとしたときに出てきた症状と似ています。これはおそらく日本語版・英語版OS間の些細な内部モジュールの差異に起因する問題と思われ、もし日本語版OSでも動作可能な修正ファイルが用意されているのでもなければ、ひょっとすると動作不可能かもしれません。OED ver2.0についてはわかりませんが、ちなみにそのスウェーデンの百科事典の場合、Win2000上では問題なく動作させることは可能になりましたが…。もし紀伊国屋が我が国におけるOED販売の代理を務めるならば、その点は確認してもらいたいところ…。とはいえ、ひょっとすると問題なく動く代物であるかもしれませんが…紀伊国屋はこうした件につき情報を開示すべきです。



275. Re^4: OED 2nd ed.(version1.1) のインストール! Gustav  2001/05/14 (月) 21:49
主さま

> いえ、Win95のファイル構成を比較参照しつつ、WinMeのハードディスクにもfontはコピーしてあります。

ファイル構成を比較して、WinMe側で同じようにファイルが存在するというだけでは、この文字化けの問題は解消されません…と断言します。その理由は、OED ver1.1の当初のセットアップの際、おそらく最初に専用表示フォントが導入されていなかったために、その後のOED ver1.1の検索ソフトセットアップの過程で設定されるアプリケーションの設定情報ファイル(…たとえばWindowsフォルダ内にあるOED.iniのような名前で設定されるべき、所謂iniファイルというもの…)において、OED検索ソフトで動作させるべきフォント情報が設定されなかったからです。

古いセットアップ情報を削除する必要はありません。対処法としては、上書きインストールでかまいませんから、もう一度はじめからまずフォントの導入を試み、次いでOED.exeなどのセットアップをしてみてください。

所謂iniファイルというものは、かつてのWin3.1時代のファイル構造を引きずったアプリケーションをWin95以降のOSで動作させる際に必要となる設定情報です。ぼくもよくスウェーデン語の古い辞書ソフトを新しいOS環境のPCにインストールする際に、このiniファイルの設定の問題に直面します。Win95で正常に利用できていた際のiniファイルが見つかれば、それを参考にWinMe上にてテキストエディタなどを用いて手作業で再設定することも可能ですが、そんなことをするまでもなく再インストールを手順通りに行えば、正常なiniファイルが設定される筈です。

大切なことは、一見ファイルが過不足なくそろっているように見えたとしても、iniファイルの記載が正しいものになっていなければ古いソフトは動かないということです。もう一度ご確認願います。



274. Re^4: OED 2nd ed.(version2.0) としひこ  2001/05/14 (月) 21:00
サイトの主さま、ぼくのハード環境の説明にも問題があり大変失礼しました。ぼくのデスクトップ機は、間違いなく同じものですが、HDを40ギガにして(CDRWが搭載されています)、物理ドライブをC、D、E、Fに分割し、CにWinME、DにWin2000、Eに研究・教育関係のデータ、Fにその他のデータを入れています。こういう構造にしますと、Gatewayの起動時にWinMeかWin2000を毎回選択できます。もちろん、普段はWin2000の方を選択します。このセッティングは、実は恥ずかしながらプログラマーの実弟に頼んで完成したものです。

WinMeでのOEDの症状は私も全く同じです。Win2000の対策はGustavさんのアドバイスでなんとかなりそうですが、この辞書ソフト問題は根が深い、と痛感しました。



273. お礼 としひこ  2001/05/14 (月) 20:21
Gustavさんアドバイスありがとうございました。講義・昼食・事務を終えて談話室を開いてみると、そこには、様々なアドバイスが満ち溢れていました。手持ちの資源がまだ有効活用できると思うとうれしくなります。

ぼくはまだ使ったことがありませんが、The History of Parliament on CDROMやThe Royal Historical Society Bibliography on CDROMの将来性についても注意が必要ですね。この2つのCDROMもただ便利だというだけでなく、談話室で言われているように、問題点も認識した上で、購入・利用したいですね。



272. Re^3: OED 2nd ed.(version2.0) サイトの主 [URL]  2001/05/14 (月) 19:14
いえ、Win95のファイル構成を比較参照しつつ、WinMeのハードディスクにもfontはコピーしてあります。
こんな問答をしていたら、遅まきながら、紀伊国屋が
OED 2nd ed.(version 2.0)
を持ってきました。(わが談話室を傍受してる?)
さっそくインストールして、再起動したら、なんと
Error 1611 This product will not run on this operating system
というメッセージが出てくる! やり直しても同じ。
としひこさんが 261.で言われたのは、Win2000での問題ですが、WinMe でも同様の事態ということになります。ヴァージョンアップで割安、とはいえ、12,560円、紀伊国屋に寄付するために払うのではない。使えない物を、どうして売り込めるのですか?



271. アナログとディジタル サイトの主 [URL]  2001/05/14 (月) 16:46
 西洋史学会大会で顔をあわせた翌月曜の午後、それだけメールや談話室の発言も活発化する、ということは、やはり短い会話や挨拶だけであれアナログの≒face to face の結びあうかたちが、メル友、掲示板リーダーの間でも必要不可欠、ということでしょうか。
 265.にもありましたが
> 技術的情報を集積・紹介する場が必要ではないか…そしてそれらがただ利用するためだけの情報 紹介の場ではなく、それらに関連する「知的環境」の問題なども披瀝するような場が必要ではないかという話は、かなり以前この掲示板でも話題になったテーマだったと記憶しています。
 Yes, そして、267.では
> 消費者・ユーザーの妄想ということではなく、将来的な知的活動を発展させる技術的素地としてむしろ積極的に議論されるべきであり、来るべき時代の我々の文化的営為を支える問題として開発者側に訴えかけるべきと考えます。

 全面的に賛成なのですが、しかし、じつは現代日本の人文学を支えている人々のうち、電子メールを日常使っている人はまだ半数?くらい。掲示板に書き込んだり、ましてや自分のウェブサイトを利用したりという人は、もっとはるかに少ない。
 想い出せば、ぼくが29歳で就職した大学の一老教授は、乾式複写機(ゼロックス)のあの緑のボタンを押すのが怖くて、複写をすべて助手にやらせていました。おそらくそのころから、彼はただの一つも論文・文章を書いていません(ましてや著書などいうも愚か)。ただ人の仕事にケチをつけ、いかにも自分のほうが博識で実力があるかのようにカッコをつける、ハッタリで生き延びた人でした。
ゼロックスが1970年代の知的革命を象徴するとしたら、ディジタル革命(人文系の者にとってはまず音楽CD、次いでワープロ、次いでパソコン、そしてウェブ‥‥)が80〜90年代の知的革命を象徴します。つまり、今進行している情報革命にあえて同伴しない人は、上記の老教授のように、一時は、時代の奔流に抗し「正義を代表する」かのように、とりまきの善男善女にはったりをかますことは可能だが、やがて退場する運命。
 問いかけるべきは、こうした(精神的)老人と、Gustav王のような先端とのはざまの広大な中間領域にいる人々です。そしてこの中間領域では、いまだディジタル情報だけでは不十分。アナログ≒活字メディアでの発言がぜひ必要です。
 なんらかの手段を一緒に考えたいね。



270. Re^2: OED表示Font導入の問題&Windows Meは最悪・最大のウィルスだ! Gustav  2001/05/14 (月) 16:03
近藤先生、この問題はすぐに解決可能に思われますので、急ぎコメントいたします。

OED ver1.1の検索ソフトでは、独自フォントをインストールすることによってCD ROMにある辞書データを表示させる仕組みになっていたかと思います。で、先生のコメントを読む限りでは、検索ソフトのセットアップの段階で、OED.exeなど検索ソフト関連のプログラムは正常にPCにインストールされているようですが、表示フォントがインストールされていないために検索ソフト上の文字が化けてしまっているように思います。実はOED ver1.1のセットアップの最大の落とし穴がここにあります。なぜならば表示フォントの導入はセットアップ過程とは別途行わなければならないからです。

そこで以下にフォントの導入法をお伝えしますので、一度試みてください。

(1)コントロールパネルからフォントを選ぶ。
(2)ファイルを選択して、新しいフォントのインストールを選択する。
(3)フォルダをC:\OED(←これは先生がOEDの検索ソフトをセットアップしたフォルダを指定してください。たぶんこの名前だと思うのですが…。)を指定。
(4)C:\OEDにあるすべてのフォントを選択してOK。

これでWindows MeにOED ver1.1検索ソフト用の表示フォントがインストールされる筈です。これがインストールされれば、検索ソフトでの文字化けが解消される筈です。

話をおうかがいする限りでは、Windows Meにはなんら問題はありませんし、Win Meは基本的にWin95/98系の内部構造を引きずっているので、原理的にはWin95で問題なく使えていたならばWinMeでも問題なく使えるはずです。現に、検索ソフトは正常に動作しているみたいですし。問題は表示フォントが、新たに導入されたWin Me内に組み込まれていないために文字化けが起きたということだと思います。

とはいえ、研究室に支給されたPCに「お節介」にもインストールされていたWindowsMEにはぼくもほとほと困っております。これはMicrosoft社の開発した最悪・最大のウィルスと「まじめに」思っています。余裕があればWindows2000を載せたいのですが…。

OEDが無事に動くことを祈ります。(…しかし紀伊国屋電子情報部ということろは何をやっているのでしょうか!こちらは仕事で絶対に必要という代物なのに!顧客をなんと思っているのだろう!しかも、こんな基本的で重要な問題なのに!)




269. Re: OED と WindowsMe との相性? サイトの主 [URL]  2001/05/14 (月) 15:30
 ぼくは OED CD-ROM 2nd Edition (ver.1.1)を Windows 95 で愛用していたのですが、マシーンを新しくして、Gateway Performance 1400XL、WinME、という環境に移りました。としひこさんとは Win2000 ということを除けば同じようですね。
 そこでこのOEDを継続して利用すべくインストールしたところ、下記のような問題が生じ、4月12日、紀伊国屋電子情報部に連絡したのですが、きわめて反応が遅い。ここに皆さまに経緯をお知らせ/曝いてしまいます。
 純正フロッピディスク(紀伊国屋制作)を使って OED.exe などをインストールし
純正CDをCDromドライヴに入れて起動すると、最初の青い画面が出ます。
一番上に  Oxford English Dictionary (Second Edition)
そのすぐ下に  Word Look-up のウィンドウ
さらにその下に Word List のウィンドウ ‥‥ここまで正しく表示されます。しかし、
そのウィンドウ内では A A A. a. など と見えるべき単語見出しが化けて、小さな長方形の空白が並ぶ。
かまわずそれをクリックすると、右の本文ウィンドウの文字もやはり化けてしまう。
 他のソフトのたぐいは正常に機能しているので、PC本体の問題とは考えにくい。
 つまり、Me というOSの問題でしょうか?
 日々の仕事に困るので、Windows 95 を今でも使用しています。



268. Re^2: DVDへの注意事項 Gustav  2001/05/14 (月) 15:28
DVDのプレーヤーとソフトにはリージョンコードというものが付加されているので、購入時にはお気をつけください。

リージョンコードは世界を大きく6つにわけて設定されています。北米はリージョン1、西欧、中東、日本、南アフリカはリージョン2、韓国、台湾、東南アジアはリージョン3、オセアニアがリージョン4、ロシア・南アジア・アフリカがリージョン5、中国がリージョン6といった感じです。

DVDはプレーヤーとディスク双方のリージョンコードが一致しないと再生はできません。従って、日本製のDVDプレーヤーやドライブで再生する場合、基本的にあDVD ROMは西欧や日本で売られているものしかみられないということになります。(もちろんマルチリージョン対応に改造してしまうという荒技もありますが…。)オペラなどクラシックのDVDの場合、西欧からの個人輸入ものはおそらく再生可能と思われますが、アメリカ合衆国からのものはそのままでは再生不能と思われますので、注意が必要です。

ところで郵便事故に関連してお話すれば、私は現在勤務している大学からスウェーデンへ送付された(筈の)着任関連で必要な書類が届きませんでした(…着任後の今だからお話できる笑い話ですが)。これはかなりあせりましたが、個人的には以前にも何度も郵便事故に巻き込まれています。基本的に郵便システムを全く信用していません。古本屋さんから本が届かないなんていうのは茶飯事で、おかげでスウェーデン語でクレームを書くよい訓練になりました(笑)。思うのですが、オーダーを入れたらそれでお店との交渉を終わらせるのではなく、ちょくちょく確認メールを入れると良いのではないでしょうか?親切なお店ならば、むしろむこうからこういう梱包内容でいついつに発送しましたなどのメールを送ってきてくれますし、さらにはインターネット上で小包がどこにあるかをリアルタイムに検索できるトラッキングサービスのできる運送会社で発送してくれるところさえある。こうした行き届いたサービスの店で買い物をすることが一番の自衛策に思いますが、そうでもない場合にはしつこいくらいにメールで確認をいれるのが良いと思いますが、いかがでしょう?



267. 知らないと損なこと(3) Gustav  2001/05/14 (月) 15:06
理想的な環境は、検索ソフトを共通化し(…北欧語の場合には、デンマーク語とスウェーデン語の主要辞書は、ある特定ベンダーが検索ソフト開発を統括しているので共通化が図られています…)、個々の辞書のデータ部分のみを変更できるという形式ではないかと思っています。日本語Win環境では、DDwinという検索ソフトを利用し、電子ブック(EB形式)の辞書データをそれぞれ利用する例がこれに近いもので、これですと複数辞書での同一単語の「串刺し」検索なども可能になります。もちろん、各国・地域の言語コードを統一し利用可能なプラットフォームがPC上に実現することが大前提ですが、辞書・事典のデータや検索ソフトについて全く互換性のないソフトが、あれやこれやと出回っている現状、しかもWindows2000ではだめでWindows98なら動くといった現状は、本当に不便きわまりない。こうしたことは単なる消費者・ユーザーの妄想ということではなく、将来的な知的活動を発展させる技術的素地としてむしろ積極的に議論されるべきであり、それが来るべき時代の我々の文化的営為を支える問題として開発者側に訴えかけるべきと考えます。



266. 知らないと損なこと(2) Gustav  2001/05/14 (月) 15:06
としひこさんからのOED Ver.2.0のお話に関連して、今ここでは電子書籍に関して感じていることにコメントしておきたいと思います。要点は、最新の検索ソフトが最良ということではないということです。もちろん辞書の内容自体が改訂されている場合には、最新のソフトが必要になりますが、検索ソフトまでが改新される場合には注意が必要です。今回のOED Ver.2.0が一つの例なのです(…とはいえこの問題は、検索ソフトにビルトインされているDLL自体がWindows2000に対応しているかいなかという比較的単純な問題ですが…)が、私がもっともよく利用しているスウェーデン語の辞書ソフトも最新の版から検索ソフトが大幅変更されたことに伴い、日本語OS上では文字化けが発生するようになり全く利用不可能になりました。Windows2000は確かにOSとしてUnicodeにも対応するようになりましたが、結局検索ソフト自体の書かれているプログラム言語が非2バイト文字圏のものである場合、例えWindows2000上でも文字化けは回避できない…日本語環境と完全な併存はできないということです。現状は多言語環境がPC上で構築されていく技術的な過渡期にあると思われますが、こうした時期にあっては特殊文字のあるヨーロッパ言語を利用する際には注意が必要でしょう。(個人的には先に挙げたスウェーデン語辞書の検索ソフトをWin3.1時代(…!)からのものを利用することで文字化けを回避していますが、Win2000でWin3.1以来の16bit系モジュールを動作可能か否かは、また一つの「賭け」のような問題で、私のところでは偶々ラッキーだったというだけです。古い検索ソフトに救いを見いだすという点では、OEDについてもノートパソコンでの利用を考えるならばVer.1.1のほうがHDDにコピーして利用できるので便利ではないかとも思われますが、いかがでしょう?)




265. 知らないと損なこと(1) Gustav  2001/05/14 (月) 15:05
(このコメントはJizo様への返答として用意したものですが、一般的な内容も含むので新規発言としました。)

>知らないと損なことって、多いですよね。

本当にそう思います。言うまでもなく、歴史学のような人文系学問でももはやデジダルテクノロジへのリテラシは学問作法の一つとして必須のものですが、なにしろテクノロジの進歩は急激にして膨大なものですから、アップトゥーデートな情報に追いつくことだけも大変なことです。だからこそ、こうした技術的情報を集積・紹介する場が必要ではないか…そしてそれらがただ利用するためだけの情報紹介の場ではなく、それらに関連する「知的環境」の問題なども披瀝するような場が必要ではないかという話は、かなり以前この掲示板でも話題になったテーマだったと記憶しています。




264. Re: Thank you for the information サイトの主 [URL]  2001/05/14 (月) 15:02
> ‥‥DNBのCDROMの話が出てぼくの体験を是非とも記さなくてはと思い、初投稿します。

不幸な事故で、ともに憤りを覚えますが、それにしても情報をありがとう。
ぼくもDVDを使える環境になったので、最近はオペラのDVDなど注文していますが、今のところはまだソフトがあまりに少ないことを除けば、1週間くらいで着く快感を味わっています。
ふつうの郵便については、フランスからの書籍の輸入で、ものがどこかで紛失した、という経験はあります。
こちらの自衛策はなにかあるのだろうか?



263. Re^5: 辞書の電子化 Gustav  2001/05/14 (月) 14:04
Jizo様

どういたしまして。私はどこの大学へ行っても「Gustav王」とは名ばかりで、「マルチメディア参謀」みたいな立場にある(…笑)ので、このようなことでみなさまのお役に立てれば大変うれしいです。

確かに辞書・事典類の電子化は検索作業の大幅な効率をもたらしますし、検索ソフトが共通化されている場合には、複数の辞書・事典データから共通項目を瞬間的に検索してしまうなどという離れ業もやってのけます。(私はスウェーデン史が専門ですが、現在一つのスウェーデン語の単語を調べる際は必ず4冊のスウェーデン語辞書を一度に検索するようにしています。)

確かにこれらはすばらしいのですが、問題の一つはこれらデジタル情報化された辞書データが安易に複製されてしまうというところにあります。とりわけ昨今のCD-R/RWの急激な普及にも後押しされて、辞書データの著作権はかなり危ういところにあるように思います。私は個人的に利用する際には必ずマスターディスクを購入していますが、そうすると最近の辞書・事典類のCD/DVD ROMにはなかなか特殊な不正コピー防止機能が工夫されてきていることを実感します。しかしながら、実はここに一つ、「真摯なユーザー」側からの立場としては厄介な問題が生まれてきます。それはライセンス料をきちんと支払っていても、自分の思うように辞書データを利用できない…つまりあらかじめ想定されたインストール環境でしか利用できないという問題です。私は常に大量の辞書・事典データを導入したHDDのある!ノートパソコン(…PDAなどではいけない…)を肌身離さず携帯していますが、昨今の複雑化したコピー防止機能をもつCD/DVD ROMソフトのなかにはこうした携帯用途で利用することを不可能にするものも出つつあります。

不正コピーや著作権といった問題に対して不感症な一部の人たちの存在によって、「知的環境の保護」が「知的活動の制約」を生み出すに至ってしまう…そんな危機感を抱いています。



262. OED CD-ROM ver.2.0 Gustav  2001/05/14 (月) 13:40
OED CD-ROM 2nd Edition (ver.2.0)についてですが、ご承知のようにこのCD-ROMは二枚組となっており、一枚目がインストールディスク、二枚目が本文データディスクで構成されています。二枚目のディスクには、(おそらく不正コピー防止を目的に)欧米で一般的な Safe Disk プロテクトがかかっておりまして、これが検索利用ための「鍵」となっています。従ってOED ver.2.0では、利用の度にこのプロテクト「鍵」をチェックして検索する仕組みへと仕様が大幅変更されたため、検索する際には必ずこのプロテクト「鍵」のかかった2枚目のディスクをCD-ROMドライブに入れておかねばなりなくなりました。(ちなみに、Safe Diskプロテクトは、ただCD-ROMのデータをコピーしただけではコピーされない特殊な仕様のため、おそらく仮想CD-ROMドライブソフトのようなものを用いてノートパソコンのHDDにOED ver.2.0のデータディスクをコピーしても使えないのではないかと予想しますが、いかがなものでしょう?)

さて、Windows2000で動作しないというお話ですが、その理由は上述した二枚目データディスクにて検索時に作動しているSafe DiskプロテクトのチェックソフトがWindows2000上では動作しない版のものであるためです。現在このSafe DiskプロテクトのチェックソフトはWindows2000に対応したものがOxford University Press の日本支社から配布されている筈です。これを導入すれば、Windows2000上でもOED ver.2.0は動作します。



261. 前回の続き としひこ  2001/05/14 (月) 06:31
余談ですが、OEDのWindowsのドライバはver.2となりCDROMでドライバをインストールするようになりましたが、ver.1の購入者は割安で購入できました。この新しいドライバはWin95、98に対応しています。ところが、ぼくのPC環境の特殊性でしょうか?あるいは、Win2000では一部のソフトが動作しないことは所与ということからでしょうか?Windows版のver.2 は、インストール後、(ぼくの)日本語のWin2000、WinMEではデータディスク側のOEDのCDROMを読み取れません。尚、動作確認事例は、VAIOZ505NR、Win98SE搭載機で、動作しない機種は、後日ソフトを入れなおした、同VAIOZ505NR、Win2000(Win98SEとソフトを選択できるようにしてあります)と、Gateway Performance 1400XL、WinME、Win2000(後者はぼくがいれたもので、どちらかを選択する方式です)、です。ぼくのPC環境としてはWin2000が中心ですが、OEDのCDROMのために、Win98SEも兼用中というところです。

これらの情報が皆様のお役に立てば幸いです。では。



260. DNBを含むOUPのCDROMについて としひこ  2001/05/14 (月) 06:30
サイトの主様、HPの読者の皆様はじめまして、こんにちは。これまでサイレントリーダーでしたが、DNBのCDROMの話が出てぼくの体験を是非とも記さなくてはと思い、初投稿します。今後ともよろしくお願いします。

ぼくは最近まで4年間英国に留学していました。唯一日本へ一時帰国した98年10月初めから11月初めに、VATを節約するために、DNBとOEDのWindows版のCDROMを日本の実家あてにイギリスより直接注文しました。こうすれば、送料はともかくVATは節約できるためです。日本へ帰国する前の9月に申込書とチェックをOUPに送ったところ、10月の初めにはすぐにDNBとOEDのCDROMを入れた箱が日本の実家に送られてきました。しかしながら、OEDは当時存在したマックのドライバのFDとCDROMが誤って梱包されており、DNBにいたっては実家に到着するまでに何者かに抜き取られたようでドライバのFDとCDROMがありませんでした。パッケージの梱包のシールも破られており前記の梱包物は抜き取られたとしか考えられない状況でした。早速日本からクレームのFAX(当時日本でのEメイルを持っていませんでした)を送りマック版のOEDは即返品、Windows版が2週間ほどして、日本の実家に送られてきました。しかしながら、DNBの方は、どうやっても新しいCDROMとドライバを送ってもらうことができず、泣き寝入りしてしまいました。

その後計10枚を超えるイギリスを主とする歴史学関係のCDROMを購入しましたが、英国にいたこともあり、全て英国の住所に送ってもらうようにしていました。そこで、このサイトを読んでいる皆様にアドバイスですが、海外より(特に)汎用性の高い、あるいは転売しやすい高価なCDROMを購入する場合ご注意くださいということを申し上げたいと思います!自戒を込めていえば、日英の税関等に掛け合ってでも前記の問題は解決すべきだったと反省しています。




259. Re^4: DNB on CD-ROMの書誌情報 Jizo  2001/05/13 (日) 22:01
Gustav様

ありがとうございます。さっそく検索してみます。
それにしても、辞書類の電子化は非常にありがたいです。

知らないと損なことって、多いですよね。

> Dictionary of National Biography on CD-ROM, Oxford: Oxford University Press, 1995, ISBN 0192683128
>
> です。Windows3.1以降のWin系OSで動作可能です。



258. Re^3: DNB on CD-ROMの書誌情報 Gustav  2001/05/12 (土) 10:18
Dictionary of National Biography on CD-ROM, Oxford: Oxford University Press, 1995, ISBN 0192683128

です。Windows3.1以降のWin系OSで動作可能です。



257. Re^2: DNBを Jizo  2001/05/11 (金) 23:32
サイトの主様

> 図書館で Dictionary of National Biography(できればCD-ROM版)をご覧ください。

DNBにはCD-ROM版もあるのですか!
普通のDNBと内容は同じなのでしょうか?
くだらない質問ですいません。



256. Re: DNBを サイトの主 [URL]  2001/05/10 (木) 12:49
> トーマス・カヴェンデッシュについて‥‥
図書館で Dictionary of National Biography(できればCD-ROM版)をご覧ください。あたるべき古典的な文献・史料もふくめて詳しく述べられています。



255. 大航海時代について 美幸  2001/05/09 (水) 18:58
トーマス・カヴェンデッシュについて、詳しく教えてください。



254. Capriccio(奇想画) サイトの主 [URL]  2001/05/03 (木) 14:44
253.で触れた上野の森の「18世紀ヴェネツィア」展について。

1) 神話・宗教画より、世俗の場面を描いた絵、そしてバロックの奇想画のほうがおもしろい。とくにイギリスから grand tour で訪れたジェントルマンどら息子たちが、観光記念写真のように持ち帰ったカナレット。彼の青い空と大運河およびアドリア海の水面があまりにすばらしく、∴渾名 Canaletto.
 ロンドンの顧客たちがついに彼をイギリスに招待してテムズ川や田園を描かせていますが、しかし、もっとずっとおもしろいのは、今回出展されていないが、ロンドン・シティの街並みはそのままに道路をすべて水で浸して、ゴンドラを浮かべた絵。要するに、カナレットが世界資本主義の新しい中心ロンドンを、地中海資本主義の中心ヴェネツィア風に表象した capriccio. どうせ18世紀ヴェネツィア、その奇想と銘打って企画するなら、それくらいのおもしろさを演出してほしい、西洋美術史の先生方よ!
 そのカナレットの絵いくつかは、こちら↓http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/PictureGallery.html

2) そのカナレットの使用したというカメラ・オブスクラも展示されています。川島さんの訳した同名の書(朝日選書)を想いつつ観察しましたが、光線のぐあいで、磨りガラスに全然イメージが浮かばない。6月2日から京都市美術館で開催とのことですが、川島さん、展示法によろしくご助言を!



253. Re: 都電‥‥不忍池あたり サイトの主 [URL]  2001/05/03 (木) 14:08
本郷通の都電がいつ廃止になったか、ぼくの東大入学(66年4月)より後だというのは確かだし、69年の安田落城のときにはもう無かった、けれどもなぜぼくの感覚のなかに確かな記憶として刻み込まれてないのか。今日、上野の森で「18世紀ヴェネチア」展をみた帰りに、しっかりと甦ってきました。
 ぼくは駒場時代には駒場寮ないし総武線(本郷によるときはお茶の水駅経由)を使っていたが、68年春から、京成上野から池の端門、病院裏をとおって理学部化学館に出るというコースをとったのです。だから毎日の生活ルーティーンのなかに本郷通があったわけではない。
 都電は、むしろ京成上野から不忍池に出るときに毎日、踏切をわたりました。上野広小路から動物園モノレールの下をとおって、根津、千駄木にむかう線(Gustav王によれば20系統?)です。今はタクシーが駐車するスペースとか、台東区の下町博物館になっています。この電車と池のまん中の弁天堂は、大島渚の「青春残酷物語」という映画でも効果的に使われていました。
 根津までゆくと、今日のような小雨の日はつつじがきれいでしょうね。Ramon と Lina はこの、17世紀末、権現造りの根津神社で結婚式を挙げたのでした!



252. Re^4: 旧『岩波講座 世界歴史』買います Peter  2001/05/01 (火) 15:16
主さま、後押しありがとうございます。すぐにではありませんが、全巻セット購入しようと思います。スペースは…何とかなるでしょう(笑)。

Jizoさま、情報ありがとうございます。大阪周辺での『全集』セットは一様に値段が3万円なので、それが相場的にどうなのかすらわからなったのでたいへん参考になりました。そうか、これは「足元を見すぎている」のか…『レーニン全集』ですらこのような扱いだったら『トロツキー選集』や『スターリン全集』はどうなるのでしょうかね?マルクス・エンゲルスみたいに『レーニン全集&スターリン全集CD ROM』(『レーニン全集CD ROM』でもいいです)みたいなの作ってくれないかな…ってすごく非現実的な、社会主義の再生と同じぐらいあり得ないことを想像したりしますが、それこそ「ますます足元を見すぎた」値段になりそう…



251. 都電・・・谷根千 Gustav  2001/04/30 (月) 03:06
別に鉄道マニアでもなんでもないのですが、講義ノート作成の休憩がてら、濃いめにつくったコーヒーを片手に何気なくウェブブラウズしていましたら、なにやら懐かしい話が出てきていたので・・・。

おそらく東大正門や赤門、農学部前を通っていたのは19系統(王子駅前から通三丁目までの路線)だと思われますが、ここで私が感じた懐かしさは、別に自分も乗ったことがあるからとかそういった直な記憶なのではなく(・・・19系統にしろ、谷根千の20系統にしろ最終的な廃止は1971年3月で、ぼくはその5ヶ月後に生まれたのですから・・・)、この話に刺激されて長らく住んでいた根津・池之端界隈の記憶がふと蘇ってきたからです。

池之端にあるカメラ屋のおやじさんが、これは正真正銘の都電マニアでいらっしゃって、終戦直後から昭和40年代にいたるまでの上野・谷根千界隈のご自身が撮影された写真をあれやこれやと見せてくれながら熱っぽく語ってくれた日を昨日のように思い出します。思えば池之端などでも、今では児童遊園のような形で残っている地が実はかつての停車場だったなど、今でも痕跡を見いだすことは容易ですし、言うまでもなくそうした都電の痕跡を垣間見ることは、明治から昭和にかけての東京の姿にとり近く接するような気がして、田舎者の自分には東京にいた時分にはそうした散策がとても楽しいものでした。

それにしても喜(七みっつ)寿司さんにそうした看板が残されていたとは知りませんでした・・・。本郷界隈に長らく生活しておきながら、あすこに行ったことは終ぞありませんでしたので。



249. Re: 見出された時:鶴舞 et 本郷 サイトの主 [URL]  2001/04/29 (日) 13:48
> 99年の年明けに第一書房で、‥‥
ちなみに、この「第一書房」、とくに品ぞろいの良い古書店とは思わないが、掘り出し物はあります。
電話 03-3815-1072. Fax 03-3816-1854.

> ‥‥鶴舞の古書街へ行き、‥‥鶴舞図書館ともどもこの都市の数少ないオアシスの一つ
その西に大須の庶民的な街があり、そこでアメリカ史の野村先生と一緒に映画を見たのを覚えています。鶴舞の大学病院には、よくお見舞いにゆきました。東には御器所・桜山‥‥市立大学には最近行ってないし、それに県立大学は移転しちゃったし、ずいぶん雰囲気は変わったんでしょうか。
ところで、お花見には山崎川から瑞穂公園にかけて歩きましたか?これは「全国区レヴェル」級のすばらしいところです。

> 『都電が走った街今昔―激変の東京、定点対比30年―』‥‥
ぼくが最初に東大構内に入ったのは高校3年のとき、「東大模試」で法学部の25番だか31番だかで受験しました。お茶の水から都電に乗ったり、今と同じスクールバスに乗ったりしました。地下鉄より安かったし、なにより正門前ないし病院前まで来ることができたから。68年4月に本郷に進学するときには、すでに都電はなくなっていて、不便だと思った。その年の6月から本郷通や春日通でデモをくりかえしたが、まだ都電のレールと石畳は残っていた気はする。ずっとあとになって正門前の喜(七みっつ)寿司で都電の「正門前」「農学部前」といったプレートを見て、なつかしく思いました。



248. Re^3: 旧『岩波講座 世界歴史』買うべし サイトの主 [URL]  2001/04/29 (日) 13:08
> ‥‥よく行く本屋の古本コーナーでは全巻セットで一万円(1冊単価だと330円ぐらいかな)という、ある種魅力的な値段で売っており、かつ2年以上私はその本屋に立ち寄っているのにまだ誰も買い手がいない、という状況なのです。

 スペースは、後から付いてくる、と考えて、まずは机の下でもトイレでも置くことにして、買ったら? 244.で Lulle氏は4冊のみ買ったとの話し。引っ越しの多い人には辛いかもしれないが、でも段ボールが3箱や4箱増えても引越料金は変わるわけではない。中世も、近代の続きも買いそろえるべし!

> 『レーニン全集(第4版訳)』全巻セットも所望しているのですが(このくだりで私の専攻がわかってしまいますね)、‥‥

 ぼくの専門はロシア史でも社会主義でもないが、大月のレーニン全集、全巻揃いではないが、かなりの部分もっていますよ。おJizoさんの言われるような「誰か譲ってくださる方」というわけにはゆきませんが‥‥



247. Re^3: 旧『岩波講座 世界歴史』各300円 Jizo  2001/04/29 (日) 03:52
Peter様

> ところで私は『レーニン全集(第4版訳)』全巻セットも所望しているのですが…全巻セット3万円が最安値でした。

私の知るかぎり、希少価値が非常に高くなっている書籍をご所望なさっています。
マルクス・エンゲルス・レーニン関係は、需要の低下(失礼します)で、東京の古書店でも店頭に出るものが少なくなっているとのこと。あるところにはあるのだと思いますが、流通しないため高価になっているようです。とはいえ、3万円はちょっと足下を見過ぎているような。
お買いになる前に、誰か譲ってくださる(予約をとりつける)方がいないか探してみるというのも…。



245. Re^2: 旧『岩波講座 世界歴史』各300円 Peter  2001/04/29 (日) 01:46
↓のような話を見ていたら、潜在的な「『岩波世界歴史(旧版)』買いたい病」がふつふつと湧いてきます。私がよく行く本屋の古本コーナーでは全巻セットで一万円(1冊単価だと330円ぐらいかな)という、ある種魅力的な値段で売っており、かつ2年以上私はその本屋に立ち寄っているのにまだ誰も買い手がいない、という状況なのです。
ですが、先のお話にもあったようにどう頑張ってもそのためのスペースが割けないという事情から涙を飲んでおります。ああ。
お金に少し余裕があるからといって沢山本を買っても、置き場所がないからあちこちに積み上げているのですが、みなさまはこういう事態にどう対処なされているのでしょうか。気になるところです。

ところで私は『レーニン全集(第4版訳)』全巻セットも所望しているのですが(このくだりで私の専攻がわかってしまいますね)、どう捜しても全巻セット3万円が最安値でした。東京でもそのぐらいの相場なのでしょうか。



244. 見出された時 R. Lulle  2001/04/28 (土) 20:03
99年の年明けに第一書房で、『岩波講座 世界歴史』の初版本が1冊400円でバラ売りされているのを見つけ、第14〜17巻(近代1〜4)を購入しました。全巻は揃っていなかったと記憶しています。そのとき出ていたのとは別物のようですね。
 昨日は初めて鶴舞の古書街へ行き、何冊か収穫がありました。神保町とは比較になりませんが、鶴舞図書館ともどもこの都市の数少 ないオアシスの一つといえるでしょう。
 70年代から現代への移り変わりがわかる本としては、林順信『都電が走った街今昔―激変の東京、定点対比30年―』(全2巻JTB出版、1996, 98)があります。これは都電廃止直前の1967〜68年と30年後の同一地点を同一アングルでとった写真を対比したもので、都電消滅のみならず街並や通行人の服装の変化もわかります。プルーストの小説にあるような突然過去の記憶がフラッシュバックした感覚が味わえます。本郷三丁目や東大農学部前の写真もあり、前者は67年2月11日、後者は68年2月16日、ともに大雪の日の朝の情景です。主様の本郷進学前夜ですね。



243. Re^2: 『定本 柳田国男集』も サイトの主 [URL]  2001/04/28 (土) 15:23
第一書房の『岩波講座 世界歴史』、まだほとんど捌けてないので、中も見てみましたが、箱も本体もきれいです。もとの持ち主は、大事に使っていたと言うより、ただ書棚を飾っていただけかも。「近代5」には、どういう意味があるか分からないが、白黒の写真も一葉まじっていた。70年代初めの学生らしき男性が数人写っていて、服装もそうだが、髪型や眼鏡とか、ずいぶん変わりましたね。
 あのころ、ぼくは大枚千円をはたいて各巻を買い揃えました。国立大学の授業料もちょうど月千円。いま300円といえば、生協の昼飯代にもならない。それが売れ残っているとは、どういうこと?
 ならんで『定本 柳田国男集』(筑摩書房)もむぞうさに平積みされています。各500円。
 古本屋には気の毒だが、いまは集書の絶好のチャンスなのかもしれない。本を置くスペースがあれば!という条件付きですが。



242. Re: 旧『岩波講座 世界歴史』各300円 Jizo  2001/04/27 (金) 21:21
> バラで、各300円也! お買い得です。
東京がうらやましいです(^^)



241. Re: 歴史家の仕事は‥‥ Jizo  2001/04/27 (金) 21:13
サイトの主様

ご教示ありがとうございました。重ねて、レスが遅くなってしまい申し訳ありません。

あまり積極的な評価を聞かないネイミアですが(ネイミアの著書を読んだことのない私がこんなことをいうのも問題ですが)、そんな名言を残しているとは!
しかも、よく見ればこのサイトの中にリンクがあったのですね(さらにマズイことに、かつて拝見した覚えまであります)。
にもかかわらず、の多数の不注意な発言、お恥ずかしい限りです。

それにしても、1952年といえば、E.H.カーの名公演から10年近くも以前。ということを考えると、イギリス歴史学の成熟と伝統を感じずにはいられません。

ネイミアという偉大な歴史家が、
>  挫折と中断のくりかえし・・・
を通してたどり着いた、一種の歴史哲学といえるような気がします。

> そう、二宮さんを礼賛するために、ネイミアを引用したのです!
な、なるほど! そういうことだったのですか(^^)



240. 旧『岩波講座 世界歴史』各300円 サイトの主 [URL]  2001/04/27 (金) 20:55
情報です。
東大正門前(ファミマの左)の第一書房で『岩波講座 世界歴史』1969−71年版が売りに出ています。バラで、各300円也! お買い得です。



239. 歴史家の仕事は‥‥ サイトの主 [URL]  2001/04/24 (火) 20:57
235. の おJizoさん

>‥‥天才的な歴史家の描いた著作は芸術と呼ぶに値すると思い
>ます。しかし、歴史家すべてが天才ではありません。「創作」
>を含む芸術であるからこそ才能に左右されてしまう学問といえ
>るでしょう‥‥

232.ではハイホーさんが『歴史家たち』を読んでくださった、とのこと。ありがとうございます。両発言を読みつつ想い起こすのは、ネイミアの文章です。例の「大きな輪郭と意味ある細部」の文脈ですが、
「歴史家の仕事は、写真機ではなく画家の仕事に似ている。目に映るものすべてを何からなにまで再生するのではなく、ことがらの本質的なものを発見し、鮮明にし、選び出し、強調するのである。ある木が何であるか識別するためには、木全体の形、その皮、葉を観察するのがよい。枝の数を数えたり、長さを計ったりしても何にもならない。同様にして、歴史において大事なのは、大きな輪郭と意味ある細部(great outline and significant detail)であって、何より避けなければならないのは、泥沼のごとき累々たる的はずれの叙述である。」
これに続けて、
「歴史家の関心が力強くひたむきなものであれば、これは伝染する。彼のオリジナリティの証は、説得力のあるなしにかかっている。・・・・歴史学はいったい芸術か科学かという論争は不毛で、むしろこれは医者の診断に似ている。人生のそれまでの経験と知識の蓄積、科学的アプローチの勉強が不可欠の前提なのだが、しかし、最終的結論は直観的で、だから一つの芸術だともいえる。しかもその結論の正否は証拠に照らして再検証することができる。‥‥」『木鐸』No.41 (1986)
 挫折と中断のくりかえしたネイミアの1952年の文章ですが、なかなかの卓見です。 cf. 『英国をみる』(リブロポート、1991)
引用文の前後は、こちらのサイトに:
 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/NinoZentai.htm
そう、二宮さんを礼賛するために、ネイミアを引用したのです!



238. アウトサイダー? サイトの主 [URL]  2001/04/24 (火) 20:30
233.のハイホーさん  ご返事遅れてすみません。

>‥‥マルクスやウェーバー、ニーチェらは、強烈な「アウトサ
>イダー」ではなかったか‥‥

 知識社会学でいうマージナル・マンでしょうか。ある社会に居心地の悪さを覚え、その点で疎外されて
>社会や世界の全体を視野に入れて苦悩している‥‥
のだが、そうした位置価をもつ存在が「アルキメデスの点」をえたとき、地球全体を相対化する/動かすことさえできる。
 むかし、社会学の授業で折原浩先生のマージナルマン論を聞いて、精神が解放されるような思いをしたのを、想い出します。ちなみに、駒場で聴いた講義のうち、折原=社会学、京極純一=政治学、城塚登=社会思想史の3つは、メチャおもしろかった。いずれも5百人前後の大教室だったが、大好評で(下手すると座れない!)、ぼくも他の多くの学生も、大学の講義ってこんなにおもしろいんだ、と夢中でノートをとっていました。1966-67年のことです。これに比べると、大塚久雄氏の講義「プロテスタントの倫理と資本主義の精神」− 正確にこういう題でした − は、67年10月から新装なった経済学部の2百人ほどの教室でおこなわれたので、ほぼ満員ではあったが、駒場から盗聴しにいったぼくからすると、なんだ、この程度の学生しか集まらないのか、という第一印象でした。かなりアホな感想でしたが。

>彼らをしっかりと受けとめる「カードル」はインサイドとアウ
>トサイドをつなぐ境界的な存在、ということになるのではないか。
 はい。ふたたびグラムシの「有機的知識人」にもつながるだろうと思います。出身階級の同業組合的利害から離れて、よりヘゲモニックな考えをする一群の人々。ぼくのいう「カードル」は、エンゲルスやラッセルほど立派でなくてよいんです。もうちょっと鈍才・凡人で人名辞典には載らない男女だが、ただ、ほんのすこし努力家で、人類の将来か公共性かを心配して、日々いろんなことを考え感じて生きている人々。知的・感性的な感受性に行動力がそなわれば十分でしょう。



235. Re^4: ハイホーさんへ Jizo  2001/04/23 (月) 18:36
ハイホー様

> E.H.カーを思い出しました。歴史学については、私もだいたい同じ認識を持っています。

鋭いですね(^^)。じつは前回の書きこみは、E.H.カーを意識して書きました。私自身も、カーのように健全な考え方(異論がある方もいらっしゃるでしょうが)を保持しつづけたいという思いを込めて書いています。

>とすれば、歴史学は「研究」というより、むしろ(「研究」をその部分に含む)「創作」と言った方がいいのではないでしょうか。歴史研究者たちには単なる専門家であって欲しくないという思いから「歴史家」と呼びたいという気持ちが私にはあるんです

賛成です。天才的な歴史家の描いた著作は芸術と呼ぶに値すると思います。しかし、歴史家すべてが天才ではありません。「創作」を含む芸術であるからこそ才能に左右されてしまう学問といえるでしょう(もっとも、これは歴史だけではありません。ほとんどすべての学問について言えることだと思います)。

>ただ、実際に歴史学をやっている人たちを見ると、だいたいが、「様々な現代社会や将来の問題を見据えて」という部分と「現代社会にフィードバックしていく」部分が大きく欠けていて…

前回の書きこみは、ちょっと格好よく書きすぎたと反省しております(^^)
「現代社会にフィードバックしていく」といっても、様々なレヴェルがあると思います。たとえば、現在の歴史のコンセンサスを形成することも「現代社会へのフィードバック」です。(ほとんど)誰も、かつての日本の侵略戦争を肯定しないのは、歴史家が過去の事実を明らかにし(構築しなおし)、コンセンサスを築いてきたからでもあります。
ささいな歴史認識でも、多くの人々に意識の深い部分で影響を与えることがしばしばあります。それを少しでもよい方向(=うまい表現ではありませんが)へもっていくこと。これも歴史家の複数の仕事の一つではないでしょうか。
しかし、ここは「229」でサイトの主様もおっしゃるように、難しい問題です。私もぜひ、主様のご意見をうかがいたいところです。

> 追伸。「ハイホーさま」と呼ばれたのは今回が初めてです。思わず吹き出し、咳き込み、肺胞が痛いです。

これまでの勢いで、みなさんに「様」をつけています。
ここで「肺胞」がくるとは(^^)。



233. Re^4: おもしろさ? 悲痛な問題意識? カードル ハイホー  2001/04/22 (日) 23:54
229へのレス。

主さん

主さんの言う「カードル」が何か、おぼろげながら見えてきたような気がしてきました(でも、まだクッキリというほどではありません)。主さんが、「カードル」という言葉を使う際に、どのようなあるべき社会像をイメージしているのか、もっと知りたくなりました。

コリン・ウィルソンという作家がいますが、彼の表現をかりれば、マルクスやウェーバー、ニーチェらは、強烈な「アウトサイダー」ではなかったかと。彼らは「ある組織か社会の『幹部』『中堅メンバー』」にはなり得ない、ある意味では社会から疎外された存在(社会や世界の全体を視野に入れて苦悩している人間は、それらの中でくつろげないのではないか)。

彼らをしっかりと受けとめる「カードル」は、インサイドとアウトサイドをつなぐ境界的な存在、ということになるのではないか。

天才を「しっかりと受けとめた」ということでは、マルクスを支えた資本家エンゲルスとか、変人ウィトゲンシュタインを受け入れたケンブリッジのラッセルなどの名前を思い出しますが、彼らは「カードル」なのでしょうか? でも、彼らのような人物は、体制内教育をもっても、なかなか育たないだろうと思います。だから、主さんは、違うタイプをイメージしているのかな?とも思うんです。

この社会では、「エリート」という言葉は、手あかにまみれていて、つまらないものになっているし、これを使うとなかなか話が通じない。いっそのこと別の言葉を使った方がいいのではないかと、かなり以前から考えていたところです。

#シノーポリはお好きですか? 私はどうもダメです。



232. Re^3: ハイホーさんへ ハイホー  2001/04/22 (日) 23:49
228へのレスです。

Jiroさん

>もちろん、現代社会・将来に対する問題意識は歴史研究から切り離されてはいません。歴史研究者は、
>様々な現代社会や将来の問題を見据えて過去の事実をつかみ出し、歴史像を描く。それと同時に、
>先学たちを自分なりに理解したうえで、彼らとは異なる現在の問題意識にそくして歴史を書きなおす。
>それが公にされ(社会に対する何らかの主張がなされ)、現代社会にフィードバックしていく。

E.H.カーを思い出しました。歴史学については、私もJiroさんの書かれたのとだいたい同じ認識を持っています。とすれば、歴史学は「研究」というより、むしろ(「研究」をその部分に含む)「創作」と言った方がいいのではないでしょうか。歴史研究者たちには単なる専門家であって欲しくないという思いから「歴史家」と呼びたいという気持ちが私にはあるんです(だいぶ前に『歴史家たち』を読んで以来、そう思っている)。ただ、実際に歴史学をやっている人たちを見ると、だいたいが、「様々な現代社会や将来の問題を見据えて」という部分と「現代社会にフィードバックしていく」部分が大きく欠けていて、「歴史家」と呼ぶのがはばかられる。

なんだか悪口を書いたような感じですが、そうではなく、期待の現れだとご理解ください。

追伸。「ハイホーさま」と呼ばれたのは今回が初めてです。思わず吹き出し、咳き込み、肺胞が痛いです。




231. シノーポリ急死 Jizo  2001/04/21 (土) 19:12
サイトの主様

芸術関係の知識はあまりもちあわせていませんが、シノーポリといえばカラヤン以上に将来を期待されていたとうかがっています。

近年は専攻した医学の博士号に加え、エジプト考古学の博士号も取得されたとのこと。幅広い分野からのアプローチが、今後の活動により深みを与えていくはずだったのでしょうが…。

それにしても54歳とは、あと20年は現役でやれたでしょうに。



230. Re^4: 名宰相? サイトの主 [URL]  2001/04/21 (土) 16:16
すみません、重大な誤記あり。

> ‥‥諦念の名宰相 !?
ではなく、諦念の迷宰相 !?
でした。訂正します。
宮沢喜一という人は、世の中の愚行や、教科書問題、政治家の「失言」が隣接諸国にあたえる影響など、よーく分かっている人だと思います。ただ政治家には向かない。マスコミの愚劣さもふくめて、ものごとはよく見えているが、決断/行動の人ではない。決断を人(ひと/民意)に預けるのです。評論家をやっていれば、知的でおもしろい、希有の人材になっただろうに。

別件ですが、たった今、日経のサイトで、シノーポリがアイーダの第3幕を指揮中に急死、とのこと。54歳。



229. Re^3: おもしろさ? 悲痛な問題意識? カードル サイトの主 [URL]  2001/04/21 (土) 15:50
 おJizoさん、ぼくの言葉の足りぬところをよく補ってくださってありがとうございます。ハイホー氏の言われるとおり、たしかに
マルクスもニーチェもヴェーバーも、資本主義か、近代か、西欧文明か、呼称はどうであれ、彼らをとりまく現実・世界を、ほとんど半狂乱なまでに問題にし、根本的なところで分析し批判しました。ぼく(たち)がそこまで真剣勝負で現実世界ととりくんでいるか?また、狂いそうなまでのシャープな頭脳をもちあわせているか?
答えは、残念ながら、ずいぶん曖昧で自信のないものになります。
 
 ただ、217.でもエリート教育をめぐって発言していますように、彼らのように名をなした(世界史の教科書にも載っているような!)天才とは別に、そうした天才の書き表現したものをしっかり受けとめる「カードルたち」がかなりの層をなす社会と、そうでない社会とは、根本的にちがう運命を歩むでしょう。
Cadres はグラムシ→ 政治学の概念ですが、元来の枠・骨組といった意味から派生して、ある組織か社会の「幹部」「中堅メンバー」という意味で使っています。
 Jizoさんの言ってくださったように、‥‥世界像や
> 歴史像も、現在の状況にそくして徐々によみなおされ‥‥
> そこに、知的興奮をともなう面白さがあっていいと思います
といった知的快感をおぼえながら、研究や教育や政治に取りくむカードルが育ちゆく公教育でなければ、20年後の日本は闇です。



228. Re^2: ハイホーさんへ Jizo  2001/04/21 (土) 01:37
ハイホー様はじめまして、Jizoと申します。
主様との議論、興味深く拝見させていただきました。

今回の議論で最大の論点は研究者(含む高校生)の「問題意識」である。と理解しました(まとめすぎですが)。

おっしゃるように、まだまだ若い(羨ましい)高校生にマイ教科書を書かせるのは、教育上適切かどうか。歴史像(歴史観)を描くことにどのような意味があるのかしっかり理解しないうちに、詰め込んだ知識だけで書いてしまう。これでは意義のある歴史教科書にはならないし、きっと書いている本人も面白くないでしょう。

ハイホー様のように、
> 学校の教科書を読んでもリアルな像を描くことができず、授業もつまらなかったので、自分なりにいろいろ調べ、文章でまとめた結果、「マイ歴史教科書」ができてしまったという次第です。

といった経験をもっておられる方は、自分なりの問題意識をもって、歴史に臨むことができるのだと思います。そうして書かれた教科書は、歴史のなかから問題をえぐりだして(自分の/相対的な)結論を導いたうえで、社会に対する何らかの主張をもつ。といった、盛りだくさんなものになるでしょう。

マルクスやウェーバーの著書からは、彼らの社会に対する強烈な問題意識と鋭い洞察が伝わってきます。ニーチェやウェーバーが「おもしろい」から哲学や歴史を描いたと考えることはできません。彼らは歴史への問題意識以上に現代社会に対して悲痛なまでの問題意識を抱いていました。おっしゃるとおり、彼らを著作へと駆り立てたのは悲痛な問題意識の方でしょう。

今回、サイトの主様が議論に出されたのは、(私のいう)歴史への問題意識にちかいものだと思います。歴史像も、現在の状況にそくして徐々によみなおされていきます。私はそこに、知的興奮をともなう面白さがあっていいと思います。
もちろん、現代社会・将来に対する問題意識は歴史研究から切り離されてはいません。歴史研究者は、様々な現代社会や将来の問題を見据えて過去の事実をつかみ出し、歴史像を描く。それと同時に、先学たちを自分なりに理解したうえで、彼らとは異なる現在の問題意識にそくして歴史を書きなおす。それが公にされ(社会に対する何らかの主張がなされ)、現代社会にフィードバックしていく。

「歴史教科書」を書くことの難しさは、ここにあると思います(^^)

乱文、妙な結論、失礼いたしました。



227. Re^3: 扶桑社 − 宮沢・河野 Jizo  2001/04/21 (土) 01:25
サイトの主様

> 「まぁ、愚かな国民には、愚かな教科書を、といったところでしょうかなぁ」とでも言うのだろうか。諦念の名宰相 !?

ウケました(^^)
といっても、○桑社の教科書が愚かな代物であることを理解しているだけ上出来といえるでしょうか。

Peter様のおっしゃるように、研究者の間に
>真の問題である国民の歴史意識の問題などについて真正面に応じた意見はあまりない
のは、ある程度事実だと思います。ただ、件の「会」は、いってみれば政治的圧力団体です。これまで積み上げてきた内外の歴史研究者、人々のコンセンサスを、平気で無視する神経が信じられません。

本来なら、自民党であれ民主党であれ、政治家はもっと慎重に教育問題を扱わなければならないし、一部のメディアの特権・例外を認めるべきではないと思います。

それが無理だというのなら、せめて、教育問題が海外に与える影響を考慮するくらいのバランス感覚を身につけておいてほしいです。



225. 抜山蓋世・・・ Gustav  2001/04/20 (金) 17:09
みなさま、ご無沙汰しております。厳しくも暖かい叱咤激励の数々をいただき、深く感謝いたします。

箕面の研究室には未だPCも納入されず、装備に事欠き仕事もままならぬ状態ですが、多難な局面は山をも抜く気概とスウェーデンで蓄えてきた戦略をもって乗り切っております。有能な参謀を欠く高槻での一人暮らしも、自炊や洗濯・・・とかつて水戸より上京した初々しかった頃の記憶を頼りに乗り切っております。(男手でも家事を万能にこなすことで、「男手」などという言葉が成立しない・・・つまりジェンダーを意識させない流儀がスウェーデン流というものでございます。)

箕面では新人研修!なるものがあり、独法化を目前に控えたこれからの大学教官たるもの「文部科学教官(←なにやら私がスウェーデンへ行っていた間に官庁名が様変わりしてしまったようなのですが、最近はこう呼ばれますね)」として一に学生本位の教育、二に各々の研究という態度を旨とすべしとたたき込まれました・・・。とはいえ、これは旧態然の研究していればそれで良いといったような一部の大学教官への意識改革を促す指導だったと思います。個人的にはよき研究をものにして教官各位に確固たる知的戦略があってこそ、学生各位にも有意義にして興味深い教育が展開可能なのだと思い、私は虎視眈々と次の論文の計画を練っております。

とりあえずご挨拶まで。主さまからの・・・

>けっして明智光秀のように、与えられた好機を無駄にして、結局、そのへんをあてもなく放浪して人知れず最期を迎えることのないよう‥‥

・・・という言葉を、何物にも代え難い宝物のような言葉として深く胸に刻み込みながら、私は箕面の山に立っています。




223. 主さまへ Peter  2001/04/20 (金) 10:29
主さまへ。私の雑感にかくも長いご返事ありがとうございます。主さまのご意見には私が知らなかったこと、私が見落としていたことがいくつもあり、たいへん参考になりました(私は高校から私学だったもので、国立大学勤務の研究者が制度上「文部教官」であることも知りませんでした!)。
特に、「>わが国家権力の編成の問題をたなあげにした教科書論議・教育論議はむなしい。」というご意見には私はその点を見落としていたことを猛省いたします。こういう問題は教育史を紐解けば当たり前のことでしたのに…
ただ、「(歴史)教育」や「検定」の問題は国家権力が否応なく絡んでくるところかもしれませんが、歴史意識に関しては国家権力が必ずしも絡んでくるとは思いません(国家権力に「収斂」されることはあるかもしれませんが)。私が昨今の「つくる会」の議論について刺激されるところは、なぜこの時期にこのような形で議論が提出されるにいたったか、その「知的風土」(「知的」と呼べるかどうかわかりませんが)あるいは思想的背景といったものについてでした。このように捉えると考察すべき点がますます多くなり、とてもすぐに回答を見出すことはできませんが、ライフワークのつもりで取り組もうと思っています。

今後もこの問題以外にも、純粋な(?)歴史学の諸点について雑感を述べることがあると思いますが、お見捨てなきようよろしくお願いいたします。



222. Re: ハイホーさんへ ハイホー  2001/04/20 (金) 06:48
217への返信です。

主さん

「うまくいくかな?」と問われれば、実現の可能性はきわめて低いと思いますね(なんと無責任な!>自分)。

受験時のマイ世界史の大学への提出については取り消します(バカげていました)。

私は天才ではありませんし、歴史オタクだったこともないのですが、実は中学生の時に「マイ歴史教科書」を書いておりました。学校の教科書を読んでもリアルな像を描くことができず、授業もつまらなかったので、自分なりにいろいろ調べ、文章でまとめた結果、「マイ歴史教科書」ができてしまったという次第です。内容は稚拙でしたが参考書や教科書より分量だけは多くなった。今、振り返れば、すごいエネルギーがあったものだと思います。ただ、学校教育とは別のところでやったから「喜び」を感じたのであり、制度としてやると、つまらないものになるのでしょうね。

主さんをして「世界史ないし歴史を解釈しなおす/書きなおすことがおもしろい!」と実感させたマルクスたちは果たして「おもしろい!」と感じていたのでしょうか。ウォーラステインが面白そうに語るのを私は目の前で見たことがありますが、半ば狂死した感じのニーチェはどうだったのだろう。ウェーバーだって8年ぐらい精神的に参っていた時期があるし。何が彼らを駆り立てていたのかを思えば、「おもしろい!」というのとは異質な何かではなかったかと。

ところで、「エリート教育を推進」したい、という心境はいったいどんなものでしょうか。誰かを教え育てたいという気持ちが欠如している私には、ちょっと想像できない。育つ人は勝手に育つだろうと思っている。また、自分を育てることに専念していれば、結果として他者を刺激することがある、とも(自分は他者を刺激することはほとんどないのですけど)。

青年時代には多少あった「自由と友愛を大切にする」気も失せて、不自由で孤独な私ですが、以後、よろしく。




221. Re^2: 扶桑社 − 宮沢・河野 サイトの主 [URL]  2001/04/19 (木) 20:50
つづきです。

>昨今の「教科書を作る会」の動向やその「会」による教科書の
>検定通過などの報を聞くたびに‥‥

 扶桑社の中学教科書については、教員じしんが、こんな非寛容で内向きでハッタリばかりの書き物をきっぱりと拒否することを望みます。要するに jingoism, xenophobia, 夜郎自大、国粋主義でしかなく、日本国憲法の前文の精神に違反しています*。
 しかし、こんなしろものが(思想内容でなく、長すぎる=難解とか、叙述が一方的=独善といった、スタイルでまず不合格にすべきものですが)、検定を通過するだろうことは、昨年の参院選で民主・社民, etc. が敗けたことで、すでに予定されていました。文部省の調査官は中立ですが、重要な問題の究極的な判断は、政権党の意向に従うしかないのですから。
* 教科書も教育も、憲法に従わねばならない。しかし、問題が生じた場合、役人は「国民の代表」の議院内閣に従わねばならない。これは法治国家にして代表制をとっている国では、当然でしょう。わが国家権力の編成の問題をたなあげにした教科書論議・教育論議はむなしい。
 そして、内ポケットにつねに「日本国憲法」を用意しているはずの宮沢元首相・河野元官房長官が、こうした大事な局面で発言しないのも、もどかしい。むりにコメントを求めたら、あのにやけた表情で
「まぁ、愚かな国民には、愚かな教科書を、といったところでしょうかなぁ」とでも言うのだろうか。諦念の名宰相 !?



220. Re: 歴史教育・詳説世界史・扶桑社 サイトの主 [URL]  2001/04/19 (木) 20:35
Welcome, Peter!

>大学教員の本分は研究にある以上、もちろんそれが優先される
>べきなのでしょうが、しかし‥‥

 じつは国立大学に勤めている人文社会系の研究者の9割以上は、給与体系からいうと「研究職」ではなく「文部教官」です。ぼくも。つまり、教育が本務だが、高等教育には研究がともなわねばならないので、教育と研究と両用の設備備品をはじめとして、研究環境がととのえられている、というわけです!
 ただ、Peter さんの言われる歴史教育とは、大学生相手の、でなく高校生や一般国民むけの、という意味でしょうね。大学のなかで学生・院生を相手にしているときと、教科書や講演やその他の機会に(よく知らない or 初対面の人々を前にして)発言しているときでは、当然ながらスタンスは変わってきます。
 が、それにしても今月の『文芸春秋』にもあったとおり、現行の『詳説世界史』のように細かく詳しく固有名詞を連ねるのが教科書、それを、あたら17・18歳の柔軟な頭脳に、どう工夫して叩きこむかが世界史の課題、しょせん世界史は暗記科目の最たるものなのだから‥‥といった「通念」が、ぼくには口惜しい。大学側にも(ある有力私学の教授がうそぶいていましたが)『詳説世界史』にさえ出ていない事項・人名をわたしは入試に出題した、と誇る?風土がないわけじゃない。
 すくなくとも、文部科学省および学習指導要領はそうした立場を否定していますよ。そのかぎりで、ぼくは文部科学省の近くに立ちます。他方で、しかし、例の「ゆとり教育」は、今のままではおもに公立の小中学校に害がおよびます。授業時間を減らすのでなく、たっぷり≒ゆったり教育すべきなのです。そして何より教員の数をふやし、教員に心の余裕を与えること。
<字数をオーバーするので、分割し続けます>



219. 堺といえば… Peter  2001/04/19 (木) 00:09
余談ですが、堺と言えば、日本史に燦然と名を残すあの堺はとうとう世界システム論の中にまで位置づけられて論じられるようにもなってしまいました。う〜ん、うれしいのやら何とやら…ちなみに先の掲示には堺商人を思わせる調子で書きましたが、もちろん商家の人間でもなんでもありませんし(わかっていらっしゃるとは思いますが、戦国時代に絡めたGustav王の話があったので、ついそれに乗って書いてしまいました)、ついでに中世の堺でいえば今の私の住まいは砂浜か海の底でした(笑)。



218. 歴史教育など Peter  2001/04/19 (木) 00:01
はじめまして。普段はGustav王の掲示板に参加しているのですが(主さまの掲示板も閲覧だけはずっとしております)、肝心のGustav王が箕面に布陣してから動きがないので、堺出身の私ならではの物資・情報面での貢献も今は停滞しております。いつかは壮大な戦略案と戦術を我々にお示しになるのでしょうが…

閑話休題。
最近歴史教育のお話が掲示板でなされているので私も一言と思った次第です。とはいえ、具体的な提言というより、この掲示板を閲覧しての所感と言うぐらいですが。いろいろ興味ある論点が現れているのですが、
私の目にとまったのは次の一文です。
>国民の歴史意識、すなわち世界観のゆくえにも、大学入試問題を作成している教員たちは責任があるのです。
さすがは、教科書作成に携わった主さまならではの貴重なご意見ですが、私はこの側面をもっと大学教員たちは考えないといけないのではないかと思っています。特に、昨今の「教科書を作る会」の動向やその「会」による教科書の検定通過などの報を聞くたびにこのことを考えてしまいます。いま紙上などで取り上げられている彼らの話題は、主に史実の有無とかその表現といったことで、いわゆる学界でも彼らについての話題は「史実ではない。」などといった意見で対処しておりますが、私の見るところ、彼らが提議していた真の問題である国民の歴史意識の問題などについて真正面に応じた意見はあまりないように思います。大学教員の本分は研究にある以上、もちろんそれが優先されるべきなのでしょうが、しかし実際に教科書を執筆し入試で問題を出すのも大学教員なのですから、そうした事実も踏まえたうえでの「国民の歴史意識の形成」といった問題に取り組まねばならないのはないでしょうか。私も将来は教育・研究職を目指している者としてこの問題に取り組み続けています。まだ答えは出ませんが。
拙くて粗雑な所感ですが、今後の議論の叩き台としてあえて掲示いたしました。




217. ハイホーさんへ サイトの主 [URL]  2001/04/18 (水) 20:56
216. の書き込み、ありがとうございます。
 おっしゃる案だと、世界史という科目だけでなく、日本の大学入試および高校教育そのものの根本的な変革をめざすということになりますね。後期中等教育についてのイギリス・フランスみたいな共通了解が大前提ですが、うまく行くかな? ただの世界史オタクを増やすだけなら、ぼくは反対します。それより英語・国語・数学をしっかり学ぶ喜びを知るべきだし、また科学か芸術を追求する喜びを経験するのもよい。
 すくなくともぼくじしんが高校三年のとき、マイ世界史を執筆せよ、という課題を課されたら、その大学を忌避したことは明らか。
世界史ないし歴史を解釈しなおす/書きなおすことがおもしろい!と実感したのは、マルクスを、あるいはヴェーバーを読んでからです。それがニーチェでもポッパーでもウォーラステインでもかまわないが、とにかくしっかりしたものを読むことなく、手頃な受験参考図書と百科事典だけで18歳の作文したマイ世界史には、いかほどの意味があるのだろう。
 ときに天才的な18歳はいるでしょう。でも毎年せいぜい全国で数人の天才のために学校教育をめちゃくちゃにするのはどうでしょうか。 むしろ、ぼくの求めている「エリート」とは天才ではなく、もっと多数の「層をなすカードルたち」です。すごい天分はなくとも、多少は努力して調べ考え、分析し論じる、そして実現することを喜びととし、自由と友愛を大切にする(同世代人口の1%以上の? more?)青年、壮年、老年‥‥です。



216. Re: Re 近現代史への無知 ハイホー  2001/04/17 (火) 10:24
はじめてカキコします。

『現代の世界史』ですが、「教える」のではなく、いっそのこと「マイ『現代の世界史』」を3年間かけて執筆させるというのはどうでしょうか? 現代の歴史は大学入試の試験科目からは外すが、「マイ『現代の世界史』」を大学に提出する。

執筆する過程でいろんなことを考えるでしょうし、見聞きもするでしょう。当事者が存命である場合、やろうと思えばインタビューもできる。史料発掘もできる。いろんな言語を身につける契機にもなる。



> 公教育、というより限定すると、高校における近現代史の軽視は大問題、深刻です。1) 19世紀・20世紀こそ問題なのに、古代・中世の好きなオタッキー先生がせいぜいルネサンスか絶対王政まで教えて、時間切れ‥‥とか。せめて世界史A『現代の世界史』をきちんと教えてほしい!
> 2) しかし、大学側にも問題はあります。世界史の入試問題、一度でも作成に関与した人は悩んだでしょう。カタカナの固有名詞をたくさん暗記することだけで終始するような勉強はしてほしくない。高校生には、むしろ考える学問、発見の喜びを! そうした授業に努力している先生たちに報いる入試問題を出したい。世界史を、知的な生徒が避けたくなるような科目にしてはならない。
>  国民の歴史意識、すなわち世界観のゆくえにも、大学入試問題を作成している教員たちは責任があるのです。採点の容易さだけを第一に考えていてはならないし、また自分の専門領域の分量を増やすことに執心してはいけないのです。細かく正確な事実と分析は、大学の歴史学の授業ですればいい。
>
> > イギリス(西欧?)の歴史教育をみると(直接みたわけではありませんが)、論理的な考え方を鍛錬するのに歴史がいかに有効かわかると思うのですが。
>
> そう、知的で感性豊かな青少年に、エリート教育を推進しましょう。



215. 春爛漫 サイトの主 [URL]  2001/04/16 (月) 19:34
 赤門脇に八重桜が2本あり、一方はさかんな葉にほとんどおおわれてしまいましたが、もう一つのピンクがかった方はまだ盛りです。本郷通と平行にならぶ銀杏と楠の並木はそれぞれきつく剪定されてしまって、見るも無惨‥‥。美と野暮の同居する本郷です。

 高槻という立地は、Lulle氏のおっしゃるとおり関西学界のgeopolitics からいっても、なかなか味な位置です。Gustav王よ、けっして明智光秀のように、与えられた好機を無駄にして、結局、そのへんをあてもなく放浪して人知れず最期を迎えることのないよう‥‥言わずもがなですが。

 本日、本郷にてK@南仏くんに遭遇。まじめな/深刻な n さんと入れ替わりで、ご帰朝のよし。もちろん、心からお礼を申しあげました。



214. Re^2: 凱旋祝い R. Lulle  2001/04/15 (日) 21:44
『新明解』で「祝着」は老人語、とあります。「漢語的表現」という範疇もあるのに、この場合はあくまで老人語。


 「祝着」という古語を用いましたのは、Gustav Adolf王が17世紀初めの人物で、リュッツェンの戦いのあった1632年は日本では寛永9年、徳川秀忠が死んだ年で、戦国時代の余燼いまだ消えやらぬ頃であることを考慮したからです。


> それから「関西というアクの強い環境」とは、問題発言だな。だとすると、ぼくも6歳のころは京都市立桂小学校に入学した関西人、したがってアクのつよい人ですよ! 


 すみません。不適切な表現であり、撤回いたします。別に関西や関西人を批判しているわけではありません。関西(近畿)は関東とは文化や人々の気質がかなり異なるということを言いたかったまでです。

 しかし、主様が京都にお住まいの時期があったこと、はじめて知りました。

 ところで、Gustav王が高槻に本陣を構えたとのこと、箕面から遠く職場へ通うのに不便ではないかと最初思いましたが、今では最良の選択だと思います。地図を見ると、高槻から淀川を少し上流に遡ると、天王山と男山が左右から迫り、京都盆地の咽喉を扼する形になっています。このあたりは、秀吉と光秀との山崎の戦いをはじめ、古来多くの戦いが日本の政治の覇権をめぐって繰り広げられました。さらに男山には源氏や東国武士の信仰を集めた石清水八幡があります。鎌倉の鶴ヶ丘八幡も石清水八幡が勧請されたものです。東から来たGustav王の地政学的センスが感じられます。

 ビョルンについては、あれから進展はありません。映画検索のサイトを教えてくださりありがとうございました。



213. Bjorn Andresen? サイトの主 [URL]  2001/04/14 (土) 18:16
Ramon Llull 氏の久々のご登場で、遙か昔の質疑を想い出した。
107. あたりで「ヴェニスに死す」のタジオ=Bjorn Andresen は今どこに? ということでしたが、その後なにか判明しましたか。
欧米というか、ローマ字世界の映画について包括的なデータベース
 Internet Movie Database http://us.imdb.com/
は利用していますか。ぼくの LinX.htm にもあり。
その最初のページ(文字コードを欧米にしたほうが安全)のキーワード検索から、引いたところでは、1989年のスウェーデンTV Maskrosbarn ないし1990年のノルウェイ映画 Lucifer Sensommer に出たのが最後?
 このデータベースはタイトル(英仏伊‥‥)・人名・年代, etc. から検索できて便利なことこの上ないが、ただ「明日に向かって撃て」とか「黄昏」とか「年上の女」とか、邦題しか知らないと、どうしようもない! その場合でも、Robert Redford, Henry Fonda, Simone Signoret といった俳優ないし監督を知っていればなんとかなりますが。
 Bjorn については、ビーレフェルトの Naoちゃんが何年か前に「最悪!」と言っていたのを想い出します。ゲルマン世界である程度生活すると、好みも変わっていますか?



212. Re: 凱旋祝い サイトの主 [URL]  2001/04/14 (土) 13:59
> Gustav王陛下、欧洲よりの無事の凱旋、任地への赴任、祝着至極に存じます。
> ‥‥関西というアクの強い環境への適応など、様々な課題があり、瑞典からの輜重隊の到着もまだかと思いますが、‥‥

さすが読書人 R.Lulle 氏の教養あふれる、ねぎらいのお言葉、と感心しますが、ご用心!『新明解』で「祝着」は老人語、とあります。「漢語的表現」という範疇もあるのに、この場合はあくまで老人語。
それから「関西というアクの強い環境」とは、問題発言だな。だとすると、ぼくも6歳のころは京都市立桂小学校に入学した関西人、したがってアクのつよい人ですよ! R.Lulle 氏もふくめて、西に生まれても東京に長く住むとアクが抜かれるのかな? 
高度成長の前、右京区といってもそのころは、まだ木造校舎の学校から1分も行くと半分水田に囲まれていました。校庭とまわりの桜が美しく、また大きな銀杏の木に青大将が主のように住んでいました。



211. 凱旋祝い R.Lulle  2001/04/14 (土) 01:19
久しぶりに登場します。
Gustav王陛下、欧洲よりの無事の凱旋、任地への赴任、祝着至極に存じます。
引越し、授業の開始、関西というアクの強い環境への適応など、様々な課題があり、瑞典からの輜重隊の到着もまだかと思いますが、くれぐれもからだに気をつけてください。一段落ついたら有馬温泉で留学の疲れを取るのもよいでしょう。
箕面の皆さん、とくに羽柴筑前殿によろしく。
最後に以下の歌で祝意の辞にかえさせていただきます。

難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春ベと咲くやこの花 王仁



210. ありがとうございます サイトの主 [URL]  2001/04/05 (木) 20:45
> ‥‥念のために、windows98起動ディスクをご自分で作成しておくことをおすすめします。

はい、それだけは済ませてありました。

> それにしても、40GBのハードディスクとは…
> うちの子(パソコン)のHDは適正価格だったのか?
> 電気屋に、いつか差額を請求してみたいものです(^^)

技術革新とデフレ、価格破壊の時代、新築マンションみたいなもので、新しく良い品ほど安い、というような事態になってしまいました。思えば、初めて秋葉原で大枚をはたき 80MBの内蔵ハードディスクを買ってきて、わがPC9801にすえつけて、これでフロッピディスク80枚分だ(松のシステムディスクをいちいち取り替えなくてよい!)、なんて感激していたのは、ちょうど一昔前。そのころも今も、PCの(能力は数百倍?になって)価格はほとんど同じ! むしろ低下傾向! 俸給はといえば安定的で、そのころの1.5倍に届かない!



209. おめでとうございます Jizo  2001/04/04 (水) 21:34
サイトの主様、問題解決おめでとうございます。

fdiskコマンドを修得されれば、もはやDOSなんて怖くありません。
あと念のために、windows98起動ディスクをご自分で作成しておくことをおすすめします。
そうすれば、万が一OSが反応しなくなっても、起動ディスクからOSの起動、フォーマットやfdiskが可能になります(最悪の場合ですが)。

それにしても、40GBのハードディスクとは…
うちの子(パソコン)のHDは適正価格だったのか?
電気屋に、いつか差額を請求してみたいものです(^^)



207. 召還されたGustav王 サイトの主 [URL]  2001/04/04 (水) 19:06
 なにやら淀川のほとりと箕面の丘陵のあいだを往復して、花見?会戦? 急遽、グスタフ王のご帰還 → 新任地への移動とあいなった模様です。

> ‥‥箱根の山もろくに越えたことのなかった自分にとってはなにもかもが新鮮で、意気揚々と新たな春を迎えたところです。

 箱根より西を知らぬ東夷には、きつーい制裁の儀礼が必要かな?
どうぞ身体に気をつけて、これからの「戦い」と兵站競争に臨んでください。
(こちとらは、新しいマシーンの領域分割から、ffftp, etc. のダウンロードから接続設定まで自分でやれて、なんとか新学年に備えています。)



206. 箕面の山よりこんにちは Gustav  2001/04/04 (水) 14:25
主さま、みなさま、ご無沙汰しております。

スウェーデンより急遽帰国し、慌ただしく大阪へと移って参りました。箕面の山にもうららかな春の陽気が差し込んできております。新居のある高槻から離れたところにある箕面ですが、箱根の山もろくに越えたことのなかった自分にとってはなにもかもが新鮮で、意気揚々と新たな春を迎えたところです。

↓の件、すべては無事に解決されたようでなによりです。(K君は今春は帰国されていないのですね・・・元気ですか?)落ち着きましたら、再びこの掲示板に参加させていただきます。とりあえず「生存確認」のお知らせまで。みなさま、ご自愛ください。



205. 北緯43度31分のうららかな春 mailto:akkudo@club-internet.fr  2001/04/04 (水) 03:04
サイトの主様
問題解決おめでとうございます。

Gustav氏が多忙の様子ゆえ出しゃばったまねをしてみましたが、お
役に立ったようでなによりです。

当てずっぽうで申し上げたことですので、僕も理屈はよくわかって
いません。半可通もたまには役に立つ、ということでしょうか。

normalementということばにはしばしば、実際はそう理屈通りには
行かないよ、という響きがありますが、パソコンとのつきあいはそ
んな出来事だらけです。もちろんどこかでは理屈が通っているので
しょうけれど、われわれアマチュアは結果がよければそれでよいの
です!



204. Re: 可通氏に大感謝 サイトの主 [URL]  2001/04/03 (火) 15:48
 今回の問題については、この談話室以外からも教示・サジェスチョンがいくつかありました。ありがとうございます。
 ご自身の経験にもとづいて8ギガ以上はあきらめろ、とか、「‥‥から修正ドライヴァを入れてみては」とか、『MS-DOS ラーニングシステム』中級で挫折したぼくには恐ろしげな指示で、さて困った、とあまり期待せずに、以下の K@南仏氏のご意見も読みすすみました。

>3.Gatewayオペレーティングシステム・バックアップCDという
>ものがどういったものかはわかりませんが、これは、CD-ROMから
>起動するユーティリティの類でしょうか?
>もしもそうであるならば、一度 通常通りにハードディスクから起
>動したWindows上から直接fdiskコマンドを試してみてはいかがで
>しょうか。Windows98でしたら、スタートメニューから「ファイル>名を指定して実行」を選択しfdiskと打ち込めば、後はこれまでと>同じです。

これには、なぜかピンとくるものがあり、さっそくスタートボタンから fdiskと入力して、ためしに領域情報を出させてみたら、
 ディスク2  43975 Mバイト 空き 35951 Mバイト 使用18%
       D: 4016 9%
       E: 4008                  9%
と表示されました! もうこれで、出口は見えました。
本体と一緒に添付されていた、Gatewayオペレーティングシステム・バックアップCDなるものが outdated だったのでしょう。(c) 1983-1998 というのがなんだか変だな、とは感じていたのですが、でもこれを使えと『インストールガイド』に明記してあったし。

 というわけで、ご指示のとおりに作業をすすめ、次いで format に進み、いまでは無事に「マイコンピュータ」から D: 21.4 GB、 E: 21.4 GB が認識されます。

半可通どころか、これで全通。感謝の言葉を知りません。
 南仏の北緯43度あたり?にむけて祝杯を挙げたく、今晩は美酒を用意します。東京が北緯36度あたりだから、真西よりちょっと北を向けばよいのだろうか。
 いや、それはメルカトール図法に囚われた発想で、成田を出た飛行機が一路北をめざすように、新潟かウラディヴォストクあたりをねらわねばならんのだ。まぁ、一度ならず何度か、方向を微妙に変えて乾杯してみます。Lever son verre というのは、一年あまり前に旧本郷会館にできた料理店の名です。



203. 半可通の意見 mailto:akkudo@club-internet.fr  2001/04/03 (火) 07:30
サイトの主様
ご無沙汰いたしております。

fdiskの問題について考えつくことをいくつか記します。

1.Windows98に付属するfdiskの容量制限は64ギガバイトと聞い
ておりますので、これが直接の原因と言うことはひとまずなさそう
です。

2.二、三年前までのパソコンですとBIOSの規格に起因する問題
で、利用できるハードディスクの容量が8ギガ強に制限されていま
した。 お手元の症状はこのケースにやや似ています。
ただ、お使いの機体は新しい機種と想像しておりますので、これも
あたらないだろうと思います。
(もしもお使いの機体がやや旧型のものでしたら、以下のURLにあ
る判定ツールをお試し下さい。
http://www.iodata.co.jp/lib/utility/drvinf.htm

3.Gatewayオペレーティングシステム・バックアップCDという
ものがどういったものかはわかりませんが、これは、CD-ROMから
起動するユーティリティの類でしょうか?
もしもそうであるならば、一度、通常通りにハードディスクから起
動したWindows上から直接fdiskコマンドを試してみてはいかがでし
ょうか。Windows98でしたら、スタートメニューから「ファイル名
を指定して実行」を選択しfdiskと打ち込めば、後はこれまでと同
じです。

あまりお役に立ちそうな情報ではありませんが、なにかしら手がか
りになれば幸いです。

なお、上記のfdiskの64GB制限を修正するファイルが以下の場所か
らダウンロードできるそうです。(ただし、これはWindows98の問
題ですから、WindowsMeには該当しないだろうと思います。)
http://download.microsoft.com/download/WIN98/Update/8266R/W98/JA/263044JPN8.EXE



201. パーティション問題(続) サイトの主 [URL]  2001/04/02 (月) 18:52
200.のつづきです。

2.画面に表示されているメッセージ

現在、Windowsを再起動して「マイコンピュータ」から、構成を確認すると
 ローカルディスク(C:) 42.9 GB  空き領域 41.0 GB
 ローカルディスク(D:) 3.91 GB  空き領域 3.91 GB
 ローカルディスク(C:) 3.90 GB  空き領域 3.90 GB
と表示されます。つまり、パーティションを切ったことによって、元来40ギガあったはずのハードディスクが 3.9+3.9=7.8ギガになってしまった(と認識してしまう)のです。

このままでは気持ち悪くて、DおよびEドライヴを使えません。

Gateway にも問い合わせていますが、納得のゆく解決ないし説明をどなたでもよろしくお願いします。



200. 大容量ハードディスクのパーティション問題 サイトの主 [URL]  2001/04/02 (月) 18:48
 Gateway 1400XL のDドライヴを領域分割しましたが、それにともない以下のようなトラブルに遭遇しました。どなたかお知恵を下さい。(大事なファイルが消えちゃったとか、そういうレヴェルの問題ではありません。)

1.トラブルの概要
購入時に慎重にハードディスクドライヴを二つ設定しました。主ドライブとして40GB、補助ドライヴとして40GMあります。どちらも 40GB UATA100 HDD という仕様です。
購入時に後者も正しく D:として40 GBが認識され、かつ機能していました。今日、これを「Gatewayオペレーティングシステム・バックアップCD」を使って fdisk コマンドで 領域を 50%(20ギガ)ずつに分けようとしました。(起動ディスクとして使っている C: については、まったく手を加えていません。また支障も出ていません。)

作業途上で、「領域情報を表示」の画面で、
領域 C:1 状態 A 種類PRI DOS 43959Mバイト FAT32 使用100%
ディスクの総容量は 8025Mバイトです
また
領域 D:1 状態  種類PRI DOS 43959Mバイト FAT32 使用100%
ディスクの総容量は 8025Mバイトです
と表示されました。

この時点ではあまり気にせずに、そのまま先に進み、領域を削除し、領域を作成し、という作業を2度繰り返したあと、領域をフォーマットし、確認すると
現在のハードディスク:2
領域 D:1 状態  種類PRI DOS 4016Mバイト FAT32 使用100%
2 状態  種類EXT DOS 4008Mバイト  使用100%
ディスクの総容量は 8025Mバイトです
となりました。
何故でしょう。ハードディスク容量が8ギガ(5分の1)になってしまいました。あるいは認識上だけの問題ですか? はたして40ギガという容量が大きすぎて、20ギガへの領域分割は無理なのでしょうか?(fdisk のヴァージョンは Microsoft Windows 98 ハードディスクセットアッププログラム(c) Copyright Microsoft Corp. 1983-1998 とあります。)




199. Re 知事選挙 サイトの主 [URL]  2001/03/31 (土) 16:31
> 10日間ほどインターネットに接続できない環境におりました‥‥

 じつは、こちらも年度末の行事にくわえて、電脳マシーンの段階的転換を図っています(まだ進行中)。ホームページの更新も間が開きました。30/31には、大学院の合宿もありました。

> 千葉知事選挙は驚くべき結果に終わってしまいました‥‥
> 多少疑問も残ります。今回の選挙の論点が、どのように選挙戦を勝ち抜いたか、になってしまっているということです(マスコミの報道に問題があるのかもしれませんが)。
> 本来なら、どのような政策が県民の支持を得たのかが評価され、批判されなければならないところでした。

 今回の千葉県知事選は、昔からの知り合いが突然!無所属・民主・社民推薦で立候補したので、慌てました。つづいて堂本暁子立候補と聞いたときから、これはいかん、と思ったのですが、マスコミ(=朝日?)は、完全に無視するか or 無党派+おばさんパワーを礼讃する報道姿勢でした。おっしゃるとおり、政策とこれまでの地方行政における実行力を取材し分析する姿勢はゼロ。
 最悪のシナリオは、若井・堂本が2・3位で、自民が漁夫の利をえる、というのでしたから、それだけは防げた。しかし、自民でなきゃ、第2の青島幸夫でよいのか、という問題ですよ。民主党に旧社会党の(i.e.民同ダラ幹の)体質が残っていることが、若井陣営の足を引っ張った。
 つまり今回の選挙結果のメッセージは、1) 自民の余命いくばくもないことが再確認されたのは、驚くべきことではないが、同時に民主党にも未来がないことがはっきりしてしまった。若井という望みうる最良の候補をたてながら3位に終わるというのは、鳩山・菅のクビに値する失態です。
 2) 今日のマスコミは、取材せず、分析せず、ヤジウマ根性で、要するに芸能報道も政治報道も同じスタンスでやってるのだ、ということ。いまさら指摘するのも恥ずかしいくらいだが、経済も文化・書評欄も、持ち込み情報をちょっと加工しただけ。現在の自民党総裁をめぐるコップのなかの嵐を、ほとんどスポーツののりで、一面と社会面で毎日のようにフォローする文化からは、将来の statesman は生まれてきません。

> 有権者ではなく、政治的指導者の意識が変化しなければならない時期がきているのではないでしょうか?

 それに加えて、報道にかかわる中堅幹部(media cadres)の資質と姿勢が問題でしょう。



198. 千葉県知事選挙? Jizo  2001/03/30 (金) 21:15
サイトの主様、ご無沙汰しております。
10日間ほどインターネットに接続できない環境におりましたため、投稿できませんでした。
おいそがしいなか貴重なご意見をいただいたのに、レスが遅れて申し訳ありません。

ところで、千葉知事選挙は驚くべき結果に終わってしまいました(この欄で千葉知事選についての投稿をみかけたと思ったのですが?)。
千葉県のような都市部に人口が集中している(いく)県では、支持政党をもたない無党派層の拡大が進んでいるようです(長野県は?)。

改革路線ということでは大いに賛成すべき結果なのかもしれませんが、多少疑問も残ります。今回の選挙の論点が、どのように選挙戦を勝ち抜いたか、になってしまっているということです(マスコミの報道に問題があるのかもしれませんが)。
本来なら、どのような政策が県民の支持を得たのかが評価され、批判されなければならないところでした。

といっても、そういった傾向は全国レヴェルでもみることができます。有力政党の党派争い従事にうんざりして、いっそう無党派層が拡大するのは仕方のないことでしょう。
有権者ではなく、政治的指導者の意識が変化しなければならない時期がきているのではないでしょうか?



196. Re 近現代史への無知 サイトの主 [URL]  2001/03/22 (木) 13:27
 せっかくのご発言に、なんということでしょう、学年末の校務はまだ良いのですが、もっと恥ずかしい野暮用で時間が自由になりませんでした。

> 近代化論と戦後史学の崩壊(無意味化)と平行して、エリート公教育、リベラル教育が衰退した結果。‥‥

そう、1945年から以後数十年間(2世代?)実現していた日本のリベラルな民主主義(アメリカがサポートしてくれたおかげで、ワイマル共和国よりは長持ちしました)が崩壊して、新しい時代に突入していることは、もはや誰にも否めないでしょう。

> 近現代史への無知(無視)と拒否反応が、(公教育により)形成されてきたことが原因の一つではないかと思います。かつての西独が通過したような過程を日本はまだ経ていません。過去にはふれたくないという思いが、多くの日本人にあるのではないでしょうか。

公教育、というより限定すると、高校における近現代史の軽視は大問題、深刻です。1) 19世紀・20世紀こそ問題なのに、古代・中世の好きなオタッキー先生がせいぜいルネサンスか絶対王政まで教えて、時間切れ‥‥とか。せめて世界史A『現代の世界史』をきちんと教えてほしい!
2) しかし、大学側にも問題はあります。世界史の入試問題、一度でも作成に関与した人は悩んだでしょう。カタカナの固有名詞をたくさん暗記することだけで終始するような勉強はしてほしくない。高校生には、むしろ考える学問、発見の喜びを! そうした授業に努力している先生たちに報いる入試問題を出したい。世界史を、知的な生徒が避けたくなるような科目にしてはならない。
 国民の歴史意識、すなわち世界観のゆくえにも、大学入試問題を作成している教員たちは責任があるのです。採点の容易さだけを第一に考えていてはならないし、また自分の専門領域の分量を増やすことに執心してはいけないのです。細かく正確な事実と分析は、大学の歴史学の授業ですればいい。

> イギリス(西欧?)の歴史教育をみると(直接みたわけではありませんが)、論理的な考え方を鍛錬するのに歴史がいかに有効かわかると思うのですが。

そう、知的で感性豊かな青少年に、エリート教育を推進しましょう。



195. Re: 小シンポジウム サイトの主 [URL]  2001/03/22 (木) 12:44
> 今回のシンポジウムには、おおよそ、
> イングランドだけではなく連合王国という視点で、名誉革命体制の成立から1830年代までの長い18世紀における政治社会の継続性と変化をみる。という目的があるものと理解しました。

 関心を積極的に表明してくださって、ありがとうございます。
B政治社会は、アソシエーションのように限定せず、ホッブズの提起した、聖俗の国家・共同体もふくみ、秩序一般のありかたを論じたいから用いる語です。したがって、継続性と変化といっても、そのダイナミクスを分析したい。
Aじつはジェントルマン、ミドリングソート, etc. のはやり言葉に辟易しています。政治を問題にするさいには、英語でいうpolitical nation の意識が問題で、これが平民(commons)のどの層まで包含してゆくか。18世紀は明らかにその拡大が認められます。有権者以外の民衆にも直接行動(riots)という表現手段があったことはご存じのとおり。
@政治文化ないし意志の分析は、もちろん正統的な思想史(history of ideas)でもなされてきたし、ぼくも大いに学びたい。しかし、ぼくの得意なのは、むしろ係争・醜聞事件の分析です。Srinivas の名言は『民のモラル』p.11-12 でも引用しました。「争いごとにおいてこそ、ふだんは隠れていた事実が浮上してくる。‥‥ちょうど稲妻が一瞬であれ闇夜の周囲のありさまを照らしだすとき」のように。
 モラル・エコノミーもパターナリズムも、地域の具体的な紛争・衝突のなかで明らかになり、固まり、変貌します。中央集権かどうか。イギリスは議会のもとに、ローカルで ad hoc で、帝国問題も含めて、一言で尽くせない、おもしろさがあるとおもいます。Hence the 小シンポジウム。



194. 「問題提起」へのレス Jizo  2001/03/21 (水) 01:00
サイトの主様、「問題提起」拝見しました。

今回のシンポジウムには、おおよそ、
イングランドだけではなく連合王国という視点で、名誉革命体制の成立から1830年代までの長い18世紀における政治社会の継続性と変化をみる。という目的があるものと理解しました。
そのうえで、以下にいくつか思いついたことと疑問を提示させて下さい。

まず、この時期には、長期的な中央集権の過程があったと前提していいかと思います。
その過程で、@政治的・文化的には、
継続性=王室とジェントルマン(が主導する議会)が王国の中枢であり、象徴であること。
変化=権力を主導するエージェンシーへの'middling sort'の参加増。中央集権と連合王国(意識)の形成とともに、地方(だけでなく)、国(政府)、両方の政治へ積極的にかかわっていく層が厚くなったこと。
 この過程における様々な摩擦が、ポリティカル・エコノミーとモラル・エコノミーの対立、パターナリズムと自由主義の対立などに反映されたといえるでしょうか。
 ただ、ここの議論でより重要なのは、ご指摘のとおり、権力の編成における変化であり、誰の政治意思が王国に反映されていたのか?ということだと思います。

A経済的には、中央集権と結合の再編、
都市化の進展(都市の中間層の経済・政治的影響力が徐々に強化)。
海外貿易の発展(ジェントルマン資本主義?ロンドン(シティ)への経済的・政治的機能の集中)。
世界システム論的な経済構造「中核」「反周辺」「周辺」の成立?
 政治的変化とは切り離せない問題も含んでいますが、ここにおいては、
政治主体の認識の変化=(上層・中層の人々の)植民地への進出とともに連合王国の存在を相対化してみる視点が育成されたこと。が重要だと思います。

疑問点として、
@「連合王国」という意識が王国に関連をもつ人々のどの層にまで普及していったのか。意識の変化が人々に与えた影響。当時のナショナリズムのあり方(当然、現在とは異なるでしょう)にも興味がわきます。
Aどういった人々が、なぜ、連合王国を形成し、維持しようとする意志をもったのか(同時代人にとって、連合王国のもった意義とは?)。
B政治社会とは具体的に何をさすのか(^^)。

とくにBについては「問題提起」をみるだけではいまひとつイメージが浮かびません(アソシエイションでしょうか?)。未整理で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。



192. Re: 複雑系のastrology Jizo  2001/03/12 (月) 22:54
サイトの主様、早速のレスありがとうございます。

おっしゃる通り、
> 初期条件の微少な差が、結果として大きな違いを生じる、その複雑系のおもしろさを数理モデルで明らかに…
してしまうのが複雑系の大きな魅力だと思います。
遺伝子工学をはじめ、ほとんど人知を超えているとさえ思える自然のダイナミズムを究明していく研究者の方々の努力は、誰をも驚嘆させる素晴らしい成果を導いてきました。

> 複雑系にかかわる科学者のなかでも、惑星物理学≒天文学、あるいは太陽系生物学(astrobiology)の皆さんは、われわれよりずっと長い何億年というスケールで(有史以前の)歴史を問題にしています。
これはきっと、子どもたちをもエキサイティングさせてしまう問題でしょう。そのスケールの大きさには頭の下がる思いです。
ある程度おわかりになったかもしれませんが、私は自分のおかれている環境(経済学部です)からしか複雑系を理解していなかったようです(そういうわけで? 前回の書き込みの内容も友人からの耳学問の範囲を出ません)。もっと落ち着いて、よくみるべきでした。

それにしても、>しばらく前(90, 91...)の議論でもおっしゃるように、歴史学がヨーロッパ諸国のように opinion leader の一翼を担えないのは残念な限りです。
近代化論と戦後史学の崩壊(無意味化)と平行して、エリート公教育、リベラル教育が衰退した結果。格好をつけていえばハーバーマスのいうような公共圏が欠落してしまったことにその原因があると。もっともだと思います(複雑系のようなリーディング・セクターの不在も無視できないでしょう)。
さらに、よくある議論ですが、近現代史への無知(無視)と拒否反応が、(公教育により)形成されてきたことが原因の一つではないかと思います。かつての西独が通過したような過程を日本はまだ経ていません。過去にはふれたくないという思いが、多くの日本人にあるのではないでしょうか。

それにしても、イギリス(西欧?)の歴史教育をみると(直接みたわけではありませんが)、論理的な考え方を鍛錬するのに歴史がいかに有効かわかると思うのですが。
あちらの教育は日本人の目には差別的にみえるかもしれませんし、ニーチェほどのエリート主義は日本人にはそぐわないとしても、「歴史なき刹那主義」だけは避けたいところです。

松井孝則『地球学』読んでみます。
今回も長々と失礼いたしました。



191. 複雑系のastrology サイトの主 [URL]  2001/03/12 (月) 15:53
Jizo様、ありがとうございます。【Gustav王には緊急事態が発生して、沈黙。それを幸いに? ぼくもこの欄からちょっとご無沙汰していました。】
>非線型の力学(という概念)は、ある意味、歴史の叙述と整合的だと思います。
>ただ、複雑系(ここではカオス理論で代表)と歴史は、決定的に異なる部分があるとも感じています。
>一つの非線型方程式に対する複数の結果、秩序と混沌、‥‥

ぼくの理解では、初期条件の微少な差が、結果として大きな違いを生じる、その複雑系のおもしろさを数理モデルで明らかにしちゃうという仕事が、われわれの想像をこえる知の世界!を感得させるのです。
ただおっしゃるように、
>現代社会になぜ歴史の理解が必要なのか?という問題意識がない‥‥
としたら悲しい。歴史研究は現代を理解する有効な手段=方法かどうか、ということでしばらく前(90, 91...)に議論がありました。是、是、是、と答えたい。
複雑系にかかわる科学者のなかでも、惑星物理学≒天文学、あるいは太陽系生物学(astrobiology)の皆さんは、われわれよりずっと長い何億年というスケールで(有史以前の)歴史を問題にしています。隕石の落下によって生じた津波と粉塵のあとをユカタン半島やキューバで発掘し解明する。それまでの生態系を破壊してしまうほどの隕石のインパクト、にもかかわらず、その直後から始まる新しい生命の営み、etc.を調べ、考える − なんて、夢のある学問ですね。 松井孝典『地球学』(ウェッジ、1998)の世界。



190. Re: complex/composite/compound  Jizo  2001/03/10 (土) 16:46
サイトの主様、はじめまして、よろしくお願いします。

私も複雑系に魅了された人間の一人です(苦笑)。非線型の力学(という概念)は、ある意味、歴史の叙述と整合的だと思います。
 ただ、複雑系(ここではカオス理論で代表)と歴史は、決定的に異なる部分があるとも感じています。

カオス理論では、実際の事象がどんなに複雑であっても、(それが非線型の方程式である限り)一定の法則にしたがった結果が導かれると考えます。ただし、導かれる結果は可変的です。
 これまでの科学は、事象をできる限り単純化し(還元型の研究)、線形の方程式をみつけることを目標としてきました。しかし、それでは現実社会の事象は説明できない。そこで、複雑な要因が絡む事象を複雑なまま説明しようとする試みが(経済学から)はじまりました。
 自由主義(いかにもアメリカ)の経済は常に均衡するのか、それともカオス(混沌)が支配するのか?これほど複雑な社会が、常に混沌としているのではなく、どちらかというと安定してみえるのはなぜなのか?という問いがそこにあります。
 事象はいっけん、複雑な要素の結合であり、一つの理論では説明不可能であるようにみえる。しかし、混沌とした複雑な事象でも、非線型の方程式なら解くことができる。実は混沌のなかにも一定のパターンをみることができるのであって、そのパターンを分析すれば、混沌から秩序への収斂がみえてくる。しかし、導かれる結果は(非線型で)常に一定しない(不確実性をもつ)。一つの非線型方程式に対する複数の結果、秩序と混沌、というのが複雑系のキーターム。ということだと思います。こういった理論は数学によって証明され、説得力を高められます。

以上と歴史を比較すると、多数の複雑な要素のなかからより重要な要素を発見し、過去から現在に至る傾向を整合的に説明する、という面で、非常に似ていると思います(決定的に違う部分もあるのですが)。この点で複雑系の発展が楽しみです。
 けれども、複雑系の思想・哲学には(残念ながら)歴史ほどの深みはありません(複雑系に現代社会になぜ歴史の理解が必要なのか?という問題意識がない以上当然のことだと思いますが)。
 やっぱり異なる学問だなあ、という印象もぬぐいがたいものがあります。

まだまだ書き足りない部分もあるのですが、このへんで失礼します。
長文失礼いたしました。
ご意見ご感想、お待ちしております(ぜひお願いします)。



185. ZeelandとSjaelland Gustav [URL]  2001/02/08 (木) 20:10
主さま、年度末でお忙しいところコメントありがとうございます。

> そのデンマーク側の島は地図をみるとZealandと呼ばれているようですが、これでは近世の人々はオランダのZeelandとどう区別していたのだろう。発音がぜんぜん似てないのかな?

英語でZealandと表記される島は、デンマーク語ではSjaellandであり無理矢理日本語表記すれば「シェラン島」、デンマーク史を考える際にその役割を忘れることのできないドイツ語ではSeelandであり「ゼーラント島」と呼ばれています。(研究社リーダーズ英語辞書の発音をみると、確かに英語表記によるZealandとZeelandは同じ音になっています。)

> New Zealand を発見したとされる Tasman は、まさかデンマーク人でなくオランダ人ですよね?

さすがにタスマンはオランダ人であって、デンマーク人ではありません。彼の出身は、オランダでも北東端に位置するGroningen州のLutjegastというところだそうですが、面白いのは問題のZeeland州が地理的にGroningenの正反対の南西端にあることです。ここで一つの疑問・・・なぜZeelandの名前をとったのだろう?でも、もし彼がデンマーク人だったとして、現在のNew Zealandが「ニーシェラン」なんてデンマーク語風に呼ばれていたらなんだか珍妙な気がします。そして第二の疑問・・・もともとオランダ語でNieuw Zeelandと名付けられた地域が、なぜ英訳された際にNew Zeelandではなく、New Zealandになってしまったのか。確かにこれでは主さまのような疑問がでてくるのは無理もありませんが、ぼくはそこまでの理由はわかりません。

> これはオイオイオイとでも発音するのかな?

そうです。スウェーデン語の場合には、しかるときにつかわれるというよりは、思いがけなくなにかが起きた場合にとっさにでてくる間投詞的用法です。



184. complex/composite/compound  サイトの主  2001/02/08 (木) 19:22
 来る5月の西洋史学会大会で〈近世の政治社会〉という小シンポジウムをもちます。もちろん研究史豊富な分野ですが、すこし補助的な議論の支柱(理論?というよりインスピレーションの素)が欲しくて、複雑系(complexity system)の会合の末席を汚したら、分からないながらもじつに高揚しました。理工系の先端の人々も problems of organized complexity に取り組んで非線形の構成をめぐって口角泡をとばしているんだな。 一知半解ながら、
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/seisomogo.htm
に記します。合原一幸氏の関連サイトも。



183. Re^6: ワインとEU サイトの主  2001/02/08 (木) 19:08
> エアスン(オレスン)海峡を望むヘルシンボリとエルシノア(ここはデンマーク王権が海峡通行税を徴収した場所ですが)を訪れた‥‥
そのデンマーク側の島は地図をみるとZealandと呼ばれているようですが、これでは近世の人々はオランダのZeelandとどう区別していたのだろう。発音がぜんぜん似てないのかな?
New Zealand を発見したとされる Tasman は、まさかデンマーク人でなくオランダ人ですよね?

> こういうことを言われたときにスウェーデン人は"Oj,oj,oj..."

これはオイオイオイとでも発音するのかな?
英語でも母親が子をしかるときなど Oi, Oi, Oi と言っていました。



182. Re^5: ワインとEU Gustav [URL]  2001/01/29 (月) 21:33
> 90年代以来イギリスのインテリ・中産階級がヨーロッパ統合賛成なのは、良いワインを安く飲みたいから、というのはなんども繰り返したコメントで、Gustav王の耳にも達していたかと思います。

はい。このことについて面白い体験をしました。一昨日狭義のエアスン(オレスン)海峡を望むヘルシンボリとエルシノア(ここはデンマーク王権が海峡通行税を徴収した場所ですが)を訪れたのですが、かつてのバルト海と大西洋を結ぶ航路上の要地は、今やコペンハーゲンとマルメとの間に橋がかかったこともあり実にひっそりとしていました。ましてやEU統合の進む今日にあって両者の間に引かれている国境線の意味も、単なる地図上のものでしかなくなってきています。エルシノアは対岸に住むスウェーデン人相手の酒類販売で成り立っていましたが(部外者の目に映る最初の印象はなんと酒屋の多いことか!ということでしょう)、今やスウェーデンでの酒類の販売価格も大幅に低下したために、かつてはデンマークを訪れるスウェーデン人の典型だった酒を大量に買い込む姿もそれほど見られなくなったようです。(一方かつてはバルト海と大西洋を行き交う旅行者が一時宿泊のために訪れたヘルシンボリの高級ホテルの数々も今はひっそりとしたたたずまいを残すだけ。北欧随一のルネサンス様式建築と言われるクロンボー城(かの"Hamlet"の舞台としても知られる・・・)がすすけてみせる物憂げな表情は、この地の今の姿を的確に物語っているように思いました。)

> でも、Gustav王夫妻は牡蠣も鮨も納豆もない食卓でシャブリ grand cru を飲するとは、ちょっと銘酒の安さに淫しているのでは?

こういうことを言われたときにスウェーデン人は"Oj,oj,oj..."と反応します(笑)。そんなことはありません(笑)。私どももシャブリをこちらで一滴も飲んだことはありません。もっぱら日本円にして600円程度の種類豊富なワインを一つ一つ試しているといった感じです。ほぼ毎週末のペース(!)でスウェーデン人宅におうかがいするときにも、その程度のワインしか持っていきませんし、その程度のワインしかおよばれになりません。スウェーデンに来てからというもの知的にはどん欲でも、酒に関しては禁欲的な生活となっております・・・一応念のため(笑)。