朝日百科『世界の歴史』99〈働く女たち〉
コラム
1990年10月21日
「女房売ります」
2000.1.28 登載

  女房を売る、とは穏やかでないが、これは18、19世紀イギリスの民衆各層に見られた慣習で、次のような一種の式次第に添って行なわれた。事前に通知し、所は公共の市場=町の広場に設定、当の女房は、首か胴を家畜のように綱でつながれてセリ師(たいていは夫)に連れられて登場、公開のセリを行ない、セリおとした買い手に綱が手渡され、祝宴をはって終わる、というように。

  多くの史料のうち、1832年ころロンドンで売られた一枚のビラを読んでみよう(図1)。ビラといっても、一種のカワラ版 FOCUS、FRIDAYのようなもの。耳目をひく事件を報じ、挿絵や唄をふして安い値で売られていた。−−

 <<朝早く市場に若い夫婦がやって来た。奥さんの服装はきれいで清らか、頬はバラ色、目はパッチリ魅力的。市場にいた者はみんな、まわりに集まってきた。彼女はこれから売りに出されるのだった。
 さて亭主の言うことにゃ、「さぁさ皆さん、こりゃあメッタにないお買い得のバーゲンだよ。ここに控えますは私のかわいい優しい女房。一生一緒でいてくれる男なら、どんなことでもして尽くしますってんだ。さあ肉屋さん、いくら出すかね」
 「ああ、彼女は見てるだけでわっしの真心を魅惑するわさ」と肉屋。「始め値に17シルはどうかね」 「そんじゃあんまりだ。おいら、お客の靴もって伯父ちゃんとこまで大急ぎで一走りしてくる。3シル上乗せだよ」というのは靴屋のスノビ。「ねえねえ」と声をかけるのは、ヴァイオリン弾きのフリスクと床屋のフリッツ。「俺たち二人共同で買って分けたいんだが。一人2シルづつ上乗せするよ[合計24シル]」 「どいたどいた、アホウども」と出てきたのは粉屋。「わしのかわい子ちゃんには50シル出すぞ。さぁさ、わしの馴染みの馬に乗って、製粉所まで一緒に帰ろ」(中略)

  農場経営者、ロウソク屋、パン屋、ペンキ屋とセリ上げて、値が3ポンド19シルになったところで騒ぎを聞きつけたのは伊達者の居酒屋。大急ぎで跳び出して、その場で15ポンドを支払ってセリ落し、皆の衆を一亭に連れていった。そこでたんまりご馳走をふるまい、ワイン12本を空にした。そして幸せな二人は馬車に乗り、喜んで出立したとさ。>>

  15ポンド[300 シル]とは、当時のまじめな熟練職人の収入で3、4ヵ月分にあたる。 英文学に親しい人なら、トマス・ハーディ(Thomas Hardy)の『カースタブリッジの市長』(1886年刊)が連想されるだろう。この小説は、失意の干草づくり労働者、ヘンチャードが泥酔して女房を売ってしまう話から始まる。この妻は乳児と一緒、セリ落としたのは水夫で5ギニ[105 シル]だった。ハーディは執筆の準備中に、19世紀前半の新聞記事や民間伝承収集家の記録などをよく研究したようで、この5ギニは根拠のない値ではない。図1の頬はバラ色の女性の約3分の1、図2の悪妻の約5倍である。

  こうした女房売りとはいったい何だったのだろう。女性を牛馬か物品のようにセリにかける、男尊女卑の野蛮行為か。

  最近の歴史学のめざましい成果のうち、民衆儀礼の研究によると、これは両性の合意に基づく婚姻関係移動の儀礼で、離婚式と再婚式を一気にやってしまうパフォーマンスだった。夫婦の関係はすでに壊れていて、「売り」は妻の同意のもとに行なわれた。公開のセリといっても、あらすじと女房を買いとる男は決まっていて、彼女の愛人ということも多い。それを大勢の男の協力(友情出演)で演技たっぷり、街頭演劇として演じたのだ。夫は妻の心を失ったという恥を、気前のよいジェスチャによって隠すことができた。彼は教会の鐘を鳴らすよう手配したり、新しい夫婦のために車馬代を払うとか、食事か衣装の贈物をするということもあった。

  既婚の女性が不倫の恋を貫いて夫とわかれ、愛人と一緒に生活したいと思えば、駆け落ちという手段があったはずだ。それなのに、どうして私事を人々の前にさらしたのか。この女房売りには、イギリスの勤労民衆の夫婦観の一面がよく出ている。離婚=再婚を承認するために、公衆の面前で屈辱的な儀礼が演じられたということは、つまり、夫婦関係が軽んじられていなかった証なのだ。夫婦の組合せは当人たちだけで勝手に替えてはならない。人々の記憶に刻みこまれるように印象的な事件として演じられ、承認されなくてはならない、ということであった。 
  

(近藤 和彦)


  → より詳しくは、『民のモラル』第1章
  → お蔵