宝物 その9   (2012年2月)

著者写真
東京大学図書館のなかの「柳田国男」
──全集編集を通じて
佐藤 健二
( 【行動文化学科】社会学専修課程 ;
【社会文化研究専攻】社会学専門分野 ;
【文化資源学研究専攻】形態資料学専門分野 )

思いがけず日本近代史の鈴木淳さんから、面倒なバトンを渡された。また依頼者が読書史の研究でおつきあいの深い文学部図書チーム主査なので、これまた断れない。文学部・人文社会系研究科の所蔵書から何を取り上げようか。なんだか「宝探し」の対応力やセンスを試されているようにも思えて、さてさて、と悩んでいるうちに年が明けてしまった。

迷ったあげく、この十数年か全集編纂を通じて付き合ってきた「柳田国男」を素材にすることにした。文学部が講義として出している「書誌学」を本格的には学んだことがない社会学者の蛮勇ではあるが、柳田国男の著作を中心に、文学部と東京大学の図書館の蓄積をいくつかの切り口で取り上げてみたい。


東京大学全体での所蔵の分布  そもそも東京大学全体で、柳田国男の単行本類をどのくらい所蔵しているのか。



試みにごく簡単に数えてみたのが、表である。世の中は便利になったもので、OPACの機能を使って、そういうデータ分析が手軽にできる。詳細検索の著者名に「柳田国男」を入れると、だいたい350件前後の文献名がリストアップされた。それだけでは総計の数字一つで終わってしまうので、これを所蔵図書館に分けて、所蔵数の多い部局順に並べ変えてみると、わが文学部は総合図書館・駒場図書館に次いで第3位。まあまあ、健闘している。

これに発行年代別のまなざしを加えて、いわゆる「クロス表」を作ってみると、やや違った見え方が浮かび上がってくる。昭和10(1935)年以前の著作の所蔵では、文学部は経済学部や農学部に及ばない。昭和10年というと、創元選書が始まる前(シリーズ最初の一冊『昔話と文学』は昭和13年12月の刊行である)でもあり、また「民間伝承の会」での民俗学や郷土研究が本格的に組織化され注目される以前なので、柳田国男が文化の研究者として一般の読書人に知られる前である。

さらに明治大正期のものの各図書館での所蔵状況をチェックしてみると、文学部にはほとんど所蔵されていない。文学部の研究室としての蔵書という水準でみると、柳田国男に早くから注目してきたとは、どうもいいにくい。


個人蔵書を経ての収蔵  あらためて調べてみて、柳田の初期の著作で文学部図書館が所蔵しているのは、田山花袋との共編・校訂になる『近世奇談全集』(博文館、1903)だけだという事実に気づいた。国語研究室の「松村文庫」にあることから、松村明名誉教授の蔵書から加えられたものであろう。
遠野物語表紙

興味深いことに東京大学全体でも、ユニークな民俗文化研究として後に評価されるようになる先駆的な著作は、個人蔵書を経て東京大学に収蔵されている。表をみてもらうとわかるように、民間宗教研究でもある『石神問答』(聚精堂、1910)など初期著作の3冊を、東京大学はいずれも所蔵しているが、50部しか印刷されなかったという『後狩詞記』(柳田国男、1909)は森鴎外への献呈本であり、350部の印刷でそれぞれ限定の番号を筆で柳田自身が記入して配布した『遠野物語』(柳田国男、1910)は徳川頼倫の南葵文庫に収められている。この二冊が基本的に柳田国男自身の私刊本であることも、こうした収蔵の特質とつながっているのだろう。


農政学者柳田国男の著作群  その一方で、農学部と経済学部とが『最新産業組合通解』(大日本実業学会、1902)をはじめ農政官僚としてまとめた若き日の成果の多くを所蔵していることも、表からわかる。驚くことではない。この事実それ自体が、柳田国男が「農政学者」として世に受け止められていたことと対応している。むしろ意外なのは、『山島民譚集』(甲寅叢書刊行所、1914)以降の「赤子塚」分析や「おとら狐」や暴れ御輿の「祭礼」を論じた書物まで経済学部が受け入れ続けたことのほうである。誰の選球眼かはわからないが、一方で当時の経済学の幅の広さをも暗示している。

さて小さなことであるが、奥付のないいくつかの特殊な書物の刊行年の判断について、図書館が掲載している書誌情報と異なる意見を持っているので、ついでながら論じておこう。

中央大学刊行の『農業政策学』の発行年は、「[1903年?]」と括弧記号付きで示され、推定であることと不明確であることを伝えている。これは『定本柳田国男集』第28巻の「あとがき」が、「「農業政策学」は明治三十五年から三十六年にかけて、専修大学講義録として執筆したものである」と述べたことを根拠としたものかもしれない。その意味では、整理にあたった図書館職員はよく調べているとも思う。しかし、現実には「専修大学講義録」と称されるものはまだ実物が見つかっておらず、農学部所蔵の中央大学のほうの講義録との関係も不明である。また「執筆」とあって「刊行」と書いていないのも、細かいことだが気にかかる。あるいは公刊されなかったのかもしれない。

さらに中身を検討してみると、無視できない明確な不整合にも気付く。なんと、この『農業政策学』は、本文中で明治38(1905)年11月刊行の河上肇『日本尊農論』(読売新聞日就社)を参照し、「明治三十八年の東北の飢饉」に言及し、「主税局年報」の「三十九年一月現在」の数字を引用している。そうなると、常識的に考えて明治36(1903)年に刊行されたものとはいえない。いわゆる「講義録」は、書誌項目を確定しにくいたいへん特殊な刊行形態をとったので難しいのだが、柳田自身の年譜、さらに中央大学への出講記録等々から、おそらく明治41年度の講義録として、明治40(1907)年10月に配布されはじめ明治41年5月あたりに完結したものではないかと、私自身は推定している。その立場からは「[1908年?]」としたほうが実態にあい、5年ほど刊行年を動かすことになる。

『農政学』の「[1904年?]」という通信教育のテクストの発行年の推定も、それでよいかどうかは疑問である。『定本柳田国男集』第28巻「あとがき」のいささか雑ぱくな「明治三十五年から三十八年にかけて、毎次刊行されたものという」との情報からは、この推定は導き出されないので、おそらく『帝国図書館和漢書件名目録 第二編』(1909)を当時の担当者が参照したものではないかと思う。収録されている柳田国男講述『農政学』3冊のうち、もっとも刊行が早い「明治三六/三七(早稲田大学三十七年度政治経済科第一学年講義録ノ内)」という説明に依拠しての推定であろう。残念ながら、この明治37年度版の『農政学』は国会図書館からすでに失われていて、現在は現物を参照することができない。

私の調査では、この『農政学』には4種類ほどの違うバージョンがある。明治36年10月から配布され始めた最初の合本は179頁本で、その1年後に出されたであろう180頁本と、字詰め行組が変わった2種類の164頁本(明治39年度講義録)、164頁本(明治40年度講義録)である。農学部所蔵のものは180頁だというから、つまり明治38年度講義本にあたり、「[1905年?]」とすべきものだろう。

「?」印が付けられた不明確さの内側での解釈のちがいなので、別に現在の図書館の表示を批判するつもりはないが、カードには盛り込めない情報としてここで紹介しておく。


『南方二書』  東京大学はもうひとつ、たいへん珍しい柳田国男編集および刊行の書物を所蔵しているが、これについてはOPACの著者名検索の欄で「柳田国男」と入れても引っかからない。総合図書館が所蔵している『南方二書』である。

森鴎外旧蔵の書物で、NACSIS webcatで調べると、国内の大学図書館ではあと京都大学の河上肇文庫にあるだけである。明治44年8月に南方熊楠が書いた東京帝国大学理科大学の松村任三教授宛の書簡二通を活版に組んだもので、内容は当時の神社合祀政策に反対する意見書。図書館は刊行年について「[1911]」と正しく推定したが、著者名として「南方熊楠」の情報を採っただけで、巻末の識語をあらためて書いた編者が存在することまでは想定せず、「[出版地、出版者不明]」にとどめた。

書簡集等からわかってきたように『南方二書』は、柳田国男が東京の秀英舎に注文して刷らせたものであった。なるほどその形式は書簡ではあるが、松村宛に直接に投函されたものではなく、柳田国男に「一覧ヲ経テ貴方〔松村任三〕ヘ御廻シ申上候」と南方から託された。手書きでは読みにくく、文章も例の南方一流の複雑さがあるため、柳田の「独断を以て之を印刷に付し謄写に代え」たという形で少部数の複製が作られ、世に出された。

飯倉照平編『柳田国男南方熊楠往復書簡集』(平凡社、1976)の明治44年9月15日付の南方宛書簡で、柳田は「過日の書留の二長文は自分はたしかに拝見、かつ松村氏等の手にこのままわたせばよくも読まずに仕舞つて置くならんと想像すべき理由ありしゆえ、秀英舎が近ければあれを二、三十部活版に付し、二、三日のうちに自分知れる限りのやや気概ある徒に見せることにいたし候」と書いている。現実には30部よりもすこし多く、50部ていどが印刷されたことも、原書簡の近年の研究で明らかにされている。


エフェメラの効用  『柳田国男全集』編集のなかで、私があらためて実感したことの一つに、図書館ではあまり収蔵してくれていない資料の重要性と、それを探し出すことの困難がある。図書館学でいうエフェメラ(ephemera)の領域である。もともとは「一日限りのもの」や「短命なもの」の意味でギリシア語に由来し、あまり長く世に流通しないチラシやリーフレットや一枚刷といったジャンルの総称として使われている。内容見本なども、推薦文として直接に文章を寄せている場合だけでなく、書物やシリーズの性格をとらえるためにも有効である。

挟み込みなど付録に近い資料を、図書館が丁寧に貼り付けて保存してくれている場合もあるが、その有無をカードや検索レベルで判断するのは無理である。東京大学では東洋文化研究所が「内容見本」をほんの少し登録しているだけで、ほとんど組織的には視野には入れられていない。webcatでみても、教育系のいくつかの大学などが多少登録に熱心かとも思われるが、それもたまたま目の前にある残存資料を処理せざるをえなかったからであろう。(もちろん、東京大学には法学部所属の明治新聞雑誌文庫という異色の成り立ちをもつ図書館があるので、まことに奥が深いのではあるが。)

というわけで図書館からは適切なものを探し出せなかったので、手元にある資料を例に、エフェメラに教えられた一つ二つを記しておこう。

たとえば、郷土研究社のいわばシリーズの広報のために出された『炉辺叢書解題』である。柳田国男編と表紙にあって、中身もその叢書の一冊一冊を、なんと柳田自身が内容を紹介し、その見所を批評している。その点では、むしろ書評集としての『退読書歴』(書物展望社、1933)や『老読書歴』(実業之日本社、1950)に先行する一冊と位置づけてもよい。しかしながら、そう思ってwebcat等を調べても、名著出版がこの叢書を復刻したときに解説別冊として作成した大藤時彦編の『炉辺叢書解題集』(名著出版、1976)が検索画面に出て来るだけで、柳田自身が作った元版(3種類ありそうに思うが、私は内容の異なる2種類しか確認していない)は、残念ながら見つけにくい形で埋もれている。ただOPACで見ると、ひょっとすると駒場図書館の旧一高図書のなかに混じって、東京大学でもこれが所蔵されているようにも読めるのだが、一般注記等の内容がいまひとつわかりにくく、私も機会がなくて現物を確かめていない。

また同じ出版社が、おそらく昭和11(1936)年に刊行した『遠野物語 増補版 批評紹介集録』は、金田一京助や田山花袋、胡桃沢勘内、周作人など多くの読者の感想や新聞評などを編集している他に、今日でなら個人情報の問題で文句を付けられそうな「遠野物語直接購読者」リストまで付けている。内容的には特集雑誌のような趣きを有する配りものだが、これも図書館管理の対象外にとどまっている。

さらに朝日新聞社の『明治大正史』全5巻の予約募集の内容見本などは、『明治大正史世相編』(朝日新聞社、1931)の名で知られている社会史の一冊に関心をもつ私には、面白い資料であった。このシリーズの全体の企図と意欲とがわかると同時に、当時まだ執筆中であったと思われる第四巻『世相編』の一頁が見本組にされていて、それが実際に刊行された文章や章割りとまったく異なっていた。たぶん素材集めにおいて中道等・桜田勝徳が関与したという、失われた下書き稿のようなものの存在を傍証しているのであろう。

内容見本や挟み込みから論じられることも多いのだが、こうした資料はさすがの東京大学の図書館でも、組織的な保存はなされていない。


文学部学友会の『会報』  文学部図書館にない資料の話が長くなりすぎたので、最後に文学部にたいへん関連の深い資料に恩恵を受けた例を取り上げて、際限のない無駄話を締めようと思う。

文学部学友会が発行主体となって昭和2年度に創刊され、十数号出された『会報』(のちに『会誌』という名前になる)という逐次刊行物がある。本来であれば、文学部図書館に揃いで所蔵されていてよい資料だが、残念ながらまったく登録されていない。総合図書館に不完全な合冊が一部、安田講堂の大学史史料室の所蔵にしても重複と歯抜けで、完揃いにはほど遠い。いささか脱線するが、この資料は文学部の場合、諸研究室の書棚のかたすみか、開かずの段ボール箱の中に人知れず眠っている可能性も高い。もし見つけたら、ぜひ文学部図書館に寄贈してもらえるとよいのではないかと思っている。

この『会誌』第14号(昭和15年3月10日発行)[大学史史料室蔵]に、柳田国男の「ちから」という講演の内容の記録が掲載されている。昭和14(1939)年10月18日の午後3時から「37番教室」で行われた学友会の講演で、柳田は当時なお民俗学と民族学の違いがうまく理解されていないことを踏まえ、食物と力の認識を例にとって、文化研究の方法の特徴について説いている。定本の書誌からも漏れ、既存の年譜がその講演の存在すら記録していない資料で、今回の全集で初めて収録することができた。

どれだけ努力して調べても「全集」の編集に完璧などはありえないが、文学部図書館をはじめ東京大学のなかの書物の巨大な集積には、ずいぶんと現物の確認や関連資料の参照などを助けてもらった。しかも東京大学の懐は深く、すでに触れた農政学の初期著作だけでなく、柳田の若き日の旅と収集への熱中をうかがわせる文章が収録されている『絵葉書趣味』(日本葉書会、1906)[文化資源学研究室蔵]のような変わった文献も収蔵しているので、探索の楽しみは尽きない。

・・・宝物の話にはあまりならなかったけれど、開くべき扉はそこにある。
絵葉書趣味
絵葉書解説
書き手からのコメント

読んでくれたみなさん、もたもたと長くなってごめんなさい。しかも、あまり「お宝」の紹介にはならなかった。しか し、東大図書館には見方次第で「お宝」になりうるものがころがっているのは事実なので、じっくり書棚の間を散歩して下さい。

次回の登場人物
 次 のバトンは、諸般の事情がからまりあって、同じ社会学の赤川学准教授に受け取ってもらうことにした。赤川さんは、知る人ぞ知る、広い意味 での性科学文献の収集者であり、その徹底した実証主義で、独自の領域を開拓している。素材はすこし変わったものを取り上げたりもするが、 さばき方や料理の仕方は本格で、いつもどんな一皿になって出てくるのか、楽しみにしている。
c東京大学文学部・大学院人文社会系研究科