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総括班 研究活動報告<1998年度>


研究会・シンポジウム報告

 

1998年12月5日 北米中東学会(MESA)シカゴ大会Special Session
    「The Scope and Potential of Islamic Area Studies(イスラーム地域研究の可能性)」

 1998年12月5日(土)10:30〜12:30 MESA annual meeting で The Scope and Potential of Islamic Area Studies という題の Special session が開かれた。
 報告者と題目は下記の通り。
 各報告者は10分程度のペーパーを発表し、その後会場からの質問に答えた。討論は活発で、セッション終了後も個人的に議論が続いた。

題目および報告者報告(英文)

12050036s.gif (111940 バイト)

MESA ANNUAL MEETING IN CHICAGO SPECIAL SESSION
"The Scope and Potential of Islamic Area Studies"
December 5, 1998

Plans for MESA Workshop (December 3-6 1998; Chicago, USA)

Theme of Workshop
Scope and Potential of Islamic Area Studies
A five-year project entitled "Islamic Area Studies" was begun in April of 1997 in order to collect information and create a computerized information system which will deepen our understanding of the Islamic world. The project plans to do multidisciplinary research on Muslim societies in both Islamic and non-Islamic worlds, reflecting the fact that areas with close ties to Islam now encompass the world. Comparative area studies will be conducted in order to investigate each area as well as interregional problems. The scope and potential of this new field of Area Studies will be defined through discussions about research methods which emphasize comparative and historical analysis.

会場全景 Members Attending
    Tsugitaka SATO(佐藤 次高)(chairman)
    Masayuki AKAHORI(赤堀 雅幸)
    Akira USUKI(臼杵 陽)
    Yasushi KOSUGI(小杉 泰)
    Nariaki NAKAZATO(中里 成章)
    R.S. HUMPHREYS
   Fees will be sponsored by the IAS Project Management Unit.

Introductory Remarks by SATO Tsugitaka
1. New Elements of Islamic Area Studies
    *Islamic Area Studies Project (April1997-March 2002)
    *Combination of several regions with fixed boundaries tied together by Islam as a religion and a civilization which has expanded beyond the borders
2. What is Islamic Area Studies?
    *Importance of Muslim issues not only in the Middle East and Southeast Asia, but also in Central and South Asia, China, Europe, the United States and Africa
    *How to synthesize the results obtained from disciplinary research activites: historical approach and comparative study
3. The Purpose of Islamic Area Studies
    *to collect as much concrete information as possible related to Islam by conducting field research
    *to develop computer system applicable to area studies
    *to publish an Islamic Area Studies series in both Japanese and English

報告書】
Our Special Workshop in MESA
SATO Tsugitaka

  On 5th of December 1998, a session entitled The Scope and Potential of Islamic Area Studies, which was sponsored by Islamic Area Studies Project, was held in Chicago as a special workshop at the annual meeting of Middle East Studies Association of North America (MESA). Other than a chairperson (SATO Tsugitaka) and five panelists (AKAHORI Masayuki, KOSUGI Yasushi, USUKI Akira, NAKAZATO Nariaki, Stephen HUMPHREYS), about thirty scholars assembled at the workshop for two hours at Chicago Hilton and Towers.

  SATO, in his introductory remarks, explained that the project plans to do multidisciplinary research on Muslim societies in both Islamic and non-Islamic worlds. Particularly he stressed on the research methods which emphasize comparative and historical analysis in order to synthesize the results obtained from disciplinary research activities. AKAHORI introduced the achievements and the perspectives of Japanese anthropologists who have offered distinctive contributions both to the field of anthropology in general and to other disciplines within Middle Eastern studies. KOSUGI discussed the correlations between the Islamic revival movements and the formation of the Islamic world as we see it today, focusing on contemporary Islamic political ideas and movements in the Middle East and Africa. USUKI, after reflecting continuity and discontinuity of academic discourse in pre-War and post-War Japan, cited Palestinian identity as an important element of a new historiography in Japan. NAKAZATO enquired into some difficult problems which arose in South Asia when Muslims began to assert their political identity during the late colonial period. HUMPHREYS debates about an issue that although area studies has been severely criticized, historians have never found area studies troubling, because the same charges have been leveled at history since Descartes or even Aristotle.

  Following the presentations by five panelists, questions and answers were practiced about: "what is the intention of emphasizing historical approach in Islamic Area Studies ? "How is the present situation of using the Arabic material sources for Middle Eastern studies in Japan? How is the teaching system of Arabic language in Japanese universities? Whether or not scholars who are specialized in Islam as a religion are participating in the project? Certainly, we still do not have common methods among us to synthesize the results of disciplinary research activities. However, it may well be said that most of the participants really enjoyed the workshop and evaluated Islamic Area Studies as a new and important approach to better understanding of Islam as a religion and a civilization in the world.

 

f01.gif (930 バイト)1998年11月20日〜21日『マナール』発刊100周年記念国際シンポジウム「『マナール』誌とマナール派の人々」→報告書

  新プロ「イスラーム地域研究」1ーa 班・総括班の共催により、エジプトで発刊された『マナール』誌(1898ー1835)に関する国際シンポジウムを東京大学山上会館にて開催しました。

 

f01.gif (930 バイト)1998年10月14日 研究会「中東・アフリカの地域研究」(総括班・3班共催)

[日時]1998年10月14日
[場所]国立民族学博物館・地域研究企画交流センター
[報告]宮治 一雄(恵泉女子大学、第2班)"The Middle East Studies in Japan"(英語)
[概要]
「奴隷エリートの比較研究」ワークショップに参加した海外研究者を迎えて、上記の研究会を開催した。
宮治一雄の英語報告は、日本と中東の交渉史・研究史を簡潔にサーヴェイし、ディスカッサントである、Carl Petry(USA), Matthew Gordon(USA), Nasser Rabbat(USA),Ahmed Sikainga(USA), Fatima Harrak(Morocco), Sean Stilwell (Canada), John Philips (Hirosaki Univ.)からは、
    ・明治期の日本とエジプトの相互関係について、
    ・宗教としてのイスラームへの関心のあり方
    ・東アフリカ研究の位置
    ・イスラーム、中東、ムスリムの用語法の差異
などについて、質疑・討論が行われた。

 

f01.gif (930 バイト)1998年10月10-11日 国際ワークショップ「中東・アフリカにおける奴隷エリートの比較研究」(総括班・2班・6班共催)→報告書

 

f01.gif (930 バイト)1998年7月20日 全体集会「イスラームと地域:比較と連関」→報告書

当日のセッションにおける報告の概要、発言要旨を収録しています。

 

f01.gif (930 バイト)1998年6月27日 シンポジウム「グローバル化過程における開発と民主化」

[主催]上智大学大学院外国語学研究科地域研究専攻
[共催]文部省科学研究費補助金「イスラーム地域研究」プロジェクト
[日時]6月27日(土)10:30〜17:00
[場所]上智大学10号館講堂
[使用言語]英語、日本語(同時通訳)
[プログラム]

基調講演(司会:私市正年)
Dr.Themario Rivera(フィリピン、政治学者)、フィリピン大学
Dr.Hayder Ibrahim Ali(スーダン、社会科学者)、スーダン研究センター
Dr.Renate Brigitte Viertler(ブラジル、文化人類学者)、サン・パウロ大学教授
コメント(司会:三田千代子)
佐藤次高(イスラーム研究)、東京大学
松尾弌之(アメリカ研究)、上智大学

第2班のホームページに報告書が記載されています。ご覧ください。

 


パイロット研究関連海外派遣

徳増克己 海外渡航報告(1999年2月13日掲載)

目的:1940年代イランのコーカサス方面国境地域における少数民族の動向に関する史料・文献収集
渡航先:ロンドン
期間:1998年9月21日〜10月13日(14日帰国)

渡航先での活動概要

上記目的のため、外務省文書を保管している英国公文書館(PRO)やその他のロンドンの研究機関を訪問・利用する予定で、渡英した。

飛行機の運行時刻上の都合により、実際に仕事ができたのは、ロンドン到着の翌日(9月22日火曜日)から帰国の途につく前日(10月12日月曜日)までのちょうど3週間に限られた。この間、3度の日曜日を除き、与えられた諸条件のもとでは精一杯の研究活動を行なった。

報告者にとってロンドン渡航は1996年・1997年に続き都合3度目(前2回はいずれも私費によるもの)となったが、行くたびに円安ポンド高が進行しており−−ちなみに、今年の場合、9月下旬の時点で1ポンド=235円台であったが、帰国間際になってようやく1ポンド=202円台までの円高にふれた−−、支給された宿泊費・日当のみで満足のいく研究活動を行なうのは、資金的に非常に困難な状況であった。この資金面での厳しさは、専ら為替レートのみに由来するものではなく、もともとロンドンの物価は高いという事情に加えて、昨年と比べ、ポンド建てでもかなりの値上げがおこなわれていた、ということを付言しておく必要があるかと思われる。(ただし、地下鉄の運賃に限ってはほとんど変わっていない。)特に、宿泊費の高騰ぶりには目を見張るべきものがあり、昨年2月の時点で1泊あたり30ポンドしなかったB&B(パディントン駅付近、シャワーは共同)が、1泊35ポンドにもなっていた。

また、研究に要する費用も、円建てではもとよりポンド建てでも著しく増大した。

訪問先のひとつ、ロンドン大学SOASは、従来は年間5日以内に限って外来の研究者にも附属図書館を開放してきたことで知られていたが、今回行ってみると、英国の学生を除く外来の利用者に対し1日あたり6ポンドの利用料を求める、という新しいシステムが導入されていた。(ただし、セルフサービスの文献複写代は以前より多少安くなっていたようである。)このため、当初SOASには毎土曜日計3回通うつもりでいたが、英国公文書館(PRO)で目を通すべき文書が予想以上に見つかったこともあって、1度だけの訪問に切り替えた。

また、英国公文書館では、史料の電子複写代がA3サイズ1枚あたり40ペンス(当時の為替レートでは1枚あたり90円を優に超える)に値上げされており、あらかじめ覚悟していた以上に費用がかさむことになった。

こうした事情から、滞在中はPROに通って一枚でも多くの外交文書を読むことに専念することにした。

英国公文書館の利用

英国の外交文書は原則として文書作成後30年の後に公開される(内容によっては50年後公開になるものなどもある)ことになっており、現在はロンドン西郊の The Public Record Office (住所:Ruskin Avenue / Kew / Surrey / TW9 4DU; 最寄り駅:Kew Gardens; ホームページ:http://www.pro.gov.uk/ ) で、閲覧することができる。(なお、PROでは、この他にも、インド省文書などを除く、イングランド・ウェールズ・連合王国の主要な公文書が公開されている。)

PROの利用方法は以下の通り。(ただし、細部はしばしば変更される。)入館にあたっては、玄関ホールの入り口で利用証(バーコード付き)を職員に提示し、手荷物の検査を受ける。初めて利用する場合(あるいは利用証の期限が切れてしまった場合)には、受付で旅券などの身分証明書を提示し、利用目的などに関連した簡単な面接を受けると、利用証が発行してもらえる。左手に進んでいくとロッカー(コイン式のものは1ポンド硬貨が必要、使用後に戻ってくる)があり、閲覧室に持ち込めないものをすべてここに預けることになる。閲覧室に持ち込んでよいのは、パソコンと筆記用具(鉛筆・シャープペンおよびノートなどの紙は可、ペン・消しゴムは不可)だけであり、ロッカー室の先にある出入り口のカウンターで職員がチェックしている。備え付けのバーコード読取機に利用証を挟んだ上でカウンターの内側に入り2階(英国式では1階)にあがると、正面に参考資料室、左手に閲覧室があり、閲覧室の手前には初めて利用する人のための案内用ビデオをみるコーナーもある。閲覧室を利用する際には、まず同室のカウンターに行って、パソコンを使用するか否かを尋ねられた後、座席番号とそれに対応したポケベル(pagerと呼ばれる、以前はbleeperといった)とを与えられる。(前日から継続して利用する場合には、前日の座席番号を職員に伝える。)座席が決まったら、参考資料室に行き、文書のカタログをみて請求すべき一件書類の番号を調べる。(調べ方がわからない場合には、担当の職員に相談することができる。)次に、参考資料室内の請求用のコンピュータ端末に利用証のバーコードを認識させ、画面上の指示にしたがって、閲覧したい文書の番号を入力する。(最大3件まで。)ポケベルの呼出し音がなったら、閲覧室のカウンターへ行って、文書を受け取る。階下に食堂と洗面所があり、自由に利用できるが、いかなる場合(火災を含む)でも閲覧室から文書を持ちだすことは禁じられている。文書は傷みの激しいものでないかぎり、閲覧室内の複写カウンターで電子複写してもらうことができ、量が多い場合には、「後日受け渡し」の形にしてもらうこともできる。マイクロフィルムは注文してから受け取れるまでに一カ月程度はみておく必要があるが、郵便代を負担すれば、航空便で送ってもらうこともできる。すでに他の利用者がマイクロフィルム撮影を依頼済みの場合には、最低で送料込みで50ポンド弱ですむ(代金はフィルムの長さに比例する)が、誰も撮っていない文書のマイクロ化を依頼する場合には、個人で負担できる額には収まらないことも多い。なお、電子複写代・マイクロフィルム代ともクレジットカードによる支払いが可能である。

PROの開館日は、以前は週日のみであったが、現在は土曜日にも利用できるようになった。開館時間と文書の請求ができる時間帯は、それぞれ、1998年の場合、月・水・金は9:00-17:00と9:30-16:00、火曜日は10:00-19:00と10:00-16:30、木曜日は9:00-19:00と9:30-16:30、土曜日は9:30-17:00と9:30-14:30(ただし12:00-13:30は中断)、となっている。日曜日以外の休館日は年度によってかわるが、12月に休むことが多いようである。

英国外交文書活用の意義

報告者は、これまで、1940年代半ばのイランにおけるいわゆる「アゼルバイジャン自治共和国」に関連した研究に断続的に関わってきた。当初は、「現地主義」の立場からペルシャ語やアゼルバイジャン語の回顧録その他の文献を利用することを中心に考えていたが、利用することができる史料のうち、この時期の現地情勢を知るうえで最も信頼できそうな報告の第一は英国の外交官の報告であろうとの見通しを徐々に持つようになった。というのも、回顧録をはじめとする公刊を目的とした文献の類いは読者を一定の方向に誘導する意図を秘めている場合があり、著者それぞれにとって不利益・不名誉な事実は往々にして捨象されるなど、自己正当化の契機を孕んでいる場合が少なくないからであり、この点、外交文書(ここでは主に領事館や大使館の本国宛報告を念頭に置いている)は本国での意思決定の際の判断材料を提供することを主たる目的とするものであるので、多少とも重要と思われる出来事・情報は細大漏らさずなるべく公平な立場から報告しようとするはずである、と考えられるからである。特に、当時の英国にとって、国営のアングロ・イラニアン石油会社の利権があり、植民地インドの隣に位置し、第二次世界大戦中は対ソ支援ルートを成したイランには重大な関心を寄せていたはずであり、とすれば、情報収集にもかなり力を注いでいたはずである、と考えられるのである。また、1940年代の英国の外交文書を利用したイラン史の研究書としては、既に、E. Abrahamian、H. Ladjevardi、F. Azimi、L. Fawcett、T. Atabakiらの著作があり、それぞれがこの時期のイランについて貴重な情報を提供してくれる。報告者にとっては、その研究との関連上、英国の外交文書は是が非でも目を通すべき貴重な史料であり、また、その量の膨大さゆえに他の研究者が参照している一件書類であっても隈なく利用され尽くされているとは考えられない以上、閲覧作業は無駄にはなるまいとの判断に至ったのである。

今次の史料収集の成果

PROでの仕事は、1997年の渡航時の作業の続きを行なうことに終始した。(1941〜47年初頭のイラン領アゼルバイジャン地方のアゼルバイジャン人・クルド人・アルメニア人・ソ連人等の動向に関する情報の収集が中心。)

多くの研究者によって最もよく参照されるFO371(Foreign Office: General Correspondence: Political、外務省本省側の記録)については空き時間を利用して1906〜1947年までのイランの分のカタログのパソコンへの書写入力作業を終了し、他のカテゴリーのカタログの入力にも取りかかった。第二次世界大戦の影響もあってか、1940年代は文書の量が目立って多く、FO371の一件書類を例にとると、立憲革命期の1906年ではNo. 102〜114の13点であるのに対して、「アゼルバイジャン危機」のさなかの1946年ではNo. 52661〜52796の136点にまで膨れ上がっている。(個々の一件書類は、短いもので数枚、長いものでは600枚以上は優にあるが、たいていは100〜200枚程度である。)

報告者が実際に閲覧請求した文献は、FO371については1941〜44年の報告の一部(1945〜1947年の重要と思われる一件書類は以前に渡航した際に閲覧済み)、他のカテゴリーについては1944〜1947年の関心をそそられたものである。文書の大半はタイプ打ちの英文であるとはいえ、格闘すべき文書の量が膨大なため、依然と同様、一件書類内の個々の文書は、発信地・報告者・見出しを素早く一瞥し、重要と思われたもののうち、あまり長くないものはその場でパソコンに入力、長めの報告については電子複写を依頼することにした。また、タブリーズの領事館報告の一件書類については1943年分のマイクロフィルムを注文した。(他の年の分の領事報告は以前に注文済み。)

滞在期間中は−−特に10月に入ってから−−寒く、夕方5時に文書館の外に出ると吐く息が真っ白であったが、館内はまったく暖房が入らず、むしろ換気のために窓が開けられていたため、閲覧室も冷え冷えとしていて、毎日、夕方には指先がかじかんで入力作業の効率が落ちた。また、日中は食事の時間を除いてほぼずっと入力し続けているため、週の後半には特に左手の小指が痛くて入力の作業に差し支えるようになった。日程と体力と資金を考えると、ほぼ限界までやったと言えると思う。まるごと、マイクロフィルム化したかった一件書類が2点あったが、薄い方でも優に400ポンドはかかるだろうといわれて断念せざるを得なかったのが、心残りである。

今回閲覧した文書から受けた印象では、上述の研究者らの記述には、当人の思想傾向を反映してか、部分的に恣意的な引用・参照があるやに思われた。こうした点についても、ペルシャ語やアゼルバイジャン語文献とも照合しつつ、今後の研究を通じて明らかにしていきたいと思う。

SOASは今回は一度しか訪問する機会がなかったが、それでも貴重な文献数点の複写を持ち帰ることができた。新装なったBritish Libraryにも一度は行ってみたかったが、PROでの作業の進捗状況を見てあきらめた。

(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

 

酒井啓子 海外出張報告(1999年3月13日掲載)

パイロット研究「イスラーム世界における国境と国家形成問題研究プロジェクト:クルド民族、コーカサス諸民族の事例を中心とした比較研究」

目的:イラクにおけるクルド反体制活動の現状に関する聞き取り調査および資料収集
渡航先:カイロ(エジプト)、シリア(ダマスカス)
期間:1999年2月5日-2月27日

渡航先での活動概要

 今回の海外出張では、国外に活動拠点を置くイラク・クルド民族運動の諸組織に、その活動実態に関する聞き取り調査を行うため、カイロではPUK(クルディスタン愛国同盟)カイロ支部長に、ダマスカスではKDP(クルディスタン民主党)ダマスカス支部長、IMIK(イラククルディスタン・イスラーム運動)ダマスカス支部長、カーディヒー党党員などにインタビューを実施した。またこれら諸クルド組織が発行している機関誌、資料の収集、およびクルド問題に関する書籍の収集を行った。

 特にカイロでは、カイロ国際書籍見本市が1月末から2月13日まで開催されており、エジプトの出版社・書店はむろん、レバノン、シリア、リビア、サウディアラビア、クウェイトなどの他のアラブ諸国の主要出版社が出展していた。そのため短期間で多種多様な資料を一カ所で入手することができた。また1998年5月にカイロで開催された「クルド民族とアラブ民族の対話」シンポジウムで各界から提出された報告書を、某出版社を通じて入手することができた。

 ダマスカスには、イラク反体制派のほとんどが支部を置いている。今回の訪問では主としてクルド諸勢力に対して聞き取りを行ったが、同時にダアワ党、SCIRI(イラク・イスラーム革命最高評議会)、イスラーム行動組織などのイスラーム諸政党、バアス党、イラク共産党など活動史の長い反政府諸組織に対するインタビューを行うことができた。特に、昨年秋にアメリカにおいて「イラク解放法」が成立し、以降米政府が積極的にイラク反体制派を支援する体制を強化しているが、そうした現状のなかで、諸反体制派がどのような対応をしているのか、という点が注目されたため、その点についてもヒアリングを行った。

 さらにクルド諸政党については、訪問期間中にクルディスタン労働者党(PKK)のオジャランが逮捕されるという展開が見られたため、そのことがイラク・クルド社会およびクルド政治運動にいかなる影響を与えているのか、といった点についても、インタビューを行った。

聞き取り調査内容概略

 各種聞き取り調査を行った結果では、米国の反体制派支援政策について積極的な評価をしている組織は少なく、今回訪問しなかったロンドン拠点の反政府組織(イラク国民会議など)がメディアを通じて積極的な評価を表明している以外は、むしろ「米国の支援政策はイラク反体制派を分断する結果をもたらす」として反発している。特に米国支援策の対象から外れたダアワ党やイラク共産党は、この米国の政策に対する非難を強め、イラクにおける政権転覆は国内から行われるものでなければならない、と主張している。支援対象としてあげられたSCIRIやPUKおよびKDPのクルド勢力も、米国が反フセイン政権というスタンスを明確にしたことについては評価・期待しつつ、米国の金銭的援助を通じた内政干渉を拒否する、といった姿勢を取っている。実際米国の政策に対する評価はKDPとPUKでも分かれており、特にPUKは米国政府の上記のごときスタンスが単なる議会対策に過ぎず、具体的なフセイン政権転覆方策を未だ持ち得ていない、という認識を示していた。米国の反体制派支援の核となるべきクルド両党(PUK、KDP)の和解・協力体制の現状については、両党ともに自治政府昨日の回復過程が遅々として進んでいないことを認めている。昨年9月のワシントンでの両者合意に基づけば、99年1月1日には暫定議会第一回会議を招集し、4月1日には暫定政府が選挙実施計画をまとめ、自治政府選挙は7月1日に実施されるはずであるが、暫定議会会議はまだ一切召集されておらず、党首間会談が数回行われたに過ぎない、とのことで、両党とも今年7月の選挙はまず不可能、秋以降にずれ込む見通し、と述べている。ところで、オジャラン逮捕を巡るイラク・クルド勢力の反応は、従来PUKがPKKと協力関係にあったことから、特にPUK側に動揺が強く、スライマニヤで大規模なデモを組織するなどしている。一方KDPは、これまでトルコ政府と協力してPKK掃討作戦を行ってきたとはいえ、「トルコ政府に公正な判断を求める」として、各国クルド社会にオジャラン事件が引き起こした動揺を踏まえて、慎重な姿勢を取っている。

 イラク反体制派に対するインタビューで興味をひいたのは、最近のイスラーム諸勢力の活動拠点の多様化、テヘラン支部への過重依存を見直そうとする姿勢であった。ダアワ党は、昨年来問題となっていたテヘラン支部アースィフィー師とロンドン支部の対立問題について、まさに出張者のシリア滞在中にテヘランで意見調整会議を開いていた。同党のこの問題についての説明は、従来に比較してアースィフィー師の党における役割を過小評価するような形を取っていたこと、アースィフィー師の主張に追随する党員が極めて少数であることをことさらに強調したものであったことが注目された。またSCIRIは、近年クウェイトを中心とした湾岸アラブ諸国への歴訪を繰り返しており、そのことを「活動拠点の多様化による対外依存の軽減」と見なしている。

(アジア経済研究所研究企画部 研究事業開発課)