イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

OPENING SESSION

富樫茂


(上智大学大学院外国語学研究科)


 2001年10月5日から10月8日にかけて、木更津のかずさアークにてThe Dynamism of Muslim Societies-Toward New Horizons in Islamic Area Studiesという国際会議が開催された。私は10月5日に実施されたOpening Lecturesを担当した。Opening Lecturesでは、Abdul-Kalim RAFEQ(College of Milliam and Mary in Verginia, USA)氏と杉田英明(東京大学)氏が発表した。このOpening Lecturesは、午後2時半から開催され、Abdul-Kalim RAFEQ氏は英語で発表し、杉田英明氏は日本語で発表した。

 Rafeq氏はThe Interpretation and Periodization of Modern Arab Historyという題目で発表した。Rafeq氏の発表は、主にシリアを中心とするオスマン朝期からのアラブ世界に関する発表であった。オスマン朝期における「シリア」の範疇は現在のそれよりも広大であり、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ(イスラエル並びにその占領地)であることに留意したい。また、現在のシリアでの高等教育においては「シリア史」という概念はなく、シリア史はアラブ史の一部分としてみなされることが特徴であるとRafeq氏は指摘した。その背景には、現在のマシュリクである、シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ(イスラエル並びにその占領地)の間に引かれている国境線は、全て第一次世界大戦後に英仏など「列強」によって一方的に決定されたものであり、現地に居住している者の意識や意向を反映したものであるとは考えられないからであると思われる。

 Rafeq氏の発表において、アラブ近代史やアラブ現代史の始点ならびに終点に関する議論もなされた。その時点をいつにするかはともかく、オスマン朝が支配していた時代のアラブ世界の歴史を「重要性が低い」とのことで「ほとんど無視している」としているが、その背景は何であるかを検討することには一理あると思われる。また、アラブ近代史を、トルコ系であるオスマン朝の政治的動向に基づいて区分することに、アラブ人ならびにアラブ系研究者らは抵抗ないし違和感を感じないのかを検討する余地があると思われる。しかし、Rafeq氏はオスマン朝によるアラブ世界の支配は、確かに非アラブによるアラブ世界に対する支配ではある。けれども、イスラーム主義者らはオスマン朝による支配はイスラーム的支配の延長であり、かつエジプトやシリアなどオスマン朝の支配下に入った地域をヨーロッパの支配下に入ることから救出したという点をRafeq氏は指摘した。さらにRafeq氏は、オスマン朝史をアナトリアにおける成立時からバルカン半島その他への領土拡大、サファヴィー朝など近隣諸国との抗争、またイェニチェリ軍団などにも言及するなど、政治史や近隣諸国との対外抗争史を中心とする報告をした。

 また、Rafeq氏は研究対象をミクロな研究にするか、それともマクロな研究にするか、研究者の視点も問題とした。オスマン朝はその版図がアジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがっていたため、オスマン朝支配下にあった地方の比較研究に関して一考している。まさに、その比較研究において、例えば当時シリアとされた地域内部における差異を有したのか否かが問題となろう。また、比較研究というと、Rafeq氏はオスマン朝の広大な版図を考慮してか同時代における異なる地域を比較する「ヨコ」の比較を提唱しているが、私は当時と現代のシリアの比較ならびにその変遷のように、同一地域における異なる時代を比較する「タテ」の比較を為しても興味深いのではないかと思う。

 Rafeq氏は現在はレバノンとされている地域における宗派間の抗争に関しても一考している。例えば、現在においてもマロン派やドルーズ派など様々な宗教ないし宗派が混在しているレバノンにおいて、ヨーロッパとの交易によって資産を形成してきたマロン派はフランスの支援を受け、それに対立するイギリスはドルーズ派やユダヤ教徒らを味方にひきつけようとした。このレバノンにおける様々な宗派間の抗争に関しては、20世紀においてもレバノン内戦の主たる原因となったため、今後のレバノンならびにその周辺諸国の政治や国際関係を分析する際にも、必須となる歴史的背景であろうと思われる。

 オスマン朝の末期ないし滅亡ならびに同時代におけるアラブ世界の動向に関してもRafeq氏は言及し考察をし、オスマン朝が400年にもわたってアラブ世界を支配した意義に関して言及した。それによると、アラブ民族主義者らはオスマン朝のアラブ世界の支配に対して「暗黒時代」と称するように、イスラーム世界の中心都市がイスラームの誕生以来はじめて非アラブ世界すなわちイスタンブールに移ってしまったことなどを指摘し、概して否定的な見解を主張する。しかし、オスマン主義者やアラブではあってもイスラーム主義者らは、オスマン朝によるアラブ世界の支配に対して肯定的な評価を下している。彼らはアラブやトルコなど固有の民族意識よりも、イスラームという同一の宗教を信仰するものとしてのアイデンティティを重視していることに基づいていると考えられる。

 最後にRafeq氏はアラブ世界におけるエジプトの重要性について言及し、「エジプトは、過去においてもまた現在においてもアラブ世界におけるアラブ研究の主要な中心地」としている。特にカイロは、エジプトだけでなくアラブ世界最大の人口を誇るアラブ世界、中東世界の中心地であると思われる。このRafeq氏による発表は、前近代から現代に至るまでのオスマン朝史を中心とするアラブ世界に関する発表であり非常に有益な報告であった。

 2人目の発表者である杉田英明氏は「日本と中東―その出会いの歴史」という題目で発表した。杉田氏の発表は、日本国内において「中東」の影響を受けたものに関する報告であった。その報告で特徴的であると思われる事は、東大寺正倉院や法隆寺など伝統的な建築だけではなく、現代の建築や広告などに至るまで考察の対象にしたことである。また、杉田氏の発表は主に有形で可視的なものを考察の対象とし、口述ならびにレジュメによる発表だけではなく、スライドやビデオを効果的に活用し、視覚によっても理解しやすいようにする努力が見られる発表であった。

 日本には中東や中央アジアなどの影響を受けた絵画その他が古来から存在していた。パフラヴィー語やソグド語の影響を受けたものや、『シャーナーメ』の影響を受けたものが存在していたものが、日本の寺院に影響を残していることに言及した。

 安土桃山時代において「南蛮」から日本に流入した文化は、ポルトガルやスペインなどのキリスト教世界、特にカトリック世界からキリスト教の布教を目的としてキリスト教の宣教師らによって流入した。しかし、彼らが日本に流布させた南蛮文化は純粋なキリスト教文化ではない。イベリア半島においては、キリスト教徒が「レコンキスタ」と称して1492年までに当地を占領するまでは、長年にわたってユダヤ教徒も活躍したイスラーム世界であった。そのため、現在日本に残存している南蛮文化は、駱駝やアラビア馬、モスクのドームを意識した時計など中東やイスラームの強い影響を有していることに言及した。

 また、杉田氏は当時の日本人が19世紀から20世紀前半にかけて、カイロやイスタンブールなど中東に旅し、その記録を絵画などの形によって残したことに言及した。しかし、徳富蘆花らが宗教的理由によってエルサレムに巡礼の旅をしたように、高島祐啓、石井柏亭、内藤秀因諸氏がなぜ中東に旅したのか、その思想的背景やインセンティヴに関しては一考に価すると思われる。また、杉田氏は日本における中東の影響を受けた建築として、モスクやインドの水塔に事例として言及した。杉田氏は日本に所在しているモスクなど中東の影響を受けた建築物は、例えばトルコ風とかエジプト風など中東における固有の国家や地域の影響を受けて建築されたことにも言及した。また、現代はモスクと称している建築物を、当時は回教寺院や回教礼拝堂と称していたことを指摘した。

 杉田氏は戦後の日本におけるシルクロードに関する関心の高まりにも言及した。特に各種広告などの動向を踏まえると、1980年代から1990年代前半にシルクロードに関する広告が増加し、シルクロードに対して関心が高まったようである。逆にいうと、1990年代後半になると、日本ではシルクロードに関する関心は停滞してきたのだろうか。確かに、バブル期から1990年代半ば頃までの日本は、シルクロードだけではなく「国際」的なことに関する関心が高まっていた時期であったという社会的背景に基づいているからであろうと思われる。

 日本においては、駱駝は「楽だ」というイメージが根強く、そのイメージを反映した音楽や広告などが以前から生じていたことを言及した。そのようなイメージが生じた背景は、数字の「四」は中国など世界的には縁起のよい数と思われているが、日本では日本語の「死」を連想させるため縁起の良くない数であると考えられるのと同様に、「駱駝」も「楽だ」も日本語では同じ発音をするからそのようなイメージを有するのか否かに関しては考察する意義を有すると思われる。また、何故駱駝は「形ばかり大きく役立たぬ動物」であるというイメージが形成されたのかは検討の余地を有すると思われる。砂漠のような長期にわたって食糧や水などを摂取することが困難である地域を移動する場合には、持久力を有する駱駝による移動が好ましい。すなわち、駱駝は遊牧社会においてはきわめて有益でありかつ実用的な動物であるというイメージが定着しなかった背景には、日本は駱駝を必要としない農耕社会であり、砂漠をさ迷う遊牧社会ではないことがあるのであろうか。

 杉田氏の発表は、現代の日本で見る事ができる、主に可視的で中東の影響を受けたモスクなど建築や絵画から現代の広告やシルクロード熱などに至るまで多様なことに関する非常に興味深い発表であった。

 Abdul-Kalim RAFEQ、杉田英明両氏による発表は、The Dynamism of Muslim Societies-Toward New Horizons in Islamic Area Studiesという国際会議のOpening Lecturesにふさわしい発表であり、今後開催されるレセプションや翌日から開始される各種セッションを期待させてくれる有意義で興味深いOpening Lecturesであった。


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