イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>


国際会議 「The Dynamism of Muslim Societies」で感じたこと考えたこと

亀谷 学(北海道大学大学院文学研究科)


 1997年に始まった「イスラーム地域研究」プロジェクトも、五年目の今年度をもって終了を迎えることとなった。今回開かれた国際会議「The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies」は、このプロジェクトにおける最後の大規模な会議であり、五年間の集大成として重要な意味を持つものである。
 今回、「イスラーム地域研究」プロジェクトの主要な目的にも挙げられている「若手研究者育成」の一環として、この会議の報告を、各大学の院生が担当することとなった。その中で、筆者の担当は会議全体の報告になったのであるが、全体報告に際して、以下のような制約があることをご了承いただきたい。第一に、全体報告とはいえ、複数のセッションが同時に行われるため、すべての発表を網羅することは不可能であり、筆者の興味関心によってある程度の偏りが生じてしまうことである。第二には、筆者は発表やそれに関連する質疑応答の内容について、できる限り正確を期したつもりではあるが、録音などの確実な復元手段を用意していなかったため、細部において多少の誤差が生じる可能性を否めないことである。
 さて筆者は今回の国際会議に参加するにあたって、この会議が持つ意義を次のように考えた。第一には、「地域研究を通してイスラームのダイナミズムを探る」という会議の主題を、どのように行うべきかということである。本会議において、当該地域に関する研究が欠かせないのは言うまでもないが、五年間という期間の集大成として、個別の地域研究を基礎とした、総合的な比較研究が必要となるのも事実である。この総合的な比較研究に関しては、さらに二つのアプローチが考えられる。一つは、オープニングディスカッションで佐藤次高氏が述べていたように、イスラームに関わる地域間での比較研究からのアプローチである。これは広義でのイスラーム世界内部における比較研究を通して、イスラーム的なダイナミズムを見出すものである。今一つは、イスラーム世界以外の文明世界における諸研究との比較検討によって、イスラーム世界特有のダイナミズムを見出すというアプローチである。前者のアプローチのみでは、それが本当にイスラームに固有のダイナミズムであるのか、あるいは人類史に普遍的なものであるのか、判断することができない。
 そして本会議における今一つの意義は、副題である「イスラーム研究のための新たな地平」から導き出されるべきであろう。それはこの五年間のプロジェクトを通して培われた成果が、日本の、そして世界のイスラーム研究になんらかの新たな地平を切り開けたのかどうかという視点である。
 筆者は、以上の二つの意義、そして比較研究における二つのアプローチを念頭において、本会議に臨んだのである。
 前置きが長くなってしまったが、以下、会議の報告と筆者がそれを通して考えたことを述べていきたいと思う。二日目から行われた本格的な発表の中で、筆者が参加したのは、セッション3"Ports, Merchants and Cross-cultural contacts"である。このセッションでは、「港」と「商人」というキーワードを通して、さまざまな文明間相互交流について多くの興味深い事例が報告された。
 セッション3の全報告終了後、ジェネラルディスカッションにおいて三浦徹氏から、バンダル・アッバースという港の類型について、「それは例外的なものであるのかどうか」という質問が提出された。それに対する羽田氏の回答の中には、「マルセイユや長崎の出島は中央政府から離れた土地であるにもかかわらず、中央政府からの統制が強い。バンダル・アッバースは中央政府からさほど距離がないにもかかわらず、統制の面において比較的自由である。この、ユーラシア大陸の中心部分と、両端に差があるという点は、非常に興味深い」という言葉があった。しかしこれは「フランスにも日本にも、自由な港がある一定時期には存在していた」という反論にあい、それ以上の深い議論はなされなかったのだが、筆者は非常に重要なサジェスチョンであると感じた。なぜならこの場合、イスラームの中心地域である中東に中央政府による統制の強い港が存在しなかったということは、それ自体が他の地域には無い特徴であり、イスラームのダイナミズムを解明する鍵であると考えられるからである。
 また、このセッションでは、比較研究をインスパイアするサジェスチョンが多くなされた。一例をあげるならば、藤田加代子氏が長崎の出島に関する発表を行った際、黒木英充氏が発表したアレッポにおける通訳(dragoman)の研究と関連させた、「オランダ人と日本人が協力して絹の密輸出を行おうとした際、通訳はどのような形態であったのか」という質問がなされた。「港」という様々な文化が交差する空間において、非常に大きな役割を持つ通訳という存在が、地域によってどのような差異をもって表れるかという問題は、比較研究に値する重要なテーマであろう。特に中東は、その地理的要因から様々な文化が交差する地域であるため、このような研究がイスラームのダイナミズムの解明に資する所は大きいであろう。また、バーバラ・W・アンダヤ氏の発表、"Creating an Islamic Port City in a Multi-cultural Environment: Melaka in the Fifteenth Century"においては、前イスラームの文化とイスラーム文化の相互作用に対する研究の重要性が強調されていた。いわゆる「イスラーム研究者」が見落としがちであるこの視点は、「港」の研究においてだけでなく、より広いテーマで検討されるべきものであろう。
 二日目と三日目には、長崎の出島をヴァーチャルリアリティー技術で再現して体験できるようにした装置が会場の用意されていた。これは別プロジェクトではあるが、港を扱ったということで、あわせてここで取り上げることとする。
 これは、縦横各3メートル、高さ2メートルほどのボックスに入り、いわゆる3Dメガネを装着することによって、前方のスクリーンに映し出された映像が立体に見えるというものである。本来ならスクリーンは前、左右、後ろ、上の五面に設置され、本格的な仮想空間体験が可能であるということだが、今回は残念ながらハード的な問題で前方のスクリーンのみであった。筆者も実際に体験してみたのだが、前方一面だけでは中々仮想空間体験とまではいかず、五面の完全な設備でなかったことが惜しまれる。このプロジェクトを指揮している羽田正氏は、初日のオープニングディスカッションにおいて、二日目以降設置されるこの研究の紹介を行ったのだが、その中で「もともとこのプロジェクトではイスファハンを再現したいと考えていたが、時間的・技術的な問題から、より制限された空間であり、しかも史料が比較的豊富で、細部に関する知識などを含めて、日本人のプロジェクトチームにとって再現が容易な長崎の出島を一つのステップとして取り上げた」と述べていた。今後の研究の展開が待たれる所である。このプロジェクトは、もちろん羽田正氏の研究室だけではなく、東大工学部堀井研究室(応用力学/岩盤力学研究室)との共同プロジェクトとして行われたのであるが、このように主にデータ収集とデータ入力という単純作業に膨大な時間と労力が費やされるプロジェクトが、今後はイスラーム都市研究に限らず、文系の分野でも多く立ち上げられることとなるだろう。
 三日目に筆者が参加したのは、セッション4"Sufis and Saints Among the People in Muslim Society"である。ここではスーフィーと聖者という、似て非なるものだが、時に重複する二つの概念を中心に、イスラーム世界内部の諸地域に関する研究が発表された。
 筆者は、イスラーム世界の諸地域のスーフィーおよび聖者についての比較検討がなされることを期待していたのだが、議論はその段階までには至らなかったように思われる。諸地域におけるスーフィーおよび聖者の概念を微妙に異なって捉えており、しかし比較検討に堪えうるほどそれを消化しきれていなかったことが原因ではないだろうか。質問者から"Who is the saint?"という質問が発せられた際にも、他地域と比較した上での回答はなされていなかった。また、スーフィーと聖者の関係を明確に議論していないことも原因の一つであろう。ある参加者が指摘していたことであるが、そもそも聖者とはキリスト教における概念であって、いわばスーフィーとは類似の概念である。しかし二つの概念を重ね合わせる際に、微妙なずれが生じるのは当然である。しかしそのズレをなかなか可視化できないことが、議論を難しくしているのであろう。ここで筆者が提案したいのは、一度「スーフィー」および「聖者」を、類似してはいるが明確に異なる点も見出すことのできる他地域の対象と比較し、それらの特徴を把握した上で、再び二つの概念の関係に戻るという手法である。遠回りのようにも思えるが、このような手順を踏むことによって、それぞれの概念がより鮮明に描き出されることになり、高度に類似した二つの概念を検討する際に大きな力となるであろう。
 四日目の午前、筆者が参加したのはセッション7"Islamic Area Studies with Geographic Information Systems"である。このセッションでは主にGeographic Information Systems(以下GISと略)の紹介とそれを利用した研究が発表された。しかし、このGISを用いた研究はまだ完成という段階には至っていないように思われる。筆者は、GISを使用する利点は、認識が容易になされうる次元が一つ増えることであると考える。長崎の出島のヴァーチャルリアリティ技術による再現を例に取るのなら、これまで地図や写真といった二次元で捉えていたものを、三次元空間で捉えることによって、新たな着想をもたらすことを可能にすることである。また、ある一定期間におけるウラマーの移動を網羅的にGISに入力し、それによって、その当時のウラマーの移動の実体が、今までは二次元の図を頭で重ね合わせることでしか認識することができなかったのだが、視覚的に捉えることができるようになり、ここでもまた新たな着想を生みだすことができるのではなかろうか。しかし、そのためには多大な時間と労力がかかり、十分に活用するための方法論も確立されなければならないだろう。
 四日目の午後には本会議、そしてまた「イスラーム地域研究」プロジェクトを総括するコンクルージングディスカッションが開催された。そこで行われた議論の中で、筆者の印象に残ったことを二三記しておきたいと思う。
 一つは、プロジェクトリーダーである佐藤次高氏による、この五年間の活動の成果に対する総括である。その中で氏は、日本のイスラーム研究の国際化、イスラーム研究に関するコンピューターシステムの改良、将来のイスラーム研究を担う世代の育成、イスラーム研究に関する比較研究、これらにおいてそれぞれ一定の成果を挙げることができたと述べた。ただし、比較研究に関しては、「最も困難な分野であり、必ずしも十分な成果を挙げたとは言いきれない」との見解を示した。また、国際化ということに関しては「日本人研究者が欧文で論文・著作を刊行することにより、欧米に日本の研究の存在を知らしめる一方、中東や日本以外のアジア諸国のイスラーム研究者と接近し、交流を深めたこと」が大きな成果として挙げられた。
 思うに、これまでのイスラーム研究の主流は、欧米の研究者であった。しかし、イスラーム世界と欧米キリスト教世界はいわば向かい合う関係にあると考えられており、欧米の学者によるイスラーム研究には「オリエンタリズム」まではゆかずとも、現在でもわずかなりとも一定の傾向があることは否めないであろう。そのような立場とは別の立場からの研究を進めることは、非常に重要なことであり、中東やアジアの研究者が互いに高めあい、欧米での研究に対してもひけを取らないほどの重要性を持つようになることが期待される。
 次に、ハンフリーズ氏がアメリカにおけるイスラーム研究との比較の上で指摘した点について触れたい。筆者が最も驚いたのは、氏が、「著述や発表は、その研究者が最も良く扱える言語、つまり日本人研究者ならば日本語で行うのがよい」と述べたことである。これは、その研究者が最大のパフォーマンスを見せることができるようにすべきだという考え方である。日本人のイスラーム研究者の間では、英語は話せて当然という考え方が一般的であり、また事実話せなければ研究において困難が生じるわけだが、日本における著述や発表まで英語で行うのはいきすぎではないかと、筆者も感じたことはあった。氏は、日本の研究が高い水準にあると知った今、欧米の研究者も日本語を学習したほうがよい、とまで述べていた。多分に社交辞令的な面があるとは思うが、欧米の中国研究者が日本語の論文を読まなければならないのと同様で、イスラーム研究においても、結局は日本の研究水準がどの程度であるのか、という問題に帰結するのであろう。また、氏はこのように全国的な規模で開催されるプロジェクトはアメリカではあまり開催されず、各大学、各研究者でかなり独立的に研究が行われていることを指摘し、このようなプロジェクトがアメリカでも開催されることを期待すると述べた。氏が語ったのは、概ねこのプロジェクトの外国の研究者に対する影響であり、その点に関して一定の成果を挙げることができた証明となる発言であった。
 最後に、このプロジェクトの後継プロジェクトについても、このコンクルージングディスカッションで議論がなされた。このことに関しては既にある程度の目処がついているものの、やや規模は小さくなるようである。アイケルマン氏からは、「日本の文部科学省はもっとイスラーム研究に力を入れるべきだ」との意見が出ており、これはまた日本の研究者も切望するところである。これについては出席していた文部科学省の方が、つい最近の会議でも「近代イスラーム」「近代中国」「近代アメリカ」の三つが力を入れる分野として挙げられた、と述べていた。目下の国際情勢を見れば、これらの分野が挙げられるのは当然であるが、すべてに「近代」が冠されているところに多少疑問を感じた。もちろん、以前の日本での歴史研究というと、古代中世が中心で近代に関しては未開拓の分野が多かった。しかし、ある頃から近代以降の歴史への関心が高まり、その研究が飛躍的な発展を見せていることは疑いなく、既にかなりの研究成果が挙がっているように思う。よって、「近代」を偏重するのではなく、より総合的なプロジェクトが組まれるべき時期が来ているのではないだろうか。そのような意味では、この「イスラーム地域研究」プロジェクトは、やや近代を重視しながらもバランス良く各時代をフォローしていたということができるだろう。また、これに関連して、ヤシーン氏からは日本の研究における現代史の少なさに対する指摘があった。これはつまり未来への視点の欠如に対する指摘であり、それを意識した研究の必要性に対する指摘であると氏はいう。ハンフリーズ氏は、日本は欧米諸国よりも中東諸国と良好な関係にあることが多く、中東研究において良い立場にあると言及したが、そのような状況を利用して、これらの国々の現在に関する研究がなされることが今後期待される。
 以上、筆者が今回の国際会議に参加した中で感じたことを、雑駁と記してきた。本会議に参加できなかった人たちにとって、また参加した人が振り返る際、この文章になにがしか資する所があれば幸いである。


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