イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>


国際会議 The Dynamism of Muslim Societies 総括

大庭竜太

(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)



 1997年4月より、当時の文部省における新プログラム方式(創成的基礎研究)によって開始されたプロジェクト「現代イスラーム世界の動態的研究―イスラーム世界理解のための情報システムの構築と情報の蓄積―」(通称「イスラーム地域研究」)は、2001年度をもっていよいよその最終年度を迎えることとなった。プロジェクト全体の成果をめぐって、広く内外に問うための国際シンポジウムとしては、すでに1999年10月8日から10日にかけて、 "Beyond the Border: A New Framework for Understanding the Dynamism of Muslim Societies" と題して、京都にて開催されたものがあったが、これに引き続いて2001年10月5日から8日にかけては、木更津市の「かずさアーク」において、規模のより大きな "The Dynamism of Muslim Societies: Toward New Horizons in Islamic Area Studies" が、文部科学省や国際交流基金などの支援を得て行われた。9月11日に米国において発生した同時多発テロ事件後の状況のなかで、一部の海外招聘研究者らが来日を見合わせざるを得ない旨の知らせも伝えられたが、報告者を含めた若手研究者らも大勢加わった多彩な顔ぶれが揃い、国際的な学術交流が促進される有益な機会がもたらされた。

 初日には、プロジェクト・リーダーである佐藤次高氏(東京大学)による開会の挨拶に続いて公開講演会などが行われ、アブドゥルカリム・ラーフェク氏(ウィリアム・アンド・メアリー大学、米国)や、杉田英明氏(東京大学)らが演壇に立った。ラーフェク氏による講演 "The Interpretation and Periodization of Modern Arab History: Personal Reflections" は、特定の時代・都市・主題にのみ焦点を絞った、ミクロな研究によって占められがちな従来のアラブ近代史研究の潮流に対して、理解の枠組みとしてのより包括的な歴史研究の必要性を説いたものであり、これら両者における理想的な関係の提示をシンポジウムに期待する言葉と共に締めくくられた。一方、杉田氏による講演「中東文化と日本―その出会いの歴史」は、日本人の中東認識の在り方をめぐって、これに影響を及ぼしてきた具体的諸事例について紹介しながら、歴史的なルーツおよび変遷の過程を探ったものであったが、聴衆においては、今日の日本人における中東の再発見をもたらす出発点として、こうした作業の重要性が受け止められたことであろう。

 2日目以降は、2つの会場に分かれて、合計で7つのテーマ別セッションと総括セッションが開かれ、それぞれにおいて意欲的な研究発表および活発な質疑応答が為された。各セッションにおいて掲げられた研究テーマ名は次のとおりである:

Session 1: Islamism and Secularism in the Contemporary Muslim World
Session 2: The Public and Private Spheres in Muslim Societies Today: Gender and New Media
Session 3: Ports, Merchants and Cross-Cultural Contacts
Session 4: Sufis and Saints among the People in Muslim Societies
Session 5: Social Protests and Nation-Building in Muslim Societies
Session 6: Contracts, Validity, Documentation: Historical Research of the Sharia Courts
Session 7: Islamic Area Studies with Geographic Information Systems

 以下においては、複数のセッションが同時に進行される日程の制約を受けつつ、報告者が出席することのできた諸セッションのなかから、特に2つのものを中心に報告したい。

 2日目の第1セッションでは、現代のイスラーム世界において散見されるイスラーム主義と世俗主義の相克と調和の関係をめぐって、6名の研究者が、各自の研究対象地域における諸々の事例に基づいて論じた。個々の研究発表の詳細については、シンポジウムにおいて配布されたアブストラクト集や、「イスラーム地域研究」ホームページ上の諸報告などに譲るが、それらは、現行の制定法におけるイスラーム法の影響の在り方を分析したものから、国家権力とイスラーム運動の関係の実態を考察したもの、さらにイスラーム運動それ自体におけるさまざまなイデオロギー的対立と、これらを経た後の運動における発展的変容に踏み込んだものまで、総じて、実に多岐に渡る視座を聴衆に提供するものであった。これらのなかにおいても、インドのムスリム家族法を題材として、それに内包される女性への「差別」を、インド憲法の精神からの逸脱と見て批判した、ニリマ・チャンディラマーニー氏(ムンバイ大学、インド)による研究発表 "Muslim Family Law: Gender Biases" と、その後に交わされた激しい議論の応酬は、セッション全体の意義を集約したものとして特筆に値する。氏の発表に対して、一部の研究者からは、それがイスラームに関する誤った認識から出発したものであるとの声が上がったが、こうした主張は、イスラームについて、ムスリムの実生活全般を律するいわば広義の宗教として自明視する立場から、これを世俗憲法下における多数の宗教の1つとして位置づける試みを批判したものであったとみなしうるだろう。両者における見解の相違は、すなわち地域性の相違をそのまま反映したものであったと考えられ、それ故に、イスラーム主義と世俗主義のダイナミズムを明らかにする地域研究にとって、これらに関する単なる二分法的議論から離れて、学際的な比較研究の視座を追求し続けることが必要不可欠なのであると言えよう。第1セッションは、この点を明確に強調しえた点において、その使命を十分に果たしたものと評価できる。

 3日目の第4セッションでは、イスラーム世界における「スーフィー」および「聖者」の概念、あるいはスーフィー教団の政治・社会的活動などをめぐって、10名の研究者による発表が行われた。すべての発表の様子を詳細に述べることは、やはり他の資料・報告に譲るとして、本報告では、従来の諸研究が分析の枠組みの明示を怠ってきた重要な領域において、画期的な議論を展開した東長靖氏(京都大学)の研究発表 "Sufi Saints and Non-Sufi Saints in Early Islamic History" に注目したい。氏は、10-12世紀に書かれたさまざまなスーフィーや聖者の伝記集を分析することによって、まずそれらにおいて、一般にはスーフィーとして分類されない人物らが、しばしば著名なスーフィーたちと併記されている事実を浮き彫りにさせ、こうした体裁がとられた理由として、スーフィーの位置づけをめぐる研究者と伝記作者との視点の相違や、スンナ派の「正統」教義の一部としての確立を目指していたスーフィズムにおける努力などを挙げた。氏によれば、また、聖者(wali)に関する諸理論は、シーア派や、スーフィズムと直接に係わりのないスンナ派の学説としても発展させられてきたものであり、これらによって語られるような非スーフィーの聖者たち(non-Sufi saints)は、以下の3つの類型に区分して把握しうる:
1) イスラーム的基盤に依拠せず、実際の行為によって尊敬を集める聖者
2) スーフィズムとは異なる何らかのイスラーム的論法によって、その権威を保障される聖者
3) 一部の思想家によってのみ、スーフィーとしてみなされる聖者

 史料の綿密な読み込みを経て遂行される、こうした慎重な一般化の作業は、特に、報告者のような若手研究者にとっては、しばしば大変な勇気を要する困難なものである。しかし、初日のラーフェク氏の講演によって強調されたように、個々のミクロな研究における理解の前提となる枠組みを発信し続けることは、イスラーム地域研究の新しい地平を切り開いていくための最重要課題として位置づけられ、これを避けて通ることはできない。この困難な課題を乗り越えんとした、東長氏による挑戦は、スーフィズムをめぐる多彩な現象について考える上で、1つの有用な手引きたりうるであろう。

 以上の2つのセッションにおけるように、シンポジウムを通じて為された研究発表の多くは、世界のイスラーム地域研究の最前線から、具体的な成果を届けることはもちろんのこと、その過程に伴うさまざまな課題への取り組み方をも提示するものとなった。報告者にとって、このように有意義なシンポジウムに参加しながら、日程の都合上、総括セッションへの出席を断念せざるを得なかったことは、誠に残念に感じられて仕方がない。敢えて推察するならば、それは、単なるミクロな研究の寄せ集めに陥る危険性を抱えるイスラーム地域研究が、1つのディシプリンとして、その方法論を確立するために乗り越えなければならない、本報告において述べられたような諸々の課題への挑戦の気概を表明する場となったのではないだろうか。報告者自身も、新たな視座の開拓を目指す意欲的な集団の一員を担うべく、さらに学究を深めることを心に誓って、結語としたい。

 


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