イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 7
Islamic Area Studies with Geographic Information Systems

大島史(東京外国語大学大学院地域文化研究科)
西村淳一(九州大学大学院文学研究科)


 本稿は、会議当日までGISについて何も知らなかった二人の大学院生による、上記セッションの報告記である。セッションは以下の7つの発表によって構成された。(ただし発表6に関しては、口頭発表は行われなかった。)
  1. OKABE Atsuyuki, “Introducing GIS in Islamic Area Studies”
  2. SADAHIRO Yukio, MIZUSHIMA Tsukasa, “Constructing Spatial Databases from Old Documents and Maps”
  3. MIZUSHIMA Tsukasa, “Islamic Elements and South Indian Society: A View from Eighteenth-Century Chingleput”
  4. TSURUTA Yoshiko, ARAI Yuji, JINNAI Hidenobu, SHISHIDO Katsumi, SATO Atsuhiko, “The Spatial Structure of Commercial Areas in Turkey and Other Islamic Countries”
  5. ASAMI Yasushi, Ayse Sema KUBAT, KITAGAWA Kensuke, IIDA Shin'ichi, “Extension of Space Syntactic Idea to 3-Dimentional Surfaces and Its Application to the Historical Part of Istanbul”
  6. MAGARIBUCHI Hidekuni, OIKAWA Kiyoaki, ITO Kaori, “Study on a Spatial Pattern of the Old City of Damascus, Syria Using GIS”
  7. KOMATSU Hisao, GOTO Yutaka, “Changes in the Ferghana Valley in the Twentieth Century”
題目を見ればわかるようにこれらの発表は、GISという共通項を持ちつつも、それらの扱う地域、時代が多岐にわたっていた。当然ながら二人の報告者はこれらの発表を各個批評できるほどの知識を持ち合わせていない。従って以下においては、前半で各発表の内容をごく簡単にまとめ、後半では「報告者二人の対談」形式で本セッションに対し包括的な批評を加えることにする。

【各発表の概略】
 報告者二人にとって、本セッション参加以前から気になっていたことは、「GISとは何か」という基本的かつ根本的な問題であった。上記発表1および2はこのような初心者を対象とした「GIS入門」であり、発表者らはGISの基本概念、および実際に行われる作業についてわかりやすく説明した。その内容をまとめると以下のようになる。
 手短に言えば、GIS(geographical information systems)とはコンピューターを利用した地理情報の処理方法のことである。ここで言う「地理情報」とは、場所や地域と関連している物ないし出来事の属性データを意味し、地図上の情報は無論のこと、人口統計や写真などもその中に含まれる。情報処理は以下の4過程から成る。
  ○ 地理情報の獲得・・・地図や衛星写真、あるいはフィールドワークなどによって地理情報を入手し、それをデジタル化する。
  ○ 地理情報の管理・・・デジタル化した地理情報をデータベース化する。
  ○ 地理情報の分析
  ○ 地理情報の視覚化(visualizing)・・・2次元ないし3次元の地図、あるいはアニメーションなどを作成し、提示する。
 発表2では、上に述べた4過程の1つ「地理情報の獲得」、特に歴史研究における地理情報の獲得方法が詳細に説明された。具体的には、発表3の18世紀インド・ポンネリ地域に関する歴史研究において実際に行われた作業が実例として提示された。それによれば、発表3は次のような手続きを踏んだ。
  1. 1971年のセンサス・マップを基礎地図(base map)に設定。これをスキャナでデジタルイメージとして読み込み、ArcInfo(UNIX対応ソフトウェア)でデジタル化。さらにデータを修正し、ArcView(Windows対応ソフトウェア)にデータを落とす。(多くの研究において基礎地図は現代のものとなるが、過去との比較を念頭に置けば現代の地図を歴史研究に利用することは可能である。)
  2. 地図上に存在する村々に識別用番号を添付。
  3. 18〜19世紀に記された各種調査報告から村々に関する情報(人口、商人の数、農民階層の割合など)を入手し、Excel(Windows対応ソフトウェア)を使ってそれらをデータベース化。
  4. 地図上の識別用番号を3のデータベースに付け加えることにより地図とデータベースを結合させ、地理情報として統合。これにより情報の分析、視覚化が可能となる。
GISを利用する研究は、多少の違いこそあれ、パソコンを使ったこのような事前作業を必ず伴うことになる。
 しかし、事前作業はもちろん研究の最終目的ではなく、あくまで研究の補助作業である。従ってGISを利用する研究発表は、通常、各種地理情報の分析およびその結果を主内容とする。本セッション中の発表3、発表4、(発表6)、発表7は、そのような分析結果の報告である。
 発表3は、先ほど記したように、18世紀インド・ポンネリ地域における地理情報を分析したもの。「当該地域において当時マイノリティーであったムスリムが、いかにして統治権を主張することが出来たのか」という疑問に答えるべく、発表者は当該地域における(空間上の)カースト制度のあり方を検討した。それにより、当時の国家や地域社会の特徴を明らかにした。
 発表4は、現トルコ共和国内の3都市(ブルサ、サフランボル、ギョイニュク)とアラブ世界の2都市(アレッポ、カイラワーン)内部の「商業地域」を分析・比較したもの。より具体的には、GISを利用して「商業地域」内の土地利用状況(例えば道路、広場、露店を伴う空間、店舗など)を数値化し、それを分析することによって各都市の、ひいては各地域(トルコあるいはアラブ)の特徴を見出そうとした。
 中央アジア・フェルガナ盆地(現在のウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタンにまたがる地域)における変化の諸相を検証したのが発表7である。主としてソヴィエト連邦の成立および崩壊に伴う変化、例えば行政単位の変化、民族構成の変化や人の移動、農地や灌漑施設の整備過程などがGISを利用して提示された。この発表は「フェルガナ・プロジェクト」と呼ばれる研究の一環として位置づけられており、中央アジアの安定に関わる同地域の現状について、歴史研究とGISを通してより深い理解を得ることを主目的とした。
 発表5は、上記3発表とは異なり、「空間分析手法(space syntax)」を用いてイスタンブール旧市街の分析を試みたものである。前半では、従来の(2次元中心の)空間分析手法が不得意とした側面(例えば「高さ」の扱いなど)について、それを克服するための新たな方法などが提案された。後半では、前半の内容をもとに、同都市内部の諸地区に見られる中心地的特徴(local centeredness)が検討された。
 なお、上記によりある程度ご理解いただけると思うが、本セッションの発表は全て高度に視覚化されたものであった。発表の際にはカラフルなレジュメが配布され、会場の巨大スクリーンには2次元や3次元の地図、アニメーションなどが映し出された。その状況を報告者二人の貧弱な文章能力で表現することは不可能であり、その場の臨場感をうまく伝えられないことが至極残念である。

【本セッションをふり返って】(<O>は大島、<N>は西村の略。)
1.セッションの雰囲気
<N> まず始めに、会場に入って発表壇を見たとき、ノートパソコンが3台並んでいたのには驚きました。それらをスクリーンに直結してパソコン上の研究成果を提示するのですが、こんなやり方は他のセッションでは全く見られませんでした。また各発表が複数の研究者の共同研究という形を採っていることも他のセッションでは見られなかった点ですね。
<O> 共同研究というのは文系ではあまり見られませんからね。
<N> GISを利用する研究は、それを行う研究者に多大な労力と総合的な能力――資料の読解力はもちろん、建築学や幾何学、コンピューターに関する知識など――を要求します。それゆえ一人で行うことは困難であり、結果的に学際的研究に発展するのでしょう。
<O> でも、そのわりに聴講者が少なかったのは残念でした。
<N> 発表後の質疑応答が全体的に少なかった点も残念です。

2.セッションの各発表について
<N> GISの基本概念を説明した発表1と発表2は、素人である私にとってたいへん有益でした。
<O> 両発表はGISの紹介であり、同じく素人の私にも理解しやすく説明されていました。「セッションの構成」という観点から見れば、セッションの最初に両発表が配置されていた点は良かったのではないでしょうか。
<N> しかしどちらともオリジナルな研究というわけではありません。GISを用いた実践例という点では、歴史研究にGISを積極利用した発表3が面白かったですね。
<O> そうですね。発表3は、「ムスリム・ヒンドゥー混住地域の空間構成」「地域コミュニティーの分布状況」「地域統合の要素」「宗教施設の配置状況」といった分析テーマに従って、当時のポンネリがどのような地域であったのかということを地図を用いて視覚的に提示していたので、非常にわかりやすかったです。
<N> ただし、疑問点もあります。各種調査報告から村々に関する情報を入手しデータベース化する作業は、史料を読み、そこから必要な情報を得て自らの情報カードに記録していくという、歴史研究者のごく一般的な作業ですよね。私の経験から想像するに、おそらく発表者の水島氏は、情報を獲得した段階でそれらからある種の傾向を読み取ったと思うんです。とすると、その後の作業として(データ分析作業以外で)GISを用いる利点はどこにあるのでしょう。
<O> 例えば読み取ったデータを正確に地図の上に落としていくというのは、コンピューターのみがなせる技だと思います。また地区ごとの人口構成要素などはコンピューターでグラフ化してしまえば一目瞭然です。情報を提示する際に高度の正確さが要求される場合には、GISは有益だと思います。
<N> 今話に出た、人口を統計処理して歴史研究に応用するという手法は、発表7でも見られましたよね。しかしその方法自体は目新しいものではありません。とすると、GISの新しい点って何なのでしょう。やはりパソコンを積極的に使用することなのでしょうか。
<O> それはあると思います。でもGISが対象とするのは人口統計処理だけではないでしょう。例えば、都市研究が挙げられます。都市には様々なものや人が存在しますが、それらは(それらの存在する)地域を特徴付ける「ある一定の要素」によって影響を受けています。この「ある一定の要素」とは、現代でしたら「商業」地域、「工業」地域、「住宅」地などを意味します。そういった要素は都市ごとにある程度の法則性を有すると考えられ、GISを利用することによりこの法則性を見出すことが出来るのではないかと考えられます。あるいは民族ごとの住み分けや職業的特徴などについても、地図とデータを統合することによってよりはっきりと見えてくるのではないでしょうか。
<N> 発表4はまさにGISを利用した都市空間研究の好例ですね。
<O> 私の専門は近現代トルコ研究なので、発表4におけるトルコとアラブの都市の比較は興味深いものでした。トルコとアラブ、すなわちアナトリアとアラブ地域とでは気候がずいぶん違い、それによって都市構造にもずいぶんと違いが出てくるんですね。例えばトルコでは家屋は一つ一つ独立しているのに対し、アラブ地域では壁を共有している。あるいはトルコでは広場が多いのに対し、アラブ地域では少なく、マドラサやハーンがその代わりになる、など。アラブ地域の都市は砂漠のオアシス的な役目を有するので、街の空間的広がりにも限りがあるということがよくわかりました。
<N> 土地利用形態の面積比など、数値データを綿密に分析することによって結論を導いたという点で、発表4の論旨は明快でしたね。
<O> ただし、都市の比較研究を行うには研究対象の都市が少なすぎた気もします。アレッポとカイラワーン以外のアラブの都市についても気になります。
<N> 安易な解釈もあり、危険を感じました。例えば、“Turkey”や“Arab”といった語は、本発表では歴史的背景を一切考慮せずに使われており、再考の余地があるように思えました。なお本発表とは無縁ですが言葉の定義に関する点で一言付言しておくと、発表5を含む都市研究全般の問題として、「イスラーム都市(Islamic cities)」を自明のものとして捉える傾向が挙げられます。しかし「イスラーム都市」なるものを明確に定義できないことはすでに研究者らによって指摘されています。その語を用いる際には万全の注意を払う必要があるでしょう。
<O> 発表5に関して他に何か意見はありませんか。
<N> うーん・・・。正直なところ、数式が示された部分はまったく理解できませんでした。内容全般が理数系であったため、私以外の聴講者でも理解できた方は少なかったのではないかと思います。会議全体の流れから見ても、(発表5は)方法論にとらわれ過ぎていた気がします。
<O> 実は私も発表の内容が難解すぎてその場では理解できず、あとでペーパーを読み直した次第です。それでも計算式が出てきてお手上げ状態でした。土地や建物の「高さ」などを考慮し3次元からの分析を行ったという点では、コンピューター技術の進歩によるところが大きいのでしょう。
<N> 残念ながら私は「空間分析手法(space syntax)」の概念を知らないので、本発表に対して批評しようがありません。しかし、研究自体は都市空間構成を分析する一手法として評価されるのではないでしょうか。いずれにせよ、本発表のような研究がパソコンの普及によって今後ますます盛んになっていくことは間違いないでしょう。

3.本セッション全体の意義、およびGISを利用した研究の将来への展望
<O> セッション全体をふり返ってみたとき、どのような感想をお持ちですか。
<N> そうですね・・・確かにGISは質の高いプレゼンテーションを提供する「道具」としての力を持っています。しかし「それを用いることによって、どのような新事実ないし新解釈が提示できたのか」という点が各発表からあまり見えてきませんでした。発表者の中には「GISから研究上のヒントを得た」とおっしゃった方もいらっしゃいましたが、そのヒントが実際にどのようなものだったのかという点をむしろ知りたかった気がします。また歴史研究者の一人として、GISを歴史研究に応用する利点をあまり理解できなかったことが残念です。
<O> GISそれ自体が非常に有益な学問であったとしても、それを歴史研究に応用するというのはまだまだ難しいですよね。GISで扱われる地理情報の主要典拠は間違いなく地図なのですが、そもそも基礎地図に設定されるのは現代の地図がほとんどですから、研究範囲もおのずと近現代に限られてきますからね。現代の研究のように詳細なデータが得られる場合はなんら問題ありませんが、歴史研究の場合、結局は文書などの史料からどれだけデータを得られるかによって研究を制限されてしまうのではないでしょうか。
<N> 我々は主に歴史研究者の立場から本セッションをふり返っていますので、このように否定的な見方をしてしまうのかもしれません。GIS自体はむしろ現代の地域研究で用いられる際に利点が多いことを、申し添えておく必要があるでしょう。最後に、本セッションの(肯定的な)意義を考えてみましょう。
<O> 私にとって、GISとは意外に面白いものでした。歴史を研究する上で空間的な物の見方は絶対に必要だと思います。私はあまり文書研究が好きではないので、図にされるほうがわかりやすいというだけのことかもしれませんが・・・。ただ、今回の発表を聞いていて、GISを扱う理系の研究者と歴史を扱う文系の研究者の間にはまだ乖離が見られるような気がしました。つまり、前者が歴史の研究手法を知らず、後者がGISの分析手法を知らないということです。当然のことですが共同研究が必要になってくると思います。今のところGISに興味を示す歴史研究者は、それほど多くはないでしょう。それはセッションの聴講者の人数から見ても明らかです。しかし私はGISがもたらす新たな歴史研究の手法に期待しています。今までは文書からしか明らかにならなかった過去の世界について、我々は3次元的要素を考慮に入れることによって、あるいはコンピューターグラフィックスで空間を再構成することによって新たな発見を得るかもしれません。
<N> 私は、本セッションが伝統的な研究発表のあり方に一石を投じたと感じています。これまで、研究者(特に歴史研究者)が自分の研究内容を公表しようとする場合、雑誌への論文投稿か学会での口頭発表がオーソドックスな手段でした。本セッションの各発表も基本的には学会での口頭発表とみなすことが出来るでしょう。しかし、それらがこれまでの一般的な口頭発表と著しく異なる点があります。それは、高度な視覚化を特徴とするそれらの発表が容易に文章化されえないということです。例えば、これまでの口頭発表であれば、その内容を文章に置き換えることにより、比較的容易に雑誌論文化することが可能でした。ところが、GISを利用した今回のような発表の場合、ごく普通に使われる多色使用の表現さえ既存の学術雑誌においては掲載することが難しい。ましてやアニメーションを紙面に載せることなど不可能です。そうなると、このような発表内容をもう一度提示する必要が生じた場合は、既存の公表手段とは異なる新たな手段が必要になります。現在その候補として最も有力なのがインターネット上での公表です。研究者層がそのような成果公表に俄かに馴染むかどうかは疑問ですが、少なくとも現時点で言えることは、研究の公表形式を考え直す時期に入りつつあるということではないでしょうか。
<O> 実はそのことは本報告記にも当てはまります。このようなセッションを文章のみで報告すること自体、無理がありますよね。
<N> その通り。
<O> そのことはともかく、今回の会議によって、イスラーム地域研究プロジェクトに参加する多くの研究者にとっても、GISはより馴染みのあるものになったのではないでしょうか。今後、GISを用いたさらに質の高い研究が行われることを期待しましょう。

 


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