イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 7
Islamic Area Studies with Geographic Information Systems

鈴木英明(慶応大学大学院文学研究科)
四日市康博(早稲田大学大学院文学研究科)


 担当者の報告するセッションは10月8日(会議最終日)に開催されたセッション7:Islamic Area Studies with Geographic Information Systemsである。地理情報システムGeographic Information Systems(以下、GISと略称)がいかなるものであるかについては、本セッションの冒頭を飾った岡部報告で説明されているので、後ほど改めて取りあげる。本セッションにおいては、以下の6組の報告がなされた。

1) OKABE Atsuyuki. "Introducting Geographical Infomation Systems in Islamic Area Studies."
2) SADAHIRO Yukio. "Constructing Spatial Databases from Old Documents and Maps."
3) MIZUSHIMA Tsukasa. "Islamic Elements and South Indian Society: A View from Eighteenth-Century Chingleput."
4) TSURUTA Yoshiko, ARAI Yuji, JINNAI Hidenobu, SHISHIDO Katsumi, SATO Atsuhiko. "The Spatial Structure of Commercial Areas in Turkey and Other Islamic Countries."
5) ASAMI Yasushi, Ayse Sema KUBAT, KITAGAWA Kensuke, IIDA Shin-ichi. "Extension of Space Syntactic Idea to Three-Dimensional Surface and Its Application to the Historical Part of Istanbul."
6) KOMATSU Hisao, GOTO Yutaka."Changes in the Ferghana Valley in the Twentieth Century."

 まず、岡部報告であるが、当セッションの共通研究手法であるGISの紹介によって新しいイスラーム地域研究の方法論を提案しようとするものであり、GISが如何なるものかという概要を提示した。GISとは地理情報をコンピューター処理するシステムである。この場合の地理情報とはそのロケーション、地域に結びつく地理対象、イベントの特性的なデータなどを指す。そのほか、地図から読み取れる明白なデータ、統計学的な値(例えば地域ごとのムスリム人口など)、撮影場所が明示された写真なども地理情報となりうる。このように、地理情報とは非常に広い意味を持つものである。以上のような地理情報を処理するシステムであるGISは、以下の4つのサブプロセスから成る。
 1. 地理情報の取得: 地理情報を得るということはコンピュータに読込可能なデータの取得を意味する。この過程には紙面の地図のデジタル化とスキャン、リモートセンシングイメージの使用、フィールドワークの実施なども含まれる。
 2. 地理情報の管理: このために地理情報データベースが活用され、属性データのデータベースと地理的対象を表示する空間データベースから成る。
 3. 地理情報の分析: GISにはバッファリング、重ね合わせ、空間データ検索、最短路検索など多くの有用な空間解析ツールを収納するツールボックスが組み込まれている。
 4. 地理情報の可視化: 地理情報の可視化には多くの方法があり、GISは2次元地図、3次元地図、アニメーションなど多くの可視化ツールを提供する。

 貞広報告は、報告者のイスラーム地域研究の中での経験を踏まえながら、空間データの入手の一般的プロセスを歴史研究者に提示することを目的とした。GISを使う最初のステップとして空間データの獲得がある。これには往々にして莫大なコストがかかったが、幸いにして、これらの問題は社会経済学的な空間データベースの発達、空間データを獲得する機器の進歩によって解決されつつある。歴史学におけるGISのデータ獲得においては、過去の空間データや地図が入手できない、地図が正確とはいえず基準にならない、地図のデジタル化の処理に多くの人的費用(時間)を要するなど依然障害が多いものの、過去の空間的現象の可視化、解析、モデル化において多大な貢献を果たしている。当報告の示す空間データ取得の一般的プロセスとは以下のとおりである。
 1.データフォーマット:GISでは空間データはラスターフォーマットかベクターフォーマットのいずれかで蓄積される。ラスターデータは空間対象を格子表示、ベクターデータは線形表示するものである。これらのフォーマットは状況によって選択される。
 2.データ取得:空間データを得るには2つの選択があるが、莫大な人的費用を費やして自分でデータベースを構築するよりは、必要なデータを購入・賃借するほうが望ましい。基本的な空間要素を含む地図はベースマップと言い、それに必要な情報を追加してゆく。それらは現在の空間現象を表示しているとはいえ、歴史研究にも有効である。
 3.データ作成:不運にも必要なデータが利用できないときは、GISを使って手作業で作成しなければならない。ベクターフォーマットの空間データ作成は通常、四段階からなる。1)デジタル化、2)データ修正、3)データ合併、4)属性データの結合、である。
 貞広報告はこれら一般的プロセスを提示したうえで、実際の空間データ取得例として、18世紀後半インド・ポンネリの歴史的研究データベース構築を具体的な図像を交えて紹介した。そのうえで、データベース構築こそがGIS活用の第一歩であること、この段階における限られた空間データ利用と取得ツールの欠落がGISの広い利用を妨げていること、この問題が社会経済的空間データベースの発達と空間データ取得ツールの進歩によって解決されつつあること、このことが歴史学を含む多用な研究分野でのGIS活用を促進していることを結論として提示した。

 水島報告は、18世紀南インドで、アルコットの太守の支配下にあったチングリプット県のポンネリ地区を取りあげる。当報告が問題としているのは、ムスリム マイノリティーに属し、ヒンドゥー支配地域では新参者であったアルコットのナワーブNawabがどのようにその支配権を確立していったのかということである。その際、ポリガールPoligar(村落の軍政指導者)、ミーラースダールMirasidar(村落土地所有者:個人原理の体現者とされる)などと在地社会の地域性、社会法則social grammarの関わりに焦点があてられた。
 GISは、ポンネリ地区の村分全体の各種免税地、手当の受手の構成、量的比率、空間的分布やカースト分布、ムスリム人口分布、ミーラースダール、ポリガールの支配村の分布など再生産単位の空間的広がりの分析に利用され、可視化されたデータが提示された。  当報告の結論は以下のとおりである。ミーラースダールやポリガールなど村落レヴェルのリーダーは、村落の諸活動全般を取り仕切る状況になり、村落が彼らの下で、基本的な再生産単位となっていった。免税地、シュロトリアム(特恵定額徴税村)、手当や取り分などの形態をとる土地および土地生産物の複雑な分配システムは、「ミーラース体制」と呼ばれ、南インド社会を網羅的に覆っていた。ミーラース体制とは、国家と地域共同体の再生産構造の根幹を成すものであり、富の分配をめぐる国家原理と地域共同体原理の対抗の中から生み出され、維持されてきた。地域共同体はミーラース体制に従う限り、自分の権益の保護を期待できたのである。この社会法則は18世紀南インドのムスリム少数民族国家においても成り立っていた。

 鶴田・新井・陣内・宍戸・佐藤報告(以後、鶴田報告と略す)は、イスラーム地域、特にトルコ諸都市の都市性を理解するために、都市核として役割を担う商業地区の構造分析を目的とする。調査対象は、
 ブルサ …… 主要な商業地区を持った都市
 サフランボル …… 大都市ではないが商業地区が広大に拡がる都市
 ギョイヌック …… キャラバンルートに沿って拡がる小商業地域を持った都市
の3都市である。なお、トルコの諸都市の都市性を理解するために、アラブ地域のアレッポ、カイラワーンの2都市もとりあげ、以下の諸点について都市間比較をおこなった。
1.建物とvoids(建物以外の空間) 2.通り 3.広場 4.青空市場のある広場と通り 5.その他の空間 6.店舗 7.ハン 8.ベデスタン 9.宗教施設 10.公共浴場 11.その他の建物
 結論として、ブルサ、サフランボル、ギョイヌックはトルコ都市の典型的性質を持ち合わせている。これらはみな、緑樹に満ちた木造建築文化圏の都市である。個々の性質の割合も、市壁の内部に密に構築されたアラブ的都市と比べて、トルコ的都市が建物間の空間、前庭、後庭、広場など多くのオープンスペースを持ち合わせていることを明示しており、都市全体の風景は広々としたものである。トルコ的都市のこれらの性質も、地方に位置し、農村的性質をもつ小規模な都市において、より強く際立つ傾向にある。

 浅見・KUBAT・北川・飯田報告(以後、浅見報告と略す)は、イスタンブルにおいて歴史的に発展した街区を一般的な空間構成space syntaxのアプローチとその延長的アプローチにより解析したものである。前者はB. Hillierによって提唱された「軸線」axial linesを用いた空間構成概念であり、都市形態の解析に有効であった。しかし、一般的な空間構成における軸線は平面図の上に描かれていたため、道の起伏や高低など3次元的な空間の変化は表現できなかった。そこで、都市形態を三次元解析するために、空間構成概念はふたつの様相に延長された。まず、既存の軸線の概念に、当報告の提案する「延長軸曲線」extended axial curvesを導入することによって高度変化が取り入れられた。さらに、延長軸曲線の方向の変化を考慮することによって、もうひとつの延長的アプローチが可能となる。それは、ふたつの隣接する軸線の相互可視領域の重合性を表示するために、延長軸曲線の2端を結んだ直線分である「延長軸線」extended axial linesの交差角度によって決定される重量関数weights functionの導入によって理解される。これらの概念はイスタンブルの歴史的都市形成の分析に適用され、地域中心local centerに関連する空間構成指標の計算、実際の都市活動を表示する指標との比較がおこなわれた。当報告では、イスタンブルの歴史的街区における実際の地域中心の度合いを判別するために、次の3つのアプローチがとられた。(a)タクシーベイの総計による判別、(b)延長軸線上の建物の階数の平均値による判別、(c)都市計画者の立場に基づいた判別。また、地域中心はしばしば商業施設の集合体から成るため、延長軸線が商業区域に含まれるか否かを示すダミー変数も地域中心の度合いの表現に利用された。この結果、建物の高さの平均値や商業ダミー変数は空間構成指数と高い相関係数を持つことがわかった。これは建物の高さや商業活動の存在など近代的都市形成の基本要因が空間構成指数によって有効に捉えられていることを示している。一方で、歴史的、文化的背景に根ざしている地域中心は、この方法によっては有効に捉えられない。その場合、都市プランナーなど専門家の考えを参考とした判別などが有効である。空間構成アプローチは相互可視性を強調するが、それらはイスラーム都市の伝統的都市形成の基本要因ではないのである。三次元空間への延長に比べ、延長軸線の交差角度に対する重量関数の導入は、この解析の進歩に目立って貢献していない。

 小松・後藤報告は、イスラーム復興運動の伸展や民族間の緊張と抗争、環境汚染の深刻化など現代中央アジアのかかえる問題が集約されているフェルガナ地方の政治的・社会経済的動態を知ることを目的とした「フェルガナ プロジェクト」の一環としておこなわれた。同プロジェクトは、多様な歴史、経済的資料や生態、地理的データのGISによる統合、分析、より具体的には、フェルガナ地方における人口動態、民族分布、経済動向などに関する統計資料を時系列でデータベース化し、これを生態、地理情報の表示された精密な地図上に落とし込み、地域研究に有用なツールを作成することを標榜する。  今回の報告では、まず、研究対象地域の概要が示され、人口動態の状況や19世紀以降、ロシアの当該地域征服からペレストロイカ期のイスラーム復興運動まで、フェルガナ渓谷の歴史的推移が概観された。次に、当地域研究におけるGIS利用の利点、すなわち、歴史資料、統計資料、視覚資料、フィールドワーク資料を詳細なデジタル化された地図の中に統合すれば、信頼の置けるデータベースが構築できるであろうとの見通しが説明された。最後に、実際にGISを利用して処理されている以下のデータが提示された。1.帝国期から現在までの民主化運動、2.民族構成・分布の変遷、3.人口動態、4.農耕地、農産物の地域別・時系列ごとの分布。

 今回の報告者は、都市工学系の研究者と歴史学系の研究者から成る。GISが都市工学研究において研究手段として広く浸透しているのに対して、歴史学研究においては必ずしもGISが活用されているとは言い難い状況にある。このような状況を考慮してか、今回の報告の多くはGISを活用した研究の最新成果を知らしめることよりも、むしろGISに接した経験の少ない歴史研究者に基本概念や活用例を紹介しようという側面に力点が置かれていたように感じられた。かく言う担当者も今回のシンポジウムまではGISの詳細を知らなかった。よって、担当者は、GISの概要と利用例の教示を得た一歴史研究者の立場からコメントをおこないたい。

 岡部報告、貞広報告はGISについての基本概念を初心者にもわかりやすく説明したものである。何も知らない者が「GIS(地理情報システム)」と聞くと、既にロジックを含むシステムが構築されており、データ入力さえすれば研究に必要な情報処理がなされ、研究に活用できると考えてしまうかもしれない。しかし、実際には、GISは単なる空間解析ツールの集合体にすぎず、ツールの利用方法、使用データの取得と選別、データベースの運用法など、利用者が各自の研究に合わせて設定しなければならない。上記2報告は、地理情報処理、データベース構築の基本的プロセスを示すことによって、GISを知らなかった、あるいは研究に導入できずにいた歴史研究者にGIS活用の糸口を与えてくれた。

 残る4つの報告は、GISを実際の研究に活用した研究報告である。都市工学系の研究者を中心とした報告である鶴田報告と浅見報告はそれぞれGISに基づいた都市研究であり、歴史学系を含む研究者による水島報告と小松・後藤報告はより広域の地域に対する研究にGISを活用したものである。(イスラーム地域研究第四班「地理情報システムによるイスラーム地域研究」において、前者は「小域地域空間分析」、後者は「大域地域空間分析」の研究グループに分類されている。)これらの報告は、歴史研究におけるミクロレベル、マクロレベルでの地理情報処理、データベース構築の活用規範として大いに参考になるであろう。すなわち、以上の6報告から成るセッション7全体の意義は、多少乱暴な言い方をしてしまえば、「歴史研究に対するGISの導入と活用の提唱」にあると言ってもよいかもしれない。

 最後に、今回の諸報告を受けて問題意識を喚起された点について言及しておきたい。それは、やはり、ミクロな次元での都市空間分析とマクロな次元での地域空間分析、もしくは両者とよりマクロな次元のイスラーム世界全体に対する探求が未だ有機的に結びついていないことである。それは、言葉を変えれば、「歴史学と都市工学(より大きな範囲では総合科学としての地理学)の共通言語の理解」のための理論が十分でないということである。GISはあくまでもツールであって、理論ではない。地域研究area studiesが媒介になるという考え方もあるかもしれないが、地域研究は学際的研究の総称であって、個別科学として固有の方法論を持っているわけではない。しかし、歴史学は社会科学との対話を通じた歩み寄りの歴史を持っており、人口動態、都市化、工業化、情報、移動・移住、交通などのトピックを通じて、かつて社会史学派が複合社会を歴史的に捉えようとした試みを「歴史学と都市工学との対話」に生かすことができるかもしれない。一例を挙げれば、マリノフスキーB.K. Malinowskiが提唱したように、都市、町、村などの小社会の徹底した調査・分析結果を帰納することによって、GISによる分析結果を「より広域の社会」、最終的には「イスラームという複合社会」の成り立ちの把握に役立てることができるのではないだろうか。ただし、その場合、安易な比較論に立って対象の相対的な歴史位置を取り違えないよう気を付けねばならない。例えば、「トルコ的都市」という場合、いかなる概念を持って「トルコ的」というのか慎重な概念規定が必要である。もちろん、現在の国民国家的観点からのみ「トルコ的」といっているわけではないだろう。その概念規定には、必ずやタテの歴史的パースペクティブが必要不可欠となるはずである。歴史学と都市工学の歩み寄りによって、両分野におけるGISの有効性はますます高まり、都市研究、地域研究の成果は「より広域の社会」の全体構造の理解に結びついてゆくであろう。

 以上、月並みな感想に終始してしまい、また、GISや都市工学の概念に対して理解の足りない部分もあるかもしれず、誠に恐縮ではあるが、なにとぞご容赦いただきたい。以上のコメントは、今回の発表によって我々歴史研究者にGISの何たるかを提示していただいた都市工学系の研究者、歴史学研究でのGIS利用のフロンティアたる歴史学系の研究者の方々に対するものではなく、むしろ、今後GISを研究に導入してゆかんとする歴史研究者に向けてのものであることを附言して、筆を置くことにしたい。

 ※当コメントにおける「都市工学」とは、人間社会において生活・経済活動の基盤となる全て(自然環境を含む)を対象とする研究領域を指す。


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