イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 6:
Contacts, Validity, Documentation:
Historical Research of the Sharia Courts

五十嵐大介(中央大学大学院文学研究科)
中村妙子(お茶の水大学大学院人間文化研究科)



N村:
「契約・法的効力・文書史料:シャリーア法廷に関する歴史学的研究」と題する第6セッションでは、文書史料が豊富で文書研究の先駆をなすオスマン朝期を対象とする3発表に加えて、マムルーク朝とカージャール朝の文書研究が各1本、と合計5本の発表が行なわれました。従って、対象年代は14世紀から20世紀、対象地域もシリア・トルコ・イランと広範囲にわたりましたが、法廷文書という史料の共通性から、個別の発表に関する論議とは別に、歴史史料としての法廷文書をどう考えるか、という点でも活発な議論が繰り広げられました。その中で、様々な問題点や今後の研究の方向性が浮き彫りになってきたような気がします。

I嵐:
そうですね。法廷文書という共通のテーマで異なった時代・地域の研究者が一同に会したわけですが、個々の報告の内容の是非はともかく、タイトルにもなっている「シャリーア法廷に関する歴史学的研究」の在り方について、セッション全体を通じてどのような感想をもたれましたか?

N村:
私は文書史料に関しては素人なので、叙述史料とは性格の異なる、つまりデータとしての文書の存在を日頃からまぶしく感じていました。しかし、文書はいわば「生」の史料ですが、それだけでより真実に近い、とする考え方は短絡的のように思います。Little発表でも、文書史料が少ないマムルーク朝研究では、文書偏重主義に陥ることが危険であることを十分に認識しておきたい、と強調されていました。また、オスマン朝研究の発表でも、文書データの内容や数量の捉え方に対する慎重論が出ていましたが、データの数が一定量あるということは実態をそのまま反映していることになるのか、というのが率直な疑問ですね。

I嵐:
オスマン期の法廷台帳を史料としていかに使うべきかという方法論は、近年Ze'eviやAgmonらによって多くの問題提起がなされている論点なんですが、そこにはこれまでの研究の多くが、台帳の記述を事実をそのまま書き留めたものであるかのように無批判に用いてきたことに対する批判があるわけです。その中で、これまで法廷台帳を利用する研究において主流的なやり方であった、データの数量的・統計的処理に基づいた研究についても、その研究方法の問題点が指摘されつつあります。

N村:
法廷台帳の記述に意図的な作為や操作があるということですか?

I嵐:
そう言うと語弊がありますが、まず第一に考えなければいけないのが、法廷台帳の記録と実際に法廷で営まれた活動との関係ですね。具体的に言えば、果たして法廷で扱われたすべての案件が台帳に登録されていたのか、ということです。オスマン朝期のシャリーア法廷に関係する文書としては、法廷側の記録である台帳の他に、当事者に渡されていた証書(hujja)が存在する訳ですが、この証書と台帳とを照合してみるとどうも一致するものが少ないということが指摘されています。こうなると、法廷で契約や訴訟が執り行われても、そのうち台帳に登録されたのは、当事者が重要性などの理由によって特にその必要性を感じた一部のものに過ぎないのではないかという疑問が湧いてきます。

N村:
証書と台帳の不一致ということは、証書はあるのに台帳には登録されていない案件があるということですね。特に記録の必要がない案件は証書を渡すだけだったということであれば、法廷台帳に登録された案件が特定のものに片寄っていたという可能性も考えられますね。

I嵐:
まさにその通りで、この場合ですと台帳に登録されているケースは特定の階層や案件に関するものに片寄って残っているということも容易に想定されますよね。このため、それを法廷の活動の全容であるかのように台帳に基づいた案件の比率、関係者の階層などを数量的・統計的に割り出すと、その結果はミスリーディングとなってしまう可能性があるわけです。当セッションにおいては松尾報告がこうした数量的分析に基づいた研究でしたが、残念ながらこうした問題に対する意識には欠けていましたね。

N村:
法廷台帳への登録が網羅的でないとすれば、このような特定階層や特定案件への、いわば項目的片寄りだけではなく、登録案件の量的片寄りの問題、すなわち当時実際に行なわれていた契約や訴訟がすべて登録されていたのであろうか、という疑問も出てきますね。

I嵐:
ですから第二に考慮しなければならない点が、売買・賃貸借・婚姻といった法廷台帳の記録の多くを占める案件が、法廷で行われているものはごく一部に過ぎず、実際には大多数は法廷の介在しないところで当事者同士で行われていたのではないかという疑問です。総合討論の際に三浦氏が、法廷外で行われていたであろうnegotiationにも留意する必要があるのではないかと指摘していましたが、これと共通する問題意識ですね。

N村:
大河原報告にその点についての指摘がありましたね。

I嵐:
大河原報告は、シリアにおいて婚姻契約は法廷台帳に記録が見られるものの、タンジマート以前のシャリーア法廷が婚姻において果たしていた役割は非常に限定されたものであったことを指摘していますし、この問題が無視できない重要なものであることを端的に示していました。すなわち社会において営まれていた諸行為に対して法廷が介在していた割合を過大視することなく、台帳にあらわれる傾向が社会全体の当該活動を必ずしも正確に反映しているとは限らないということに留意しなければならないわけです。

N村:
史料としての法廷台帳にはこのような一定の限界があるとなると、今後どのように取り組めばいいのでしょうか?

I嵐:
それは、難しい問題ですよね。ただ大河原報告はその一方で、タンジマート期に結婚を法廷に登記することが法的に規定されたことによって生まれた婚姻許可台帳という、それまでの法廷台帳とは毛色の異なる史料を利用することによって、信頼性の高い統計的処理を可能としましたよね。このことは、数量的な研究がすべてだめなのではなく、時代・地域の選択や台帳の特色によって可能なやり方もあるということだと思います。法廷台帳の中に、特定の案件のみを扱っている台帳が存在することは既に明らかになっていますし、大河原発表はこうした特殊な台帳を用いてその特性を生かすという、法廷台帳を用いた研究の今後の方向性の一つを示すものと言えるのではないかと僕は考えますが。

N村:
歴史史料として文書をどのように扱うかを考えていく上で、もう一つ問題となるのは、法廷文書が事実をどこまで反映しているのか、ということです。

I嵐:
台帳の記述が、法廷で行われた事実をそのまま記しているものでないことは、Ze'eviの批判はもとより、諸々の研究によって指摘されています。確かに訴訟などの記録においても、各々の裁判手順をそのまま書き写しているのではなく、それらを一定の形式に則って後に再構成したものであって、当該案件がイスラム法上の正当性を備えていることを証明することを主眼とした形式をもっているんですよね。その意味では、総合討論で司会のWerner氏が、イスラム法が法廷において実際にどのように適応されていたのかという「イスラム法の実際上の適用」の問題を指摘していましたけれど、むしろ逆に「事実のイスラム法への適応」という文脈で見るべきではないかと思います。

N村:
文書がイスラム法的な正当性を保証する形式に則って再構成されているということは、文書の内容が法廷で実際に行われていた通りではない、ということもあるのですか?

I嵐:
例えば、よく台帳に見られるのが、売買契約時に代理人契約が無効であるという訴訟を行うことによって逆にその正当性を保証しているような形式訴訟の例ですね。これなど将来に起こる可能性のある問題を予め予防線を張ることによって当該契約の正当性を保証するためのフィクションなわけです。こうした法廷文書の記述の「虚構性」は、当セッションの発表においても問題とされていましたね。

N村:
Marino報告ですね。売買契約に代理人だけではなく仲介人の存在があることが指摘されています。仲介人は自身の名で売買契約を結びますから、代理人を介する以上に実態が隠れてしまうように思えますが。

I嵐:
Marino報告では売買契約において、ダマスクス総督ときちんとイスラム法に則った代理人契約を結んで、彼の代わりに売買を行っている人物の他に、個人の資格で売買を行い、直後に同じ値段で総督に売却するという、いわば「仲介人」の存在を明らかにしていました。おっしゃる通り、このようなケースですと、一つ一つの案件を見るだけではその背後にある実際の購入者=総督の存在がわからないことになります。

N村:
Marino氏は、売買契約に関しては、特定の不動産の所有権移転について継続的に研究することが実態への解明につながる、と指摘していますね。

I嵐:
ええ、それとともに彼女は、台帳の記述が文字どおりだと考えると間違った結果を導くとして注意を促していました。

N村:
こうした法廷文書の虚構性は、マムルーク朝期のハラム文書に含まれている法廷文書を分析したLittleの報告が同様の指摘をしていましたし、オスマン朝期に特有のものではないわけですね。

I嵐:
彼の報告では実際にハラム文書の書式が、al-Asyutiの法廷文書書式マニュアルとほぼ一致することを明らかにしていますしね。ただし彼の報告ではこうした史料をどのように用いるべきかという提言がなかったのが物足りませんでしたが。いずれにせよこうした事実は、時代・地域に限らず法廷文書を利用する際の共通の問題として認識するべきでしょうね。そうなると、シャリーア法廷文書を史料として用いる場合、このように一定のルールに則って書かれている台帳の記述を鵜呑みにして利用するのではない、何か別の研究手法が必要となってくるわけです。

N村:
その意味では、カージャール朝のシャリーア法廷に関する近藤報告には、興味深いものがありました。オスマン史研究者の報告が、台帳に記載されている多くの案件を活用した、いわばマクロ的アプローチによるものであったのに対して、カージャール朝にはオスマン朝の法廷台帳にあたるものがないため、近藤氏はミクロのアプローチと言いますか、1件の重複ワクフをめぐる訴訟・判決に関する複数の文書を検討することからシャリーア法廷の実態の解明を試みました。

I嵐:
一つの案件をめぐって豊富な記述のある、特殊なケースですが、複数の訴訟と判決がどのように展開していったか追っていくことで、その背後にある法行政のシステムを浮かび上がらせるという方法でしたね。特定の事案を継続的に追っていくという方法をとる場合、法廷台帳から当該案件を丹念に拾い集めるという方法も可能でしょうが、このように同一案件に関する文書群がまとまって残っていると非常に便利ですよね。それ以上に、近藤報告の場合のように訴訟と判決が広範な地域にまたがって行われていると、一ケ所の台帳を見るだけではカバーできませんし。

N村:
カージャール朝のシャリーア法廷には中央法廷はなく、法廷業務はウラマーの個人家屋で行なっていたように、国家によってきちんとした法廷制度が形成されていた訳ではないので、法廷から発布された判決状や証書を台帳に登録し、保存しておくという手段がとられていなかったわけですね。とするとオスマン朝との対比の視点から出てくる疑問として、ここで使われたような文書は、誰が何のために保管していたのものかが問題となると思います。報告ではこの点には触れていませんでしたが。当事者や裁判官が保管していたにしてもオープンになっていなければ、第三者や他の裁判官は見ることができない訳ですし。

I嵐:
このような裁判制度ですと、個人である裁判官が文書をすべて保管していたというのは考え難いですし、こうしたワクフ文書や判決状は、その正当性を保証する書類として、当事者、つまりワクフの管財人の手で保管されてきたと考えるのが妥当だと思いますね。そして訴訟の際にそれらを証拠として持って行き、裁判官が参照していたと。つまり当事者にとって保持しておく必要があって残された史料ということですから、より当事者の実態に即した研究が可能になるのではないかと思います。

N村:
こうした文書群が、当事者の必要のために自らの手で保管されていたとすると、法廷側の記録である台帳に対するものとは異なったアプローチが可能となるわけですね。オスマン朝においても、法廷台帳がすべての訴訟をカバーしていたわけではないわけですから、このカージャール朝での文書群に基づいたミクロのアプローチという方法がオスマン朝にも適用できるかどうか、ということを検討してもいいかもしれません。その場合、先程少し話がでた、オスマン朝期に法廷から当事者に発布された証書(hujja)が検討のための共通コードとなるのではないでしょうか?

I嵐:
それは確かに一つの手だと思います。オスマン朝期のシャリーア法廷証書については、どこにどのようなものがどれだけ残っているのかという残存状況を含めてあまり情報もなく、史料として積極的に利用されているとは言い難い状況ですが、個人的な経験から言いますと、同様に特定の家系やワクフに関する証書がまとまっていることが多くあります。それを体系的に分析することに加え、法廷台帳と突き合わせることによって新しい知見を得ることができるかも知れません。

N村:
当事者側と法廷側と両方の史料が残っている、オスマン史ならではの研究の在り方かもしれませんね。

I嵐:
もう一つ、オスマン史に限らずこうした法廷文書を史料として扱う場合の一つの有効な研究手法として、古文書学的なアプローチの仕方が考えられます。つまり、文書に書かれている案件の内容を読むだけではなく、料紙上に記されたサイン、印章、様々な書き入れなどの外面的な形態についても研究対象とするということです。このような文書様式は、それがいかなる手順で作成されたか、どのような人物が作成に携わったかといった様々な情報を提供します。ですからこうした分析によって、その文書がもつ機能や、ひいてはそれを作成したシャリーア法廷制度について、文面を読んでいるだけではわからない実態を明らかにすることができる可能性があると思います。

N村:
本セッションでは、こうした法廷文書研究に関する技術的あるいは方法論的な課題のほかにも、国家ないしは国家権力と法廷との関係や、オスマン朝の制度のアラブ地域での適用の在り方など、様々な問題提起がありましたね。こうした問題も含めて、社会におけるシャリーア法廷の全体像を明らかにするためには、さらなる法廷文書研究の進展が望まれます。その上で、議論を特定の時代や地域に限定することなく、他の時代・地域との比較も視野に入れた「イスラム史におけるシャリーア法廷」の研究を指向したいですね。


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