イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 4: Sufis and Saints Among the People in Muslim Societies

林博之(上智大学大学院外国語学研究科)


 木更津国際会議の3日目に行われた第4セッションでは,以下の研究者(10名)が発表を行った。発表順に,(1)東長靖,(2)Vincent Cornell,(3)Boaz Shoshan,(4)堀川徹,(5)今松泰,(6)Mohamed el-Mansour,(7)Nathalie Clayer,(8)私市正年,(9)赤堀雅幸,(10)Thierry Zarcone 今般,参加記としては,私市氏の発表"Sufi Orders and Islamic Resurgence in Contemporary Egypt: An Analysis of the Daftar of the Burhami Tariqa"を取りあげる。

 私市氏は,ブルハーミー教団のダフタル(教団員名簿)の入手,およびシャイフへのインタビュー等から得た情報の分析を通して,現代エジプトにおけるスーフィー教団およびイスラーム復興を理解する新たな切り口を提示した。発表者が問題視するのは、19世紀末から20世紀初頭の近代化のプロセスによってその機能を著しく低下させたといわれるスーフィー教団は、20世紀半ば以降、実際に衰退してきたのかどうか,という点である。さらに,発表者は,(1) 大半の中東研究者がイスラーム政治運動研究に関心を寄せる一方,スーフィー教団や聖者信仰研究にはあまり関心が寄せられず,また,(2) スーフィー教団・聖者信仰研究のほとんどは,人類学的,社会学的アプローチによるものであるという,研究の偏りを指摘した。これにより,発表者は,以下の3点に着目する。(1) いわゆるイスラーム政治運動が顕在化した1970年代エジプトにおけるスーフィー教団の動向,(2) イスラーム政治運動とスーフィー教団の間における宗教的・社会的復興の相違,(3) 社会改革に関しての,イスラーム政治運動とスーフィー教団の相互依存関係

 発表者は、「現代エジプトのスーフィー教団の概要」を述べた上で,「ブルハーミー教団の歴史」を説明した。ブルハーミー教団は,アイユーブ朝末期からマムルーク朝初期ごろにナイル・デルタで生まれたal-Dusuqiまで遡ることができる(彼の生没年に関しては諸説がある)。そして、ブルハーミー教団は、18〜19世紀には,エジプトで最も有力な教団の1つとなった。次に,「現代のブルハーミー教団」として,「シャイフ位の継承」が示された。同教団の現シャイフは,1957年カイロ生まれのMuhammad Ali Muhammad Ashurで、彼はアイン・シャムス大学の商学部出身である。「教団員数」に関しては,シャイフの話では,現代エジプトにおける教団員数は100万人に達し、他方,ブルハーミー教団が政府に提出した資料(1999)に基づくと,約17万人となる。そして,1970年代以降の教団員増加の傾向を示すものとして,現シャイフが就任して以降(1975年〜)は,年間新規加入者が600〜1000人であることが指摘された(先代・先々代の時代は年間約500人)。また、教団の「カルネ・システム(教団が正規の教団員に会員証を発行)」に関しては,その2つの重要な意義、(1) 教団員相互の連帯意識高揚,(2) 教団の資金獲得(カルネを受け取る際に,教団員は15〜20ポンドのお金を渡し、カルネの有効期限は1年間)が強調された。また,「教団の財源」としては,教団に会費・ワクフ財は存在せず(1960年代に教団はワクフ所有を禁止される),その主要な財源は,(1)(特別の祈願をせずにモスクや宗教施設,教団組織に行う)寄付,(2)(結婚・子供の誕生・入学などの特別の祈願をともなう)謝礼,(3)(マウリドなどのときの)政府からの助成である。そこで、発表者は,ブルハーミー教団と企業の関係に言及し,カイロのHeliopolisにある某商社(シャイフ・ムハンマドがこの会社を経営し,従業員400人は教団に所属)が教団の財源として機能していることを指摘した。

 また、「教団組織運営と教団員の位階」に関し,組織としては,カイロの教団本部を頂点に,次の順に下位組織がある。Muhafaza(県レベル),Markaz(市レベル),Qarya(村レベル)。また,教団員の位階としては,下位から順に,Muhibb(16才未満,あるいは教団未加入で教団活動に共感・参加している者),Murid(教団員見習,16歳以上の者),Khalifa(1年以上,Muridとして学び,Khalifaとして認められた者。ダフタルに登録されカルネを受け取る),Wakil(シャイフに近しき者),Shaykhとなる。次に,ダフタル(教団員名簿)分析から,「教団員の職業」を明らかにし,ブルハーミー教団は,その大半が地方農民や手工業者,職人,運転手,未熟練労働者などの下層階級によって支持されていることを指摘した。支持者の中には、政府機関の役人も含まれるものの,彼らの半数は地方の小都市の役人であることを居住地の分析により確認し、結果として,上層階級や知識人の支持者は少ないことが指摘された。また,「教団員の居住地県別分布」としては,約65%の教団員が農村部に居住しており,カイロなどの大都市には支持者が少ないことが示された。さらに,「教団員の年齢別分布」としては,教団員の80%が既婚者であり,(現代エジプトの平均初婚年令が30歳以上である状況を鑑み,)大半の教団員が30代以上であると指摘された。

 「結論」としては、まず,発表者は,(1)スーフィー教団の成員数はイスラーム政治運動のそれをはるかに上回ると述べた。そして,1970年代のエジプトにおけるスーフィー教団の状況としては、イスラーム政治運動が反政府的立場であったのに対し,スーフィー教団は政治活動からは距離を置き,政府に対して協力的であったと分析し、その結果,イスラーム政治運動は政治的領域での役割が可視的で,スーフィー教団は不可視的であったと指摘した。(2) 発表者は,イスラーム政治運動とスーフィー教団は1970年代に同時に復興してきたとみなすが,その支持層の違いと共通点を指摘する。イスラーム政治運動の支持層がドロップ・アウトした都会の若者(その多くが高学歴の地方出身者)のに対し,スーフィー教団の支持層は地方農民,手工業者,未熟練労働者などの下層階級。両者がエジプトの人々のムスリム・アイデンティティや宗教的価値の促進の原動力であった。つまり,背景や様式は異なるが,イスラーム政治運動とスーフィー教団は,どちらも過度な物質主義や西洋化を批判し,宗教的・内的価値の重要性やムスリムの倫理的改革を主張するという共通の潮流を持つ。ここで認識すべきことは,イスラーム政治運動が社会の改革を通して個人の改革をめざすのに対し,スーフィー教団は,個人の倫理改革を通して,社会の改革を目指していることである。(3) イスラーム的価値を促進する社会改革という点で,イスラーム政治運動とスーフィー教団は,相互依存性があると考えられる。

 報告者のコメントとしては,会場での質疑応答で提示されたものと重複するが,まず,発表者による指摘の通り,現代エジプトを対象とする研究で,スーフィー教団を扱うものは非常に少ないという現状に鑑み,本研究は,それに新たな切り口を開く,非常に価値あるものと言える。また、本研究では,ダフタル(教団員名簿)の分析が要と言えるが,スーフィー教団の構成員がイスラーム政治運動のそれを圧倒的に上回ると断言されている点については,質疑応答の際にも,さらなるデータ入手(正確な実数は求められないが,その両者のより確実性のあるデータを)が期待された。いずれにせよ,イスラーム政治運動とスーフィー教団の相互依存性に関する提言は,非常にインパクトのあるものであった。報告者としても,本研究の今後の展開に非常に興味を抱いている。


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