イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 3: Ports, Merchants and Cross-Cultural Contacts

柴泰登(九州大学大学院文学研究科)


 
 2001年10月6日、千葉県木更津市かずさアーク202Bにて、イスラーム地域研究(IAS)研究班5主催により“Ports, Merchants and Cross-Cultural Contacts”と題して9つの発表が行われた。その各題目については誌面の都合上ここでは省略する。
 このセッションは午前10時過ぎより午後6時半まで全日で開催され、参加者は常時約100人程度だった。セッションはSession3-1からSession3-9の順番で各パネリストが発表を行い、Session3-2、Session3-4、Session3-6終了後に小ディスカッションを挟み、Session3-9終了後に全体ディスカッションを行うスケジュールで進行された。発表の順番は各パネリストのテーマとする地域が意識されており、地中海〜インド洋〜東シナ海と次第に日本へ近づく構成となっており主催者側の配慮が感じられた。各ディスカッションでは様々な問題が指摘されたが、私は全体ディスカッションで羽田正氏が問題に挙げた「中央権力と港」に関する議論が最も印象に残っている。そこで当報告記では「中央権力と港・商人」の問題について注目して言及することで各パネリスト発表の紹介に代えたいと思う。

Session3-1 地域:アレッポ 時代:18C後半〜19C後半 中央権力:オスマン朝
 黒木氏はオスマン朝期アレッポを対象とし、カピチュレーションによる特権を得て通訳業務や道先案内を行っていたドラゴマン(アラビア語転写ではturjman)について発表を行った。黒木氏は文書史料を手掛りにして出身地と雇用先の国籍を確定することで、従来不明だったレバント貿易における彼らの活動と役割について解明することを試みている。
 ドラゴマンはオスマン朝からの課税を免除されたが、それは彼らがヨーロッパ諸国に雇用された身分であり、領事保護権の対象に含まれていたためである。更に彼らはヨーロッパ諸国の情報もいち早く獲得することが可能な立場にあり、それは商業活動における優位性を保証した。これらの理由からドラゴマンの総数は増加傾向を示し、オスマン朝から非合法とみなされたドラゴマンも多数存在した。黒木氏はその様なドラゴマンに対してオスマン朝側がライセンスを発行することを試みた史実について指摘している。これは「中央権力と港・商人」に絡めて考察した場合、面白い問題となると思われる。

Session3-2 地域:シリア 時代:19C 中央権力:オスマン朝
 KLEIN氏は商人、特に彼らの利用した建築物に注目した報告を行った。そして調査の結果、KLEIN氏はシリアにおける建物が決して「イスラーム的」ではないとし、その理由をレバント地方のアラブ都市が多くの異教徒・異民族を受容していたことに求めている。この発表では中央権力との関係については特に触れられなかったが、建築物とそれに対するオスマン朝の政策について調査することが出来るならば、それは別の価値を持つテーマになると思われる。

Session3-3 地域:アレキサンドリア 時代:16C前半 中央権力:マムルーク朝〜オスマン朝
 堀井氏の発表は1517年セリム1世によるエジプト征服を一つの基準として、その前後においてアレキサンドリアのヴェネツィア領事館とムスリム政権に生じた関係の変化について、主にヴェネツィア貴族マリノ・サヌートの日記を利用しながら考察している。堀井氏は、マムルーク朝からオスマン朝にエジプトの政権が交代するとヴェネツィア人はオスマン朝の保護を受けたユダヤ人と競合することになったと述べており、結果的にヴェネツィアを含むイタリア諸都市はレバント貿易における地位を低下させたと結論付けている。
 また堀井氏はオスマン朝から派遣されたエジプト総督イブラヒム・パシャが、商人に対する10分の1税の課税率をマムルーク朝スルタン、カーイトバーイの慣習に倣って行ったことを指摘しており、「中央政権と港・商人」との関係についても考察していた。その点で全体ディスカッションで「中央政権と港・商人」が議論の対象となった時、堀井氏の発表に対する質問が活発に行われなかったことは個人的に残念である。

Session3-4 地域:マルセイユ 時代:18C 中央権力:ブルボン朝(フランス)
 深沢氏の発表はマルセイユをトポグラフィーの観点(特に城壁の発展に注目して)から見た結果、この都市がヨーロッパ港湾都市と地中海港湾都市の特徴を併せ持つ「二元都市」であるとしている。また深沢氏は古代城壁・中世城壁・近世城壁を境界として各地域を分割しその人口構成を明らかにし、マルセイユ住民の国籍の多様性を指摘している。
 中央権力との関係について、深沢氏は発表中ではルイ14世がマルセイユの反乱を鎮圧したこと、国王の行政機関としてsenechausee(裁判所)のみがマルセイユに存在した史実に言及しておりブルボン王朝の影響力が弱体だったことを窺わせている。また全体ディスカッションで「マルセイユと長崎が中央政権の強力な統制下にあった例」として挙げられた時、深沢氏がフランスの貿易港は軍港(ex.アンジュー)とは異なり、王権が強い影響力を及ぼせなかったとコメントしたことも印象的だった。

Session3-5 地域:イスファハーン 時代:17C~18C初頭 中央権力:サファヴィー朝
 HERZIG氏の発表は、シャー・アッバース1世の治世に行われたイスファハーン遷都とそこでのアルメニア人居住地設定から見るサファヴィー朝とアルメニア人の関係、そしてヨーロッパ諸国との交易におけるアルメニア人の役割について考察している。HERZIG氏は王宮とJulfa地区の接近がアルメニア人と王宮との緊密な関係を促したと主張している。その意味でこの問題は「中央権力と港・商人」において格好の研究対象と成り得るだろう。
 またアルメニア商人は17世紀になるとヨーロッパ諸国を始めとして世界の諸地域へ進出し、ロシア宮廷に赴いたりインド綿布を中東やヨーロッパ諸国へ売却したりしたとHERZIG氏は述べている。この史実はSession3-7の HAUDRERE氏、Session3-8のANDAYA氏も言及している。

Session3-6 地域:バンダレ・アッバース 時代:17〜18C 中央権力:サファヴィー朝
 羽田氏の発表はバンダレ・アッバースのトポグラフィー、サファヴィー朝とヨーロッパ諸国との関税交渉の歴史、そしてヨーロッパ人と現地民に生じた衝突について、の3点について言及している。「中央政権と港・商人」に関連することでは、バンダレ・アッバースによる征服後、ハーキム(軍事長官)とシャーバンダル(経済長官)が中央政府から派遣されたこと、ヨーロッパ諸国との間に生じた「国家」概念の相違からイギリス東インド会社に与えた特権を巡って衝突が生じたことについて言及している。

Session3-7 地域:ポンディシェリー 時代:18C 中央権力:ブルボン朝(フランス)
 HAUDRERE氏の発表は、ポンディシェリーにおけるフランス人の商業活動について公証人文書から解明を試みたものである。HAUDRERE氏はポンディシェリーの商人が多く借入金に頼り、その借り入れ先はヒンドゥー教徒・ムスリム・フランス人など多岐にわたっていた事実を明らかにしている。
 HAUDRERE氏はデュプレクスによる領土拡張政策についても触れていたが、発表時間の都合上簡潔に留まってしまった。「中央政権と港・商人」の観点から振り返ると、この報告が未消化に終わったことは残念である。

Session3-8 地域:マラッカ 時代:15C〜16C 中央権力:マラッカ王国
 ANDAYA氏の発表は、1414年にイスラムを受容した都市マラッカが、果たして「イスラーム都市」に分類出来るかどうかについて考察したものである。ANDAYA氏はトポグラフィーの観点から、マラッカが「イスラーム都市」以外の要素を多く含んでいると指摘している。またANDAYA氏は、マラッカ住民の構成がヒンドゥー教徒など現地以外の商人で占められていたことに言及しており、「中央政権と港・商人」の観点から見た場合、どの様な政策が彼らに対して施行されたのか非常に興味深いところである。

Session3-9 地域:長崎 時代:17〜18C 中央権力:徳川幕府
 藤田氏の発表は、1571年ポルトガル船が到着した時から1641年オランダ商館が平戸から長崎に移されるまでの長崎「港」の歴史について概説的な説明が行われた。藤田氏は、オランダとの貿易は江戸幕府による独占貿易で強力な統制下にあったと報告している。このことから長崎は、「中央権力と港・商人」の関係において、Session3-8までの港とは異なる特殊な港だったと考えられる。

 以上でセッション報告は終了であるが、最後に一つの提案を行いたい。今回Session3は15C〜19Cを研究対象の時期としているが、それは「イスラームの世紀」から「ヨーロッパの世紀」に移行する時期に相当する。今回はその点で興味深い報告となったが、それによって15世紀以前、逆に20世紀以降における各港・商人の変化についても私の関心は膨らんだ。従ってこの様な機会がもう一度あるならば、今度は15世紀以前あるいは20世紀以降に時期設定した報告も聴きたいと私は思っている。


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