イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 3: Ports, Merchants and Cross-Cultural Contacts

澤井一彰(東京大学大学院人文社会系研究科)


   
 2001年10月5日から8日にかけて、千葉県木更津市において、足掛け5年にわたって行われてきた「イスラーム地域研究」プロジェクトの締めくくりとしての国際会議が開催された。本報告は、その国際会議のセッション3にあたるPorts, Merchants and Cross-Cultural Contactsについてのものである。
 今回、セッション3では9人の研究者によるそれぞれに個性あふれる発表が行われた。全ての発表についてコメントしたいと考えていたのであるが、紙幅にも限りがあり、またこのセッションについての他の報告との差異を強調するために、あえてこの報告ではこれらの発表のうち、とりわけ報告者の関心のある地中海世界とインド洋世界の商業活動に関わりの深いものに対象を限定し、これらを重点的に報告することにしたい。以上のような理由によって、ここで報告する発表はHORII Yutaka(堀井優), Venetians in Alexandria in the First Half of the Sixteenth Century、FUKASAWA Katsumi(深沢克巳), Urban Topography and Merchant Circles of Marseilles in the Eighteenth Century、HANEDA Masashi(羽田正), Europeans at Bandar Abbas and the " State" of Persia in the Seventeenth and Eighteenth Centuries、Phillippe HAUDRERE, The Traders of Pondichery and Their Activities in the Eighteenth Centuryの4点である。以下においては、これらの各発表の個々について述べていきたい。
 HORII Yutaka(堀井優), Venetians in Alexandria in the First Half of the Sixteenth Centuryは支配層がマムルーク朝からオスマン朝へと変化した16世紀初頭のエジプト、とりわけアレクサンドリアに焦点を当て、ヴェネツィアの商業活動にたいする影響を分析したものである。堀井氏は、まずアレクサンドリアの地政学的特徴について述べた後、マムルーク朝からオスマン朝への移行期において、オスマン朝臣民として商業や徴税請負に活躍したユダヤ教徒が出現したことが、エジプトにおけるヴェネツィアの商業活動に大きな変化をもたらしたと主張した。ユダヤ教徒との競合の結果、ヴェネツィアはそれまで居留地を置いていたアレクサンドリアからカイロへと「進出」を果たした一方で、ユダヤ教徒との争いはその後に至るまで継続していくことになる。オスマン朝がレヴァント地域へと拡大した結果、他の地域と同様に、エジプトにおいてもオスマン朝臣民であるユダヤ教徒と従来から商業活動を営んできたヨーロッパ商人であるヴェネツィアとが争うという貿易構造の変化が見られたという。質疑応答に際しては、Abdul-Karim RAFEQ氏から、発表でしばしば言及された香辛料の重要性は認めるが、綿などの香辛料以外の商品も重要ではなかったのかとの質問が出された。堀井氏の発表は、非常に説得的なものであったが、若干の疑問も生じた。堀井氏の発表では、マムルーク朝からオスマン朝へと支配層が変化したことによって、突然ユダヤ教徒の活動が活発化したかのような印象を強く受けた一方で、マムルーク朝期におけるユダヤ教徒の活動については全く言及されなかった。支配層が変化した時期の貿易構造の変化を比較する上では、オスマン朝だけでなくマムルーク朝期におけるユダヤ教徒の活動の実態をあきらかにすることもまた必要ではなかろうか。今後、堀井氏が、前述のRAFEQ氏が指摘したような個別の商品の動きに光をあてるとともに、マムルーク朝期の状況をさらにあきらかにすることを期待したい。
 FUKASAWA Katsumi(深沢克巳), Urban Topography and Merchant Circles of Marseilles in the Eighteenth Century.は地中海世界における典型的港湾都市ともいうべきマルセイユをとりあげ、そこに見られる異文化接触について18世紀を中心に考察したものである。マルセイユが地中海世界における最も重要な港湾都市の一つであることは改めて言うまでも無い。深沢氏は本発表において、このマルセイユに見られる二元的な性格を指摘した。一つは、西ヨーロッパに属するフランスの港湾都市であるということ、いま一つは、地中海に面しキリスト教ヨーロッパ世界とイスラーム世界とが交わるところに位置する港湾都市であるということである。深沢氏はこの二元的性格を、「都市の成長と地政学的構造」というハード面と「商人と外国人」というソフト面から考察し、地政学的構造については多種多様な人々が生活するコスモポリタンな港湾都市である一方で、社会構造は極めてヨーロッパ的な特徴が色濃く見られることをあきらかにした。この報告には、フランスの史料を駆使した様々なデータが盛り込まれ、それがより一層、深沢氏の主張を確固たるものにしているように感じられた。イスラーム世界とは比すべくも無いフランスの豊富な史料状況を再確認させられるとともに、この研究成果を他の港湾都市とりわけイスタンブル、イズミルあるいはアレクサンドリアといったイスラーム世界の各港湾都市と比較することの必要性を痛感した。
 HANEDA Masashi(羽田正), Europeans at Bandar Abbas and the "State" of Persia in the Seventeenth and Eighteenth Centuriesはペルシア湾口に位置する港湾都市バンダレ・アッバースにおけるヨーロッパ人の活動と現地人の関係について17、18世紀を対象として論じたものである。最初に、バンダレ・アッバースの地政学的特徴についてバンダレ・アッバースが港湾都市として機能し始めた歴史的背景とともに詳しく述べられた。その後、羽田氏はサファヴィー朝のアッバース1世がイギリス東インド会社に与えた減税特権を例にとって、ヨーロッパ社会と現地社会との「国家」や「条約」についての考え方の違いをあきらかにした。すなわち、ヨーロッパ人が条約とはどちらかが破棄しないかぎり二カ国間で永続するものと捉えていたのにたいして、現地人は同様のものを一国王による恩恵のあらわれ以外の何物でもなく当該国王が死去した場合はその都度、更新する必要があると考えていたのである。続いて、羽田氏は、イギリス人兵士の殺人とその後処理をめぐるシャーバンダルとイギリス東インド会社との抗争、オランダ東インド会社とアフガン人との不和、バスラにおけるイギリス人船長と彼が奴隷にしようとした女性との間に生じた問題という個別具体的な三つの事例を挙げて、ヨーロッパ人と現地人との間の価値観の差をあきらかにした。同時に、少なくとも18世紀前半においては、現地人はヨーロッパ的価値観をかならずしも受け入れておらず、そればかりか時としてヨーロッパ人は手痛い軍事的打撃を被っていたことも指摘した。羽田氏の発表は、ヨーロッパ世界とイスラーム世界との価値観の違いを再確認しただけでなく、18世紀においてもヨーロッパ的価値観はこの地域に受け入れられていなかったことをあきらかにした点で非常に意義深いものであったと感じられた。
 Phillippe HAUDRERE, The Traders of Pondichery and Their Activities in the Eighteenth Centuryは、18世紀のインドにおけるフランスの重要な拠点であったポンディシェリーの貿易商人とその活動を考察したものである。HAUDRERE 氏によると、18世紀中頃のポンディシェリーには約50人の商人が存在し、あるものは東インド会社に所属し、またあるものは私的に商業活動を行っていた。その内訳はアジア系が20%、フランス人が80%であり、フランス人の約80%はパリの出身者であったという。彼らは、海上においては「アジア地域間貿易」に従事し、年平均20〜40%という非常に高い利益をあげていた。一方、陸上においては資金不足に悩みながらもヨーロッパに送るための商品を確保することに腐心していた様子があきらかにされた。質疑応答では、17、18世紀における英領インドと仏領インド間の関税の格差についての質問や貿易の総量についての質問がなされた。HAUDRERE氏の発表は、イギリス、オランダ両東インド会社に比べて、その活動がかならずしもあきらかではないフランス東インド会社のインドにおける商業の実態を、陸上海上の両面から鮮やかに描き出した。その意味において、この発表は非常に重要なものであったと思われる。
 以上の四つの発表を概観してみると、ある共通点に気付かされる。いずれの発表も、対象とする港湾都市についての詳細なトポグラフィーから議論をはじめているという点である。この試みは、今回のような多種多様な分野を専門とする人々が集う国際会議においては、極めて重要かつ効果的なものであろう。トポグラフィーの存在は、聞き手の理解を容易にするのみならず、ともすれば、狭い専門領域に沈潜しがちな議論を一般化し活性化する上で大きな役割を果たしていたように思われた。
 5年間にわたる「イスラーム地域研究」プロジェクトと、それを総括する木更津国際会議には、日本におけるイスラーム商業史、港湾都市史研究に大きな進展をもたらした。かつて、イスラーム世界の港湾都市が多くの船団によって結合されていたように、「イスラーム地域研究」でおこなわれた各港湾都市の研究の成果が今後、学問的により強く結びつくことを期待して木更津国際会議セッション3の報告を締め括りたい。


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