イスラーム地域研究
回顧<The Dynamism of Muslim Societies>

Session 2:
The Public and Private Spheres in Muslim Societies Today:
Gender and the New Media

野宮恵子(北海道大学大学院文学研究科)


 従来、ムスリム社会においては、男女の生活空間に対して厳然とした区別が設けられてきた。女性は社会秩序を乱すものとして家の奥に隔離され、外に出る時もヴェールで全身を覆うことで男性とは区別された。だが、この不変と考えられてきた男/女別の空間使用のあり方も、近年変化しつつある。女性の生活領域が「私」の空間を徐々に越えて、「公」の空間へ進出しつつあるのである。ムスリム社会において、今「公」「私」の空間のあり方はどのように捉えられているのであろうか。この現状を的確に捉えるべく、この「公」=男性、「私」=女性という枠組み自体の再検討が必要となってきている。

 「現代のムスリム社会における公私の領域―ジェンダーとニューメディア」と題されたこのセッションでは、その枠組みの再検討が目標とされている。6名の発表者がフィールドワークに基づいた研究の成果をもとに、1990年代の各地のムスリム社会における「公」「私」の領域の変容について報告した。女性の公的空間への進出は、市場経済の浸透とメディアの普及が契機であるとされている。それらは女性の進出にどのように関わったのであろうか。報告にあった女性の活動の変化の事例を追いつつ、「公」「私」の枠組みについて感じたことを記してみたいと思う。

 本セッションにおける報告は、以下の通りである。
・OHTSUKA Kazuo. “Gender and Space in Arab Societies : The Changing Divide.”
・Jenny B. White. “The New Islamic Women in Turkey : Dilemmas of Space, Place and Class.”
・TAKAKI Keiko. “Women’s Domestic Side Work and the New Media.”
・YAMAGISHI Tomoko. “Iranian Labourers in Japan : Alienation and Friendly relation.”
・Jon W. Anderson. “Muslim Networks, Muslim Selves in Cyberspace : Islam in the Post-Modern Public Sphere.”
・Dale F. Eickelman.“Gender and Religion in the Public and Private Spheres.”

 まず大塚和夫氏による最初の報告で、1990年代後半のエジプト都市部における女性の公的空間への進出の事例が紹介され、本セッションの導入がなされた。1990年代になると、未婚の男女が、女性の親戚の同伴者なしで、喫茶店で席を共にするなどの光景が一般的となっていた。女性が家の外にくつろぎの場を持つことが許されていなかった1980年代では考えられないことである。大塚氏は「風評を意に介さずに男女が共にいられる」公的空間が出現しつつあることを指摘し、この現象がジェンダースペースに対する新しい理解の形成と言えるかどうかについては、男性の行動様式を方向づける社会規範と、実際の男性の行動の変化を検討することが手がかりとなるであろうことを示した。

 このような女性の公的領域への進出に際して問題となるのが、ヴェールの着用である。世俗化の進展とみなされてきた女性の進出と、イスラーム化の徴候と考えられてきたヴェールの着用という、一見矛盾した二つの現象が同時に進行しているのである。また、ヴェールの形態も、体を覆い隠すような伝統的なものから、美しいデザインのスカーフが多用されるようになってきている。大塚氏はヴェールの着用の背景として、市場経済の浸透で生み出された中流階級の女性達が、輸入された美しいデザインのスカーフを、新たな「伝統的ファッション」として取り入れたという側面を指摘している。

 新しい形態のヴェールが、トルコにおける政治運動の流れの中で、女性の公的空間への進出を促進させる要として作用した事例についての詳細な報告が、White氏によってなされている。1980年代に活発化するイスラームの復興を求める政治運動に参加した女性達は、「テセッテュル」と呼ばれるヴェールを身につけていた。このヴェールが、メディアによって強い政治的メッセージと共に映し出されて抑圧に対する抵抗の象徴として広まり、女性達が公的空間において自らの評判を傷つけることなく男性と共に活動することができる契機を作ったのである。テセッテュルはその後、商業と結びついて美しくデザインされた贅沢品という側面を強めた結果、政治的な意味は薄められ、中産階級とそうでない者、都会の者と田舎の者、年少者と年長者の外見上の差異を鮮明にする役割を果たすようになったとされる。

 このように、次第に公的領域に進出しつつある女性の地位は、しかし安定したものとは言い難い。

 Eickelman氏は、クェート、オマーン等のペルシャ湾岸の国々において、女性の地位が政局と関わって揺れ動く様を明らかにした。多くの国々において、「女性は自身の場所(家庭内)に留まりうるが、活動の全ての領域で男性と等しい役目を持っている」として保守主義者に対抗する政治勢力も現れてきている。また、社会問題等に関して議論を行う、女性で構成されるサークルも一般の人々の間に出現しつつある。だが社会内には、女性自身の自制や道徳的規律で社会が腐敗から守られているという考え方が根強くあり、政権交代ごとに女性に対する宗教的解釈や行動の自由に関する政策が変わるので、女性の地位とアイデンティティは不安定なものとなっているのである。この傾向は、教育水準の向上やメディアの普及によって、拍車がかけられつつはあるという。

 市場経済の浸透とメディアの普及は、女性の公的領域への進出を助けただけでなく、私的領域での生活にも変化をもたらした。鷹木氏の報告では、1956年から数度にわたって行われたチュニジアのジェリド地方の南に位置する農村部でのフィールドワークの成果をもとに、女性の家庭内での活動の変化について報告された。チュニジアにおいて広く用いられているメディアの中で、鷹木氏が重要視しているものは、1990年代には各家庭に普及したテレビである。テレビに映し出される海外の豊かな消費文化の映像は、家庭内で過ごす女性達に消費へのあこがれと志向を与えた。しかし、ジェリド地方の南部は、未だ性別分業、つまり「公」「私」の空間の性的区分が色濃く残る保守的な土地であり、女性の家庭外での労働は、自らの夫や家庭全体の不名誉につながると考えられていた。そこで、女性達は内職という形態での家庭内での経済活動を行うようになっていく。内職の増加は、国家の統計等には表われにくく、把握するのが難しい変化といえるであろう。だがこの変化が、消費の形態と家族関係の新しい形を生むであろうことを、鷹木氏は示唆している。

 近年、テレビが世界中に広まり、各地に強い影響を与えつづけていることは鷹木氏の報告においても言及があったが、急速に拡大、発展を続けているもののいま一つに、インターネットがある。イスラームと、インターネットという新しい公的領域の関係を扱ったAnderson氏の報告からは、サイバースペース上で展開する女性の公的領域への進出がうかがわれた。WWW(World Wide Web)の拡大以降、それまで特殊な技能を持つ技術者しか利用できなかったインターネットは、一般の人々にも接近が可能となった。そこにムスリム社会におけるニュースやシャイフの説教といった情報が提供されると同時に、思想的に穏健な一般の人々が、自らの意見を発信することができるようになった。

 これまでの報告が、従来ジェンダースペースと一致して考えられていた、ムスリム社会における「公」「私」の空間の揺らぎを主なテーマとしてきたのに対し、日本社会におけるムスリムの立場を扱ったのが、山岸氏の報告である。山岸氏の報告における公的空間とは、主に日本の公権力によって合法性を認められた、日本人の社会を指すように思われる。その日本人の「公的」空間の中で、合法性を認められないイラン人不法就労者が、自分達の生活を支えるために独自の人的ネットワークを形成していく過程が指摘されているのであるが、その流れの中で表れる日本人のイラン人理解の側面に、個人的に興味をひきつけられた。

 1992年以降の外国人労働者の増加に伴って、彼らによる犯罪も増加したが、その風評被害を主に受けたのはイラン人であった。不法就労の外国人は、政府からの保護や援助を一切受けられないかわりに、労働者の権利を十分に保証しない不正規の雇用への統制からも比較的自由であり、労働の場を得るに至っている。このような「公権力から無視」された存在であるという点が、日本人に彼らを「不気味」と感じさせる要因となっている。さらに、イラン人が行う代々木公園での集会は、彼らの生活様式に無知な日本人に奇異な印象を抱かせたため、あらゆる外国人労働者の犯罪のイメージがそれと結びつけられた。こうして強められた偏見によって、片寄ったイラン人表象がメディアを通して次々に再生産されるようになったという。

以上、本セッションの内容を、筆者の関心に即してまとめてきた。女性の公的領域への進出は、地域による程度の差こそあれ、あらゆるムスリム社会で進んでいるようである。それに大きな役割を果たしたのは、メディアと市場経済の広がりであった。現在、世界中に普及しているテレビは、海外の文化―物質であれ、習慣であれ―の映像を、そして身の回りの社会問題についての情報を、絶えず送りつづける。それは、今まで外の世界とは隔離され、家族や親戚との付き合いの中で生きてきた女性達に、外の世界についての知識を与える役目を果たした。海外の豊かな消費文化へのあこがれは、女性達の消費への願望を刺激し、女性による新たな経済活動にもつながっている。また、女性の解放に対する、女性自身の運動も広がり始めている。女性の隔離への社会的要請は根強いが、エジプトの喫茶店のように、風評を意に介さずに男女が共にいられる公的空間も確実に現われつつある。さらに、インターネットは従来の私的空間に留まりながら参加できる公的領域であり、女性の現実の公的領域への進出にどのような役割を果たすのか、今後注目されるところである。このような、メディアの普及・教育水準の向上等が原因となる見えにくい変化を捉えるための方法の創出は、Eickelman氏によってこれからの課題として提示された。

 さて、本セッションの最終的な目的として掲げられていた「公」「私」の区分の再考という点では、どのような成果があったのであろうか。本セッションでは、この最終的な目標についての深い議論にまで到達できなかったように思われるが、その手がかりになる多くの事例が報告されている。それをもとに、筆者が感じたことを一、二点記しておきたい。

 特にに印象に残ったのは、ジェンダースペースの変容を考えるにあたって、男性の行動の変化を考えることが必要であるという大塚氏による指摘である。インターネットやテレビの普及は、エジプト都市部の若い男性の夕方の過ごし方を変えつつある。家に留まって外で友人と会話をしないことは、年長者によって非難される点であるとの言及があった。これは男性にも「夕方は外で過ごすべきである」という社会規範が存在していたからであるとされる。

 今回まとめてきた報告は、ほとんどが女性の行動の変化から「公」「私」の区分の変容を考えようとしてきたものであった。メディアや市場経済の影響を受けたのは女性だけではないはずである。男女の活動領域の変化は、女性の活動領域の「私」から「公」への移行、または膨張としてだけ捉えるのではなく、男女双方の行動の変化から探る必要があるように思う。

 また、ペルシャ湾岸の国々の事例を報告したEickelman氏は、伝統的な女性の活動領域は、「私」よりも「家族」と区分するほうが都合がよいとしている。それは、女性が家事労働の他に、自らの夫や親類の掲げる目標に従って、親類内の結束を固めるための仲介者などの役どころをこなしていたためである。つまり女性の活動領域は拡大家族内であり、従来の女性の活動領域は「家族」か、「非家族」かで線引きされていたのである。とすると、近年の「公」「私」の領域の変容とは、女性が拡大家族を越えた集団(前述したサークル等)で活動をするようになったことであると考えられることになる。

 このEickelman氏の報告を見ると、自明のように語られてきた「公」「私」の区別はどこにあるのか、という疑問に再び行き当たる。「公」「私」の区分は、グローバル化以前のジェンダースペースと一致していたといわれる。当時の私的領域における活動とは、具体的にどのようなものを指すのだろうか。私的空間とは家庭内と考えてよいのか。現在、それぞれの領域における活動のどのような点が変わってきているのか。また、イスラーム的に正しいとされる男女の行動についての観念が、すべてのムスリム社会で同一であるとしても、家族関係や、実際に女性に許されていた行動には地域差があるのではないであろうか。現在の女性の公的領域進出にさまざまな様相があるように、グローバル化以前にも多様な現実があったはずである。「公」「私」の区分の変容を明らかにして行くためには、それらがそれぞれの地域で、以前には社会規範としてどのように捉えられ、どのような実際の行動がとられていたのかを、つまり変化の背景を常に意識しておくことが重要であると、あらためて感じさせられた。


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