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イスラーム研究 焦眉の課題

 佐藤 次高

『読売新聞』2000年9月18日夕刊より転載



 この夏、柔らかな日差しのもと、涼風がさわやかに吹き抜けるオスロ(ノルウェー)で、第19回国際歴史学会議(開催は5年に一度)が開かれた。会期は8月6日から13日までの8日間、オスロ大学を会場にして、2000年の大会にふさわしい「ミレニアム:時と歴史」のような大テーマから、「ゲイとレスビアンの歴史」のような個別の小テーマまで、現代の歴史学が関心をもつ課題をめぐって、さまざまな報告と討論がおこなわれた。


 私たちも、大会4日目の8月9日午後に、「歴史のなかのムスリム社会:比較の視点からみた共存と紛争」と題する分科会(セッション)を催した。会議の全体はいぜんとしてヨーロッパ史を中心に構成されていたから、ムスリム社会をテーマとし、しかも日本の歴史家が提起したセッションという点でユニークな性格の会であったといえよう。

 このようなテーマの分科会を提案したのは、今日、ムスリム(イスラーム教徒)の移住が、出稼ぎ労働者が定住するなどの形で世界の各地に及ぶようになり、その結果、移住先の住民とムスリムとの「共存と紛争」の問題をどのように考えるかが焦眉の課題となっているからである。インド、中国、ロシア、東西ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、さらには日本でも、ムスリムの価値観や行動様式をもっと深く理解する必要に迫られているといってもよい。

 ただ、私たちはややもすれば共存と紛争の原因を、宗教としての「イスラームの寛容さ」や、またそれとは逆に「イスラームの不寛容さ」に求めがちである。しかし二つの説明とも、事態の本質には触れることなく、イスラームにかんする「出来合いの見方」を当てはめるだけで終わってしまうことになろう。これも、エドワード・サイードが批判したオリエンタリズムのひとつに他ならない。

 問題の核心は何なのだろうか。日本を別にして、世界各地のムスリム社会は、共存と紛争の長い歴史をもっている。したがって現状をよりよく理解しようとすれば、やはり歴史をさかのぼって共存と紛争の諸条件を洗い出す個別の作業が必要となろう。

 もちろん今述べたように、個々のケースについて、共存と紛争の原因を宗教の性格だけから説明するのでは不十分である。むしろ共存を可能にした、あるいは紛争をもたらした政治的・経済的・社会的な諸条件を検討し、そのうえで地域による相互の比較をおこなってみなければならない。基調報告で私が主張したのは、以上の点であった。

 このような趣旨にもとづいて、分科会ではインド、北アフリカ、中央アジア、ヨーロッパの4つの事例が報告された。植民地主義、ナショナリズム、ムスリム・エリートの価値観などが重なって形成された少数派としてのインド・ムスリム(M・ハサン)、フランスの北アフリカ支配に抵抗した神秘主義教団の組織力と運動の柔軟性(K・ヴィケル)、ロシア支配に反抗した中央アジアの神秘主義教団がもつ教義の特徴(小松久男)、また移住の時期や出身地によるヨーロッパのムスリム社会の多様性(F・ダセット)などが、各報告の眼目であったと思われる。

 これらの報告のあと、2人のディスカッサント(M・マリーン、A・ラーフェク)による問題の整理がおこなわれ、討論に移った。中心の論点は、「共存と紛争」にかかわる個々のケースを「ムスリム社会の特質」として一般化できるかどうかということであった。しかし3時間のセッションで、これらの問題を掘り下げ、相互に比較することはとても無理な相談であった。ここで提起された問題をさらに発展させるためにはどうしたらいいのか、この道を探ることが今後の課題であろう。

 幸いなことに、いま私たちは5年計画で文部省の創成的基礎研究「現代イスラーム世界の動態的研究」(通称「イスラーム地域研究」)をすすめている。今年はその4年目にあたっているが、その主要な目標は、地球規模にまで拡大したムスリム問題を総合的に理解するための基礎づくりにおかれている。研究方法についていえば、私は歴史的なアプローチと地域間の比較をすることが重要だと考えている。これによって、政治学、経済学、宗教学、社会学、文化人類学などの個別的な専門研究を総合することが可能になると思うからである。

 プロジェクトの成果は、和文および英文の叢書として刊行される。英文叢書の第1巻『中東とアフリカの奴隷エリート』は、ロンドンの出版社からすでに刊行され、現在は第2巻『イスラームの法と思想にみる領土の概念』を準備中である。先のオスロ会議の報告と討論も、この英文叢書の1巻として出版したいと考えている。この書物を媒介にして、国際的にムスリム理解の深化をはかること、これが私たちの本当の願いである。

(佐藤次高・さとう つぎたか)

 

<参考>
第19回国際歴史学会議(オスロ、2000年8月6日〜13日)

報告書(文責:森本一夫)はこちら(HTML版PDF版
会場の様子(写真4枚)はこちら

 

 

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